第23話 愛玩ドレイ
「奴隷の業は主の罪だろう? 俺がその奴隷の主だ」
朦朧とする意識の中で、誰かの声が聞こえた気がした。
聞き慣れた、低い声。……まさか。
霞む視界を無理やりこじ開けると、陽炎の向こうで黒い外套が揺れている。
ああ、また都合の良い夢を見ているんだ、私は。
「……トウマざ、 ミ……ヤガダに、むがう、はず……では」
ミモザと言い掛け、言い直す程度にはまだ私は冷静だけど、相変わらずひどい声だ。
どうやらこれは夢じゃない。
白いローブの集団が、トウマさんを取り囲もうとしている。
「返してもらおう」
トウマさんは、気にせず私に向かって進んでくる。
「この奴隷の主である証拠は!」
私に一番近い位置の審問官が問いかける。
「契約書など持ち歩く訳が無いだろう。その奴隷に聞けばいい」
トウマさんは止まらない。
そして、私の僅か数歩の所に立つと、
「信じろ」
と、小さな声を発しながら唇が動いていた。
それから直ぐトウマさんは、白ローブ数人に取り押さえられた。
「トウマ様!」
私は、もがきながら叫んだ。
しかし『ガチャン』と鎖が私を捕えている。
「ほう、この奴隷がそんなに愛しいか?」
刑罰棒の先でとん、と自分の掌を弾きながら、審問官がねっとりとした声でトウマさんに問いかけた。
「大枚をはたいて買った愛玩奴隷だからな。ただで、とは言わん」
「ほう、金持ちには見えないが?」
「金は無い。だが、その奴隷を返せば、【勇者】の居場所を教えてやる」
突然の言葉に、辺りが響めいた。
「何!?」
「おい、勇者だと?」
「存在するのか……」
白ローブたちが、口々に言っている。
「トウマ様、それは!!」
私だって驚いた。
そして同時に、“信じろ”と、あの呟きが頭の中で繰り返された。
審問官は突然、私の髪を掴み、トウマさんに問いかけた。
「お前は黙れ。で、本当だろうな?」
「ああ、本当だ。公衆の面前で言ってやろうか?」
審問官は慌てた様子で、心なしか優しく、私の髪を解放した。
「ま、まてまて、おい、この奴隷を船に運べ!」
拘束されていた手足から鎖が外されると足腰に力が入らず、私は地面にへたり込んだ。
すると白ローブの一人が私を抱き上げ、歩き出す。
視界の先には、港に停泊している立派な船がある。
「お前もだ、おい、その男を連れて来い!!」
背後で審問官の声が聞こえた。きっとトウマさんの事だ。
白いローブ姿は私を、優しく抱きかかえている。
それが、凄く心地よくて、いつの間にか――。
「うっ……?」
私は眠っていたらしいが、まだ目は開けられない。
覚醒と微睡の間を、意識がとろとろと行き来している。
どうやら室内のようで、日陰がひんやりと心地いい。
私を包むこの肌触りは、毛布のようで、ごわごわしているけれど落ち着ける。
それと枕の感触は快適で、少し硬めなのが凄くいい。
ああ、そう言えば船に運ばれたんだっけ。
「船……、初めてだ」
声は酷いままだ。私は独り言のつもりで呟く。
「そうか」
トウマさんの声がした。
「え、……あっ」
一気に眠気が飛んだ。
瞼が無意識に開いて、視力が追いかけて戻ってくる。
トウマさんの顔が見えた。あぁ、この心地よい感触は、トウマさんの膝枕だったのか。
「す、すいません、いま、……退きますね」
私は起き上がろうと、四肢に力を入れようとした、その瞬間だった。
「そのままで、いい」
と、トウマさんは私の肩に手を置いた。
先日も、こんなことがあったっけ。
私は体の力を抜き、少しだけ甘えさせてもらう事にした。
心地よい微睡みの時間を過ごし、どれくらい経っただろう。
時折、小さな物音と一緒に、扉の小窓から視線を感じる。
それは偶然だろうか、私が瞼を開くと同時、その小窓から覗く視線と目が合った。
監視されているのだろうか。
だとしたら、いったい何を監視しているのだろう?
