21、ココロの声
「知ってる? 結構早い段階で計画されてたんだってさ」
「戦争……のお話でしょうか」
石造りの廊下を、トマスの背を追って歩く。
乗馬鞭を片手に、腰で手を組んで進むトマス。
「そうそう、戦争の話。王様の死も、予定通りだったみたい」
「私には……分かりかねます」
トマスは肩越しに振り返り、僅かに微笑む。
私は伏し目がちに、作り笑いに徹していた。
「ここ、入って」
と、トマスは立ち止まり、扉を開けた。
部屋にはこれと言った飾りもなく、隅に椅子が一脚、除けてある。会議室として使われているのかもしれない。
「失礼します」
私はトマスに続いて部屋へと入った。
トマスは椅子を一つ、中央に引き出して腰かけた。
「じゃあ、座って」
と、顎で床を指し示す。
「……畏まりました」
私は石の床に膝をついて座った。
トマスの視線が上下に、私をじろじろと眺めている。
やがて、ニヤリと口元が歪む。
「綺麗になったね。こんな事ならさぁ、手放さなければ良かったなぁ」
「ありがとう……ございます」
私は必死に微笑んだ。
「三日もしたらさ、同盟関係も公表されて、新王位争奪戦争が始まるわけ」
「……はい」
「そうなるとさ、領内では奴隷狩り、かなぁ?」
「ど、奴隷狩り……」
なんで、そんな話をするのだろう。
トマスは、私を怖がらせたいのだろうか。
下手な反応をすれば、何をされるか分からない。
マダムの教えを思い出しながら、最適解を探すために全力で思考を回した。
「イシスってさ、奴隷は前世の罪の所為だって言ってるよね。だとしたらレヴィ、お前は何をしたの? 殺し? 泥棒? ああ、淫売かな?」
そんなこと、私が知りたいくらいだ。
……なんて気持ちは、胸の奥に留めたまま、笑んで首を傾げる。
「申し訳ありません、私には分かりかねます」
「まあ、そうだろうけどさ。君のことを思うと、ボクは優しいから助けてあげたいんだ。それに――」
「いえ、私などより、館のっ――」
『バシッ』
トマスの手が動いた瞬間、——乗馬鞭が私の頬を打った。
とっさに私は、悲痛の声を飲み込む。
「今、ボクがまだ話してたよね?」
「……申し訳ございません」
私は痛みに耐えながら、額を床にこすりつけた。
「……まあ、いいよ。ボクは優しいからね」
トマスの怒気は一変し、気色の悪い猫なで声に変わった。
「ありがとうございます」
私は、有りったけの平常心をかき集めて謝辞を述べた。もちろん、そんなふうには思っていない。心は自由なのだ。
「話の腰が折れたよね。とにかく、ボクはお前を助けてやってもいいと思ってる」
“結構です”と叫びたい気持ちを、なんとか押しとどめる。
「私を館に返していただける、ということでしょうか」
そう問いかけた瞬間、トマスは椅子から立ち上がった。
トマスは、私の前にしゃがみこみ、顎をつかんで持ち上げた。
「館に帰る……か。間に合うと思ってるのかい?」
「え……?」
「三日後には発表するって言ったよね? 何、お前さ、馬でも数日かかる距離を走るつもり? それとも大事大事に館まで送ってもらえるとでも思った?」
「では……助けていただけるとは、一体……」
「館なんて知るかよ。お前はボクの物になれって話さ。
奴隷撤廃って言っても、一部の貴族は飼うだろうし。
ボクもさ、ほら、“約束された身分”なわけだからね」
「なれません。私は、ミモザの、マダムの奴隷で――」
「そうだ、館の奴らも飼ってあげるよ。ボクは大貴族になるからね。マダムとか歳の割に超美人だったからね。ああ、そうだ、ボクがオーナーになるという手もあるか」
トマスに喰い気味で潰された言葉に、私は思わず腹が立った。
よりにもよって、……マダムを? ……ふざけるな。
それだけは、絶対に許せない。
心のどこかでは、まだトマスが助けてくれるかもしれないと、この期に及んで、まだ昔のトマスの面影を探してた自分に対しても怒りがこみ上げる。
やっぱりトマスは、無理だ。
私は、奴隷の身分をわきまえて、最低限の礼儀は払ってきたつもりだった。
でも、コイツにはもうできない。
胸の奥で、不満が一気に膨れ上がる。
「あの、お願いがございます……」
「うん、何?」
「服を脱いでも、よろしいでしょうか」
「へぇ、御奉仕でもしてご機嫌取りかな? それとも自分の立場がやっとわかった?」
そう言って、トマスは私の顎から手を離した。
許しが出たと受け取り、私はゆっくりと立ち上がる。
このクソトマスの前で、ベルトを外し、『バッ』と勢いよく服を脱ぎ捨てた。
この三年間、奴隷の目線でいろんな人たちを見てきた。
奴隷に対してでも紳士的に振る舞う人。
それ以上に、奴隷だからとガサツで乱暴に扱う人もいた。
もちろん、私は館の奴隷に接する人々しか知らないけれど。
それでもわかる。
そんないろんな人々の中でもトマスは、きっと、別格で低俗なんだろう。
「ここを、ご覧いただけますでしょうか?
