パン屋のトラックドライバー、北原たくみ、ただいまより異世界配送、始めます
俺の名前は北原たくみ。32歳、パン屋のトラックドライバーだ。
高校卒業後に就職した老舗製パン企業で、ずっとパンの配送をしている。
パンが好きで始めたこの仕事だけど、20代半ばには営業っぽい業務もあって正直、嫌になってた。
だけど――あの日。
地震で物流が止まった町に、焼きたてのパンを届けた時。
避難所でパンを頬張って笑う人たちの顔を見て、思ったんだ。
「俺の仕事、すげぇ……誇れるかも」って。
今じゃ、トラックとパンが俺の誇りだ。
まだ街が静かに眠っている時間帯。
俺はパン工場の裏口にトラックをつけていた。
「おはようございまーす!」
「お、北原くん、今日も早いね」
奥から出てきたのは、焼成担当の高橋さん。もうすぐ定年だってのに、いつも誰より早く出勤してパンを焼いている。
「高橋さん、今日の焼き上がり、香りからして最高ですね」
「へへっ、わかるかい? 今朝はバターたっぷりのクロワッサンが主役さ。あと、例の新作、塩パンメロンも入れておいたから、感想聞かせてくれよ」
「うわ、やば……ありがとうございますっ!」
工場の中は、焼きたてパンの香ばしい匂いで満たされている。
トースト、バゲット、ふわふわのロールパン、惣菜パン、スイーツ系まで――まるで小さなパンの王国だ。
実は、俺の今日の朝ごはんもパンだった。
家を出る前に食べたのは、昨日買ったくるみパンとコーヒー。でも、目の前で湯気を立てている焼きたてたちを見てたら――
「……くっ、腹減ってきた」
正直、さっき食べたばっかだってのに、胃が「もう一回食べろ」って言ってくる。
俺にとってパンは、食事であり、幸せであり、そして、仕事だ。
パンの積み込みは慎重に行う。
温度管理されたケースに、やわらかいロールパンやサンド系を入れ、バランスを崩さないようにスライドさせて積んでいく。たまに工場の子が慣れてなくて落としそうになると、つい怒っちゃうこともある。
「……パンはな、人の幸せを乗せてるんだぞ……!」
「はいはい、トラックの騎士様、出発前に泣かせるのは勘弁してくださいよ~」
若いバイトの子に冷やかされながらも、思わずニヤリと笑う。
パンは軽い。でも、積んでるものは、思ってる以上に重いんだ。
「じゃ、行ってきます!」
「気をつけてなー!」
エンジンをかけ、ゆっくりと工場を出る。
目指すは、朝イチで開店する郊外の人気ベーカリー。時間通りに届けなきゃ、開店に間に合わない。
早朝の空は、まだ薄暗い青。街の灯りがまばらに残っている。
交差点をいくつか抜け、大通りへ。コンビニの前を通るたび、コーヒーの誘惑が頭をよぎる。
――けど、その時。
「ん? なんか、横断歩道に……子ども?」
まだ信号が赤なのに、小さな影がポツンと立っている。
「おいおい、マジかよ! 危ねぇって!」
急いでブレーキを踏む。タイヤがアスファルトをこすって甲高い音を立てた。
「間に合えっ……!」
だが、次の瞬間だった。
真っ白な光が、視界を覆った――。
気づけば、そこは見たこともない景色だった。
空はどこまでも青く、道路は……舗装されてないけど、妙に走りやすそうな質感。
トラックのエンジンはまだ動いている。計器類も問題なし。けど、どう見ても――
「……え、うそだろ? え? さっきまで交差点で……なんで……木? 草原? どこだよここ……」
混乱しながらも周囲を確認すると、助手席にさっきの少年が座っていた。
「えっ、お前……無事だったのか!? いや、そもそもなんでここに!?」
俺が慌てて問いかけると、少年は申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。
「すみません……強引に、この世界に連れてきてしまいました。実は、あなたにお願いしたいことがあるんです」
お願い? 俺に?
