ロング・ナイフ・ナイト(1)
その日、ビートは珍しく昔の夢を見ていた。
失われたはずのものがそこにあり、終わったはずの日常を過ごしていることから、ビートはその夢に埋没することなく、夢と自覚しながらそれを見ていた。
懐かしい光景だった。
街外れの洞窟で、兄のウォンと二人で遊んでいた。いつもの喧騒に包まれた街とは違う誰にも知られていない、自分達だけの場所。
ここを俺達の秘密基地にしよう。
そんなことを兄が言い始めた。ビートはその提案に大喜びで賛成した。次の日から、彼らの遊び場はその洞窟が主な場所となった。
ビートの住む町は高い建物も存在しないため、その殆どが日の光に照らされる猛暑の町だったが、彼らが発見したその洞窟は涼しく快適な気温の場所だった。ただやはり洞窟であるため、地面は岩肌がむき出しで、薄暗ければ衛生的にも汚い。
だからまずは居心地を良くしよう。
比較的平らな場所に藁や葉を敷き詰めその上から布を被せてベッドにしたり、暖炉のように石を並べそこに火を点け灯りにしたりした。自分達でだんだんと出来上がっていく秘密基地、そこは彼らにとって自由の場所。
いつまでもこの基地に居続けたい。兄妹はそう思ったが、それは現実的に厳しいものだった。
貧困から街に住めなくなった民衆が集まる過密居住区、それがビートとウォンの住む街だった。
俗にいうスラム街。帝国政府からは存在しないものとして扱われ、国からの援助を受けられない孤独の街。市民権を持たないままそこに住み続ける彼らは、貴族からまるで国の汚物だと言わんばかりに見捨てられていた。
目を瞑るために貴族が建設した、都市とスラム街を隔てる巨大な壁。それを空に見ながらも、ビートとウォンはそこでの生活を余儀なくされていた。
商人やそれらの小間使い、売春に盗みに乞食……街では皆あらゆる手を尽くし金を稼いでいた。誇りや倫理など捨てて、例え汚れ仕事でもそれを請け負い稼いでいた。そうでなければ、生きていけないからだ。
そしてそれは、ビートとウォンとて例外ではなかった。
彼らの両親は食料を売買する商人だった。商人は街の中では高等な職であり、それに関しては恵まれていた。
だが決して裕福ではなく、父母と祖父母、ビートとウォンの六人を養うには厳しいと言わざるを得なかった。
ビートとウォンは早朝から親の仕事を手伝うために街中を駆け巡る。そうして喉が枯れ足が痛む日没頃が、彼らの仕事が終わるときだった。
それから兄弟は洞窟へと足を運ぶ。徐々に完成度を増していくその秘密基地に、ビートとウォンは言い知れぬ喜びを感じていた。
しかし、街に戻れば現実に戻ってしまう。
街の治安ははっきり言って劣悪だった。コミュニティという形は成しているものの、極度の貧困から犯罪は絶えなかった。盗みや殺人……そんなものは日常茶飯事だった。
加えて衛生面も悪い。滅菌の環境は整っておらず排泄物の処理も疎かであり、生命に必需である水自体がそもそも最低品質なのだから、当然と言えば当然だった。
貧困から餓死をする者、他人から命を奪われた弱者、そして疫病に侵され息絶える者……そんな死で街は溢れかえっていた。
そしてそんな環境に摩耗していく精神はビートとウォンの家族も例外ではなく、いつしか満足に働くことのできない祖父母を疎むようになり、家族といる時ですら心が休まる時はなくなってしまった。
だからビートとウォンは、より強く秘密基地を求めていた。
彼らにとってあそこは安息の地であり、言いかえれば楽園にも等しい場所だった。彼ら兄妹を癒す場所は秘密基地だけで、彼らは基地で過ごす時間を糧に生きてきた。
そんな基地で過ごしていたある日のことだった。
日がまだ完全に日没し切っていない、薄暗い空の下を誰かが歩いていた。恐らく灯りを目指してやってきたのだろう、まだ幼い少年だった。明らかに疲弊していて、また道中で転んだのか身体のあちこちを砂で汚しており、擦り傷なども見られた。
二人はその来訪者を受け入れたが、奇妙な点に二人は見合わせた。汚れてこそいるものの、その少年の衣服は質もさることながら、スラム街で見ることのない上品なものだった。
そうまるで、貴族のように。
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「通達の通り、これより本艦は作戦海域へと推進する」
