40、キズナの力
「私ね、ホントに本当ぉに! トマスの事、嫌いだったんだからね!」
――脱出後、私たちは再び港街エフネス市へ向い、海路での脱出を試みた。
そして脱出は恐ろしく簡単に成功した。
というのも、中身はどうあれ、私がイシスの女王だったからだ。
さらに国境隊長のトマスと聖女カノースがいるのだから、誰も止める者はいない。
イースルールがあのまま終わるわけがない。
急ぎ、私たちはイシスの軍船で聖都イシスに向かっている。
マダムたちは今どこにいるのだろう。
ミルは無事だろうか。
イシスに向かう軍船の中、私は慣れない船長椅子に腰を下ろして考えていた。
傍らにはカノースさんが控えている。
「あの、カノースさん……」
「は、何でしょう? おみ足でもお揉みしましょうか?」
「いえ、あの、女王のフリはわかります。けど、その態度、何とかなりませんか?」
私たち以外にも人はいるから、なるべく小声でカノースさんに問い掛けた。
「いいえ、フリではなく、貴女は本当に女王ですから。しかもあのイースルールを殴り倒したのですよ」
「倒してはいないと、思いますけど……」
「いいですか? レヴィ様。私は貴女の体に最高位を譲ったのです。
しかも臣民は盛り上がっている。
わずか数日でいなくなりました、とは当然できません」
「なら、またカノースさんと交代すれば……」
「は? 絶対嫌。あんな体験はもう、真っ平よ」
少しだけ、カノースさんの素が出ている。
「そうですよね。少しだけ、中から見てました……」
カノースさんもイースルールにひどい目にあわされたのだから、わからなくはない。
席にも雰囲気にも落ち着かない私の耳元で、カノースさんが囁いた。
「危なくなったら逃げるけど、それまでは貴女のサポートしてあげる。
だから臣民のために神輿になってちょうだい」
私も、作った笑みを振りまきながら、小声で返す。
「臣民のタメって言葉はズルいですよ……」
するとカノースさんもやっぱり小声で、
「ええ、わかってて言ってますから」
と、少し笑っていた。
『ギィ』
扉が開く。
トマスが船長室に現れた。
「……、ごめん、その、左手だけど」
トマスは落ち着かない様子で、もじもじとしながら言った。
まるで昔の、泣き虫トマスのようだ。
「もういいよ。なくなったおかげでイースルールを殴れたんだと思うし、結果取り戻せたものも多いから」
私は改めてなくなった左手のあった場所を眺める。
不思議なことに、血はほとんど出ていなかった。
それだけ英雄技が、トマスの技が鋭かったのかな。
カノースさんにヒールしてもらったが、欠損は戻らない。
永久に左腕は失われたのだ。
「あのね……、」
トマスが言葉に困っている。
申し訳ないけど、昔に戻ったみたいで少しうれしかった。
「私ね、ホントに本当ぉに! トマスの事、嫌いだったからね!
なんでこんなにひどいことするんだろうって悩んだよ。
だけどね……小さい時のことも、思い出しちゃうんだ。
どうしても思い出しちゃうんだよ。
二人で遊んでた頃を、楽しかったあの頃をさ」
「レヴィ……」
トマスは、呆気にとられたみたいに固まった。
仕方ないよね。
でも、私から言わなきゃって思ったから、息を大きく吸い込んで吐き出す。
それからトマスをしっかり見詰めた。
「全部許すから! 許すから昔の友達に戻ってよ。お願いだから、ううん、お願いします」
これが、今の私の本心だ。
トマスとは色々あったけれど、言葉にした瞬間、もやもやした気持ちはスッと消えた。
全てを水に流すことなんて簡単だ。だって友人を取り戻せるのだから。
「レヴィ……。ダメだよ。それはできない」
トマスは、目を閉じて首を横に振った。
「……そっか」
そうだよね。
しかたないのかもしれない。
目の前の彼は、もう昔の彼ではないのだ、と自分に言い聞かせた時だった。
トマスが床に片膝をついた。
「こんな形でしか返せないけど、どうか、ボクに守らせてください、我が主」
トマスの発した言葉で、膝をついた意味を理解した。
「レヴィ様、イシスの騎士団長の席は空席です。ちょうどいいのでは?」
そうカノースさんは少し笑っている。
私は何ていったらいいのか、わからないまま迷子でいるとトマスが顔を上げて言った。
「全部終わったら、その時は友達に戻らせて頂けますか? 我が主」
私には、目の前の騎士が、とても誠実に見えた。
そして何故だか、私も少し笑ってしまった。
「全部終わったら、私、また奴隷だと思うよ?」
「あー、でも、うん、それでも、友達でいる。約束だ」
トマスは毒が抜けたように清々しい笑顔をしていた。
「わかったから、もう立ってよ」
私は、トマスの肩に手を置いて言った。
「了解」
そして立ち上がったトマスは、まず最初にカノースさんに向き直った。
「所でカノースさん。イースルールは何のために戦争をしてるんです?
というか統一自体、あの女神に何の意味がある?」
「ああ、それか。そうだな、私なりの見解になるがいいかな?」
カノースさんは顎に手を当てていう。
「ええ、構いませんよ」
さすがは騎士と一国の主だった人だ。
内容にも雰囲気にも相応の貫禄がある気がする。
するとトマスは手のひらで、私に座るようにうながした。
実際、できることはないわけだから、私は席に座り二人のやり取りに耳を傾ける。
「一つは自己顕示欲だろう。
あの神は、自分が主神であることに固執していたからな。
それと、あえて自分に対する攻撃方法も漏らしていた。
英雄技や勇者が通じるなどは、普通は口にすることじゃない」
「ふむ。つまり後半は、娯楽性を求めていたと?」
「ああ、私はそう思っている。
それをさらした上で、脅威ではないと思ったのだろう。だが、」
「だが?」
そう、先をうながすようにトマスが首を傾げると、カノースさんは私に向き直り、私の右手に触れた。
「ここにイースルールの“誤算”があった。
この歪な右手は、あの女神の制御を外れ、レヴィ様の意識下に置くことができた。
理由はわからない。
だが、ここにあの神の知らない何かの力が。
例えば、絆があったとしたら?」
「絆って、そんな曖昧なものが?」
トマスはさらに不思議そうに、“あの頃”はなかった少し大人びた表情で訝しむ。
そしてカノースさんは肯定するように頷いた。
「ああ、なくはない。
例えば聖女の力の源は愛だからな。
絆も、まさにそれだ。
一人一人の想いは小さな光でも、それが集まれば太陽すら超える炎となる。
あの女神は、その力を知らなかったのですよ」
確かにカノースさんのいうとおり、あの時、牢獄を破った瞬間、感覚を感じたのはこの右手だ。
それが絆のお陰だったとしたなら……。
「サシャさんの……」
半ば無意識に、私の呟きが声になっていた。
「くだんの聖女か。
しかし、それだけじゃないだろう?
これに関わった色々な思いが、たぶん正体だ」
と、カノースさんは私の歪んだ右手を撫でた。
「みんなの、絆……」
その言葉は私の口から、やっぱり声になって零れた。
そうか、これから始まったんだ。
私は自分の右手を見下ろす。
この拳が砕け、奴隷になって、いろんな人の気持ちに触れた。
そして今ここにいる。
私は、いろんな思いに生かされてきたんだ。
ああ、みんなにすごく会いたい。
私は自分の右手を見下ろし、そして、失われた左腕があった場所を、そっと右手で包み込んだ。
そこに、仲間たちの温もりを感じる気がした。