とりあえず、深呼吸してトラックを停める。
そして、シート脇のホルダーから缶コーヒーを取り出す。プシュッと開けて、一口。
「……ふぅ。どこにいてもでも缶コーヒーはうまい」
もう一本、少年にも手渡す。
「これ、飲めよ。」
少年は、缶を手に取って困った顔をした。
「……これはなんでしょう?」
「マジか。お前、缶コーヒー知らねぇのかよ。飲み物だって、ほら」
そう言って開け方を教えると、少年は感動したように「すごい……」と呟いた。
そして、缶を両手で持ち上げ、ぺこりと頭を下げた。
「どうか……この世界に、パンを届けてください」
「……は?」
缶コーヒーを飲み終えた少年が、ようやく口を開いた。
「すみません……事情を、話しますね」
「お、おう。頼む。さっきから訳がわからん」
少年は小さく息を吸い、真っ直ぐ俺を見た。
「この先に、“フィンベル村”という小さな村があります。そこでは今――食べ物を口にできなくなる呪いが広がっているんです」
「食べられない? ……って、それはつまり?」
「食事を摂るたびに、体が拒絶してしまう。飲み込めない。喉が焼けつくように痛む。……最初はただの病気かと思われていました。でも、診てもらった聖職者が“魔の痕跡”を見つけたんです」
少年の声に、どこか怒りがにじんでいた。
「その呪いをかけたのは、“灰の魔女リセリア”。森の奥に棲む悪しき魔女です。数年前に村を追われたのですが……復讐のために、村の水源に呪いを仕掛けたらしくて」
「……なんだよそれ、洒落にならねぇな……」
魔女? 呪い? 正直、全部ゲームとかアニメの中の話みたいで、実感なんかない。
けど、少年の目は本気だった。
「僕は旅の最中、その村に立ち寄って、その現状を知りました。助けたいと思った。でも、僕には力がない。だから――賢者の塔に向かったんです」
「……賢者?」
どんどん話がファンタジーの奥地に入っていく。でも、少年は続ける。
「賢者様は、呪いを解く鍵は“外の世界から来る清らかな食物”だと告げました。
“まだこの世界に穢されていない、別の理で作られた、聖なる主食”――」
少年が、俺のトラックの荷台を指差す。
「――それが、あなたのパンだと」
「…………は?」
「さっき、あなたを“巻き込んだ”のは、その導きが働いた結果です。僕にも、どうしてあんな形で転移が起きたのか、正確にはわかりません。けれど……間違いなく、あのパンが人々を救います」
静かに、まっすぐに言い切る少年。
俺はしばらく、黙ったまま荷台を見つめていた。
たしかに、ここにはたっぷり積んである。焼きたての、心をこめて作られた、俺の……いや、あの工場のみんなのパンが。
「……つまり、このパンを村の人たちに届ければ、呪いが解けるかもしれないってことか?」
「はい。パンに込められた“他世界の気”が、呪いを打ち消すと……」
「……はは。なるほど。オカルトだ。理屈なんか全然わからん」
でも。
俺の中で、あの日の避難所の光景がよみがえっていた。
パンを手にして泣いていた子ども。
「ありがとう」と笑ってくれたおばあちゃん。
――パンは、命をつなぐ。
その事実は、どの世界でも同じなんじゃないか。
「……わかった。やってみるか」
俺はもう一度、荷台の方に視線をやる。
この匂い。あの温もり。
焼きたての、命がこもったパンたち。
――昔、子どもの頃に聞いた聖書の話を思い出した。
天から降った“マナ”という食べ物。
荒れ地をさまよう民に、神様が与えた奇跡の糧。
「……パンってさ。もしかしたら、神様の贈り物なのかもな」
ポツリとこぼれた自分の言葉に、自分で苦笑する。
でも今、この状況なら……そう信じたくなる。
もしかしたら、うちのパンには、そんな力があるのかもしれない。
――いや、そんな難しい理屈より、もっと単純でいい。
腹ペコで困ってる人たちがいるなら、美味しいパンを届ける。
それだけでいい。
それが俺の、パン屋のトラックドライバーとしてのやるべきことだ。
「……よし。届けよう。腹ペコのみんなに、うちのパンを」
そう言った俺を、少年が見つめる。
「……ありがとう、ございます……っ」
目を潤ませ、震える声で言葉を継いだ。
「あなたのような人が、この世界に来てくれて……本当によかった」
なんでそこまで真剣なんだ、と一瞬思った。
この子は旅人。村の人間ってわけでもない。
それでも、こんなに真剣に、誰かのために涙をこぼせる。
