ロング・ナイフ・ナイト(2)
「こちらC1、ポイントB204に全員到着した」
「了解。こちらの指示があるまで待機されたし」
「りょーかい、っと」
無線機越しに聞こえる男の声にイリウムはぶっきらぼうに答えた。隠そうともしない不満は、彼女の表情にも滲み出ていた。それを聞き、優紀は苦笑する。
オルレア帝国領土内のテスタ荒原。それがこの土地の名前だった。見慣れた灰色は一切なく、ただひたすらに黄土色と茶色が広がった世界だ。今日に限って風が強く、舞う砂埃が優紀達の視界を不鮮明にしていた。
そんな無数にある岩盤の内のひとつに優紀達は岩盤の隆起に身を隠すよう待機していた。
レジスタンスのアジトと思しき地点は貴族武装部隊とコスモスらの諜報部によって虱潰しに調査されており、そして今ようやく本部と思われるアジトを特定していた。
コスモスの小隊とラインズイールの小隊は彼らの逃走経路の封鎖が目的だ。貴族武装部隊が正面からアジトへと攻撃を仕掛け、そこから逃走を図るレジスタンス達を無力化する。イリウムに言わせれば陰気な役割であり、いつもならば戦闘を前に高揚する気分が落ちているのもそれが起因していた。
とはいえ、戦場においてその役割がベストと言えば、ベストなのである。貴族武装部隊の主力となるナイトホークスは砂上走行に特化したアウラで、接地圧設定やローラー駆動などがそれらを想定したものとなっている。
そのためこの土地では飽くまで平均水準を保つペイディアスではナイトホークスほど満足には動けない。それはアルメニア・アルスにとっても同様である。
またコスモスには超長距離狙撃を可能とするミネルアの存在がある。ブッシュと岩盤が多いこのタスタ荒原は彼女のアウラを数倍以上にも強力なものをしていると言っても過言ではなかった。
「……不満を持った民衆、ね」
「……どうかしたの? イリウム」
「いや、なんでもない」
おそらくこの地球上に国内全ての人民が納得のいっている国家体制は存在していない。当然だ。人は平等ではないのだから。
平等ではないから、人はこうして齷齪生きていく。よりより生活を得ようと必死になり、そして、進化していく。
平等を掲げた社会主義は怠け者ばかりになる。それは結果的に国自体の衰退を免れることは叶わない。
結局何が正解かなどということは分からない。平等が良いとも、不平等が良いとも結論付けることは不可能だ。
優紀はこの世界は百ある幸福を皆で分け合っているようなものだと考えている。中には十の幸せを得ることが人間が一方で五の幸せしか得ることが出来ない人間がいる。むしろ一の幸せも得ることが叶わない人間もいるだろう。
それは経済の巡りととても似ている。金というものの総量は決まっている。それを皆で取り合っているのが、今の世界のシステムだ。
これを変える手立てはあるのだろうか。このシステムを根底から変えられるような改革が起きる日は来るのだろうか。
「……なあ、優紀」
「何? イリウム。作戦行動中よ、無駄口は控えなさい」
通信機から聞こえた声がプライベート回線であることに気づき、優紀は切り替えながら相手を諌める。
「かーたいこと言うなって。どうせオレたちは補佐だろ、補佐。脇役は脇役なりにテキトーにやってりゃ良いんだよ」
これである。彼女らしいと言えば彼女らしいのだが、呆れに溜息を吐かざるを得ない優紀であった。
「……で、何です?」
「いや、あの少年はどうしてるかなって思ってさ」
「どうしているも何も……。命令に従って後方で待機しているのでしょう。あちらこそ特にやることもないのですから、ただ待ってるだけで……」
「そーじゃなくて、少年はどう思ってるのかな、ってさ……。優紀はさ、初めて戦場に立った時のこと覚えてるか?」
