25、 サシャのネガイ
「サシャさん、お加減はいかがですか?」
私はサシャさんの部屋を訪れた。
――海上都市デネバを出て約一ヶ月。
内陸部の領境では、小競り合いが始まったらしい。
私たちは影響を避け、大きく迂回する海路で古都テンピンへ向かっている。
予定より一ヶ月ほど遅れは出たが、補給も資材も問題ない。
それどころかマダムの英断で、船を思い切って改修。
寄港する度に娼館の側面を持つ船上レストランを営業したのだ。
やり手の従業員の働きと、百戦錬磨のお嬢様達の活躍。
そこへ料理長ユキの腕も加わったのだから、繁盛しないはずがない。
いいことづくめに思える船の旅だったが、一つだけ気がかりなことがあった。
サシャさんの船酔いが、改善されないでいるのだ。
それどころか、吐き気と痙攣がサシャさんを苦しめている。
むしろ悪化していたのだ――。
「ん。大丈夫。だいぶ良くなった」
「またぁ、嘘ばっかり。嘘、下手なんですから、素直に言ってくださいね?」
私は口を尖らせながら、サシャさんのベッド横で人差し指を立てた。
本当に船酔いならいいのだ。
だが、青白いサシャさんの顔を見ていると、胸のざわめきが大きくなる。
私は、マダム達との会話を思い出す。
サシャさんの部屋に来るほんの少し前のことだ――。
――船長室に呼ばれ、私はマダムに問い掛けられた。
「レヴィ、サシャの様子はどうだい?」
そこにはノーマさんもいて、私に視線を向けている。
「本人は大丈夫って言ってますけど、嘘が下手な人だから、すぐわかります」
私の素直な気持ちだ。
表情を隠す気も無いから困り顔になっている。
「そうか……。ノーマはどう思う?」
マダムは机の上に両肘を付いて、指先を組み合わせた。
「正直なところ、“アレ”しかないとは思うのですが……」
と、ノーマさんは煮え切らない様子で首を傾げている。
「あの、アレって?」
私が問いかけると、ノーマさんはマダムに伺いを立てるような視線を向けた。
直ぐにマダムはノーマさんに頷き返す。
ノーマさんの視線の矛先が、今度は私に向いた。
「レヴィ、これは内緒よ?」
そんな前置きされたら自然と身構えてしまう。
「……はい」
何か重大な問題だろうか、内心とても不安になった。
「妊娠している」
「え、それっておめでたいことですよね! お相手は、トウマさんですか?」
「相手はそうだな。確かに普通ならめでたい……が、大問題でもある」
と、今度はマダムが言った。
でもその表情には、やっぱり影があって。
一体、何が問題だと言うのだろう。
私はマダムに顔を向け、首を傾げた。
「あの、やはり奴隷は子供を産んではいけないのでしょうか? 生まれる子には罪は無いはずです」
少しだけ、私はむきになっていたのだ。
マダムは組み合わせた指を解き、小さく頷いた。
「お前の言う通りだ。確かに連れ子が奴隷になることはある。だが産まれる子供には罪は無い。でもね、問題はそこじゃないんだ」
私の思考が、答えを探して迷子になった。
「え、あの……?」
するとノーマさんの手のひらが、私の肩に乗った。
「レヴィ。あなた達一般の奴隷は子を産める。むしろ産ませることはよくあることだわ。でもね、サシャは違うの」
「あの、何が……」
既に私は泣きそうになっていた……。
何か酷い現実を聞かせられるのではないか、と直感が囁いていたのだ。
ノーマさんは、私の肩に置いた手で、今度は自分の胸を指した。
「あの子は、罪人奴隷はね、心臓に杭があるのは知ってるわね?」
「……はい」
「あの魔法の杭は、命と直結している。しかも子供は作れない」
ああ、やっぱりだ。酷い現実が、私の耳に入り込んできた。
酷い現実の続きを、マダムが言った。
「呪いのようなもんさ」
「じゃあ、じゃあですよ? 奴隷を逃がす時みたいに杭を無効にすれば!」
