39、 カゾクの決意
『私に、【勇者】を授けて下さい。マダム、出来るんですよね? どんなに苦しんだっていい。だから私に、スキルの書き換えを。ご友人の【勇者】を下さい』
脳裏にミルの言葉を何度も再生させながら、アタシはソファーで琥珀色に満たされたグラスを傾ける。
そんなアタシの部屋では、ノーマが机に向かいペンを走らせている。
アタシは悩んでいた。
正直、もうアタシの体には【勇者】を使いこなすだけの力はない。
左腕も失った。
託せる物なら、託すべきかもしれない。
アタシは、グラス越しにノーマを眺める。
「ねぇ、ノーマ、アタシから抽出は可能かい?」
「抽出は、おそらくできるわ。この手帳通りに行けばね」
ノーマの手はペンを走らせ、視線は文字を追っている。
「ふむ。“抽出は”か、他に何か問題があるのかい?」
「一つは、クレアの体が持つかどうか。そして抽出の後、純粋に成功するかどうか」
ノーマは、変わらず淡々といってくれる。
「はは、はっきり言うね」
「隠したって仕方ないわ。本当のことだもの。
それに、どうせ貴女は、私の気持ちなんか、お構いなしで決めるんでしょ?」
ノーマの声がわずかに震えた。
アタシだからわかる機微だ。
だからノーマの、心の敏感な部分に触れないよう笑ったつもりだったが、どうやら間違えたらしい。
「……怒るなよノーマ。で、アタシの生存確率は?」
間違えたなら間違えたなりに、アタシは他人事のように突っ込んだ問いを投げかける。
「私にそれを言えと? 残酷な人ね」
ノーマのペンが止まった。
「はは、自虐のつもりだったんだがね」
アタシは静まった空間に、場違いな笑いをもう一度捻じ込んだ。
「笑えない……。クレア、正直思うのよ。もう、いいじゃない、ここまでしましょ?
ほら今回も隠れていれば、きっとやり過ごせるわ」
ノーマはアタシに視線を向けた。
そして我慢の結果だろう、声がはっきりと震えている。
アタシは、グラスを眺めている。
正確に言えば、グラスをブラインドの代わりに、ノーマとの間に一枚、琥珀色を挟んで見ていた。
直視できないまま、そして悩みながら。
「アタシはさ、この屋敷から一度は逃げた。
けど、ここでまた逃げたら一生後悔する。
結局は奴隷を生贄にして生きてたんだなってさ」
視線すら向けていられなくて、アタシは自然と視線を伏せていた。
そして、グラスを置いた。
それとほぼ同時だ。
『ドンッ』
と、机が激しく鳴った。
ノーマが殴りつけたのだ……。
「そういうことをいってるんじゃないの!
もうね、よくやったじゃない! 誰もが頑張って、誰かが助かり、誰かは死ぬの!」
ノーマは身も、声も、感情も震わせて泣いていた。
「ノーマ……」
不甲斐ないアタシは言葉が見つけられずに、ただ彼女の名を呼んだだけだ。
そして、悔しそうに歯を食いしばってからノーマは、アタシを睨みつけた。
「後悔が何よ! 後悔なんて嫌になるほどしてきたわよ」
「……」
アタシは、完全に言葉を見失った。
永遠のように感じるわずかな無言の間は、あらぬ方向から、唐突に終わりを告げる。
『コン、コン』
ノックの音だ。
アタシはノーマを見た。
すると、ノーマは涙を拭って頷く。
私も頷き返してからゆっくりと声を投げた。
「いいよ、どうぞ」
「マダム、失礼します」
扉を開けたのはコハクだ。
そしてユキとアキ。
十五歳組の三人が揃って現れた。
「うん、どうした? もういい時間じゃないか」
アタシは背もたれから背を離し、三人をソファーへと手招く。
すると三人は顔を見合わせた後、コハクが遠慮がちに言った。
「あの、マダム、私たちにも何かお手伝いできませんか?」
するとコハクに続き、ユキとアキも頷いて同意を示している。
「どうした急に」
「急にじゃないです。レヴィ姉さんや、ミル姉さんばっかり辛い思いをして、アタシたち何もしてない……」
コハクは泣きそうな声だった。
何もしてない、だと? この子たちにどれほど助けられてきたか、語れないほどなのに……。
「アキ、ユキ、あんたたちも、それを言いに来たのかい?」
「「はい」」
アタシの問い掛けに、二人がそろって頷く。
そして直ぐに、今度はユキだ。
「またミル姉ちゃんや、レヴィ姉ちゃんに美味しいもの食べさせてあげたい」
我慢しきれず、涙を零しながら訴えかけてきた。
「ミモザの生活は、とっても幸せで、あの、みんな家族だったの」
声を震わせて、振り絞るようにアキも言う。
アタシは、込み上げてくる感情を必死になって抑え付ける。
