9、ソウギ屋
「着いて来てくれ」
カルロさんが、少女の亡骸をそっと抱き上げ、静かに言った。
カルロさんは館の別棟へと歩き出す。
私は「かしこまりました」と答え、その背を追う。
夕暮れの光が、奴隷館ミモザの敷地をオレンジに染めていた。
ミモザには二つの入り口がある。
奴隷棟の玄関と、娼館棟の玄関。
長い廊下で繋がれた二棟とは別に、敷地の奥、鬱蒼と茂る樹木の向こうに、ひっそりと佇む建物がある。
木々の間を抜けると、視界が開ける。
目の前には丁寧に刈られた芝生が広がり、その中央に、高さ四階ほどの古びたレンガの塔がある。
蔦が壁を這い、ここだけ時間の流れが違うような、そんな印象を受けた。
カルロさんは、芝生の上に少女の亡骸をそっと降ろした。
「レヴィ、後は頼んだ……」
カルロさんの声は低く重く感じた。
「はい。分かりました」
と答えたものの、何を頼まれたのか、はっきりとはわからなかった。
おそらく、この少女のそばにいろ、ということだろう。
カルロさんは一瞬だけ私に振り返り、そのまま静かに奴隷館の方へと歩いていった。
私はカルロさんの背を見送ってから、少女の亡骸の横に腰を下ろした。
日は傾き、景色をオレンジに染め出している。
私は、西日に目を細めながら少女を眺めた。
この少女に、一体何があったのだろう。
死は、いつもそばにあるんだ。
平民だった頃より、奴隷になった今は、きっともっと近くにある。
だけど私は身近な“死”を知らなくて、両親を亡くしたのだって、遺体にも会えなかったから実感がない。
今、目の前に“死”が横たわっている。
悲しいとも違うし、辛いってわけでもない。
どういうわけか、切なかった。
『ギィ……』
鉄の扉が軋む音が響いた。重厚な扉が、ゆっくり開いた。
黒い外套を羽織り、フードを深くかぶった男性が姿を見せた。私と少女の亡骸に近づくと、彼は少女をまるで壊れ物を抱くようにそっと両腕で持ち上げた。
「来い」
言葉少なに、彼は塔の中へと入っていく。
私は急いでその後を追った。
中は広く静かな一室だった。
薄暗く、空気がひんやりと冷たい。
足音が静かに響く度に、石の床の冷たさを感じる。
男性はゆっくりと歩き、部屋の中央にある鉄のテーブルへ亡骸を降ろした。
その後、傷跡を隠すように巻かれた布を丁寧に剥がし、傷を指でなぞった。
あまりに自然な動作で、そのまま見守ってしまっていたが、
「あ、あの、何かすることはございますでしょうか?」
と、私は思い出したように、声を絞り出した。
「ない」
たった一言だけが返ってきた。
ないのなら、なぜ私を中に入れたのだろう。
「……でも、カルロさんは私に任せると」
「……名は?」
「レヴィと申します」
「レヴィ。来い」
「かしこまりました」
一礼の後、私は男性の視線が指した場所に立った。
フードの奥に見える黒い瞳を見上げると、男性は、
「オオザカ トウマだ。トウマでいい」
と、名乗ってくれた。
「トウマさん」
あまり聞いたことのない響きだ。
トウマさんは、少女の体を柔らかい布で拭っていく。
「あの、私は何をすれば……」
「手を握ってやってくれ。俺の手は忙しい」
トウマさんは変わらず優しい手つきで拭いながら言った。
私は言われるままに、少女の手を握る。
少女の手は、柔らかくて、そして冷たかった。
それからトウマさんは、少女の顔に化粧を施し始めた。
それは娼館で見るような派手なものではなく、自然で、生前の彼女の肌のつやを思わせるものだった。
もちろん、私は生前の彼女を知らないけれど、化粧を施された彼女の顔を見て、幼気で可愛らしい少女だったのだろうと感じた。
化粧が終わると、トウマさんは少女の傷口に触れた。
棚から丸い木材を取り出し、少女の足りなくなった部分を補うように、そのへこんだお腹に当てた。
続いて、傷を透明な糸で丁寧に縫い合わせ、最後に肌化粧で傷跡が見えないように隠していった。
