13、娼館ミモザ
「今日から、しばらく娼館のほうに行ってもらうよ」
「娼館ですか……。……畏まりました」
早朝、マダムの部屋に呼ばれ、新たな仕事を仰せつかる。
しばらく授業を休んで、娼館で働くことになったのだ。
「レヴィ。なんだい、その表情は」
「いえ、何でもありません」
不安が顔に出ていたのだろう。小さく首を横に振った。
「まあ、そういう趣味の奴もいるが……ないな。てか、あれだ、がんばれ」
……うん? カルロさんには、なんだか妙な応援をされた。
私なんかに娼館の仕事が勤まるのか、不安でたまらなかった。
だから無礼を承知で、マダムに思いきって尋ねた。
「あの、私、上手に出来ますでしょうか。まだ、その……教わっておりませんし」
「教わるって、何をさ?」
「あの、お客様の、その……」
「ああ、なるほどね。……そういうことか。レヴィ、お前みたいな青くさい小娘が、商品になるわけないだろう?」
「……え?」
「ぷっ」
部屋の隅のサシャさんが、顔をそむけて笑いをこらえ──いや、こらえきれない。
うう、顔が一気に熱くなった。きっと真っ赤だ。
「……で、では何を……?」
「……まさか、本気で想像したのかい? ふふ。まあ冗談はこのへんにして――昨日の子、覚えてるだろ?」
「冗談……。あ、はい。ダンジョンの子ですね」
「そう。その子、娼館の部屋に置いてあってね。お前も経験あるだろ?」
そうだ、私も杭を入れた数日、怪我が治るまでは娼館の一室にいたのだ。
「客間の一室のことですね?」
「ああ。あの子の世話をしてもらいたいのさ。それに、接客も少しずつ覚えてほしい」
「そういうことでしたか……、承知しました」
ああ、まだ顔が熱い。
マダムは、そんな私の顔を見て笑っている――。
「結局、誤解だったけど、恥ずかしかったぁ」
私の日課、朝食を取りながらのおしゃべり。
早速、今朝の失敗をミルに話すことにした。
「おもしろい。レヴィって、そういうところ、天然だよね」
「むぅ」
「ああ、でも、結構しんどいと思うよ、娼館の仕事」
「え、そうなの?」
「うん、想像とは違う苦労があるっていうかさ……」
辛い仕事はいろいろある。
娼館の仕事が楽なわけがないことは分かっているけど、何がそんなにしんどいのだろう?
私はミルに向かって、首をかしげてみた。
朝食を終え、娼館棟の管理室に赴く。
扉を開けるとすぐに、ミルが作った香油の香りが鼻をくすぐった。
どこか非日常の空気のような、そんな感覚だ。
「レヴィ、これ、着て」
娼館の管理者、レリンさんに言われ服を着替える。
管理室の棚には、帳簿や糸巻き、待ち針の小箱がきっちりと並んでいた。
整然としていて、几帳面さがうかがえる。
与えられた服は、ひらひらとしていて無駄に露出が多いが、手触りは滑らかで高級感がある。
「少し大きい。ちょっと詰めるからバンザイして」
レリンさんの声は特徴的で、掠れている。ハスキーとも違って、上手く言えないが抑揚が少ない。
そして、口より上は仮面で隠れている、どこか不思議な人だ。
「はい」
私が両手を持ち上げると、レリンさんは手際よく待ち針を刺し、脇の辺りを縫い留めてサイズを合わせてくれた。
「レヴィは、控えめだからこれで我慢」
控えめ……、胸の事だろう。
まだ成長途中です、と言いたかったが、同い年のミルは、私を遥かに凌駕していると言う事例もあるので口をつぐむ。
「ぷっ」
そこに現れたサシャさんが吹き出して笑う。
「……」
サシャさんも、助けた子の様子を見るために娼館に来ているのだ。
折り悪く、心を読まれてしまった。
ああ、もう顔から火が出そうだ。
今日は、なんて恥ずかしい日なんだろう。
「サシャ、笑ってはダメ」
「うん、ごめん」
レリンさんに対して、サシャさんは素直な気がする。
お二人は仲良しなんだろうか?