私は、すでに身も心も捧げているのです。
この胸の刻印に誓って、貴方様に差し出すものなど、毛ほども残っておりません」
胸元の刻印に手を当て、トマスに向かって見せつける。
お前が手放した、あの瞬間から、お前にその権利はないんだと訴えかける。
そもそも最初から、私という存在はトマスのものなどではない。
さぁ、よく見ろと、私は一歩前に踏み出す。
「……ご覧いただけますでしょうか?」
トマスは一歩下がった。
「お前……調子に乗るなよ。優しくすれば付け上がりやがって……」
『ビシィッ』
わき腹に鞭が入った。けれど、だからなんだ。
私は、さらに一歩前に進み出る。
トマスは同時に後ずさる。
下がった拍子に、トマスのかかとが椅子にぶつかる。
そしてビクつく。
やっぱりトマスは弱虫のままだ。
「ご覧いただけますでしょうか?」
「お前は……、奴隷の分際で!」
『ビシィッ』『ビシィッ』
鞭が走るたび、皮膚が裂けた感触が伝わる。
腕に、肩に、腰に、顔に――けれど、痛くない。
いや、痛いはずなのに、どこにも届かない。
私の中の“ココロ”は、こんな奴の鞭なんかじゃ、もう揺らがない。
そして聞かせてやる悲鳴など、微塵も持ち合わせていない。
「ご覧いただけますでしょうか?」
「しつこいっ!」
声が上ずっていた。まるで子どもの叫びみたいに。
『ドガァ』
トマスの足が腹にめり込んだかと思った瞬間、私は蹴り飛ばされた。
床を滑り、背中から壁に叩きつけられて、肺の奥の空気が一気に吐き出される。
だけど、声に出さない。
正直を言えば、館のみんなには、また会いたい。
けれど、トマスの物になるくらいなら、私は死んでも抵抗する。
これは、覚悟だ。もう、私は覚悟してしまったのだ。
だけどもちろん、自分から死を選ぶつもりはない。
「お前さ、あ、……頭おかしいんじゃないの?」
トマス、お前には私が壊れて見えるの?
――違うよ。私は、至って正常です。
心の中でそう、トマスに蔑みながら舌を出す。
笑顔は崩さない。
この程度、どうということはない。
「おい、誰かイシスの審問官を呼んで来い!」
トマスは部屋の外に怒鳴り散らしながら、私に近寄り、髪を掴んで引きずった。
「お望み通り助けてやるよ。魂の救済、な? 拷問を受けて、せいぜい後悔しろ。奴隷風情が!」
「ふふ、トマス様。そんな下品な言葉、お使いになって大丈夫ですか? 貴族風情が」
ああ、とうとう漏れた。
私の口が、滑稽な幼馴染に、優しく告げてしまった。
我慢したんだけどなぁ。マダム、私は奴隷失格です。
最適解なんて踏めませんでした。
「うるさい!」
髪を掴まれたまま、壁に叩きつけられた。
「うるさい!」
ドスッ、と蹴られた。
「うるさい!!」
ガッ、と殴られた。
「うるさい! うるさい!」
バシィッ、バシィッ、バシィッ、バシィッと、鞭で滅多打ちにされた。
「うるさいうるさい! うるさいんだよ!! ……はぁ、はぁ、はぁ……」
もう何も言っていないのに、よほどこの貴族のほうが騒がしい。
意識が零れ落ちそうになる。
だけど私は、目の前の矮小な思考の貴族に、微笑んでやった。
――カチ。
【レベル3にアップグレードしますか? 】
【はい】
【いいえ】
……はい。




