17、オウ都ヨリ
戦いと転生の女神、イースルール。
女神は、異世界で命を落とした勇敢な兵士や、不遇な者たちの魂を引き寄せる。
それらの魂は、新たな肉体に宿り、この世界に再び生を受ける。
こうして生まれた者たちは、異世界転生者と呼ばれ、非凡なスキルを授かるのだ。
女神イースルールの使徒、エミネムは、異世界転生者たちを率いて建国を宣言した。
その後、エミネム王は、大陸に六つあった国々を瞬く間に平定してみせた。
こうして、統一世界国家イースルールが誕生したのである。
今年で、建国八十七年。
百年にも満たない、まだ近代の物語。
誰もが知る歴史として、いまでは絵本にも描かれている。
けれど、私はこの絵本が、あまり好きではない。
だって、あまりにも不公平に聞こえてしまうからだ。
異世界転生者じゃない、この世界で死んで生まれた魂には、何も与えられないの?
王様は、いったい何のために世界を平定したの?
異世界転生者でなければ、劣っていると言われている気がしてならない。
……私が卑屈なだけなのだろうか。
とにかく、この物語を聞くたびに、疑問ばかりが浮かんでしまうのだ――。
「はい、おしまいです」
私は幼い奴隷の子たちに絵本を読み聞かせ、本を閉じた。
「レヴィ先生、ありがとうございました」
「はい、ではまた明日。御奉仕、頑張ってくださいね」
「はーい」
子供たちを見送ったあと、私は早々に着替えて、娼館へ向かわなければならない。
教室の隅に置かれた、私専用のロッカー。
着替えの途中、ふと鏡越しに映った胸元の刻印に目がとまる。
これは、私が望んで入れてもらったものだ。
「レヴィ、十八歳の記念だ。何が欲しい?」
そうマダムに聞かれて、私はしばらく考え込んだ。
先日、ミルは十八歳の祝いに飴玉をねだり、水瓶いっぱいの飴を貰っていた。
おかげで、彼女の部屋は甘い匂いで満ちている。
私には、何が欲しいのだろう。考えた末に、こう答えた。
「マダム、私に奴隷刻印をお与えください」
「はぁ? お前、自分が何を言ってるのか分かってるのかい」
マダムが戸惑うのも、もっともだった。
だって、痛くしてくれと言っているようなものだ。
普通なら、誰だって嫌がるに決まっている。
奴隷刻印なんて、大体は焼き印とか入れ墨とかで、主人が『これは自分のものだ』って、誰の目にもわかるようにするものだ。
当然、それには相応の痛みを伴う。
それを奴隷の側から願い出るなんて、まず無いことだ。
だから、マダムがああいう反応になるのも当然なのだ。
「はい、理解しています」
「勿論、理由があっての事だろうね?」
「はい。私は、娼館でのお仕事の際、お客様からお声をかけていただくことが増えました。
けれど、私にはお応えする術がありませんし、お嬢様方ほどの器量もございません。
ですから、奴隷の刻印が見えていれば、お断りすることが無礼になりにくいかと考えました」
「すると何だい? お前は、客に避けられるために、刻印を刻みたいって言うのかい。
それに……お前、自分の器量を客観的に分かっているのか?」
マダムはソファに深く腰を下ろし、肩をすくめて額に手を当てた。
私は、相当マダムを困らせてしまったようだった。
奴隷として、主人を困らせる行動は厳禁だ。
けれど、欲しい物を問われて嘘をつくのも、失礼なことだと思ったのだ。
「器量ですか?」
「客にそう言われるってことは、それだけお前が魅力的だってことだ。
なのにお前は、その魅力をわざわざ半減させたいって言ってるんだ。
しかも、その魅力的で美しいものに傷をつけろと、アタシに言ってるんだぞ?」
「そんな、勿体ないお言葉です」
「いや、褒めてないよ。ったく……お前は……。本当に、それが一番欲しいものなんだね?」
「はい。私は、奴隷刻印を頂きたく思っています」
「はぁ、分かったよ。彫師を呼ぶから、お前は風呂に入ってきなさい」
“奴隷は、モノとして生きることを許された人”だとしたら、私は、“モノ”としての振る舞いができていたんだろうか。
その疑問を、はっきりさせたかった。
だから、こうして私は、マダムから胸元に奴隷の刻印を頂いたのだ。
刻印を頂いて三日後、朝食のときのこと。
「うわぁ、無茶苦茶だねレヴィ。前からそういうとこ、あったけどさ」
ミルは私の胸元を覗き込みながら、顔をしかめた。
「そうかな? これはこれで、恩恵も多いんだよ」
「うーん、レヴィにとってはそうかもしれないけど……痛そうだし、私はやだやだ」
ミルは自分の肩を抱くようにして、ぶるっと身を震わせた。
「痛いのは、ほんの少しだけ。今ま――」
「はいはい、“今までに受けた痛みの中では大したことない”でしょ? もう耳にタコだよ」
ミルは私の言葉を遮って、あきれたようにため息をついた。
「レヴィは、その言葉でなんでも耐えちゃうよね。すごいことだけど……個人的には、あんまり良くないと思う」
「そうなのかなぁ」
「そうだよ」
――。
――先日、ミルに言われた言葉が、ふと頭をよぎる。
「そうなのかなぁ……」
私はロッカーの鏡に映る自分を見つめながら、そっと胸元に手を当てた。
すっかり腫れも引いて、そこには立派な“所有物”の証が残っている。
平民として、普通に生きるという選択もあった。
そっちを選んでいたら、どんな毎日が待っていたのだろう。
そう思ったことも、確かにあった。
だけど今は――ここが、私の居場所なのだと、ちゃんとわかっている。
これが、その証なのだ。
『コンコン』
ノックの音に、私は慌てて上着のボタンを留めながら、
「はいっ、ただいま」
と、扉の向こうに声をかけた。
すぐに返ってきたのは、カルロさんの声だった。
「レヴィ、今日の営業は中止だ。食堂に集まってくれ」
急にどうしたのだろう。
私は、娼館の制服のまま、教室を飛び出して廊下を駆けた。
食堂には、マダムを除くほとんどの従業員と、奴隷たちが集まっていた。
私も急いで駆けつけ、空いていた席に腰を下ろす。
ノーマさんが全体を見渡し、ゆっくりと口を開いた。
「では、端的に申し上げます。エミネム王が崩御されました。
本日より数日間、営業を自粛することになりました。
当然、娼館の営業および接客はすべて中止します。
皆さん、近隣への配慮をくれぐれも忘れないように」
奴隷たちも従業員たちも、静かに耳を傾けていた。
つまりは、目立つ行動を控えろというお達しだ。
とくに奴隷は、目につきやすく、余計な反感を買いやすい。
王都は、この辺境都市ザーマルスから、馬車で七日ほどの距離にあると聞いている。
だとすれば、この知らせは、数日前に届いたものなのだろう。
王の死。
私には実感が湧かない。けれど――きっと、ものすごく重大なことなのだろう。
ノーマさんが手を叩いた。
「はい、それでは各自、館内の仕事に戻ってください。ミルとレヴィは――黄色い花を花瓶に活けてちょうだい」
“黄色い花を花瓶に活ける”。それは、アジトへの合言葉だ。
私とミルは顔を見合わせ、静かに頷いた。
そして、館内の秘密の通路を通って、アジトへと向かった。




