46、 欺瞞ノ神。
「やっぱりお前は到達していたのね。……まさか神を脅す気なのかしら……?」
イースルールは明らかにうろたえていた。
私は肩越しに彼を呼んだ。
「トマス、来て!」
「レヴィ、ボクは何をすればいい?」
そう傍らに控えたトマスに、私は極力笑顔で語りかける。
「トマス、貴方にしかできないことだと思う。いい? 私がイースルールを殺したら、私のもう片方の腕も切り落としてほしいの」
「レヴィ、何を言って……」
そうトマスは濃く眉間に皺を寄せていた。
これは絶対必要なのだ。
無茶をいっているのも承知だから、極力私は笑むのだ。
「言葉のままだよ。
ミルや、サシャさんや、みんながくれた未来を、私が壊すわけにはいかないから。
そしてね、私が邪悪な者になってしまったら、その時は迷わず殺して。
善悪の判断もつかないようなら、やっぱり殺して。
おねがい、トマスにしか頼めないから」
その瞬間だ。
私の肩にミルの手がかかった。
「またレヴィだけが犠牲になるなんて、私は嫌よ!」
本当なら、その手に、私の手で応えたい。
だけど私には一つしかないのだから、しかたなく拳を握ったままの手でミルの手を撫でる。
「違うの、聞いてミル。
私は死ぬつもりはないよ。
あくまで邪神になっても私のままであろうとする。
けど、もしダメだったら、その時は」
「その時? ふざけないで、そんなのダメ!
私はレヴィを絶対殺させない。
例え邪神になっても、私が更生させてみせる。
だからトマス、レヴィを殺そうとしたなら私がお前を殺す!」
ミルはトマスの胸倉をつかむと、ぎりぎりと歯噛みしながら突き放した。
突然、イースルールは椅子にした裸の女性から立ち上がった。
「レヴィ、邪神の衝動に抗えると思うなよ。
だけど、そこまでの覚悟をしたのなら……、
話したいことがある」
「イースルール……?」
見てわかるほど、明らかに先程とは様子が変わった。
その変化に戸惑っていると、イースルールは俯きながら黒いヴェールをゆっくりと持ち上げた。
「スキルを使うには、肉体が必要なの。
だからあなたという体が必要だったし、何より適合する条件が厳しいから、他を探すというわけにはいかなかったの」
そうイースルールはうつ向いたまま小刻みに震えていた。
「適合する条件……ですか? それは、一体……」
「条件はさておき、貴方の体が欲しかったのは事実。
でも、もう無理そうね。
けどね、くく、やっぱりできる神ってね、保険をかけるものなの」
「え……?」
イースルールは顔を上げた。
白目までが黒く、いやらしい笑いを浮かべる彼女の顔は、どことなく趣の違う美しさを醸し出していた。
「!! ……芹奈の体を……貴様……」
そう叫び、突然トウマさんが一直線にイースルールに向かって走り出したのが見えた。
次の瞬間にはマダムが叫んだ。
「ミル、トウマを止めろ!」
「え?」
驚いたのは一瞬だけ。
ミルも突風のように駆け出した。
「昔ね、適合者を無理やり召喚したことがあるのぉ。
オオザカ・トウマちゃんの恋人だったっけぇ?
あんまりラブラブだったから、二人してこっちに呼ばれちゃったもんねぇ?
うふふふ、保存しておいてよかったぁ。
あーっはっはっは!」
そうイースルールは、仰け反るように笑った。
保存とは、体のことだろう。
なんて、ひどいことをするのだろう。
これが邪神なのかと、芯から寒気がする。
トウマさんの背に、追いついたミルが縋りつき、追いかけてきたカルロさんが押さえ込みながら言った。
「まて、挑発に乗るなトウマ!」
「離せ! 芹奈!! 聞こえるか! 芹奈ぁぁぁ!!」
そう全身を震わせてトウマさんは叫び、押さえ込まれながらも無理やり前に出ようともがいている。
そこへサシャさんがトウマさんの前に立ちはだかり、手を広げた。
「だめ、行っては」
「サシャ……! くそっ!! 芹奈ぁぁぁぁ!!」
トウマさんの悲痛な叫びが轟く。
私の胸が、ぎゅぎゅう、と締め付けられるように痛んだ。
そんなトウマさんを指差し、あざ笑う邪神。
「聞こえるわけねぇだろ、ばぁぁか。あーっはっはっは。
本当は違う形で、嫌がらせに使おうと思ったのよ。
けどさぁ状況が状況だし?
ちなみに、この子の心はね、入念に念入りに、それはもう丁寧に、粉々に磨り潰したわ?
ここまですると、転生もできないんじゃないかしらぁ。
あぁ可哀想にぃ」
「ふざけるなぁぁ!! 貴様! 芹奈!! 芹奈ぁ!!」
トウマさんの怒声はとめどなく噴き出している。
サシャさんもトウマさんの行く手を阻みながら、その体は間違いなく怒りに震えていた。
「イースルール……、お前だけは……許さない……」
私だってそうだ。
許せない、許せるわけがない。
そして、あの邪神を終わらせることができるのは、私だけなのだ。
傍らでトマスが鞘から剣を引き抜いた。
「ボク、抑えられないかもしれない」
傍らの幼馴染も怒っている。
だけど、それは貴方の仕事じゃない。
「ダメ、トマス。
挑発に乗らないで? 私がやるから」
トマスに制止を促し、私は改めて邪神を睨みつけた。
「イースルール。
やはり貴女はひどい。
邪神とは、そんなにひどいことをする存在なのですか?