もし試されているならば、演じきるしかない。
私は設定上、愛玩奴隷なのだから。
「トウマ様。私にどうかご褒美を……。頑張ってお待ちしてたのですよ」
娼館で何度も見聞きした、お嬢様たちの仕草や声色。
見様見真似で演じてみるけれど、自分の声が、自分の体が行うすべてが、ひどくちぐはぐで、ただただ恥ずかしかった。
「ああ」
トウマさんの相槌は、当たり前のように聞こえる。
少しだけ、心強い。
私はわざと息遣いを荒くして、トウマさんの足に頬を擦り付けた。
やはり、小さなのぞき窓の視線は、ずっとこちらを見ている様子だった。
あまり気分のいいものじゃない。
それに今はあちこち痛いし……と、あれ? そう言えば、随分痛みが減った気がする。
ま、まあ、とにかく私には性的なご奉仕の経験は無い。
ちゃんと愛玩奴隷らしく振る舞えているだろうか。
不安だったが、頑張ったのは確かだ。
監視人は、何か疑っているのか、それとも単に覗きが好きなのか分らなかったが、暫くトウマさんに甘えて様子を探る。
『ガチャガチャ』
唐突に鍵を開ける音が響く。
私はフリを続けたまま様子をうかがっていると、勢い良く扉が開き、
「おい、やめろやめろ。ここを汚すんじゃない!」
と、“ちゃんと”勘違いしてくれた。
「レヴィ、離れろ」
それれっぽくトウマさんが言った。
「畏まりました……」
と、私は床に降りて跪座で控えた。
残念そうな演技だけなら、館できっちり練習済みだ。
室内に男が二人入って来た。
一人は、先ほどの審問官。
もう一人は、髭面のいかにも兵士と言った感じの男。
審問官がトウマさんの前に立った。
「先ほどの件、話してもらおうか?」
「いいが、身の安全は保障してくれるだろうな? 勿論奴隷もだ」
「情報の確認が取れたらな」
トウマさんと審問官の間で、そんなやり取りが行われている。
その間も髭面の男は、ずっと私を見ていた。
多分これが、さっきから覗いていた視線だ。
「で、【勇者】のスキル持ちはどこにいる?」
「……、辺境都市ザーマルス。」
「ザーマルスの何処だ」
「……」
「どうした、言えないのか? 言えないなら奴隷は目の前で酷い目に合うぞ」
審問官が刑罰棒を手に私を見降ろした。
「まて、奴隷館ミモザだ」
トウマさんははっきり言った。
私の背筋に寒いものが走った。
信じろと言われたけど……、もしかしたら、私を守るために言ってしまったのでないか?
胸の中で不安がざわつく。
「ミモザの主、スカーレットは偽装スキルで、【勇者】を隠している」
「ほう、ほうほう!」
審問官のテンションが見るからに上がった。
トウマさんに近寄り、ヒキガエルのような顔で、口の端を持ち上げて笑っている。
「お前、その館の者だろう? 馬車の御者から証言は取れているぞ」
「ああ、その通りだ」
あの時の御者さん、金貨を受け取ったくせに裏切ったのか。
今度は、怒りが込み上げてきた。
「で、館の主人も一緒にいたそうだな?」
「主は何処へ行った? 隠すと為にならんぞ」
「この奴隷を囮にして逃げた。今頃は、館に辿りついて荷物を纏めている頃だろう」
それはレリンさんの扮したマダムの事だ。
だけど審問官たちが館に行けば、大変な事になるのは同じだ。
だって、マダムも、みんなも、館にいるのだから。
私はトウマさんの意図が読めないまま、不安を顔に出さない様、澄まし顔を演じる。
「ふむ、概ね証言と一致するな。よし、ウインザブル兵士に知られる前に、捕まえに行くぞ」
「は、しかし、理由はいかがいたしましょう?」
髭の男は、私から目を離し審問官に問いかけた。
「ええい、そんなもの適当にでっち上げる! 貴様はこいつらを見張れ!」
「は、畏まりました!」
髭の男はビシっと敬礼を向けた。
「すぐに兵を連れて出発する。いいか、くれぐれも逃がすなよ? こいつらは、勇者を捕まえた後も、役立ってもらう必要があるからな!」
「そんな、約束が違います!」
審問官の言葉に、私は思わず声を出してしまった。
「控えろ、レヴィ」
「しかし……、」
「もともと、お前を連れて逃げる予定だったから、これでいいんだ」
「え?」
何を、トウマさんは何を言っているのだろう?
「うははは、やはりそうか。良いぞ良いぞ。そうだと思った! この奴隷を欲しくて、お前は仲間を売ったのだな? 酷い奴だなぁ、このこのっ」
審問官はトウマさんの肩を刑罰棒で突きながら、楽しげに笑っている。
でも、それが本当なら、私は……。
私はトウマさんを見詰めながら、唇を噛んでいた。
「まあよい、話は後だ。行って来る!」
審問官は弾むように船室を出て行った。
その後も、髭面の男がこっちを嫌らしい目で見ている。
近い距離で見張っているのだ。
部屋の外で、何か物音がする。
髭面の男は、その音に不審がる様子も無くまっすぐこっちを見ている。
船が僅かに揺れた、いや、しっかり揺れた。
え、船が出港した? 何かがおかしい。
なのに、やっぱり髭面男は動じていない。
「……」
この男は、一体何なのだろう。
「トウマ、ナイス」
髭面の男が言った。
「……え?」
今、この男は、何て言ったの?
髭面の男が髭を取る。
例えじゃない。本当に物理的にベリベリと髭をめくっている。
そして、仮面を顔に宛がうと、
「レヴィ、エロス」
「うわぁ、レ、レ、レリンさん⁉」
という事は、猫撫で声も、愛玩のフリも全部見られていた。私は醜態をさらしていたのだ。
死にそうだ……恥ずかしい。
「あぁぁぁ……あぁ」
私は、その場で膝から崩れ落ち、暫く顔を上げることができなかった。