言われて、優紀は脳裏に初めてアウラに乗った時のことを思い出した。もう十年近く前になるが、今でも鮮明に覚えていることに少し驚いた。
「……まだまだ私は未熟みたいね。思いの外しっかり覚えてたわ」
「二十年くらい前のことなのに?」
「十年くらいです! 私まだつやつやの二十台なんで!」
「くっく……つやつやのって言っても、にじゅ」
「背中から撃たれたいんですか?」
「失敬。……いや、そうか覚えてたか」
「そういうイリウムはどうなんです?」
「同じだ。しっかり覚えてる。……忘れられる訳なんて、ないよなぁ」
初めて人を殺した時なんて。沈んだ彼女の声を掻き消すように、通信機からはノイズが走った。別回線が混入した証拠である。作戦開始の合図を聞き入れた優紀とイリウムは回線を切り、フェイクスとしてアウラに没入していった。
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オルレア帝国は中世欧州の習わしを色濃く受け継いている国家であり、政治を司る者は皇帝とそれらを補佐する貴族で成り立っていた。そして彼らを護る騎士となる人物も、やはり由緒正しき血筋を引く人間のみが就くことの出来る高等職であった。
つまり貴族武装部隊というアウラの小隊はその名の通り、オルレア帝国を統治する貴族らが騎士となり形成された部隊。
オルレア帝国の所持するアウラは全てが自国の製品であるナイトホークスのみである。これはこと砂漠において世界でも指折りの性能を誇っている。徴兵された庶民はこれに乗ることは叶わず、キャタピラ式の戦車や戦闘機に配属されてしまう。この貴族本位が帝国の主義であるが、前時代的と揶揄される所以であった。しかし凝り固まった思想と誇りを曲げることを彼らは良しとしていなかった。
オルレア帝国の歴史に刻まれるであろう今回の作戦には多くの貴族騎士たちが現場に赴いていた。目的はレジスタンスの制圧であるが、真の目的は政府による支配体系の維持なのだから自然な流れではあった。自らの力を誇示する必要があったからだ。本来は戦場に赴くことがないほどに高い爵位の持ち主であっても、この作戦には参加が求められていた。
故に確実な勝利だ。誇りを濁し、コスモスとラインズイールに手を借りての圧倒的な勝利。後方支援として待機する公子や公爵を危険に晒さぬ為に。
枢とアイリはそんな小隊と共に、後方で待機していた。
枢は緊張に摩耗しておいく神経を宥めるため、一度深く息を吐いた。どことなく、いつもより喉を通る息が熱く感じた。
既に枢とアイリを含む後方部隊は待機を命じられて二時間が経過していた。作戦開始の合図はつい数分前に通信を伝って挙げられたが、枢はもうそれから数十分も経っているかのように感じた。
後方支援部隊として待機、安全な配置。加えて戦況もこちらの圧倒的有利、出番が来ることなどほぼ有り得ない。そうカニスから何度も言われていたため、比較的肩の力を抜いて作戦に望んだ枢だったが、現実は違った。
戦場の喧騒というのは嫌でも枢のところまで伝わっていた。ネフィルのカメラアイが捉える戦場の光景は、遠方に爆発によるものと思われる煙炎が確認できる。地鳴りのような銃撃音や撃墜音も鼓膜を震わせている。さらにオープン回線として垂れ流されている通信機は、兵士の恫喝や怒号に悲鳴を発していた。
まるで命そのものを叫んでいるようだ。生命のやりとりという戦場で、彼らは必死に生き抜こうとしている。撃たれる前に撃つ、撃ち損じた方が命を落とす。そう言った刹那的で極めて特異な空間で戦う彼らはもはや枢が抱く想像の範疇とは別世界に生きていた。
「マスター。心拍数の上昇が見られます」
「分かってる、分かってるよ……」
自分も一度は実戦の経験がある? 類稀な才能がある? 彼女の死を体験してから覚悟は出来ている?
