余話6 カノース白書
――邪神イースルール。
前王エミネムの統一物語時、突如、戦いと転生の女神として登場する。
わずか八十七年前の話だ。
イースルールは、瞬く間に信仰を塗り替えてしまった。
それまで信仰の中心にあった古き神々は姿を消し、教えもまた形骸化した。
唯一、その信仰はイシスに残るのみとなった。
しかしなぜイシスにのみ残っていたのか、それは私にも分からない。
そんな古い神々を信仰してきたイシスも、邪神イースルールによって容易く陥落。
結果、この国は古い教えを脱ぎ捨て、イシス王国として女王レヴィを擁立した。
そしてレヴィの体を乗っ取っていたイースルールを、“本当”のレヴィが退けた。
おかげで私は大司祭の地位を再び得ることとなった。
イシス王国は、神官長を含め兵団の大半をイースルールによって殺された。
だが兵団はウィンザブル領の兵を取り込み再構成された。
そして空位となっていた騎士団長の地位にトマス・ルルーリを抜擢。
トマス・ルルーリ。
あれはイースルールの器となっていたレヴィの腕を切り落とした。
つまり、数少ないイースルールに対抗しうる存在かもしれない。
そして現女王レヴィもまた、イースルールを退けた。
だが正直、私は怖い。
“アレ”がまた、前に現れることがあれば、私はきっと無様に命乞いをするだろう。
いっそ、もう、どこかに逃げてしまいたい。
しかし、どこへ逃げるというのだろう?
むしろ対抗し得るカードのある、ここが一番安全ではないのか?
アレに壊された主神像は、職人の手により元の姿を取り戻した。
そして、一度として加護を感じたことのない【いにしえの神】に、私は祈ろう――。
もはや神への信仰心からか、それとも恐怖から逃れるための惰性か、自分でも分からないが。
◆◇
――五か月が経った。
私は、告白する。
依然として私を恐怖が蝕んでいる。
そして状況は刻一刻と変化していた。
突如、ウィンザブル領は、青海のドワイズを含め、他三国と合併を表明。
それに関してイシスへの打診はなかった。
……確実に、邪神は動いている。
今や古都テンピンと南海のイシス王国以外は敵と思っていいだろう。
しかしなぜ一思いに攻めてこないのだろう?
やはり、警戒しているのだろうか……。
わからないことだらけだ。
せめて、あの中立都市テンピンを動かすことができれば――。
◆◇
――どういうことだ、何が起きている……?
古都テンピンで、テレース大公領の復活だと?
新大公クレア・テレース。
長らく失踪していた彼女は、前国王の孫だ。
しかも、このタイミングだというのが解せない。
これも、邪神の仕業なのか……。
我が国は、これで完全に孤立したことになるのか……。
今も私を、恐怖が苛んでいる。
逃げてしまいたいと毎日思うのに、今日も踏みとどまった。
それはなぜか、一縷の希望、女王レヴィの存在だ。
以前、私は奴隷狩りを行い、そして得た奴隷で秘密裏に【スキル】の研究を行ってきた。
しかし結果は散々で、満足な結果を残すには至らなかった。
国のためと、自分すらたばかり、業を背負ってきた。
今となっては、なぜそんなことをしていたのか分からない。
きっと、時代と同じく私もおかしかったのだ。
だが、そんな私に女王レヴィは、もうしないと誓わせ、贖罪の機会を与えてくれた。
優しい女王レヴィ。
彼女は奴隷制度を廃止し、他国から奴隷を呼び込む政策を取るだろうと思っていた。
だが予想とは大きく異なり、女王レヴィは奴隷制をイシスで復活。
そして大掛かりな奴隷教育を推進した。
さらには奴隷法を改正。
奴隷を著しく傷つけた者は厳罰に処すなど、法律もいくつか制定した。
しかも奴隷に対して年季という制度を適用した結果、貧しい民は望んで奴隷になった。
女王は、理想論で急進的な廃止を選ぶのではなく、奴隷という制度の現実的な受け皿としての側面を理解し、それを逆手にとって民を救う道を選んだのだ。
この【年季】という制度はよく出来ていて、奴隷になった者は最低五年、最高でも三十年で奴隷から解放される。
その際、年数に応じて卒費という報奨を与えるというものだった。
貧民は減り、富裕層は労働力の安定確保ができた。
そして奴隷教育の一環として学問が普及。
識字率が大幅に上がった。
これは、国全体がいろんな分野での底上げにつながった。
勿論、奴隷の杭は廃止。
これは罪人奴隷も例外ではなく、罪人には罰則に応じて年季期間を上乗せした。
女王レヴィは天賜の儀も廃止。
貧富、身分の差に関わらずスキル秘匿の自由が生まれた。
売り込みたい者は存分に売り込み、隠したければ隠せばいい。
これに対しては、さすがに政治上の反対意見は多くあった。
だが、それもすぐに、女王の布いた法による恩恵の前にかき消えることになる。
それだけ絶大な恩恵を、女王レヴィはもたらしたのだ。
たった九ヶ月だ。
これだけのことを、あの娘はたった九ヶ月で行ってしまった。
聡明な女王の王政は、イシスを今までにないほど豊かにしていく。
『神輿になれ』
私はレヴィに、そういったことがある。
それは大きな間違いだ。あの子こそが真なる王であるべきなのだ。
そして、これが私が逃げ出さないでいる理由だ。
さて、間もなくテレース大公国より使者が来ると言う。
鬼が出るか、蛇が出るか。
この先に何が待ち受けていようと、私はこの真なる王の物語を、最後まで見届け、記し続けよう。
――カノース・ブリュンヒルド――