……たいしたもんだよ、お前は。
「名前、聞いてなかったな。俺は北原たくみ。パン屋のトラックドライバーだ」
「ぼくはリオ。……ただの旅人です。でも、あの村で、たくさんの人に助けられて……恩返しがしたかった」
「そっか。リオ、お前いいやつだな。……じゃあ、今度は俺たちが、その村を助けようぜ」
俺はトラックの運転席に乗り込み、エンジンをかけた。
さっきまで普通の道を走っていたはずのハンドルが、今はなんだか勇ましく見える。
「パンの鮮度は命。モタモタしてられねえな」
リオが助手席に飛び乗る。涙を拭いて、力強くうなずいた。
「はいっ! 急ぎましょう!」
――パンと希望を荷台に積んで、
トラックは異世界の道を走り出した。
トラックは、ゴウンと音を立てながら走り出した。
無舗装にしては驚くほど走りやすい道。段差も少なく、舗装されたような感触すらある。
「なあリオ、この道……異様にスムーズなんだけど。俺の足回り、異世界チューンでもされた?」
「ふふっ、それは“魔導整路”っていう古代の魔法です。魔力で地盤を均して、車輪の通行に適した硬度にしてあるんです」
「魔法すげぇな……物流が革命されるぞ」
異世界テクノロジーに感心していた、まさにその時――
「ん? あれ……鳥?」
前方の空に、異様に大きな影が見えた。翼をバサバサと羽ばたかせ、こちらに急降下してくる。
「ちょ、デカすぎない!? なんか羽根がボロボロで……目光ってない!? なにあれ!?」
すると、リオの表情が一気に引き締まった。
「あれは――魔女の使い魔です!」
「はああ!? 使い魔って! じゃあ敵だよな!? いやどうすりゃいいんだ俺!!」
パニックになる俺をよそに、リオはシートベルトを外し、窓をスッと開ける。
「えっ、おいおいちょっと待っ――って、どこ行く気!?」
その瞬間。
リオが、なぜか持っていなかった剣を空中から――まるでポケットからハンカチでも取り出すように――スッと引き抜いた。
銀に光る細身の剣。空間が歪んだような気がした。
「たくみさん、真っ直ぐ突っ込んでください! あれは僕がやります!」
「はあああ!? お前今なんつった!? え、俺は直進でいいの!? 避けなくて!?」
「任せてください!」
マジかよ……!?
でも、あいつの目、本気だ。
「……ええい、ままよ!!」
俺はハンドルを両手で握り直し、アクセルをぐっと踏み込む。トラックは唸りを上げて加速した。
使い魔たちが襲いかかってくる。鋭い爪、鈍い羽音、血に濡れた嘴。
俺の中の「逃げろ」って声が全力で鳴ってる。だけど――
「――はあああっ!!」
リオが、トラックの屋根に身を乗り出すと同時に、剣が閃いた。
一閃。
二閃。
銀の軌跡が、空を裂き、次々と魔物を切り裂いていく。
動きが速すぎて、目で追えない。
まるで……そう、まるでゲームの主人公みたいだった。
縦に真っ二つ。横にスパーン。空から落ちてくる魔物の残骸が、奇跡的に俺たちのトラックには当たらない。
「おいおい、なにこれ……すげぇ……」
俺はハンドルを握りながら、思わずつぶやいた。
剣なんて現実で見たことなかった。ゲームだってろくにやらない。
だけど、直感でわかる。あいつは、この世界の勇者みたいな存在なんだろう。
「お前……本当に旅人か?」
誰に聞かせるでもない独り言だった。
魔物を斬り伏せるリオの姿は、信じられないくらい格好良かった。
まるでパンを届けるための守護騎士みたいだ、なんて――俺は思ってしまった。
魔物の群れを切り抜けて、トラックは再び静かに走り出した。
道中、奇妙なものが次々と視界に飛び込んでくる。
空に浮かぶ逆さの遺跡。
山のように巨大な、首の長い四足歩行の獣。
湖の水が、空に向かって流れ上がっている。
「……これが、異世界かぁ」
助手席のリオは、風に揺れる髪を押さえながら微笑んだ。
俺はハンドルを握りながら、まだどこか現実味のない光景を黙って見つめていた。
――そして、昼時。
「さすがに腹減ったな。ちょっと休憩しようか」
人気のない草原にトラックを停めて、荷台からクーラーボックスを開ける。
その中に入っていたのは、朝、高橋さんがこっそり持たせてくれた新作のパン。
焼きたてのクロワッサン、塩パンメロン、ほんのり甘いシュガートースト。
袋を開けると、ふわっと湯気が立った。
「……出来立てのまんま……? 時間、あんま経ってないのか……?」
いや、異世界だから……時間の流れが違う、とか?
