30、ミルノミタ光景
あれからレヴィは眠ったままだ。
あの日、私は運ばれるレヴィに縋りついて泣いた。
レヴィはいつも無理をする。それでいて本人は、気づいていないからたちが悪い。
「レヴィの様子は?」
ノーマさんの問いかけに私は首を横に振る。
「……そう。また、後で来るわね」
レヴィは、日当たりや風通しのいい部屋に移された。
もとは一等客室で、娼館として使われていた部屋だ。
だからレヴィは、この船で一番いい部屋に住んでいる。
「……奴隷なのにね」
私はレヴィにそっと語りかける。
今日は、とても風が気持ちいい。
窓から風を取り込むと、ふわっと秋の匂いがした。
「レヴィ、秋だよ」
――何も変わらないまま、時間だけが流れる。
私は、彼女の体を拭く。
華奢に見える体つき、実はすごく引き締まって美しい。
私は、それをよく知っていた。けど、最近は少しほっそりしてきた。
彼女から筋肉が落ちているのだ。
――ある日、彼女の髪が……白くなった。
艶やかな黒髪が、全て真っ白になったのだ。
だけど、レヴィは動かない。
ただ息をするだけ。
「レヴィ、もうすぐサシャさんの子供、生まれるよ……、起き……てよ、お願いだよ……。ねぇ……」
どうしたって我慢できるわけがないよ。泣いてしまうよ。
――古都テンピンの外れに位置する港町で、船をとめて暮らしている。
甲板を撫でる風が日に日に冷たくなり、私の吐く息も白く色づき始めた。
季節巡り、もうすぐ冬だ。
この国の冬は、館のあった場所より厳しいらしいから、
「部屋を暖かくするね。寒くない?」
私はスープを口に含み、彼女の口へと流し込む。
今の彼女は自分で飲み込むことすらできない。
「レヴィ、今日は蟹のスープだよ、美味しいね」
――そして、また時間だけが過ぎていく。
雪が降り始めた。
たまにアキが、竪琴を奏でにやってくる。
アキはレヴィが大好きだから、新曲は一番に聞かせに来る。
ううん、アキだけじゃない。
ユキもコハクも。
みんなレヴィが大好きだから。
「早く起きないと、忘れられちゃうよ、レヴィ」
――辺りは白く染まっている。
雪化粧、私たちの知らない景色だ。
「レヴィ。サシャさんのお腹、すごく大きいよ? 貴女のおかげだって」
『ドォォォン』
『パパパパパッ』
「レヴィ、凄いよ、あれ、花火っていうんだよ。私、初めて見た」
古都テンピンでは、新年を迎えるためのお祭りが始まった。
この花火が終わると、新しい年が始まる。
『ドォォォン』
『パパパパパッ』
寒いけど、窓を開ける。
ちょっとだけ、レヴィの顔を傾けて、花火を見えるように支えた。
「おっきいねぇ、綺麗。こんなお祭りがあるんだね。来年は、一緒に行ける……よ、ね。うぅ……、レヴィ、聞こえる? ……ねぇ、綺麗なんだよ」
私、また泣いてしまうよ。
『おぎゃぁぁぁ』
花火に混じって、知らない声が聞こえた。
聞いたことのない、何か動物の叫びのような声。
「生まれた!!」
と、コハクの声だろうか。
ドタドタと船室横の廊下を慌ただしく駆けていく。
「レヴィ、サシャさんの子供、生まれたみたい。子供ってあんな泣き方するんだね。凄いね、私ね、ビックリしちゃった。ちょっとだけど、ここまで聞こえたもん」
『カタカタ』
「風が出てきたね。窓、閉めるね? 寒いもんね」
『カリ……カリ』
「うん?」
最初は、なんの音かわからなくて、息を止めた。
すごく小さな音だ。
違う部屋で騒いでいる声がここまで漏れ聞こえてはいた……。
けれど、それとは関係ない。
何か小さな音が間近で聞こえたんだ。
気になって小さな音の出所を探す。
どこだろう? 本当にわずかな音。
虫のいる季節でもないし、窓も閉めた。
本当にどこだろう? 私は耳を澄ます。
『カリ……カリ』
「ベッドの、……脇?」
気のせい? いや、確かに聞こえた。
ネズミ、がいるような船じゃない……。
音の出所を探して、息を殺しながらレヴィの眠るベッドの周りを回る。
ふと、布団から少しだけ覗くレヴィの指を見た。
『カリ……カリ』
本当に、ほんのわずかに、指先が動いている……気がする。
衣擦れに近い、本当にわずかにする音。
「レヴィ……?」
『カリ……カリ』
動いている、レヴィの指が。
「レヴィ!? だ、誰か! 誰か来て!! レヴィが動いた!!」
慌てた私は、扉を蹴破る勢いで廊下に出て叫んだ。
「動いたの! 誰か!!」
カルロさんが走って来る。
ノーマさんやレリンさんやマダムも駆けて来た。
部屋は直ぐにいっぱいになった。
流石にサシャさんは動けないし、トウマさんも、今はサシャさんに付き添っているけど。
みんなが口々にレヴィを呼ぶ。
「寝坊助だねぇ、早く起きな。レヴィ!」
マダムが耳もとでいう。
「レヴィ」
「姉さん!」
「レヴィ姉ちゃん」
「姉貴!」
「レヴィちゃん」
「レヴィ!!」
「レヴィ」
「は……は……」
レヴィの唇が揺れた。
息が吐き出されて、声が生まれようとしている。
「うん、何? レヴィ、何か言いたいの?」
私がレヴィの口元に耳を寄せると、勢いはないけど、呼気が何かを紡ごうとしているのがわかった。
私はレヴィに語りかけながら、彼女の右手を握った。
わずかに熱を帯びているような、彼女の手。
「……げ……て」
「うん?」
「に…………て」
レヴィがしゃべってる。
まって、ちゃんと聞き取るから。
「に……げ…………て」
「え? 逃げて?」
『……サクッ』
「?」
「ミル!?」
カルロさんの焦った声が響く。
なんだか視界が揺れる。
目の前がちかちかする……。
あれ、なんで私のお腹に、レヴィの手が刺さってるの?
『ガバァ』
レヴィの半身が起き上がった。
見開いた彼女の目は、白目まで黒い。
「あはっ♪」
レヴィが楽しげに笑っている……?
「きゃぁぁ、ミル姉ちゃん!!」
この声は、ユキかな? 私、どうしたんだろう。
「かはっ」
私の口から、真っ赤なものが飛び出した。
『ドォォォン』
『パパパパパッ』
「ハッピーニューイヤー、うふふふ」
レヴィは、やっぱり笑っている。