薄暗いこのブリーフィングルームに、大凡二十名ほどのクルーが集まっていた。格闘訓練を積んでいる者たちなのだろう、多くの男達は隆々とした肉体を持っていた。
明かりが少ないのは前面に表示されたモニターに集中されるための配慮で、それを見つめるクルーたちの目に浮ついた空気は一切感じられなかった。
「作戦概要のオルレア帝国領地内におけるレジスタンスの武力制圧だ。オルレア帝国正規軍である貴族武装部隊、友軍であるラインズイール軍と協力してこれを行え。前線を貴族部隊が先陣する。前線と後方支援に別れ、我々はこれの補佐に当たる。くれぐれも先行しないように」
「あいつらの顔を立てろってことか」
イリウムが臆面もなく、ブリーフィングルームに響くほどの声で言った。
今回、コスモスおよび国連所属のラインズイールはオルレア帝国の法令改正と国連への加盟を条件に共同戦線を張る形となった。単純に言えば、このままではレジスタンス“如き”に国が傾いてしまう貴族国家に脅しをかけたということになる。
ただこれを前面に出してしまえば国としての面子は立たず、貴族として国民への示しがつかない……そう上層部は考えているのだろう。従ってコスモスとラインズイール両陣営は飽くまで作戦の補佐という形で収まっていた。
イリウムへと向いたクルーの視線を戻すため、カニスは一度咳払いをし、作戦概要の読み上げを続けた。
「なお本作戦の活動領域は砂漠地帯と岩盤地帯が主となり通常とは異なるイレギュラーな要因が存在する。また我々はこの土地に関して素人だ。ブッシュなどの地形を把握している者は少ない。よって各自ビート・ヴァイラルの指示を仰ぐよう留意しろ。この後配る資料も熟読しておくように。
そして我々コスモスから投入する戦力は、イリウム・クリスタルのアルメニア・アルス、折瓦夜優紀のミネルア、アイラ・イテューナ、リドリー・マスカル、ダン・レイニスのペイディアス三機。そして……久遠枢のネフィルとする」
「僕ですか!?」
「そうだ、その為に訓練を積んできた。……とはいえ君は後方支援だがな。イリウム、折瓦夜、リドリー、ダンの四名はラインズイール軍と共に前線の援護を行う。到着次第、ポイントB204にて待機。その後は貴族部隊の指示系統に入れ。そして久遠とアイリは万が一の事態――つまり“シュペルビアのネフィル出現”に備えてアイリと共に貴族部隊とバックで控えていてもらいたい。
――作戦概要は以上だ。本艦はあと50時間後に作戦海域へと到着する。では、健闘を祈る」
その言葉を皮切りにクルー達は立ち上がり持ち場へと向かっていく。
そんなクルーの波を遮るかのごとく、立ち上がれない者もいた。枢とビート……胸に思う気持ちさえ違うものの、二人は表情に影を落としていた。
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「むしゃくしゃするな、プライドだけは無駄に高いってやつ。大っ嫌いだね。なんだってそんな奴らの手助けなんか」
ブリーフィングルームから出るなり、イリウムは優紀に不満をぶちまけていた。
元々オルレア帝国は他国から評判が良い国家とは言えなかった。生まれ持った家柄から既に社会的優位が決まっているというのは、現在でも当たり前のことである。特に富に関しては顕著である。真の意味での平等は図れない。
ただそれでも、権利というのはその殆どが平等である。
だが、このオルレアという国は違った。文字通りの貴族主義。貴族と庶民では人間として持っている権利が既に違っているのだ。庶民では貴族になる術はなく、庶民は庶民としての一生を甘んじなければならない。
今回のコスモス介入で多少はそれら法令が変わる。だがそれでも、貴族優位という事実は揺るがないのだ。
今自分たちが行っているのは結果的に正しいことだということはイリウムとて分かっていた。法令を変更させ、国連が監視を行いそれの実現を義務付けさせる。かつての日本がそうであったかのように、オルレア帝国という国家もきっとこれで変わるだろう。
しかし腐った精神を持った貴族という生き物は健在のままで、国の上位に居座ることは変わりがない。その点が、イリウムにしこりを残り、苛立ちとなっていた。
「気持ちは分かるけど……やめてよ? レジスタンスじゃなくて貴族部隊に銃向けるとか」