そんなのは所詮、餓鬼の戯言に近い幻想だ。
確かに枢は一度実戦を経験している。だがあれは成り行きの状況に選択した行動だ。だがまともに戦闘の経験を積んだ相手は無人機のみ。有人機を撃破したあの“所業”は枢にとってはただの無我である。そもそも、枢とってあれは夢に近いほど現実とは遠い出来事だった。
感情と感情のぶつかり合いに枢は耳を塞ぎたくなり、通信機のスイッチに指が伸びかけるが、それを必死に食い止める。
オープン回線は基本的に開くことが原則だ。言わばこの回線は敵と味方が意思の疎通を行える唯一の手段と言って良いほどで、これを塞ぐということは降伏や投降を無視するということと同等だ。そうなれば、諸条約に違反してしまう。
そして何より、今ここで枢が耳を塞いでしまえばそれは戦場から逃げるということに他ならない。未熟でも一度はした覚悟が、揺らいでしまいかねない。
「アイリは……」
どうしているのだろう。自分と年齢の程が変わらない彼女。枢よりも長く戦場に居続ける、枢と同じ子供の彼女。
やはりこんな喧騒の中でも彼女は無表情なのだろうか。何も感じないのだろうか。それとも彼女もやはり、戦場という場で震えているのだろうか。
そうしてカニスに倣ったプライベート回線の開く手順を緩慢に辿っていると、不意に、通信機からノイズが走った。驚きに枢は手を引く。
「貴族武装部隊、およびその友軍達よ。聞こえるか。フェデレ皇子殿下の命が惜しくば、貴殿らは――投降せよ」
突然の声明だった。声がオープン回線で今いる戦場全てのアウラに響き渡り、結果、兵士の喧騒ですら止めてしまった。
後方支援として待機していた五機のナイトホークスのうち一機が、もう一機のナイトホークスへと銃を向けている。本来長距離間で使用する筈の狙撃銃、その長い得物をコックピットのある胸部へと突き立てていた。
「貴様――ッ!」
残りの三機が一斉にライフルを謀反のナイトホークスへと銃口を合わせ引き金を引く――が、銃弾は射出されなかった。
「くそっ! 友軍規制か……!」
その一瞬の隙を突き、謀反のナイトホークスはライフルを連射していった。一切無駄のない、熟練された迷いのない動き。枢の身体が反応する暇もなく、視界ですら理解出来ないほどに速く、抜銃されたライフルは瞬く間に全て撃ち抜かれていた。銃の強烈な爆発がナイトホークスを襲う。
リロードに弾倉が音を立てて落下する。装填の終えた謀反のナイトホークスは再び“人質”へと銃口を向けた。腕や頭をもがれたナイトホークスらは憎々しげに眼を向ける。
「これは一体どういうつもりだ! 私を誰だと思っている!」
「動かないで頂こう! その汚らわしいその口も、何もかも! 私が一片の不審すらも感じれば、皇子殿下の命はないものと思え! そこの二機も同様だ、コスモスの諸君!」
見れば、アイリもこの事態に何もできずにいた。ペイディアスはライフルを抜くことすら叶わず、ただ臨戦を維持するため身構えることだけが、この状況で許されていた。
「ローウェル卿、貴様が……! 貴様だったのか……!? この貴族の恥さらし目がッ!」
「貴族の恥さらし……? ハッ、光栄だね。私にとってそれは、褒め言葉に等しいよ」
通信からは怒号が一機のナイトホークスへと向けられていた。しかしその駆り手――謀反者ローウェルは蟲が囀っていると言わんばかりに、受け流し、感情を逆撫でしていた。
だが怒りを爆発させることは叶わない。公子には今にも膂力な鉛玉が撃ち込まれようとしているのだ。皇帝の息子を危険に晒されている今、貴族騎士は指に力を入れることは出来る筈がなかった。
「仲間、割れ……?」
何が起きているのか分からないと言わんばかりに、枢はネフィルの中で独りごちた。