コスモス(4)
「今回の作戦について、何か言うことはあるかね? ギリアム大尉」
木造の大机に両肘をつきながら男はそういうと、手元の灰皿に葉巻を強く押しつけた。既に部屋は煙で薄汚れていて、その男が長い間喫煙していたことをギリアム・オスカーは部屋へ入ってすぐ理解した。そしてこの男にそうさせてしまった原因についても、理解していた。
「申し訳ありません」
だからギリアムは大人しく頭を下げた。目の前に座る白い髭を生やした老害が、ろくでもない理由で怒りに皺を寄せていることも分かったうえで、この場を収める為にギリアムはそうした。
「私が聞きたいのはそんな言葉ではないのだよ。分かるかね? 何故ああいった状況に陥ってしまったのか……それを君の口から聞きたいのだ」
「……中佐にお送りした報告書の通りです。シュペルビアのマリオン3機にペイディアス1機、嗷騎砲戦仕様を1機失いました。そして、あのネフィルにペイディアス3機を残して、全てが撃墜されました」
「そこだよ、私が腑に落ちないのは。何故貴官は護衛対象である……つまりは味方であるあの機体にこちらは損害を受けている? 聞けばあれに乗っていたのは民間人だそうじゃないか。民間人相手に、ラインズイール正規軍を率いる部隊長である君が、御し得なかったというのかね?」
「それは……」
「私は君に期待していたのだがね。非常に残念だよ」
「……申し訳ありません」
そうして、ギリアムが煙草臭く息苦しい個室から解放されたのはその数十分後であった。
コスモス、日本軍、ラインズイール軍の合同戦線によるネフィル回収作戦……その目的は無論ネフィルの入手に他ならないが、日本軍とラインズイール軍においては別の目的があった。
まず、日本軍は嗷騎シリーズの戦闘データ収集である。世界各国の武力増大により日本も自衛力を高めるためアウラの所持を余儀なくされたが、所詮はその程度であり、日本国内でアウラが必要とされるほどの戦闘は稀である。そのため必然的に戦闘データが不十分となってしまうため、今回の作戦は日本国軍にとって好都合であった。
次にラインズイール軍はコスモスとの繋がりをより強くすることが目的であった。直接的に言えば、コスモスに対し“恩を売ること”を目論んでいた。コスモスは非常に特異的な組織であり、国連から与えられた特権も数多くある。その上多くの国家、企業から類稀なる支援を受けているため、その存在自体が優遇されていると言っても過言ではない。そんなコスモスと癒着を図ろうというのがラインズイールの目論見だった。
だが、それは失敗に終わった。結果的にネフィルは無事コスモスに回収されたとはいえ、ラインズイール軍がその成功に貢献したかどうかは、難しいところであった。結局はコスモスらの補助という形に収まってしまい、足りない人手を補った程度の戦績でしかなかった。
事実直接ネフィルの回収を行ったのはコスモスであるし、脱出を促したのもコスモス、死神を足止めしたのもコスモスである。ラインズイール軍のやったことと言えば回収地点の護衛。それも結局失敗に終わっている。
そのことを責めたてる為だけにギリアムは本国へと呼び出されていた。現場に居合わせることのなかった上層部は信じていないのだ。……あの日見せた、ネフィルの悪魔のような姿を。
確かに、搭乗者は民間人であったという。アウラの操縦経験も皆無で、あの日初めてコックピットに座ったということも聞いている。
だが、そんなことは俄かに信じられない話だった。否、例えコスモス所属のパイロットであったとしても、あの異質さは変わらない。まるであの、悪魔か獣が乗り移ったかのような暴力的な戦闘は――。
「大尉? どうかしたんですか?」
呼ばれ、それで我に返ったギリアムは慌てて落ちそうになった灰を受け皿に押しつけた。あの老害が吸っていたような高級品ではないが、ギリアムの焦燥を落ち着かせるには有難いものだった。
「ああ、すまない。少し考え事をしていた」
「そうですか? なら良いですけど……」
怪訝に目を細めていた少年――キョウヤ・アマツキはソファーへと座りなおした。その際片手で持ったコーヒーを零しそうになり、慌てて口を近づけ啜る。
「……怪我、大したことなくて良かったな」
キョウヤは右腕に包帯を巻き、肩から吊るしていた。これは先日のネフィル回収作戦にて、ネフィルに飛んだマリオンのレールガンから庇ったことで負った傷……。人を守ったことで負った傷はキョウヤという軍人にとっては誉だった。
「そうですね。あとは日本へ帰って、もう一度診察してもらってそれで終わりですかね。もう痛みもないですし、邪魔なだけっすね」
自慢げに口角を上げてキョウヤは応える。
