チャンシズ・ア・ラストダイアリー(3)
街はイルミネーションに包まれていた。あちこちから軽快な音楽が流れて来、人々は其れに浮かれる。
横を歩く学生服姿のカップルは、腕を組み肩を寄せ合い寄り添い合い歩いていた。見てるだけでこちらが熱い。男は寒いだろうなんて言って、女性の素肌晒していた手を自らのポケットに招き入れる。いつの時代だ、何て思う。前の奥には噴水の前で腕時計をじっと睨む女性が一人で立っていた。待ち合わせが遅れているのか眉間に皺を寄せて睨んでいる。携帯電話をバッグから取り出そうとした直後、頭と手で謝罪の意を見せながら男が駆け寄った。そして非難轟々と言った具合に女性は文句を言い、しかし直ぐに呆れたように笑い、男の手を取って歩き始めた。
街は一面のクリスマスムードだ。幸いにしてホワイトクリスマス。温暖化が騒がれるこのご時世に珍しく雪が降っていた。水気が多い雪なのか、人通りが多い場所では踏まれ水溜りのようになっていたが、ツリーだとか屋根だとかは程よく白い帽子を被っていた。何とも神秘的なものである。
元はこの日が何の日なのかあまり考えないのだろう。要は祝える口実があればいい。何かしら特別な日があれば良いのだ。大切な人と共有できるそんな日が。
枢も、その中の一人だった。右手には予約しておいたケーキを持って、思わず綻んでしまう頬を締める努力しつつ、雪を踏み締め歩いていく。何せ建前は独り者同士の寂しいパーティーなのだ。笑っていてはおかしいというもの。
しかし、嬉しいものは嬉しく、楽しみなものはどうしようもなく楽しみなのだ。
本当はクリスマスプレゼントなんて洒落たものを買いたかったが、それは断念した。金銭的な意味もあるし、正直何を買えば良いのか分からなかった。ぱっと浮かぶのはアクセサリーだったが、そんなものを恋人同士でもない人から貰っても困るだろうし、何より自分のセンスに自信がないという空しさ。貰って箱を開けて一瞬固まり顔を引き攣らせた笑顔でありがとう、何てのは言われたくない。想像するだけで心が折れそうだ。
このことを冬夜に聞いたが実りは得られなかった。忙しくて買い物に付き合ってくれることもなく、貰えたアドバイスも“深く考えるな”の一言だけ。そんなこと言って分かるのは慣れた人間だけだろうが! そんな空しい枢の叫びは敢えなくスルーされた。どうせ今頃、彼女と二人でどっか行ってるに違いない。もしかしたらいくところまでいってんのかも知れない。時間は早いけど。羨ましい奴め。親友へ、心の中で親指を下げる枢であった。
美沙都に限っては論外だった。散弾銃型マシンガンみたいな、そんな訳の分からない新兵器の様な言葉による銃弾の雨を余すことなく喰らってしまった。何も抵抗する暇なく大破してしまった心の持ち主は退散せざるを得なかった。追い打ちとして後頭部に飛んできた筆箱はきっと二階級特進にもう一個何かくれても良いんじゃないだろうか。そんなことを溜息混じりに思い返す。
赤に変わった信号により、交差点で立ち止まった。頭に乗った雪を払う。そしてその拍子に捉えてしまった光景は、浮かれた心に雪を被るのは人や建物だけとは限らないことを思い出させた。
遠く、建物の隙間から見えるのは警護の為に睨みを効かせている雪を被ったアウラだった。【ペイディアス】と呼ばれる其れは、ラインズイール軍が保持する主力戦力。曲線を描くことのない灰色の装甲を纏う、シャープなその人型としてのフォルムは造形美の観点からも高く評価されていた。
枢には、そんなことは一切理解出来ないものだったが。戦争の道具に対して造形美なんてものを感じる観念が、全く相容れないものだった。
【ラインズイール】――事実上世界の経済を担うその大国は、二十年前に起こった世界を巻き込む大戦を共に生き抜いた同盟国だ。その為か、或いは元々貿易など経済的に結びつきが強かったからか、日本と強い繋がりを持っていた。まだ日本には自衛隊しか存在していなかった時代から、安全保障という名目の下、ラインズイールの軍基地が全国的に配置されていた。それが今でも残っている。【ペイディアス】が日本の地を踏んでいることはそういうことだった。
日本軍にも【イナズマ】という機種が存在しているものの、アウラを使った戦争の歴史自体が浅い故に、性能が勝っていてもパイロットの腕はそれに追いついていない。因って、実質ラインズイール軍による警護に頼っている節は強かった。元々技術者気質の強い日本としては、在るべき姿になったとも言えるが、あまり国会は良い思いをしていないようである。
「……くそっ」
痛む膝に、枢はペイディアスから視線を外した。――が、そのまま直ぐ、枢は弾けるようにペイディアスに目を向け直した。
何の変哲もない。変わらず、毅然と直立している。しかし枢の心臓は脈打ち、そしてペイディアスに強く違和感を覚えていた。
「見られて……いた?」
確かに、視線を外したと同時に、あの赤いカメラアイがこちらへ動いていた。その射抜く先は自分で在ると、枢は根拠もなく強く感じていた。
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「えー、それでは。独り身同士の寂しいクリスマスパーティーではありますが……かんぱーい」
