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パン屋のトラックドライバー、北原たくみ、ただいまより異世界配送、始めます

 俺の名前は北原たくみ。32歳、パン屋のトラックドライバーだ。


 高校卒業後に就職した老舗製パン企業で、ずっとパンの配送をしている。

 パンが好きで始めたこの仕事だけど、20代半ばには営業っぽい業務もあって正直、嫌になってた。


 だけど――あの日。

 地震で物流が止まった町に、焼きたてのパンを届けた時。

 避難所でパンを頬張って笑う人たちの顔を見て、思ったんだ。


「俺の仕事、すげぇ……誇れるかも」って。


 今じゃ、トラックとパンが俺の誇りだ。

 まだ街が静かに眠っている時間帯。

 俺はパン工場の裏口にトラックをつけていた。


「おはようございまーす!」


「お、北原くん、今日も早いね」


 奥から出てきたのは、焼成担当の高橋さん。もうすぐ定年だってのに、いつも誰より早く出勤してパンを焼いている。


「高橋さん、今日の焼き上がり、香りからして最高ですね」


「へへっ、わかるかい? 今朝はバターたっぷりのクロワッサンが主役さ。あと、例の新作、塩パンメロンも入れておいたから、感想聞かせてくれよ」


「うわ、やば……ありがとうございますっ!」


 工場の中は、焼きたてパンの香ばしい匂いで満たされている。

 トースト、バゲット、ふわふわのロールパン、惣菜パン、スイーツ系まで――まるで小さなパンの王国だ。


 実は、俺の今日の朝ごはんもパンだった。

 家を出る前に食べたのは、昨日買ったくるみパンとコーヒー。でも、目の前で湯気を立てている焼きたてたちを見てたら――


「……くっ、腹減ってきた」


 正直、さっき食べたばっかだってのに、胃が「もう一回食べろ」って言ってくる。

 俺にとってパンは、食事であり、幸せであり、そして、仕事だ。


 パンの積み込みは慎重に行う。

 温度管理されたケースに、やわらかいロールパンやサンド系を入れ、バランスを崩さないようにスライドさせて積んでいく。たまに工場の子が慣れてなくて落としそうになると、つい怒っちゃうこともある。


「……パンはな、人の幸せを乗せてるんだぞ……!」


「はいはい、トラックの騎士様、出発前に泣かせるのは勘弁してくださいよ~」


 若いバイトの子に冷やかされながらも、思わずニヤリと笑う。

 パンは軽い。でも、積んでるものは、思ってる以上に重いんだ。


「じゃ、行ってきます!」


「気をつけてなー!」


 エンジンをかけ、ゆっくりと工場を出る。

 目指すは、朝イチで開店する郊外の人気ベーカリー。時間通りに届けなきゃ、開店に間に合わない。


 早朝の空は、まだ薄暗い青。街の灯りがまばらに残っている。

 交差点をいくつか抜け、大通りへ。コンビニの前を通るたび、コーヒーの誘惑が頭をよぎる。


 ――けど、その時。


「ん? なんか、横断歩道に……子ども?」


 まだ信号が赤なのに、小さな影がポツンと立っている。


「おいおい、マジかよ! 危ねぇって!」


 急いでブレーキを踏む。タイヤがアスファルトをこすって甲高い音を立てた。


「間に合えっ……!」


 だが、次の瞬間だった。


 真っ白な光が、視界を覆った――。



 気づけば、そこは見たこともない景色だった。

 空はどこまでも青く、道路は……舗装されてないけど、妙に走りやすそうな質感。

 トラックのエンジンはまだ動いている。計器類も問題なし。けど、どう見ても――


「……え、うそだろ? え? さっきまで交差点で……なんで……木? 草原? どこだよここ……」


 混乱しながらも周囲を確認すると、助手席にさっきの少年が座っていた。


「えっ、お前……無事だったのか!? いや、そもそもなんでここに!?」


 俺が慌てて問いかけると、少年は申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。


「すみません……強引に、この世界に連れてきてしまいました。実は、あなたにお願いしたいことがあるんです」


 お願い? 俺に?


