ハーフ・スクール・ライフ(4)
「……これが、シミュレーターですか?」
枢の目の前にある、球体をした大きな代物。ゲームセンターにあるような中に乗り込んで操縦する類のものなのだろうが、外見の装飾は無機質で近寄りがたい雰囲気をもっていた。剥き出しのコードやパネルが武骨さを強調している。
これに枢は今から乗り込み、戦場の疑似体験を行う。それが今回の訓練であった。
「そうだ。MFG社製の最新式仮想現実訓練装置。現在軍で最も普及している。気をしっかり保てよ。フェイクスであるお前が使うと、どちらが現実が分からなくなる」
「……冗談ですよね?」
「半分な。これは普通の人間が扱えばただフェイスマウンドを利用した全面視覚のディスプレイなんだが、フェイクスが利用するとまた違ったものになる。神経系に干渉する……まあ、やってみれば分かる。とにかく、痛覚こそないが、視覚のインパクトは一級品だ。油断していると心臓が喉から飛び出るぞ」
緊張から唾を飲みこみながら、枢は疑似コックピットへと乗り込んだ。中はコンソールの類が若干ネフィルと異なり戸惑うが、カニスの指示に従い中身を把握していく。
『そこで脇にあるヘルメットを装着してくれ。あとはこちらで操作する』
カニスの声に従い、枢はヘルメットを手に取り頭に被る。透明なマスク越しにコンソールが見える。フルフェイスのタイプでありながら息苦しさや窮屈さは全くなかった。しかし、口で息をするたびに前が曇ってしまう。その辺りは、本物より手が抜かれているのだろうか。
だが、それは枢の見当違いであると分かった。
ヘルメットはフェイスマウンドのシステムを利用したディスプレイを兼ねていた。その為、戦場の視界は直接ヘルメットから映し出される。今はひたすらに地平線が広がる、方眼模様の地面に立っていた。曇りは映像が映し出された途端に見えなくなっていた。
『気分は悪くないか?』
「はい、大丈夫です」
『では、今からお前のフェイクス術式に干渉していく。異変があったらすぐに申し出ろ』
「りょ、了解です」
一瞬、全身に痺れが走る。それは膝の痛みに酷似していた。一瞬鋭く痛みは駆けた、かと思うと直ぐに鈍い沈んだ痛みへと切り替わった。
これは初めてネフィルに搭乗した時と同じ。カニス曰く、外部端末と接続しフェイクスとして覚醒する際、神経系に干渉するために何らかの違和感を感じるのだという。その違和感は人それぞれで、枢の場合はそれが痛覚だった。
痺れが馴染んだ頃にはフェイスマウンドの景色を見ていたという感覚は薄れ、まるでこの空間に立っているように感じられる。アウラに搭乗した際と同じだ。続いて手足の馴染む感覚。気が付けば自分は鋼鉄の巨人となっていた。
「これは……」
手足を動かしながら、機体データを確認する。今枢が搭乗しているのはネフィルではなく、ペイディアスであった。細身でもなく筋骨隆々でもない、標準的なマニピュレーター。
「どうだ? 問題は……なさそうだな。ではこれよりアウラ搭乗基礎訓練F式を開始する。こちらの指示に従って順にアウラを動かすように。ではまずそのまま一歩右足を踏み込め」
自分の身体ではなく、アウラを感じ取って動作させる――。そんな偉業を為す。枢は意識集中のために一度息を深く吸った。
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「オルレア、ですか?」
次に向かう先を告げられて、キョウヤは思わず聞き返してしまった。なぜならそこは内乱が起こっている極めて緊張状態にある国家であり、おいそれと他国の軍隊が干渉していい場所ではないからだ。
だが、次のギリアムの言葉でキョウヤは納得する。
「次にコスモスはそこへ行くらしい」
「えーと、貴族主義の国でしたっけ。内乱中の」
