001. リクエストが多すぎる
高校を卒業して以来、俺は16年間もあのブラック企業で時間を潰すしかなかった。
家族の倒産した事業の借金を返すためにな。
そして今、死に物狂いで働いた結果、何も変わらなかった。
借金はまだ四分の一残ってるし、結婚するのも忘れちまった。挙句、歳を取って死んじまったんだ。
今、俺は目の前にいる美人の女神と向き合っている。
「うーん……新しい参加者ね?
よし、名前を教えてちょうだい」
だが彼女は、まるで忙しい受付嬢みたいだった。
座っているのは、俺が働いていた会社のデスクみたいな事務机。
その上には書類が山積みだ。
それに、空中に浮いてる紙も一枚あった。
彼女の小さな光る手は、白い羽ペンを握って何かを書き留める準備をしている。
「佐田中徹。34歳」
「素敵なお名前ですね、サナカタトオルさん」
「違う。
サ・タ・ナ・カです」
「ああ……サタナカトオル? ごめんなさい。
分類してくれてありがとう」
「はい」
どうやら彼女は俺の名前を書き終えたらしく。
「おめでとうございます。次回参加候補者として正式登録されました。
死後ボーナス的なものを受け取る前に、条件となる質問が三つあります」
さっぱりわからん。
だが妙に頭に何かが浮かんで、
直接彼女に聞かずにはいられなくなった。
「あの……これ、最近流行の召喚とか……?」
「いいえ、違うわ。
正確じゃないな」
「正確じゃない?」
「ええ。魂転移型転生とかそんな感じよ。
でもそれも場合によるわ。例えば生まれ変わるか、魂だけ移動するか……そういう類のもの」
「……は? どういう?」
「要するに、前世でどれだけ苦しんだかで、次の人生の待遇が決まるの。
今からする三つの質問が、その後の行方を左右するってわけ」
「あー、そういうことか。
完全に理解した」
本当だ。
「わかってくれて嬉しいわ。
まず一つ目、人生で一番イライラした不満は何……? 遠慮なく言ってね~」
「んー、まあよくある苦労話だけど。
たぶん人生で最悪だったのは、桁違いの家族の借金返済に16年間も人生を捧げたことかな。
返済額を見た時は、なぜか急に吐き気がして、そのまま気絶しちまった」
「え? えええええ!?
……どうしてそんなことに?」
「俺……自動的に大笑いしちゃって、制御不能になったんだ。全てを真面目に考えすぎて、自分自身を忘れてたんだろうな。
結局、末期冠動脈疾患で死んじまった。
気づいたら、また一年間も普通の患者として病院で過ごしてた」
「ふむ。なかなか壮絶ね。
あなたの奮闘にはとても感銘を受けたわ」
彼女が新しい紙に書き留める手が止まった。
この光景を見て、女神は何だか感情移入しているように思えた。
「うーん……全部聞いた感じ、あなたは確かに第二の人生エピソードを得るに値するわ。
ただし、先ほど話した魂転移方式のみよ。つまり赤ちゃんから生まれ変わる必要はないの」
「……なぜ?」
「前世の善悪の判定が難しいからよ——天国か地獄か判断する材料が足りないの。
だから、魂転生プログラムに参加する機会を推奨するわ。
つまり、同じ体で異世界に送られる……ってこと。前世の人生の代わりにね」
俺は驚いた。
でも最初から気になってたことが一つある。
直接聞いてみたかった。
「あの……すみません。それで向こうで何かするんですか?」
「何か? 悪と戦うとかそういうこと?」
「……はい、そんな感じです」
「残念だけど、あなたの場合はなさそうね。
だってあなたのバックグラウンド……そういうことする基準を全く満たしてないもの」
そんなのあるのか?