「かんぱーい……何でしょうね、その空しい掛け声。――って茜さん?」
枢と向かい合って座る茜は音頭を取るや否や、一目散にその手に持った発泡酒を一気に傾けた。流れるビールは豪快に、音を鳴らす茜の喉に流れて行った。
「ぷはー! この一杯の為に生きてるぜー!」
「オヤジ臭っ」
「うん、わざと言ってみた。さあさ、枢くんも飲みなすって下さいよ」
「って言ってもこっちはただのコーラだしな……」
当然と言えば当然だが、どうしてもテンションの差が生まれてしまう。
「――ちょ、ペース速くないですか!?」
枢が不満顔でコーラを睨んでいる間に、茜は次を注いでいて、しかも既に再び煽っている所だった。先ほどと同じように口の端に泡をつけて喉を鳴らしてごきゅごきゅ飲んでいる。見た目こそ若い女性だが、これではただの中年おやじに等しい。
「あー……二杯連続は効くね……」
「当り前ですよ! 大体一気飲みで死ぬ人もいるっていうのに……」
「じゃあほら、枢くんもコーラ一気飲みしなよ。あ、むしろ勝負する?」
「意味分かんないんで結構です。それよりペース落として下さいよ。あまり酒強い方じゃないでしょう……」
「んー……まあ、今日は特別。渡したい物もあるしね」
「渡したい物……?」
口元を拭きながら、茜は少し小さな声でそう言った。
「……あ、それより、ケーキ何処で買ってきたの?」
「え? ああ、えーと、駅前の何だっけ……イタリアっぽい名前の所」
「ああ、あそこ……あのアイなんたら」
「そうそう、アイなんたら」
「……あそこさー。ケーキ屋さんとパン屋さんあるじゃん、お互いすぐ近くに」
ナイフで切ったステーキの一切れを飲み込むと、茜は不意に話を切り出した。
「……ありますね」
同じくナイフを動かす手を止め、言われた場所を頭で想像して、枢は頷く。
「大体はさ、あそこは生クリームの香りとパンの香ばしさがどっちもあって、んでどっちもおいしそうだけどさ、たまにパン屋さんから変な匂いしてこない?」
「ああ、ありますね」
「あれ、何?」
「納豆みたいです」
「なっと――え?」
「所謂納豆パンらしいです。週一ぐらいで売ってるみたいですね」
「え、売れるの?」
「年輩の方には、割と」
「それって営業妨害にならないのかな」
「んー……どうでしょうね。まあ、結構匂いキツイから、妨害になっても納得ですね。たまに歩いてる犬なんか見るとなんかこう顔が……こんなんなってます」
枢がその犬の顔真似をすると、茜は吹き出しそうになるのを堪え、せき込んだ。鼻を内側に寄せたしかめっ面。そんな顔をして予想外に受けたのがなんとなく恥ずかしく、枢は視線を落としてスープを啜った。
「ね、枢くん。今のもっかいやってくんない? 写真撮りたい」
「嫌ですよ!」
「良いじゃん良いじゃん。待ち受けにするからさ」
「余計嫌ですよ!」
はあ、と溜息を吐いて枢は食事を再開する。じと目で睨むも、茜の調子は変わらなかった。むしろアルコールを吸って強化された気がする。枢はもう一度静かに溜息を吐いた。偽りの溜息を。
大切だった。こうして茜と他愛もない、意味もない、退屈な話をするこの時間が。抱く感情の種類は分からない。何しろ、自分と茜は結構歳が離れている。だからこの感情が“それ”なのか“ただの”なのか。
だが、どちらでも構わないと思う。結局、大切に想うということだけは決して変わりはしない。
茜はただ枢を、今は亡き弟と重ねているだけなのかも知れない。だが、やはりそれでも構わないと思う。こうして傍にいられるだけで十分だった。共に過ごす。相手の感情がどうであれ、自分の感情がどうであれ、そうした時間こそが重要なのだから。
「――で、寝てるし。ホントお酒弱いなぁ……」
今度は本物の、呆れの溜息を枢は吐き出した。目の前にはテーブルに突っ伏して寝息を立てるいい大人――もとい、茜がいた。出来あがる前にバタンであった。まあある意味では人に迷惑がかからないのだろうけど、それはそれでどうかと思う。それにテーブルに並べられた料理を上手く避けるように伏せていた。なんという所業だろうか。
「さて、どうしようかな……」
選択肢としては運ぶかここで寝かせるか。
「……ここで良いか」
数秒悩み、結論を出す。幸いにして今日は茜の部屋だ。このままでも問題はあるまい。
仕方なくリビングから寝室へと行き、毛布を取って茜に掛ける。その時、茜が僅かに身じろぎし、思わず枢は肩を跳ねさせてしまった。起きては、いないようだ。枢は安堵の息を漏らす。
「……ん」
そしてもう一度茜が身じろいだ。しかし今度はどういうわけか、艶めかしい声つきであった。意図せず枢は息を飲む。
つい、目が茜の唇に行ってしまう。形の良い柔らかそうな薄い唇は食事のせいで薄くなった口紅が塗られていた。その瑞々しさに対し、更に息を飲んでしまう。アルコールのせいで火照った肌、綺麗な睫毛に、投げ出されたセミロングの黒髪。それらは茜の端正な容姿を強調し、女としての魅力を何とも妖しくかもちだしていた。
「いやいや、僕は狼かよ。馬鹿野郎か……」
脈打つ鼓動を強引に抑えながら、ずれた掛け布団を掛け直す。そうしてそのまま残された食事や食器を片した。そしてもう一度眠りこける茜を見、
「おやすみなさい、茜さん」
リビングの電気を消し、足音消して出て行った。