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7、エイユウ技

「おい、レヴィ、起きろっ」

 早朝、食堂の奴隷たちでさえ起きる時間ではなかった。

 そんな時間に、私はカルロさんに急かされるように起こされた。

 

「ったく、こんな時間によぉ」

「……あの、何かあったのでしょうか?」

「お前の飼い主のお貴族様が来たんだよ」

「え、……トマス様がいらっしゃったんですか?」

「ああ。先にレリンは起こしてあるから、お前はすぐに化粧室へ行け」

「はいっ」 

 眠気が一気に冷めた。

 私は、ベッドから飛び起きて部屋を出る。

 

 館中が大慌てだった。

 トマス様の突然の訪問。

 給仕の奴隷たちも、眠い目をこすりながらお茶の準備をしている。

 

 速足で化粧室へ向かう途中、娼館の部屋の前では、お客様を起こさないよう足音を抑えて歩いた。

 

 化粧室に入ると、ドレスがハンガーにかけられていて、化粧箱が開いている。

 作法や、いろいろな手順を飛ばして、レリンさんが椅子を指差した。

 私はすぐに腰掛ける。

 

「寝起き、むくんでなくてよかった」

 レリンさんは、かすれた声で言いながら、私の頬をスポンジで軽く叩いた。

 

 紅を引き、その場で着替える。

 まるで昨日の朝を、三倍の速さで進めているかのようだった。

 

 

 レリンさんが私の背をポンと叩きながら、

「次は、エントランス」

 と、送り出してくれた。

 

「はい」

 私は髪型を崩さないよう頭を下げてから、急いでエントランスへと向かう。

 

 応接室でマダムが対応しているらしく、エントランスにはカルロさんの姿が見えた。

 

 私はエントランスの中央に膝をつき、トマス様がいらっしゃるまで静かに待つ。

 カルロさんは、私の様子を見てから給仕奴隷に言った。

「じゃあ、呼んでくれ」

 

 給仕奴隷は早足で応接室に向かった。

 

 辺りはまだ薄暗い。

 拭き掃除前の冷えた大理石の床が、私から体温を奪う。

 そんな床に、私は額をつけトマス様を迎える準備に入る。

『カツカツカツ』

 朝が静かすぎて、硬質な踵の音がやたらと響く。

 

「やぁレヴィ」

 トマス様の楽し気な声。

 

「本日は、お越しいただき誠にありがとうございます。わたくし、レヴィは――」

「ああ、いいよ、決まり文句とかメンドクサイし」

 そうトマス様が私の言葉を遮った。

 

 トマス様からはお酒の臭いがする。

 かなり強いお酒の呼気。

 その臭いが鼻を突き、少しだけ気持ち悪くなった。

 

 トマス様は、私の前で屈むと、私の顎を掴み、引っ張り上げる。

 体が一瞬強張った。

 

 トマス様は酒気の息を私に吐きかけながら満面の笑みだ。

「あはは、見違えたよ」

 苦しくても私は教わった通り、笑顔をお見せする。

 

「レヴィ。お化粧もして綺麗だね。しっかし一ヶ月前は、あんなに勝気だった女の子が、今では立派な奴隷だもんね。ビックリしちゃうよ」

「はい、トマス様に生涯お仕えいたし――」

「ああ、その事だけど」

 と、また口上の途中で遮られた。

 

「実はね、領主様の娘さんと婚約してね」

 トマス様の手から解放され、私は直ぐに額を大理石に押し付けながら、お話を伺う姿勢を取った。

 

「ニーナ様って言うんだけど、奴隷嫌いだって言うからさ。じゃあメイドを雇おうって話になってね。お前さ、奴隷辞めてメイドする?」

「……それは本当でございますか?」

 私は耳を疑った。

 奴隷になるよう勧めたトマス様が、“今度はメイドになるか? ”と仰っている。

 

 私が頭を上げ、頷こうとした瞬間だ。

「うっそぉ。ビックリした? ねぇ。ちょっと喜んだでしょ?」

 トマス様の足が私の後頭部に置かれ、動きが制限された。

 重みに、私はひたすら耐える。

 

「だってさぁ、もうお前、奴隷の杭ついてるし、一生奴隷は奴隷だからさぁ」

「……はい」

 それでも、言われた事には返事をする。そう教わってきた。

 痛い。けど、今まで味わった苦痛ほどではないから我慢できる。

 

「でも、お金は払ってあるから、所有者はボクなんだよ」

「はい、仰る通りです」

 否応なく、私はその現実を受け入れなければならない。

 

「じゃあ、どうしようか」

「……お心のままに」

 そう言うしか、私には選択肢がないのだ。

「じゃあ、とりあえず、靴綺麗にして? 布を取って来るとか冗談いらないから、わかるよね?」

「はい、畏まりました」

 これも、マダムからあらかじめ教わった。

 

 丁寧に両手で支えながら靴を舐める。

 奴隷らしく、丁寧に。

 

 主人には、こういう事をさせて悦に浸る人もいるのだと、あらかじめ教わった知識は役に立った。

 

 視界の端に見えるカルロさんは、難しい顔をして顔を背けた。

 多分、私の代わりに腹を立ててくれたのだろう。

 それが態度で分かるだけ、私はここに馴染み、そして大事にされてきたのだと思う。

 私は、気付かないうちに別れを意識していたのだ。

 それがすごく切なくて。

 

 

「お前は奴隷以外の何者でもないんだね」

 その通り、私は奴隷だ。

「はい、……トマス様の奴隷です」 

 努めて奴隷らしく冷静に答える。

 