 とりあえず、深呼吸してトラックを停める。

 そして、シート脇のホルダーから缶コーヒーを取り出す。プシュッと開けて、一口。


「……ふぅ。どこにいてもでも缶コーヒーはうまい」


 もう一本、少年にも手渡す。


「これ、飲めよ。」


 少年は、缶を手に取って困った顔をした。


「……これはなんでしょう?」


「マジか。お前、缶コーヒー知らねぇのかよ。飲み物だって、ほら」


 そう言って開け方を教えると、少年は感動したように「すごい……」と呟いた。


 そして、缶を両手で持ち上げ、ぺこりと頭を下げた。


「どうか……この世界に、パンを届けてください」


「……は?」



 缶コーヒーを飲み終えた少年が、ようやく口を開いた。


「すみません……事情を、話しますね」


「お、おう。頼む。さっきから訳がわからん」


 少年は小さく息を吸い、真っ直ぐ俺を見た。


「この先に、“フィンベル村”という小さな村があります。そこでは今――食べ物を口にできなくなる呪いが広がっているんです」


「食べられない? ……って、それはつまり?」


「食事を摂るたびに、体が拒絶してしまう。飲み込めない。喉が焼けつくように痛む。……最初はただの病気かと思われていました。でも、診てもらった聖職者が“魔の痕跡”を見つけたんです」


 少年の声に、どこか怒りがにじんでいた。


「その呪いをかけたのは、“灰の魔女リセリア”。森の奥に棲む悪しき魔女です。数年前に村を追われたのですが……復讐のために、村の水源に呪いを仕掛けたらしくて」


「……なんだよそれ、洒落にならねぇな……」


 魔女? 呪い? 正直、全部ゲームとかアニメの中の話みたいで、実感なんかない。

 けど、少年の目は本気だった。


「僕は旅の最中、その村に立ち寄って、その現状を知りました。助けたいと思った。でも、僕には力がない。だから――賢者の塔に向かったんです」


「……賢者?」


 どんどん話がファンタジーの奥地に入っていく。でも、少年は続ける。


「賢者様は、呪いを解く鍵は“外の世界から来る清らかな食物”だと告げました。

 “まだこの世界に穢されていない、別のことわりで作られた、聖なる主食”――」


 少年が、俺のトラックの荷台を指差す。


「――それが、あなたのパンだと」


「…………は?」


「さっき、あなたを“巻き込んだ”のは、その導きが働いた結果です。僕にも、どうしてあんな形で転移が起きたのか、正確にはわかりません。けれど……間違いなく、あのパンが人々を救います」