それは私の浅慮だった。少し考えればわかることなのに……。
直ぐにノーマさんが言った。
「場所は心臓よ? 足みたいに斬って付けるのとは訳が違うの。それに高位のヒールはあの子しか使えない」
浅はかな自分が本当に嫌になる。
「でも……」
だけど、何か方法はあるかもしれない。
私は考える。だけど決定的に知識が足りてない。
だから、そんなの簡単に浮かぶわけも無かった。
そもそも専門のノーマさんが無理だと言うのだ。
私の程度で覆せるわけもなく……。
だけど、サシャさんのことだけに、諦められることなんて出来ない。
出来るわけがないのだ。
そして同時に、悔しくて、悔しくて仕方がなかった。
すると、マダムは席から立ち上がった。そして私の頭に手を乗せて言った。
「レヴィ。お前はまた、そんなに目を腫らして……。まあ焦るな。まだ可能性の話だ。もう少しだけ様子を見ようじゃないか」
だけど、私は我慢できずに泣いていた。
「申し訳ございません……」
色々な意味を込めた謝罪。
マダムも心配なはずなのに、私ばかりがムキになっていたかもしれないと思うと、申し訳なくて涙が止まらない。
マダムは、肩を竦めた。
そして「はぁ……」と、深く息を吐きだしながら微笑んだ。
「構わんさ。サシャの面倒、暫く頼むよ」
そう、そのまま私の頭をわしゃわしゃと撫でまわした――。
「レヴィ、どうかした?」
回想から、私はサシャさんの声で引きもどされた。
「あ、いえ、あはは。ちょっとぼーっとしちゃいました」
そんな言い訳、通用するわけもなかったのに。
「……そうだよ」
そうサシャさんは寝返りをうち、私に背を向けた。
「……うん? えっと、な、何がです?」
私の心拍数が一気にあがった。
この人は、人の心が分かるのだ。
手遅れなのは分かってるけど、私は彼女の背中に渾身の笑顔を作る。
「レヴィは、私と同じくらい嘘が下手だから」
「ですね、あはは……、自覚はあります……」
この人の前では誰も隠し事なんて出来ないけど、嘘が下手な自覚はある。
分っていたことだけど、それでも私はサシャさんの背に笑み向けている。
「妊娠してる。トウマの子供が欲しかった。だからスキルで……、」
サシャさんは、か細く、壁に向けて呟く様に言った。
「杭を……何とかしてるんですね……。多分、一時的に。……私、報告してきます!」
と、私が扉に視線を向けた瞬間だ。
「まって」
サシャさんが、私の手首を掴んだ。
「でも……」
「知らせたら子供が産めなくなる。幸い今はスキルで栄養を供給出来てるから」
お腹の子供にと言う意味だろう。サシャさんの片手は、自分のお腹を撫でている。
サシャさんは持てるスキルを尽くして、まだ小さすぎる子供を感じ、そして守っているんだ。
私は唇を噛んだ。
だとすれば、この状況に心当たりがある……。
「じゃあ……、その体調不良と痙攣は、魔力の枯渇なんですね?」
と、自然と語気が上がっていた。本で読んだことがあったのだ。
サシャさんは、小さく頷く。
「この子はトウマが、この世界にいる意味になるから……」
それはやっぱりか細い呟きだった。
この世界にいる意味って。
私には、その言葉の意味は分からなかったが、それがサシャさんの“願い”であることは分った。
「トウマさんには……?」
「まだ。言ってない」
私の手首をつかむサシャさんの手の甲に、私も片方の手を乗せた。
「今は秘密を守ります。だから少し時間を下さい」
今は分からなくても、理由が分かったことは前進だ。そして何か、何か方法があるかもしれない。
これを諦めていい訳は、絶対に無い。
私は、サシャさんの手を握る自分の手に、そっと力を込めて誓った。
なんとしても、彼女の願いを叶える方法を探すんだ、と。