「少しは期待してた? お前の、思い通りにさせるわけないでしょ」

 トマス様の声のトーンが下がった気がした。

 否定はしない。

 トマス様が、少しは優しくしてくれるかもって、淡い期待はあった。

 

「させるわけがない……。なぜ……、でしょうか」

 私は、我慢できずに静かに問いかけていた。

 

「考えてみれば?」

 わかるわけがない。

 わからないから戸惑い、幼馴染の変わりようが信じられなかったのだ。

 

 ――心の中で何かが少しだけ削られる気がした。

 

「卑しい奴隷に、どうかお慈悲を」

 そしてまた靴を舐める。

 ――痛みや屈辱はもう慣れたはずだった。

 でも、どうしても心のどこか、削れた部分がささくれみたいに引っかかる。

 

「あはは。でも、ダメ」

 私の反応を楽しんでいらっしゃることだけは分かった。

 

 私は舐め続ける。

 

 

 トマス様は私が知っているトマスではない。

 あの頃の、泣き虫で優しかったトマスはもういないんだ。

 今、目の前のトマス様は、私に要求を押し付け、私を試すような目を向ける。

 こんなにもスキルが、人を変えてしまうものなのだろうか。

 また、答えの出ない自問をしながら、私は黙って、トマス様の靴を舌で磨き上げる。

 

 

 トマス様が何かを思いついたように、口を開いた。

「ねぇ、奴隷って、死んでも奴隷だったよね?」

 その言葉は、私に向けられたものではなく、マダムに向けられた問いだった。

 マダムは一瞬黙った後、よそ行きの口調で答えた。

「ええ、そうですわ。奴隷は一生奴隷」

 

 その返事を聞いた瞬間、胸が締め付けられた。

 死んでも奴隷。

 なんてことはない、ただ再認識させられただけだ。

 私は、彼の命じた通りに靴を磨き続ける。

 

「誤って殺した場合、罪には成るの?」

「はい、場合にもよりますが、奴隷が貴族様の不利益になるような事をした場合、罪には問われません」

 

 マダムの声を聴きながら、覚えた事を思い出す。

 持ち主が、不利益を奴隷の行為によって被った場合、奴隷の命は、まるで無価値なもののように扱われる。

 私も、それを教わっている。

 

 でも、実際のところは、ただ殺したとしても罰金程度の話だ。

 お金のある貴族様には、ストレス解消程度の事だとも教わった。

 

 私は、そっとトマス様の靴から離れると、また頭を床につけた。

 

 

「誰が止めて良いって言ったの?」

『ドッ』

 トマス様が、つま先で私の顔を蹴った。

 

「……申し訳ございません」

 痛くて泣きそうだけど、大丈夫、まだ我慢できる。

 

『シュゥ……』

 金属が擦れる音が耳に届く。

 それは、何度か聞いたことのある音だった。

 背筋が凍る。刃物が鞘から抜ける音。

 トマス様が腰から剣を抜かれたのだ。

 その音は、まるで全てを決定づけるかのように響いた気がする。

 

 

 

 どうやら私は、選択肢を誤り、トマス様の怒りを買ってしまったらしい。

 正解は――痛がるほうだったのか。

 あんなに教わったのに、やっぱり難しいなぁ。

 ……これで、終わりか。

 

 

「英雄技の剣技をさ、使ってみたかったんだよね。スパッと」

 トマス様の剣が、頭上に持ち上がったのは感覚でわかった。

 

 ダメなことだとわかっていたけれど、私はほんの少しだけ顔を上げ、マダムに笑って見せた。

 声には出せないから、心の中で――さようなら、とだけ告げながら。

 

 

 マダムは、ゆっくりと首を横に振った。

 

 ――ありがとうございました。

 マダム、そしてカルロさん。

 ミルやレリンさん、サシャさん。

 他にも、皆さんに本当によくしていただいて――。

 

『ザンッ』

   『ギィィィィン』

 

 風を裂く音と同時に、金属同士が激しくぶつかり合う音が響いた。

 その瞬間、目の前で何かが弾けたような衝撃が起こる。

 

 吹き飛ばされるようにして、私は地面を転がった。

 斬られてはいない。

 けれど、何が起きたのか、わけがわからない。

 

 次いで、マダムの冷静な声が届く。

「じゃあ、この娘はうちで買い取るという事でよろしいですか?」

 

 私はただ、地面に伏せたまま、目を見開いていたと思う。

 

「旦那、すいませんね。俺も【英雄技】持ちなんですよ」

 カルロさんの声。

 トマス様の剣を短剣で受け止めたまま、わずかに笑っていた。

「【英雄技】同士がぶつかると、どうなるか……ご存知で?」

 

 どうなるか……、この衝撃波以上の激しい事になるのだろうか。

 

「トマス様、ここは公認奴隷館ですよ。さすがに少々やりすぎでは? ああ、ご安心を。もちろん、婚約者様にも御領主様にも告げ口などは致しませんので」

 

 マダムが、いつものよそ行きの口調で言った。

 

 

「三倍だからな」

 トマス様が、吐き捨てるように言い放つ。

「三倍と言わず、五倍でどうぞ」

 マダムが優雅に笑う。

 

 どうやら、私の値段のことらしい。それだけは分かった。

 

「勝手にしろ!! 金は取りに来させるからな!! 用意しておけよ!」

 トマス様は凄まじい剣幕で、エントランスから……“出て行った”。

 

 トマスさんは、もう私の主じゃない。

 

 私は、この館にいていい事になった。

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