「さすがの座学ドベ常連のキョウヤ上級准尉でも知ってるか」
「ドベじゃないですブービーです」
大して変わらんだろうと苦笑しながら、ギリアムは煙草の煙を吐き出した。天井に溜まる煙を見ながら「あそこは時代に取り残された、まさに旧世代の国家だ」そう憂いを感じさせる声音で言った。
「かつての大戦で資本主義国家であるラインズイールが一応の勝利という形を収めた結果、それに従うよう世界は資本主義に傾いていき、かつての共産主義や社会主義は成りを潜めていった。
ただそんな流れを意に介さないかのように自国の体勢を変えない国家は多かった。その一つがオルレア帝国だ。
あの国は今では極めて稀有な、生まれ持った家柄が全ての階級を決定づける貴族国家だ。血筋こそ全てであり、貴族が民衆を支配する。貴族が富を所有し政治においては何よりも優遇され、庶民は労働を義務付けられながら、平等という名の下に自由と財産を与えられて生きていく。
だがそれも名目でな。実質庶民に割り振られるそれらは十分であるとは言えなかった。元々あそこの国は砂漠や荒野を中心としたあまり土壌に恵まれていない土地で、食料や資源がお世辞にも豊富とは言えなかった。
そんな状態で貴族だけは楽して裕福に暮らしているんだから、まあ、民衆の不満は募った訳だ。訴えも全て拒否され、貴族を名の下に力づくで抑えて言った結果……内乱が起きた」
「……反抗組織ですか」
「そうだ。既に十年に近くは内乱が続いている。ただ所詮は民間の、貧困な民衆の組織だ。武力はたかが知れていて、アウラを保有する正規軍に適うことはなく……まあ傍から見て、不毛な抵抗運動だった。
しかしここ近年でその戦況は一変した。レジスタンスにも投入されたんだ――アウラが。それもどこから仕入れたのか、正規軍のものだった。恐らく内通者が居たんだろう。正式には明かされていないがな。貴族主義に異を唱える貴族がいたという訳だ。
正規軍の主力は第三世代砂上戦特化型アウラ【ナイトホークス】……砂漠の鷹って訳だ、皮肉が効いてるだろう? 正規軍のカラーリングは白と金を中心としたものだが、レジスタンスが使用していたものは黒と赤に塗装されていた。分かりやすい反抗の意思だ。
そうしてアウラの導入により国家内での小競り合いは無視できない規模にまで紛争は発展してしまった。そこで世界の警察、コスモスの出番という訳だ」
「つまりレジスタンスを制圧するってことですか?」
「正確には少し違う。まあ武力介入によるレジスタンスの無力化というも大切な任務ではあるが、最も重要なのは水面下での根回しの方だろうな」
「根回し?」
「要は国家の体勢を変えてやるのさ。根本の貴族主義崩壊……はまあ難しいだろうが、それでも今よりは国民に権利を譲渡させるよう法律を作り替えさせる。コスモスは世界で最大勢力をスポンサーにつけているからな、それぐらいの圧力は容易いだろう」
「はは、まるでヤクザみたいですね……」
ヤクザという聞き慣れない言葉にギリアムは首を傾げる。生粋のラインズイール人であるギリアムにとって、年齢の約半分を日本で過ごしていたキョウヤとはこうして会話において齟齬が生まれることはままあった。
「……ああ、ジャパニーズマフィアか。まあやってることは変わらないな」
それでも、キョウヤとは付き合いが長いことからギリアムはあまり気になってはいない。元々ラインズイールは多民族国家であるし、阿州の閉鎖された民族という訳でもなく、日本は特に最近人気であったりで知名度は高いため苦は少ない方だ。
苦笑しながら、ギリアムは灰皿に煙草を押しつけた。
「……で、ティアラはまだ戻らないのか?」
暇潰しも兼ねてと、講義のような講釈を垂れるものの、まだ待ち人は来なかった。既に煙草は三本目を吸い終えており、既に十分以上ここで座り続けていることが分かった。