それとも、貴女は元からそういう人だったのですか?」
私は、拳を突き出したまま、一歩一歩と大地を踏みしめる。
そしてもてあそぶような邪神のやり口に、私の怒りが頂点に達しようとしていた。
カチ。
【スキル【神殺し】対象:邪神イースルール】
イースルールの視線が私を捉えている。
笑みは消え失せ、無表情で冷淡な視線を私に向けている。
「まあ、そうね。
ひどい奴だったかもねぇ。
所でなぜ、ここでヴェールを脱いで見せたか。
そして、こうして手のうちを見せているかわかるかしらぁ?」
そう言い終えイースルールは口の端を持ち上げた。
「正直、わかりません。
けど、わかってもたぶん、ひどいことですよね?
だから聞かせてくれなくて結構です。
これで終わりにしましょう」
私は拳を握り込み、脇を絞めるように構えた。
この状態に入ると、神はもう避けようがないのだと、感覚的部分でスキルが教えてくれている。
これで終わる。
地面を踏みしめ、また一歩近づく。
イースルールを視界の中央に収め、あと十数歩。
「そうね、終わりにしましょ」
そうイースルールも頷いた。
「観念したわけじゃないですよね。
それは、一体どういう意味で――」
『ズブリッ』
「え?」
不思議と最初は軽い衝撃だけで、刃の一端が私の胸からせり出した。
時間が、引き伸ばされる。
背中から私を貫く剣の熱。
ゆっくりと私を指差す女神の歪んだ笑顔。
そして、すぐ後ろにいるはずの、トマスの呼吸の音。
「あはっ」
正面のイースルールは笑っている。
「すごくいい! 自然よ、トマスぅ。
ねぇビックリした?
私の演技どうどう?
ねぇ?
うふふふふ」
そうか、そういうことか。
スキルに捉えられた神は、もう避けることができなくても、神でなければ邪魔はできる。
でも、どうして貴方が?
「ねぇ、トマス?」
私は困惑していた。
痛みはまだなくて、ただ背中から、胸を突き破りトマスの刃が私を貫いている。
そしていやらしく笑う邪神は、私の背後を指差している。
「それ、お前をいじめてた頃から、私の下僕だったのよぉぉ。
すっかり騙されちゃったわね。
思わせぶりな演出でしたぁぁ。
最高のタイミングでしょ!?
盛り上がって気分も高まって。
うふふ、ズブリと」
「トマス………嘘、だよね?」
鼓動と同じタイミングで現れ始めた痛みが、これは真実なんだと教えている。
それでも私は、幼馴染を信じたかったのだ。
私が振り返るとトマスは剣から手を放していて、両手で顔を覆うように悶えていた。
「ごめんねレヴィ。イースルール様に、嫁を殺されたときも、ボク、震えて射精しちゃったんだ。
これは本当に格別なんだ……。
うひ、うへへ、うひゃひゃひゃ、はーっはっはっははっは」
そうか、彼も壊れていたのか。
だけど、トマスの目は、泣いていた。
「心臓に突き刺さる呪いの刃。
うーん、ドラマティックよねぇ。
うふふっふ、はぁぁ」
恍惚に顔を染めるイースルールが、女性の椅子に腰かける様子がはっきりと見える。
色々が鮮明に見えていて、何もかもがゆっくりと感じられた。
「トマス、貴様ぁぁ!!」
次の瞬間、私の視界の端で、閃光の如き刃が、トマスの首を胴から切り落とした。
「あーはっはっは……あへ?」
それは、刹那のミルの剣だった。
私の意識は、やっぱりすごく鮮明で、その光景がよく見えていた。
トマスの顔は、笑いながらも、泣いていた。
私の為に、ミルの猛烈な怒りは、烈火の如くトマスの首を踏みつぶし、踏みにじっている。
トマスの体は、二歩三歩と不思議な動きをしてから、血飛沫を上げて地面に横たわった。
そしてまた鮮明に、イースルールが呟くのが聞こえた。
「あっけない。ま、いいけどね」
嘘だらけの邪神だが、本当につまらなそうだった。
やがて私の体は、一人で立っていられなくなり傾き始めた。
そんなところまではっきりとわかる程度に、私は、私自身を俯瞰している。
「レヴィ、ダメ、いや、血が、誰か! 誰かきて!」
倒れ込む勢いは、途中で止まった。
ミルが支えてくれたのだ。
「それって何とかなるのかしら?
奴隷の杭と同じよ。
ただ少しばかり大きすぎるから、まあ死ぬでしょう」
やっぱりイースルールは楽しげにいって、いやらしく笑っている。
駆け寄ってきたカノースさんが
「ヒール! グレートヒール! リジェネーション」
連続で、唱えている。
私は、他人事のように詠唱を聞いていた。
魔法を注がれるそばから、私の体からは命がこぼれおちていく。
「ねぇカノース。
お前、こっちに戻ってこないの?」
問いかけも遊びのように、イースルールは笑っている。
「……、願い下げです。
貴女にはもう屈しない。
私の主はレヴィ様ただお一人」
「あっそ、義理堅くなったのねぇ。
もう死ぬよ? それ」
「うるさい!!」
「 |Greater Salis Regenora」
優しい声と、命の源が、サシャさんから注がれ始めた。
「耐えて、レヴィ!」
ありったけの回復を、私へと注ぎながらサシャさんの慟哭が聞こえる。
でも、私にはもう声を返す力はなくて。
……ごめんなさい。
「かはぁっ」
鮮やかな赤色が、私から吐き出された。
そんなところまで、あまりにはっきりと見えていて残酷だ。
「お前の最後、少しだけ見ててあげる。
で、終わったら、お前たち全部殺すから。
うふふ、あはは、はーっはっはっは。あーっはっはっは」
本当に騒がしいと、私はイースルールを眺めていた。