「そんなことはやらねぇよ。仕事は仕事だ。きっちりやるさ。ただ気乗りはしない、それだけだ。……ああでも良いかもな。お前のヨルムンガンドならこっそり撃てるんじゃね? 一発くらいあいつらの尻に撃ち込んどいてよ」
「冗談でもそういうこと言うのはやめなさい。……全く」
優紀が嘆息すると、ブリーフィングルームの扉が開いた。中から出てきたのは目を伏せ暗い表情をした枢だった。
途端、にっかりと口角を上げて枢へと近づいていく枢。止めようと優紀が声を掛けた時には、既にイリウムは枢の肩へと腕を回していた。
「うわっ! ……ってイリウムさんですか!」
「悪いか少年ー。アイリじゃなくて残念だった? あ、それとも優紀か? エロいもんな、この胸は」
「そんなんじゃありませんよ!」
「触らないで下さいよ!」
二人の突っ込みに耳をかっぽじるイリウムと、胸を庇うように抱く優紀。
「少年、不安なのか?」
「え?」
不意に胸中を言い当てられ図星だった枢は二の句が出なかった。
そう、不安だった。初めて実戦に出るということ。それは自分の命を懸けて戦場で出るということで、想像なんて容易く出来るものなどではないだろうが、それでもきっと……とても大変なことだ。
もし戦場なんて場所に立ったら自分は、緊張で気が狂ってしまうかもしれない。
「まあ安心しろって! どうせお前の出番なんて来ないよ。後方支援って、あれ殆どオルレアの都市部まで下がってるんだぜ? 作戦領域から相当離れてる。まずあそこに戦火がいくことはないよ。本当に万が一だ。あそこまで火の手が行くってことは、オレらが押された時ってことだ。それこそ万が一にもあり得ねえ。だろ?」
「……でも、シュペルビアが現れるかもって」
「カニスさんはああ言っていたけど、可能性はきっと低いわね。そもそも彼らがシュペルビアが関与していたとしても、彼らが来る理由はないもの。きっと枢君に一度実戦に出て貰いたいのよ。例え後方支援でも良いから。実際、それだけでかなり違うと思うわよ」
「そんなものなんでしょうか……」
「そんなものなんだよ! それにアイリと一緒にいるんだろ? なら問題ないだろ。あいつはあんなちんちくりんだが、アウラの腕は一級品だ。プロセルピナが修理からまだ帰ってこないのが残念だが……まあ、そこは仕方ない。ペイディアスでもあいつなら十分だろう。元々、プロセルピナだって一世代前のアウラなんだしな」
「アイリ……」
金髪碧眼の少女、アイラ・イテューナ。見た目は枢の妹と変わらないほど幼いというのに、彼女はコスモスで皆に頼られるエースパイロットだ。
初めは無表情でまるで機械のような子だと思っていた。しかしその認識はユスティティアに来てから変わっていった。もしかしたら彼女は感情の表し方が下手なだけで、普通の女の子と変わらないのではと。それこそ、クマのキーホルダーに喜ぶような、そんな女の子と。
「アイリは、どうしてコスモスにいるんです? まだ15だってのに……」
気が付けば、枢の口からはそんな疑問が出ていた。それを聞いた二人は罰が悪そうに互いを見比べた。
「……この際だから言っておくがな。オレ達クルーは基本的にお互いの過去を知らない」
「そう、なんですか……?」
「そうだ。オレもアイリがコスモスに来るまで何をしていたかなんて過去は知らない。優紀のことは知らない。それがコスモス内での暗黙のルールだ。まあ、艦長のフィーナかコスモス総括補佐のカニスあたりかね、知ってるとすれば」
「あの二人は文字通りコスモスの頭脳だからね」
「オレ達の嫌いな食べ物まで知ってたりしてな!」
確かに、個人の過去を漁るというのはいい趣味ではない。枢とてヘルズタワー事件を含め、過去を詮索されれば腹も立てる。それは既に高校に上がるまでで体験してきたことだ。
興味本位で無神経に人の領域へ土足で入り、引き出しやらをまるで泥棒のように暴き立てる。あれは罵倒されるのともまた違う、言いようのない怒りが込み上げてくるものだ。
だからきっと、そのことを分かっていて、イリウムも優紀も無意味に聞きたてないのだろう。
だがそうと分かっていても、枢はアイリのことが気に掛かっていた。過去を知りたいと感じていた。きっと元々は普通の女の子であったアイリが、どうして感情を表に出せなくなってしまったのか。なぜあの年で戦場に身を置いているのか。
だが世界を知らない枢は、漠然とすら想像できないのだった。そしてそのことが少し、悲しく思えた。