と、疑問はさておき、業務が始まる。
太陽が真上を射す頃、娼館の玄関が開かれ、営業が始まる。
私の仕事は、お客様のご案内をすること。
予約のお客様と、飛び込みのお客様で接客手順が違う。
そして、お食事やお飲み物を運ぶこと。
さらに、館内の給仕全般と、お嬢様方へのお食事やお時間のお知らせ、浴室の掃除、寝室の掃除。
とにかく、分刻みで仕事がある。
これをレリンさんが一人でこなしていたと思うと、改めて娼館の管理業務の大変さを実感する。
というか、奴隷館なのに、なぜ奴隷を使っていなかったんだろう?
疑問は浮かぶが、とりあえず私は給仕の仕事に専念することにした。
ちなみに、“お嬢様”とは、この館の娼婦奴隷を指す呼び方だ。
食事は自由な時間に取ることができ、睡眠も各自で調整する。お客様がいない時間はほぼ自由時間となる。
ここだけ聞くと、格別な扱いのように思えるが……。
「ミランダお嬢様、お食事をお持ちしました」
「ありがとう、次のお客様までは時間ある?」
「あ、はい。一時間ほど余裕がございます」
「じゃあ、さっさと栄養取ってお風呂入るわ。十五分後、浴室の準備頼める?」
「はい、畏まりました」
お嬢様方には、御主人と同等の礼儀でお仕えするよう命じられている。
もっと、ゆっくり食事すればいいのにと思ったが、お嬢様にとって食事は、栄養補給の作業でしかないんだろう。
「ユングお嬢様、お飲み物をお持ちしました」
「おっけ」
ユングお嬢様は、ドロっとした飲み物を一気に飲み干した。
これは野菜や果物などに薬草を混ぜた飲み物だが、その匂いだけで逃げ出したくなる。
それを苦もなく飲み干すと、
「一時間寝るから、後で起こして」
「畏まりました」
一時間十五分後にはご予約のお客様がいらっしゃる。
それを把握して体力回復に努めているのか、と視線を向ければ、もう眠っていらっしゃる……。
私はコップを静かに下げて、部屋を立ち去った。
「ヨーコお嬢様、お呼びでしょうか」
「レヴィちゃん、これ、飲んで?」
「はい、いただきます!」
私は、お嬢様とお客様の前で、甘くておいしい果物ジュースを飲み干す。
至福の時、いや、辛いのはこれだった……。
「これ、飲んで」
「大変高価なお品物、ありがたくいただきます……!」
「これ、いただいたわ」
「結構な物をお恵みいただき、ありがとうございます!」
お客様に感謝をして、目の前で飲み干す。
お腹がパンクしそうだ。
ヨーコお嬢様は、お客様にいただいたジュースを一口だけ飲んで、残りは全部私が飲み干す。
お客様にとっては善意の施しである。
お嬢様が全部飲むと、仕事に支障が出るから、代わりが必要。そこで私の出番となる。
お嬢様はうまく理由をつけ、私に施すという形をとるのだ。
奴隷は粗末な食事しか取れないとされているから、与えられたら盛大に喜ばなくてはならない。
お客様も与える事で満足されているのだから、私が喜べばすべてが円滑に運ぶ……。
お客様にいただいたものは捨てる事が出来ない。
残りは、従業員でいただくのだが、従業員は必然的に私だけなので、私がいただく。
……辛い。経験したことのない贅沢な辛さだ。
辛いけど、ドリンクも重要な収入源なのだ。頑張りますとも……。
というか、一番人気のヨーコお嬢様は、一体どれほど貢がれていらっしゃるのか。
と、そろそろあの子の様子を見に行く時間だ。
私は水差しと、タオルを携え、少女の眠る部屋へと向かった。