「はい。泥が髪についたとかなんとか」
「訓練すれば泥くらいつくのは当たり前だろうに……。それが嫌だったらそこらの女性士官を見習ってばっさり切り落とせば良いものを」
「ギリアム大尉、それアイツに言うとすげー怒りますよ」
「デリカシーがないって?」
「はい」
がっくりと肩を落としながら胸ポケットをまさぐるギリアム。
「ふぅ……これで四本目か。今煙草高いんだがな……」
「じゃあ吸わなければ良いじゃないですか――あ、来ましたよ、ティアラ。行きましょう、大尉」
「何……?」
立ち上がるキョウヤとまだ火を点けたばかりの煙草を何度か見比べる。喫煙者ではないキョウヤはギリアムの心境など汲み取らず、それどころか急かす始末だった。少し逡巡したギリアムだったが、今日一番の深い溜息を吐いて灰皿に押しつけるとキョウヤに倣ってソファーを立った。
そして恨めしく睨むギリアムがティアラに軽く文句を言われたのは、そのすぐ後だった。
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荒野の広がる景色は絶え、枢の視界は真っ暗な闇に包まれた。
一息吐きながらヘルメットを外すと、今までとは打って変わって窮屈なコックピット内。シミュレーター用疑似コンソールが枢の周囲を固めていた。
先ほどまで自分は砂吹雪舞う荒野に立ち、土臭い臭いを嗅いでいたが、自分が今いるのはユスティティア内のシミュレーションルームである。あまりの現実味に荒野に立っている自分が本当だと感じてしまうほどに、仮想現実を利用したシミュレーションは高度な技術で出来上がっていた。
訓練用コックピットから出ると、モニターを見上げていたカニスが枢へと向き直る。相変わらずの堅い表情であったが、それが他意のないものであると既に分かっている枢は、初めほど緊張することはなくなっていた。
「上出来だ、久遠枢。これなら実戦でも砂場に足を取られるなんてこともないだろう」
「はい、ありがとうございます」
「……まあ、特有の緊張状態からミスを犯さなければの話だが。お前は類稀なる才能を持った人間であることは間違いない。だが、慢心はするなよ。戦場では油断と慢心が死を招く」
「了解です。……でも、乗る機体はネフィルじゃなくペイディアスで良かったんですか?」
細やかな疑問。今回の訓練で枢が搭乗したペイディアスだった。
仮想現実を利用した基礎的なアウラ操縦訓練。まずは歩行から始め、次に走行、スラスターを使っての装甲、障害物の回避などを順々に行っていった。そしてアスファルトや足場の悪い湿地帯や砂漠帯など様々な状況を想定してそれらは行われた。
結果全ての過程を苦も無くやり遂げ、元々EE社での戦闘でアウラを動かすことが出来ていた枢は意味の有無を疑問に思った。しかしこういった物事は一度冷静いに落ち着いた状態でやり直すべきことであるらしく、整理も兼ねてこのような訓練は必要なのだという。
枢の疑問に、少し罰の悪そうにカニスは苦笑する。
「問題ない……というのも実は、ネフィルのデータを抽出が現状不可能に近くてな。シミュレーションに利用できるよう取り込むことは出来なかったのだ。かと言ってむやみにネフィルを外へ出し、歩かせる訳にもいかないからな。平均的に高水準の性能を持ったペイディアスに代用してもらったわけだ。……何か他に疑問はあるか?」
「いいえ、特には」
「よし、なら本日の訓練は終了だ。では次の呼び出しがあるまで自室で休んでいてくれ。作戦室の場所は分かるか?」
「一応……地図もあるので」
「なら良い。まあ分からなければ誰か人を呼んでくれ。それではご苦労だった」
そうして自室に戻ろうとする枢の足取りは、慣れないことをしたためだろう、少し重く感じた。