 静かに、まっすぐに言い切る少年。

 俺はしばらく、黙ったまま荷台を見つめていた。


 たしかに、ここにはたっぷり積んである。焼きたての、心をこめて作られた、俺の……いや、あの工場のみんなのパンが。


「……つまり、このパンを村の人たちに届ければ、呪いが解けるかもしれないってことか?」


「はい。パンに込められた“他世界の気”が、呪いを打ち消すと……」


「……はは。なるほど。オカルトだ。理屈なんか全然わからん」


 でも。


 俺の中で、あの日の避難所の光景がよみがえっていた。

 パンを手にして泣いていた子ども。

「ありがとう」と笑ってくれたおばあちゃん。


 ――パンは、命をつなぐ。


 その事実は、どの世界でも同じなんじゃないか。


「……わかった。やってみるか」


 俺はもう一度、荷台の方に視線をやる。

 この匂い。あの温もり。

 焼きたての、命がこもったパンたち。


 ――昔、子どもの頃に聞いた聖書の話を思い出した。


 天から降った“マナ”という食べ物。

 荒れ地をさまよう民に、神様が与えた奇跡の糧。


「……パンってさ。もしかしたら、神様の贈り物なのかもな」


 ポツリとこぼれた自分の言葉に、自分で苦笑する。

 でも今、この状況なら……そう信じたくなる。


 もしかしたら、うちのパンには、そんな力があるのかもしれない。


 ――いや、そんな難しい理屈より、もっと単純でいい。


 腹ペコで困ってる人たちがいるなら、美味しいパンを届ける。

 それだけでいい。

 それが俺の、パン屋のトラックドライバーとしてのやるべきことだ。


「……よし。届けよう。腹ペコのみんなに、うちのパンを」


 そう言った俺を、少年が見つめる。


「……ありがとう、ございます……っ」


 目を潤ませ、震える声で言葉を継いだ。


「あなたのような人が、この世界に来てくれて……本当によかった」


 なんでそこまで真剣なんだ、と一瞬思った。

 この子は旅人。村の人間ってわけでもない。

 それでも、こんなに真剣に、誰かのために涙をこぼせる。


 ……たいしたもんだよ、お前は。


「名前、聞いてなかったな。俺は北原たくみ。パン屋のトラックドライバーだ」


「ぼくはリオ。……ただの旅人です。でも、あの村で、たくさんの人に助けられて……恩返しがしたかった」


「そっか。リオ、お前いいやつだな。……じゃあ、今度は俺たちが、その村を助けようぜ」


 俺はトラックの運転席に乗り込み、エンジンをかけた。

 さっきまで普通の道を走っていたはずのハンドルが、今はなんだか勇ましく見える。


「パンの鮮度は命。モタモタしてられねえな」


 リオが助手席に飛び乗る。涙を拭いて、力強くうなずいた。


「はいっ! 急ぎましょう!」


 ――パンと希望を荷台に積んで、

 トラックは異世界の道を走り出した。



 トラックは、ゴウンと音を立てながら走り出した。

 無舗装にしては驚くほど走りやすい道。段差も少なく、舗装されたような感触すらある。


「なあリオ、この道……異様にスムーズなんだけど。俺の足回り、異世界チューンでもされた?」


「ふふっ、それは“魔導整路”っていう古代の魔法です。魔力で地盤を均して、車輪の通行に適した硬度にしてあるんです」


「魔法すげぇな……物流が革命されるぞ」


 異世界テクノロジーに感心していた、まさにその時――


「ん? あれ……鳥?」


 前方の空に、異様に大きな影が見えた。翼をバサバサと羽ばたかせ、こちらに急降下してくる。


「ちょ、デカすぎない!? なんか羽根がボロボロで……目光ってない!? なにあれ!?」


 すると、リオの表情が一気に引き締まった。


「あれは――魔女の使い魔です!」


「はああ!? 使い魔って! じゃあ敵だよな!? いやどうすりゃいいんだ俺!!」


 パニックになる俺をよそに、リオはシートベルトを外し、窓をスッと開ける。


「えっ、おいおいちょっと待っ――って、どこ行く気!?」


 その瞬間。

 リオが、なぜか持っていなかった剣を空中から――まるでポケットからハンカチでも取り出すように――スッと引き抜いた。


 銀に光る細身の剣。空間が歪んだような気がした。


「たくみさん、真っ直ぐ突っ込んでください! あれは僕がやります!」


「はあああ!? お前今なんつった!? え、俺は直進でいいの!? 避けなくて!?」


「任せてください!」


 マジかよ……!?

 でも、あいつの目、本気だ。


「……ええい、ままよ!!」


 俺はハンドルを両手で握り直し、アクセルをぐっと踏み込む。トラックは唸りを上げて加速した。


 使い魔たちが襲いかかってくる。鋭い爪、鈍い羽音、血に濡れた嘴。

 俺の中の「逃げろ」って声が全力で鳴ってる。だけど――


「――はあああっ!!」


 リオが、トラックの屋根に身を乗り出すと同時に、剣が閃いた。


 一閃。


 二閃。


 銀の軌跡が、空を裂き、次々と魔物を切り裂いていく。

 動きが速すぎて、目で追えない。

 まるで……そう、まるでゲームの主人公みたいだった。


 縦に真っ二つ。横にスパーン。空から落ちてくる魔物の残骸が、奇跡的に俺たちのトラックには当たらない。


「おいおい、なにこれ……すげぇ……」


 俺はハンドルを握りながら、思わずつぶやいた。


 剣なんて現実で見たことなかった。ゲームだってろくにやらない。

 だけど、直感でわかる。あいつは、この世界の勇者みたいな存在なんだろう。


「お前……本当に旅人か?」


 誰に聞かせるでもない独り言だった。


 魔物を斬り伏せるリオの姿は、信じられないくらい格好良かった。

 まるでパンを届けるための守護騎士みたいだ、なんて――俺は思ってしまった。



 魔物の群れを切り抜けて、トラックは再び静かに走り出した。


 道中、奇妙なものが次々と視界に飛び込んでくる。

 空に浮かぶ逆さの遺跡。

 山のように巨大な、首の長い四足歩行の獣。

 湖の水が、空に向かって流れ上がっている。


「……これが、異世界かぁ」


 助手席のリオは、風に揺れる髪を押さえながら微笑んだ。

 俺はハンドルを握りながら、まだどこか現実味のない光景を黙って見つめていた。


 ――そして、昼時。


「さすがに腹減ったな。ちょっと休憩しようか」


 人気のない草原にトラックを停めて、荷台からクーラーボックスを開ける。

 その中に入っていたのは、朝、高橋さんがこっそり持たせてくれた新作のパン。

 焼きたてのクロワッサン、塩パンメロン、ほんのり甘いシュガートースト。


 袋を開けると、ふわっと湯気が立った。


「……出来立てのまんま……? 時間、あんま経ってないのか……?」


 いや、異世界だから……時間の流れが違う、とか?