でも……現実だ。
「今回は自由な人生をプレゼントするわ。
好きなだけ自由に、好きなことを好きなようにしていいの。ただしトラブルを起こすつもりなら——絶対ダメよ!」
「は、はい。完全に理解しました。詳しい説明ありがとうございます」
「では次、二つ目の質問。何が欲しい……?」
その質問を聞いて、俺は思考が止まった。
だが妙に頭に引っかかることが浮かんだ。
「じゃあ……体を『頑丈』にできるものってリクエスト可能ですか?」
「……んん? んんっ!? どういう意味?」
「例えば……病気しにくい体とか、毒耐性とか、そういうので。以前みたいに身体的ダメージを受けないように。それらの病気って何よりも怖いんですよ」
「なるほどなるほど。ユニークね。簡単に対処できるわ。心配しないで」
「ありがとう親切な女神様。これ以上何てお礼を言えばいいか」
「大丈夫、気にしないで」
「あの……気になることがあるんですけど。もう一つ質問いいですか?」
「どうぞどうぞ」
「新しい世界って魔法だけの世界なんですか? 異世界って剣と魔法のファンタジーだけかと思ってたんで」
「実は魔法と剣だけじゃない世界もたくさんあるの。地球みたいな世界もあるけど、そういうところは大抵人口過密で……特に前の参加者が多く住み着いてるから超混雑!
親切な女神としてああいう世界は非推奨なのよ」
「そうですか」
「だから今回は古典的ファンタジー世界に転移してもらうわ。お詫びに別のリクエストも聞くわね。
どんな世界がいい? 雰囲気的になんだけど? 戦乱の世界、魔法100%世界、魔族世界、貴族社会、あるいは……」
「あ、いやいや。話途中すみません。選択肢が多すぎて……オファー感謝します。
要は、本当に静かな場所が希望です。魔法世界かどうかは関係ない。今回だけは、スローライフな第二人生を送りたくて……健康的な感じで」
「……うわぁ~。意外……説明ありがとう。
じゃあ少々待ってねー!」
「えっ……?」
書き込みを終えた女神がふと横を向き、
小声で呟いた。
「もしもし、転居希望者がいるんだけど。祝福枠お願いできる?」
「了解でちゅ!!! 申請書後で送って。できる限りやるでちゅー!!」
ツッ。ツッ。ツー。(閉じた電話)
どう見てもオフィス電話している光景だった。
奇妙だがこれが現実だ。
書類の山の陰には、普通の家庭用電話みたいなものがあった。
だが形が妙で――説明できないくらい変だった。
「エヘム。最後の質問に移るわ。
最終特典としてどんな力が欲しい? 特別な目標はある? 例えば……剣士、魔導師、商人、冒険者、戦士……とかあるけど?」
ああ、ここまで来たか。
よし真剣に将来のために話そう。
「自動翻訳機みたいな多言語能力が欲しいです。
それと……超万能な『農具一式』を召喚できる力も」
「わあ盛りだくさんね……」
「はいそうです。新しい仕事で役立つかと。いや……実際何をするかも決めてないんです。でもその能力があれば生活が楽になる。何より異世界は原始的なでしょう? 近代的な道具が必要で」
待て。
まだ足りない。
「えーと……可能なら、初期装備として役立つアイテムも。内容は何でも。生存に役立てば」
「今までそんなリクエストした者いなかったわ。
ポイントをメモするのも追いつかないくらい」
それを聞いて、俺は苦笑いするしかなかった。
なぜか恥ずかしい。
ま、仕方ねえな。
生き延びるためだ。
「でも要点は理解できたわ」
「あの……親切な女神様。神様に対して図々しかったかもしれません。もし無理なら……構いません」
「いいえいいえ。そんなこと言わないで。今から全部用意するから」
「あ、ありがとう……本当に感激です」
「どういたしまして。さあ時間よ。
全て準備したし、他の案内係と早速あなたの申請を話し合って、リクエストを全部承認してもらうわ」
次の瞬間、女神と向き合っていたはずの俺の体が、
時間の流れに乗って、塵のようにゆっくりと消え始めた。
その光景の中、俺に見えたのは相変わらずあの美人な女神の姿だけ。
いつも通り、冥界受付嬢として仕事に忙しそうだった。
「失敗しないでね!今回は善悪もちゃんと記録するから! 第二の人生エピソード、頑張って!」
優雅なまばたきと共に彼女が指を鳴らすと、
次の瞬間、俺は完全に消えた。本当に。