考えても分からん。でも、うまそうなのは間違いない。
「リオ、お前も食えよ。腹減ってるだろ?」
「え、いいんですか!?」
「もちろん。さっきの大活躍の礼だ。主役にはご褒美がいる」
そう言って俺は、クロワッサンを半分に割って、リオに差し出した。
リオは恐る恐る、一口。
――その瞬間。
彼の瞳が揺れた。ゆっくり、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「えっ……!? ど、どうした!? どこか痛いか!? 味、濃すぎた!?」
「違います……違うんです……」
リオは、震える手で残りのクロワッサンをぎゅっと握りしめながら、ぽつりと語り始めた。
「……僕の母は……僕が幼い頃、ずっと……食べ物を分けてくれていました。どんなにお腹が空いていても、僕に先に食べさせて……自分の分を残そうとしなかった」
「……」
「でも、最後は……何も言わずに、亡くなってしまった。
本当は……何か、食べたかったんだと思います。
でも、それを口にすることすら……僕に“罪悪感を与えたくない”って、思ったんだと……」
リオの目が、潤んだまま、俺の差し出したクロワッサンを見つめた。
「……こんな美味しいものが……この世にあるなんて……
母にも……食べさせたかった……。せめて、一口でも……教えてあげたかった……」
俺は、もう限界だった。
「……う、うおおおぉおおお……!! なんだそれ……ッッ!!」
涙が溢れて止まらない。人の話でこんなに泣いたの、初めてだった。
「くそっ……お母さん、すげぇじゃねえか……!
そんな、そんな人に……食わせてやりたかったよな……!」
リオは泣き笑いの顔で、震える声を漏らす。
「……たくみさんの方が……泣いてるじゃないですか……」
「だ、だってよぉ……! お前の話、反則だろこんなのぉ……!!」
ふたり、草原の真ん中で、涙を拭いながらクロワッサンを分け合った。
甘く香ばしい層のひとくちごとに、リオの心が癒えていくようだった。
俺は、そっと思った。
このパンが人を救う。
それは、もしかしたら偶然じゃないのかもしれない。
パンは――神様からじゃない。誰かの想いそのものなんだ。
――ゴオオォォォン……!
トラックが草原を駆け抜ける。風を切る音と、エンジンの唸りが心地いい。
♪「愛と希望を~届けに行くのさ~♪走れ~走れ~い○ゞのト~ラ~ック~♪」
「たくみさん!? 今の歌、なんですか!? テンションおかしくないですか!?」
「うるせぇ! こういうのは勢いが大事なんだよ! 乗りきれこの異世界ォォッ!!」
リオは引き気味に苦笑いしたが、それでも目を細めて笑っていた。
その笑顔に少しだけ、母親を思うような優しさが重なる。
俺は、アクセルをさらに踏み込んだ。
リオの母親のような人を、もう誰も餓えさせない。
その想いが、エンジンの鼓動とひとつになる。
しかし――
「……あれ? 空、さっきまで快晴だったのに……」
村が近づくにつれ、空に不穏な暗雲が立ち込めてきた。
気がつけば、日差しは黒い靄に遮られ、あたりはまるで夕暮れのような陰鬱さに包まれていく。
ザザザザザ……!
前方、黒い影が地面を這うように出現した。
「っ、来ました! 魔女の使い魔です!」
無数の小さな影――コウモリのような、霧のような、形を持たない黒い何かが道を塞ぐように浮遊していた。
リオが再び窓を開け、剣を抜く。
シャキィン! と鋭い音が鳴り、影の群れへと切り込んでいく。
バシュン! ズバッ! シュバァン!
すさまじい剣技で影を斬っていくリオ。だが――
「数が多い……! 小さすぎて……すべては斬りきれません!」
「……だったら、俺の出番だな!」
俺はハンドルを握り直し、アクセルを強く踏み込んだ!
「おらァァァァ!! ぶっ飛べぇぇぇええ!!」
ドゴォォン!