 考えても分からん。でも、うまそうなのは間違いない。


「リオ、お前も食えよ。腹減ってるだろ?」


「え、いいんですか!?」


「もちろん。さっきの大活躍の礼だ。主役にはご褒美がいる」


 そう言って俺は、クロワッサンを半分に割って、リオに差し出した。

 リオは恐る恐る、一口。


 ――その瞬間。


 彼の瞳が揺れた。ゆっくり、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「えっ……!? ど、どうした!? どこか痛いか!? 味、濃すぎた!?」


「違います……違うんです……」


 リオは、震える手で残りのクロワッサンをぎゅっと握りしめながら、ぽつりと語り始めた。


「……僕の母は……僕が幼い頃、ずっと……食べ物を分けてくれていました。どんなにお腹が空いていても、僕に先に食べさせて……自分の分を残そうとしなかった」


「……」


「でも、最後は……何も言わずに、亡くなってしまった。

 本当は……何か、食べたかったんだと思います。

 でも、それを口にすることすら……僕に“罪悪感を与えたくない”って、思ったんだと……」


 リオの目が、潤んだまま、俺の差し出したクロワッサンを見つめた。


「……こんな美味しいものが……この世にあるなんて……

 母にも……食べさせたかった……。せめて、一口でも……教えてあげたかった……」


 俺は、もう限界だった。


「……う、うおおおぉおおお……!! なんだそれ……ッッ!!」


 涙が溢れて止まらない。人の話でこんなに泣いたの、初めてだった。


「くそっ……お母さん、すげぇじゃねえか……!

 そんな、そんな人に……食わせてやりたかったよな……!」


 リオは泣き笑いの顔で、震える声を漏らす。


「……たくみさんの方が……泣いてるじゃないですか……」


「だ、だってよぉ……! お前の話、反則だろこんなのぉ……!!」


 ふたり、草原の真ん中で、涙を拭いながらクロワッサンを分け合った。

 甘く香ばしい層のひとくちごとに、リオの心が癒えていくようだった。


 俺は、そっと思った。


 このパンが人を救う。

 それは、もしかしたら偶然じゃないのかもしれない。

 パンは――神様からじゃない。誰かの想いそのものなんだ。



 ――ゴオオォォォン……!


 トラックが草原を駆け抜ける。風を切る音と、エンジンの唸りが心地いい。


 ♪「愛と希望を~届けに行くのさ~♪走れ~走れ~い○ゞのト~ラ~ック~♪」


「たくみさん!? 今の歌、なんですか!? テンションおかしくないですか!?」


「うるせぇ! こういうのは勢いが大事なんだよ! 乗りきれこの異世界ォォッ!!」


 リオは引き気味に苦笑いしたが、それでも目を細めて笑っていた。

 その笑顔に少しだけ、母親を思うような優しさが重なる。


 俺は、アクセルをさらに踏み込んだ。


 リオの母親のような人を、もう誰も餓えさせない。

 その想いが、エンジンの鼓動とひとつになる。


 しかし――


「……あれ? 空、さっきまで快晴だったのに……」


 村が近づくにつれ、空に不穏な暗雲が立ち込めてきた。

 気がつけば、日差しは黒い靄に遮られ、あたりはまるで夕暮れのような陰鬱さに包まれていく。


 ザザザザザ……!


 前方、黒い影が地面を這うように出現した。


「っ、来ました! 魔女の使い魔です!」


 無数の小さな影――コウモリのような、霧のような、形を持たない黒い何かが道を塞ぐように浮遊していた。


 リオが再び窓を開け、剣を抜く。

 シャキィン! と鋭い音が鳴り、影の群れへと切り込んでいく。


 バシュン! ズバッ! シュバァン!


 すさまじい剣技で影を斬っていくリオ。だが――


「数が多い……! 小さすぎて……すべては斬りきれません!」


「……だったら、俺の出番だな!」


 俺はハンドルを握り直し、アクセルを強く踏み込んだ!


「おらァァァァ!! ぶっ飛べぇぇぇええ!!」


 ドゴォォン!


 トラックが小さな影を次々とはね飛ばしていく。

 ――が、不思議なことに、衝撃がほとんどない。


「……え? 今、何体か轢いたよな?」


 振り返ると、はねられた魔物の影は跡形もなく消滅していた。


「すごい……! このトラック、何らかの“浄化の力”を帯びています! 魔物が触れた瞬間に消滅してる!」


「まじかよ……トラック、いつの間にレベルアップしてたんだ……」


 これなら行ける――!