「そう……か、ほら、お座り」
そうソファーの横を叩き、泣きべその子達を招いた。
「「「はい」」」
「何もしてなくなんてないよ。大丈夫。アンタ達のおかげで、色々助かってる」
アタシは、いつもと同じ声色で語り掛けた。
『コン、コン』
またノックだ。
「まったく。今日は何だろうね?」
アタシは扉に声を投げる。
開いたままの扉から、きれいどころの顔が覗く。
「失礼します」
今度は、娼館の三人娘だ。
「あら、あなた達も?」
と、ヨーコはソファーの十五歳組を見た。
十五歳組の三人はそろって頷いている。
「で、アンタたちは、どうしたんだい?」
アタシは改めて、三人娘に問いを向ける。
三人娘は、息の合った様子で頷き、ヨーコが一歩前にでてきた。
「では、単刀直入にわたくしが代表して。わたくしたちのスキルが必要であれば、どうぞ、抜き取ってお使いください」
「……」
そういうことか。
アタシの中で、腑に落ちていく。
アタシは、傍らの十五歳組の顔を順に覗き込んだ。
十五歳組は顔を見合わせて、泣きそうなのに頑張って笑みを浮かべている。
そして、アタシの中でミルの言葉が蘇った。
『私に、【勇者】を授けて下さい。マダム、出来るんですよね? 私、どんなに苦しんだっていい。だから、私に、スキルの書き換えを。ご友人の【勇者】を下さい』
アタシだけじゃなかった。
ミルの言葉は、この子達も刺さっていたのだ……。
そして、この子達なりに考えて導き出した答えなんだ。
娼館の三人娘に視線を戻すと、娘たちも頷いた。
その時、今まで声を潜めていたノーマが席を立っていった。
「貴女たち、分かってるの、お腹の中の一部を失うのよ?」
するとミランダが不敵に笑う。
「ええ、知ってますよ。けど、ノーマさんならできますよね?」
ユングも“当然”と言外に付け足すように、おちゃらけた手振りで言った。
「そうそう、ちょっと残して、さっさっと! それにサシャさんもいるし?」
「わりい、俺たちも同じ気持ちなんだ」
空きっぱなしの扉から、ひょっこり顔を覗かせてカルロが言う。
後ろでは、レリンや、トウマとホークもいる。
そして……、
「よしよし、泣かないでね」
子をあやす声に、トウマたちが道を空けた。
サシャが赤子を抱いて部屋の中を覗く。
「ねぇ、マダム。この子を救ってくれたあの子に、まだお礼を言えてない」
「サシャ……お前もか」
悩んだのは、アタシだけじゃなかった。
皆それぞれが、悩み、結果、ここへ来たんだ。
そして、サシャの後ろには、当然“あの子”もいた。
「私、あの時、レヴィの声、聞いたんです。私の大事な家族なんです」
やつれたミルの顔に収まった瞳には、例えようのない熱がこもって見える。
『ダンッ』
ノーマが強く両手で、机を叩いた。
「揃いも揃って、ほんと馬鹿ばっかりね。
いい? あの方法はね、完全じゃないの!
抽出できたとして、上書きできる保証なんてないの!」
「ノーマさん、あの……それなんですけど、条件ってわかっていなくて、成功率40%くらいなんですよね……」
そう、おずおずとユキが控えめに手を挙げた。
「ええ、……そうだけど」
さすがにノーマの勢いも削がれ、訝しげな表情で応えている。
「ああ、それで?」
アタシが先を促すと、またユキがおずおずと続ける。
「あの、お料理してると、お肉を捌くんですけど、同じ種類のお肉なのに、あの血の味で、違うんです。それが料理の出来栄えにも、ちょっとだけ関係してて……」
ユキは、ノーマを見上げ、思案顔で告げている。
「血の味が違う? 医学書にも、血には種類があるとは書いてあるけど……まって、」
ノーマの目が大きく見開かれ、彼女はハッと息を呑んだ。
そして手帳に視線を落とし、凄まじい速さでページをめくり始める。
「そうか!」
そうノーマは、ユキに向かって頷く。
アタシはユキとノーマを順にみる。
皆も、顔を見合わせて首を傾げている。
「クレア、もしかしたら成功率を上げる方法がわかったかもしれない」
そう言うとノーマは、手帳のある一点を、食い入るように見つめ始めた。
「ノーマ、それは本当かい?」
「ええ、それにはみんなの協力が必要ね。ユキ、貴女は調理場で食事を作ってちょうだい。そして、みんなは血を採らせてくれるかしら?」
「おいおい、少しは説明してくれないのかい?」
ノーマの瞳に精気が戻り、そしていきいきとして、彼女は言った。
「見せてあげるわ。私の【医術】を」
こんなに自信に満ち溢れたノーマを見るのは、どれくらいぶりだろう。