トラックが小さな影を次々とはね飛ばしていく。
――が、不思議なことに、衝撃がほとんどない。
「……え? 今、何体か轢いたよな?」
振り返ると、はねられた魔物の影は跡形もなく消滅していた。
「すごい……! このトラック、何らかの“浄化の力”を帯びています! 魔物が触れた瞬間に消滅してる!」
「まじかよ……トラック、いつの間にレベルアップしてたんだ……」
これなら行ける――!
そう思った次の瞬間。
ズゥゥゥン……!!
大地が揺れる。
空が裂ける。
そして、現れた。
漆黒の鱗に覆われた、巨体のドラゴン。
赤く光る四つの目。
口元には、黒い炎がチリチリと灯る。
その姿はまるで“災厄”そのものだった。
「っ、止まってください! たくみさん……あれは……っ!」
俺はトラックを急ブレーキで止めた。
リオが、ゆっくりとドアを開けて外に降りる。
背にしたトラック、握りしめた剣。
その瞳はまっすぐに、黒き竜を見据えていた。
「――あいつは、魔女です。
とうとう本気を出してきました……!」
「ま、魔女ってドラゴン型だったのかよ……そんなんありかよ……!」
でも、もう後戻りはできない。
このパンを届けるって、俺とリオが決めたことだ。
それが、救いになるって、信じてるから。
「リオ……お前、無茶すんなよ」
「大丈夫。たくみさんが後ろにいてくれるなら、僕は戦えます。
この命は、母が繋いでくれたものですから……!」
リオが剣を構え、静かに息を吐く。
そして、真っ向から――竜の魔女へと、走り出した!
リオの剣が、宙を斬る。
鋭い斬撃が何度も巨大な竜の鱗に食い込み、黒い火花が飛び散る。
「はあっ……はあっ……!」
呼吸が荒い。肩が揺れている。
それでもリオは剣を握り直して、竜へと突っ込んでいく。
「リオ……!」
俺はトラックの中からリオの戦いを見つめていた。
今のリオは……すげぇ。まるで英雄みたいだ。
竜と互角に渡り合ってる。それでも……!
「くそっ……体格差が違いすぎる!」
戦うたびに、削られていくリオの体力。
剣を振るたびに、呼吸が荒くなっていく。
――明らかに、押されている。
「くそ……! 何か……何か俺にできることは……!」
でも俺は、ただのパン屋のトラックドライバー。
剣も魔法も使えない。ここで突っ立ってるしか……
――いや、あるじゃねぇか。俺にできることが一つだけ。
俺はハンドルを握りしめ、ギアを入れた。
「こいつでぶつかってやりゃいいんだよ……!!」
目の前の竜が、今まさにリオに向かって咆哮をあげた瞬間――
俺はアクセルを思いっきり踏み込んだ!
――ゴオォォォンッ!!
「おらぁああああ!! 行っけえぇぇぇえええええ!!!!!」
轟音と共に、俺のトラックが突撃する!
まっすぐに、魔女――竜の魔物へと!
ドグゥンッ!!
正面から、トラックのフロントが黒き巨体にぶつかる。
明らかに驚いた様子で、竜が振り返る。
「この下等生物がァ……ッ!!」
竜の魔女が怒りの咆哮と共に、炎のブレスを吐こうと口を開く――その時だった。
「――今だッ!!」
リオが叫び、跳んだ。
風を裂く剣閃が、空を駆ける。
「はああああああああああッッッ!!!」
リオの剣が、まっすぐに、竜の首元へ――
ズバァァァァッッッ!!!
黒い鱗が割れ、血しぶきが空を裂く。
次の瞬間、魔女の首が宙を舞い、
その巨体が、ゆっくりと――崩れ落ちた。
ドサァァァアア……!