 そう思った次の瞬間。


 ズゥゥゥン……!!


 大地が揺れる。


 空が裂ける。


 そして、現れた。


 漆黒の鱗に覆われた、巨体のドラゴン。

 赤く光る四つの目。

 口元には、黒い炎がチリチリと灯る。


 その姿はまるで“災厄”そのものだった。


「っ、止まってください! たくみさん……あれは……っ!」


 俺はトラックを急ブレーキで止めた。


 リオが、ゆっくりとドアを開けて外に降りる。


 背にしたトラック、握りしめた剣。

 その瞳はまっすぐに、黒き竜を見据えていた。


「――あいつは、魔女です。

 とうとう本気を出してきました……!」


「ま、魔女ってドラゴン型だったのかよ……そんなんありかよ……!」


 でも、もう後戻りはできない。


 このパンを届けるって、俺とリオが決めたことだ。

 それが、救いになるって、信じてるから。


「リオ……お前、無茶すんなよ」


「大丈夫。たくみさんが後ろにいてくれるなら、僕は戦えます。

 この命は、母が繋いでくれたものですから……!」


 リオが剣を構え、静かに息を吐く。


 そして、真っ向から――竜の魔女へと、走り出した!


 リオの剣が、宙を斬る。

 鋭い斬撃が何度も巨大な竜の鱗に食い込み、黒い火花が飛び散る。


「はあっ……はあっ……!」


 呼吸が荒い。肩が揺れている。

 それでもリオは剣を握り直して、竜へと突っ込んでいく。


「リオ……!」


 俺はトラックの中からリオの戦いを見つめていた。

 今のリオは……すげぇ。まるで英雄みたいだ。

 竜と互角に渡り合ってる。それでも……!


「くそっ……体格差が違いすぎる!」


 戦うたびに、削られていくリオの体力。

 剣を振るたびに、呼吸が荒くなっていく。


 ――明らかに、押されている。


「くそ……! 何か……何か俺にできることは……!」


 でも俺は、ただのパン屋のトラックドライバー。

 剣も魔法も使えない。ここで突っ立ってるしか……


 ――いや、あるじゃねぇか。俺にできることが一つだけ。


 俺はハンドルを握りしめ、ギアを入れた。


「こいつでぶつかってやりゃいいんだよ……!!」


 目の前の竜が、今まさにリオに向かって咆哮をあげた瞬間――

 俺はアクセルを思いっきり踏み込んだ!


 ――ゴオォォォンッ!!


「おらぁああああ!! 行っけえぇぇぇえええええ!!!!!」


 轟音と共に、俺のトラックが突撃する!

 まっすぐに、魔女――竜の魔物へと!


 ドグゥンッ!!


 正面から、トラックのフロントが黒き巨体にぶつかる。

 明らかに驚いた様子で、竜が振り返る。


「この下等生物がァ……ッ!!」


 竜の魔女が怒りの咆哮と共に、炎のブレスを吐こうと口を開く――その時だった。


「――今だッ!!」


 リオが叫び、跳んだ。

 風を裂く剣閃が、空を駆ける。


「はああああああああああッッッ!!!」


 リオの剣が、まっすぐに、竜の首元へ――


 ズバァァァァッッッ!!!


 黒い鱗が割れ、血しぶきが空を裂く。


 次の瞬間、魔女の首が宙を舞い、

 その巨体が、ゆっくりと――崩れ落ちた。


 ドサァァァアア……!