今にも動き出しそうな少女が、私の前に横たわっている。
その手はまだ冷たかったが、それでも私の目には、少女は尊く、美しく、まるで生きているかのように輝いて見えた。
作業を終えたトウマさんは、奥の炉のような部分に向かって指を鳴らす。
ぼっ、と火が灯った。
火の魔法だろうか、私は初めて見る作法だった。
煙が立ち上ると、そこで気が付いた。
この建物は筒状で、階層はなく、炉から伸びる細長い円柱が天井まで続いている。
煙突は暗い天井に吸い込まれるように高く伸びていた。
炉に薪が込められる。
薪に火が移る間、トウマさんは少女の踝に手を当てた。
『ボロッ』
足に刺さったままの奴隷の杭が、トウマさんの魔法なのか、杭の仕様なのか、溶け落ちた。
私は息を飲み込む。
「こんな物があっては、天国で歩きづらいだろう」
トウマさんは、そう言って私に目を向けた。
「……トウマさん。この少女は、なぜこんな姿になったのでしょうか」
奴隷は言われたことをただ実行するだけのはずなのに、私はなぜか思わずその言葉を口にしてしまった。
トウマさんは、火を見つめながら静かに言った。
「炉に火が回るまで、話をしよう」
私の問いに答えるわけでもなく、ただそう提案してきた。
誰かに問いただされるわけではなかったが、私の立場を察してくれたのだろう。
「はい、よろしくお願いいたします」
少女の手を握りながら、私はトウマさんに頭を下げた。
「この都市では、奴隷には墓が与えられないから火葬している。俺の遠い故郷の埋葬法だ」
彼は静かに天井、煙突の先を見上げた。
私の視線も自然とそれに続く。
「この都市では、たくさんの奴隷が行方不明になる。この子のように傷を負って見つかるほうが稀だ」
差し挟むような言葉は見当たらない。
私はただ静かに聞いている。
知って何になるのか、何もできないのに、私の心が聞きたがる。
「大概はダンジョンの奥で、魔物に食われて跡も残らない。なぜ、そこで奴隷が死ぬのか」
ダンジョン――それは魔物の発生源で、子供のころから近寄るなと教わる場所だ。
「主が捨てるからさ。なぜ捨てるか、それはな、秘密を隠すためだ」
『ごくり』
私の喉に、固唾が引っかかった。
「では、秘密とは何か。それは神から与えられたはずのスキルは、上書きできるという事と、その子から抜き取ったという事実だ」
ほぼ無意識に、私から上ずった声が出た。
「う、上書き……?」
トウマさんは、私の声を気にした様子はない。
「主は、質の良いスキルを持った奴隷の肝臓を抜き取り、それを使ってスキルを上書きする」
あたかも独り言のように、トウマさんは語った。
ぞっ、と鳥肌が立った。
穏やかな口調なのに、語られた内容はとんでもなかった。
ぞわぞわと背筋や全身に冷たく、おぞましい何かが走るような感覚。
「スキルの数は増やせないが、スキル自体は変えることができる。その事実も、その方法も、秘密にしたいから、奴隷を捨てる」
そして私は疑問を抱き、トウマさんの瞳を見つめていた。
この人は、どれだけの奴隷を送って来たのだろうか? と。
炉が轟々と唸りを上げ始めたそのとき、トウマさんが私に言った。
「一緒に見送ってやってくれ」
私は少女から手を放し、まだその感触が残っているうちに、静かに両手を組み合わせた。
トウマさんは少女を抱き、炉の中へと降ろしていく。
彼まで燃えてしまうのではないかと心配になるほど、燃え盛る炎の中へ、ゆっくりと、優しく。
彼女から手が離れるその瞬間まで、トウマさんは、優しかった。
トウマさんの瞳には、炎が映り、揺れていた。
その光は、赤らかと明るいのに、なぜか深い悲しみの色のように思えた。
体は灰となり、魂は煙と共に、あの天井よりも高く、天へと昇っていくのだろう。
そうか。だから、あの煙突は、あんなに高くまで伸びているのだ。
私は祈った。
来世は、幸せでありますように、と。