地面に崩れ落ちる魔女の亡骸。
空を覆っていた黒雲が、音もなく晴れていく。
……沈黙のあと、リオが地面に着地した。
「……たくみさん……ありがとう……助かりました……!」
彼の顔には、傷と汗と、そして何より……安堵の笑顔があった。
俺は、ハンドルに額を預けて息をついた。
「……っはー……心臓に悪ぃ……もうこんな体当たり、二度としねぇ……!」
けど――その笑顔が見れたなら、悪くない。
さぁ、パンを届けに行こう。
待ってる人たちがいるんだ――あの村で。
空はどこまでも青く、雲一つない快晴だった。
ついさっきまであの空を覆っていた黒雲は、魔女の死とともに嘘のように消え去っていた。
風は涼しく、草原は明るく、まるで世界そのものが祝福してくれているようだった。
「……晴れたな」
「ええ。魔女が……いなくなったんですね」
リオが、ほっとしたように空を見上げる。
「さぁ、あとは――パンを届けるだけだ」
トラックに乗り込んだ俺は、ハンドルを握り、再びアクセルを踏んだ。
「よし、行くぞ……リオ!」
「はい!」
二人の声が重なる。
「せーのっ――」
『は〜しれ走れ♪ ○すゞ〜のトラック〜♪』
異世界のど真ん中で、パン屋のおっさんと勇者風の少年が歌いながら走る姿なんて、誰が想像しただろうか。
だが、この瞬間、間違いなく俺たちは――世界を救っていた。
村の入り口に差し掛かると、人々がこちらに集まってきていた。
やせ細った体。うつろな目。
でも、その奥には――確かに光があった。
「来てくれた……!」
「ほんとうに……食べ物が……!」
「助かった……!神様……!」
俺とリオは、荷台を開けてパンを一つずつ手渡していく。
コッペパン、クロワッサン、クリームパンにメロンパン――
種類は多くない。でも、全部、俺たちが届けたかったパンだ。
「あぁ……甘い……!」
「これが、パン……これが食べ物なの……!?」
「お母さん……お父さん……!」
涙を流しながら食べる子ども。
腰を曲げながらも笑顔を見せるおばあちゃん。
肩を抱き合って泣きながらパンをかじる夫婦。
そのどれもが、俺がかつて見た、あの日の光景に重なる。
災害の避難所で、俺の届けたパンを見て、泣き笑いしたあの人たちの顔。
「……いいよな、パンって」
俺は思わず、口の中で呟いた。
ふと、現実が脳裏をよぎる。
(会社……やべえな、トラックも勝手に消えたし、パンも持ち出しだし……いや、これ……社内規定どころじゃねぇな……)
が――
「……ま、いいか。後悔はねぇし」
俺は空を見上げて、少しだけ笑った。
リオがそんな俺の顔を見て、にっこり笑い返す。
「たくみさん、やっぱりあなたは……この世界の“パンの勇者”です」
「お、おい、やめろって恥ずかしい……」
二人で顔を見合わせて笑い合った。
そして、村いっぱいに焼きたてのパンの香りが広がっていった。
気づけば、空は茜色に染まっていた。
トラックを降りて村の景色を眺めていた俺の体が、ほんのりと光を放ち始める。
いや、それは俺だけじゃない。愛車のトラックもだ。
「……これは」
思わず戸惑っていると、隣にいたリオが、少し寂しげに目を細めた。
「どうやら……お別れのようですね」
その言葉を聞いて、胸がギュッと締めつけられた。
別れ。
それはつまり、元の世界に戻るということだろう。
「ありがとう、たくみさん。本当に……ありがとうございました」
そう言ってリオは、自分の首元からループタイのようなものを外した。
中央には、小さな銀色の石がはめ込まれ、淡く光を帯びている。
「これは、“勇者の証”です。本来は私のものですが……あなたに、持っていて欲しいんです」
「……そんな、大事なもんだろ? 俺なんかが貰っちゃ……」
断ろうとしたその時、光が強くなり、言葉が途中で途切れる。
世界が、音もなく白く染まっていった。
最後に見えたのは、リオの微笑みだった。
「……おれ、パンの勇者か……」
そう呟いた刹那、すべてが光に包まれた。
――そして。
目を覚ますと、そこは見慣れた自分の部屋だった。
天井のシミ。窓の外は薄暗い。
隣のテーブルには、朝に食べようと置いておいたくるみパン。
「……夢、だったのか?」
そう思って、ふと、自分の手を見る。
そこには――あの銀色に輝くループタイ、“勇者の証”が、しっかりと握られていた。
「……夢じゃ、なかったんだな」
胸の奥が、ぽかぽかと温かくなる。
魔女、リオ、村の人々。
パンを食べて笑ってくれたたくさんの顔が、次々に思い浮かぶ。
「よし……今日も、パンを届けに行くか」
制服に袖を通し、トラックのキーを手に取る。
あの世界ほどじゃないが、こっちの世界にも腹をすかせた誰かがいる。
笑ってくれる誰かがいる。
パンを届ける――それが、俺の使命だ。
俺は、パン屋のトラックドライバー。
世界を駆ける“パンの勇者”。
今日もまた、パンの香りを乗せて――走り出す。