 地面に崩れ落ちる魔女の亡骸。

 空を覆っていた黒雲が、音もなく晴れていく。


 ……沈黙のあと、リオが地面に着地した。


「……たくみさん……ありがとう……助かりました……!」


 彼の顔には、傷と汗と、そして何より……安堵の笑顔があった。


 俺は、ハンドルに額を預けて息をついた。


「……っはー……心臓に悪ぃ……もうこんな体当たり、二度としねぇ……!」


 けど――その笑顔が見れたなら、悪くない。


 さぁ、パンを届けに行こう。

 待ってる人たちがいるんだ――あの村で。



 空はどこまでも青く、雲一つない快晴だった。


 ついさっきまであの空を覆っていた黒雲は、魔女の死とともに嘘のように消え去っていた。

 風は涼しく、草原は明るく、まるで世界そのものが祝福してくれているようだった。


「……晴れたな」

「ええ。魔女が……いなくなったんですね」


 リオが、ほっとしたように空を見上げる。


「さぁ、あとは――パンを届けるだけだ」


 トラックに乗り込んだ俺は、ハンドルを握り、再びアクセルを踏んだ。


「よし、行くぞ……リオ!」

「はい!」


 二人の声が重なる。


「せーのっ――」


『は〜しれ走れ♪ ○すゞ〜のトラック〜♪』


 異世界のど真ん中で、パン屋のおっさんと勇者風の少年が歌いながら走る姿なんて、誰が想像しただろうか。


 だが、この瞬間、間違いなく俺たちは――世界を救っていた。



 村の入り口に差し掛かると、人々がこちらに集まってきていた。


 やせ細った体。うつろな目。

 でも、その奥には――確かに光があった。


「来てくれた……!」

「ほんとうに……食べ物が……!」

「助かった……!神様……!」


 俺とリオは、荷台を開けてパンを一つずつ手渡していく。


 コッペパン、クロワッサン、クリームパンにメロンパン――

 種類は多くない。でも、全部、俺たちが届けたかったパンだ。


「あぁ……甘い……!」

「これが、パン……これが食べ物なの……!?」

「お母さん……お父さん……!」


 涙を流しながら食べる子ども。

 腰を曲げながらも笑顔を見せるおばあちゃん。

 肩を抱き合って泣きながらパンをかじる夫婦。


 そのどれもが、俺がかつて見た、あの日の光景に重なる。

 災害の避難所で、俺の届けたパンを見て、泣き笑いしたあの人たちの顔。


「……いいよな、パンって」


 俺は思わず、口の中で呟いた。


 ふと、現実が脳裏をよぎる。


(会社……やべえな、トラックも勝手に消えたし、パンも持ち出しだし……いや、これ……社内規定どころじゃねぇな……)


 が――


「……ま、いいか。後悔はねぇし」


 俺は空を見上げて、少しだけ笑った。


 リオがそんな俺の顔を見て、にっこり笑い返す。


「たくみさん、やっぱりあなたは……この世界の“パンの勇者”です」


「お、おい、やめろって恥ずかしい……」


 二人で顔を見合わせて笑い合った。


 そして、村いっぱいに焼きたてのパンの香りが広がっていった。



 気づけば、空は茜色に染まっていた。


 トラックを降りて村の景色を眺めていた俺の体が、ほんのりと光を放ち始める。

 いや、それは俺だけじゃない。愛車のトラックもだ。


「……これは」


 思わず戸惑っていると、隣にいたリオが、少し寂しげに目を細めた。


「どうやら……お別れのようですね」


 その言葉を聞いて、胸がギュッと締めつけられた。


 別れ。

 それはつまり、元の世界に戻るということだろう。


「ありがとう、たくみさん。本当に……ありがとうございました」


 そう言ってリオは、自分の首元からループタイのようなものを外した。

 中央には、小さな銀色の石がはめ込まれ、淡く光を帯びている。


「これは、“勇者の証”です。本来は私のものですが……あなたに、持っていて欲しいんです」


「……そんな、大事なもんだろ? 俺なんかが貰っちゃ……」


 断ろうとしたその時、光が強くなり、言葉が途中で途切れる。

 世界が、音もなく白く染まっていった。


 最後に見えたのは、リオの微笑みだった。


「……おれ、パンの勇者か……」


 そう呟いた刹那、すべてが光に包まれた。




 ――そして。


 目を覚ますと、そこは見慣れた自分の部屋だった。


 天井のシミ。窓の外は薄暗い。

 隣のテーブルには、朝に食べようと置いておいたくるみパン。


「……夢、だったのか?」


 そう思って、ふと、自分の手を見る。

 そこには――あの銀色に輝くループタイ、“勇者の証”が、しっかりと握られていた。


「……夢じゃ、なかったんだな」


 胸の奥が、ぽかぽかと温かくなる。


 魔女、リオ、村の人々。

 パンを食べて笑ってくれたたくさんの顔が、次々に思い浮かぶ。


「よし……今日も、パンを届けに行くか」


 制服に袖を通し、トラックのキーを手に取る。


 あの世界ほどじゃないが、こっちの世界にも腹をすかせた誰かがいる。

 笑ってくれる誰かがいる。


 パンを届ける――それが、俺の使命だ。

 俺は、パン屋のトラックドライバー。

 世界を駆ける“パンの勇者”。


 今日もまた、パンの香りを乗せて――走り出す。

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