ギリアムらは再び日本に渡らなくてはならなかった。ラインズイールへは上司からの“機密指令”を受け取る為に戻っただけであり、すぐに次の任務へ就く必要があった。その内容は知らされていないが、それが任務であれば従わなければならないのが軍人だった。
そろそろ迎えが来るはずだが……と、ギリアムは吸い終わった煙草を灰皿へ投げ入れると腕時計を覗きみる。
「それにしても、ティアラはまだ戻らないのか。たかがトイレにどれだけ掛かっているんだ……?」
「大尉、それアイツに言うとすげー怒りますよ。デリカシーがないって」
「はは、そうか、お前らはいつも喧嘩してるのはそういうことだったのか?」
「なっ! いや、ちが……わなくはないですけど……。ていうか! 大尉に笑われる筋合いありませんよ!」
「阿呆。俺はこんなこと女性の前では口が裂けても言わん。これでも紳士的でナイスミドルなギリアム大尉で評判なんだ」
わざとらしく気障に笑うギリアム。
何か反論をしようと口を開いたキョウヤだが、事実ギリアムは女性士官の間で結構な人気があることを思い出し、それは呑み込むしかなかった。とは言えその振り上げた拳を降ろす気にもならず、頭の中では必死に上司へ投げる言葉を探していた。
「……あんなちんちくりんでも、大尉は女性として扱うんですね。尊敬します。奥さんに言いつけますよ」
「悪かった。それは勘弁してくれ……」
一変して頭を下げるギリアムの後ろで、両手をハンカチで拭きながら現れた女性士官の姿が見え、キョウヤはソファーを立ったのだった。
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枢がフィーナからどのような説明を受けたかを聞き、何度か頷くと、優紀は話し始めた。
コスモスが無所属の軍隊であること……それは変わらないが、コスモス自身が能動的に戦闘を行うことはないらしい。コスモスの設立、行動における基本理念がアウラ戦争の終結である為、シュペルビアを中心としたテロ組織の壊滅、また民族紛争を絶つことが主な任務だと優紀は言う。
そのシュペルビアとは、現在中東アジアを中心に姿を見せている大規模テロリスト集団である。詳細においては知識外だったが、枢もニュースなどで一般人程度の知識は持っていた。
企業の有する生産工場が比較的ターゲットになりやすいことから彼らの目的はアウラ産業の混乱を招くことであることが確かだが、その行動は予測しがたく、正体不明の組織だとニュースでは語られていた。コスモスとしても彼らの正体ははっきり掴めてはおらず、既に長い間対立し続けていると優紀は語った。
かなり大規模な組織であり、一介のテロリストから一線を画している。彼らの主戦力であるマリオンはどの企業、どの国家にも登録されていない所属不明機であり、かのアウラはシュペルビアを象徴するかのような存在だった。
だがそれらは一般的な、表向きの情報である。少なくともシュペルビアの目的ははっきりしている。コスモスと同じ、ネフィルの入手……それがシュペルビアの目的だという。しかし結果、二機あるネフィルはコスモス側だけでなくシュペルビア側にも渡ってしまった。
今まではネフィルを手に入れるためにテロ行為に扮して行動していた彼らだが、今後どういった動きになるのかは予測が難しいというのが現状だった。
「そしてシュペルビアは、あのヘルズタワー事件を引き起こした集団でもあるの」
「な……! それって……」
「そう、枢くんの家族を殺して、君の脚を奪った張本人」
瞬間、枢の中でどす黒い何かが渦巻く。自然と体温は上昇し、心なしか息苦しくさえなっている気がした。その原因が、どういった感情であるかは枢には分からない。
「あいつらが……」
枢の黒目に何かが混ざっていくのを確かに見ながら、優紀は頷いた。
しかし枢はすぐに首を振る。それはまるで自分の中に漂い始めた何かを振り払うかのように見えた。
「……それが一体なんだっていうんです?」
「いえ、特に深い意味はないわ。ただ知っておいた方が良いと思ってね……貴方から大切なものを奪ったのは誰か」
「知ったからって、そんなのが分かったって……僕は……」
「分かってる。だから君に彼らと戦うために私達の仲間になって、なんて言わないわ。本当にただ、知っておいた方が良いと思ったから話しただけよ。……私が、そうだったからね」
そう言って苦笑する優紀に、枢は少し驚きに目を開いた。今までとは打って変わり、憂いを帯びた表情を見せたため、少なからず、不意を突かれてしまった。
それはどこか、枢の胸に突き刺さった。遠い過去に忘却した何かと被るような……。
最後の一口を飲んでカップを置くと、優紀は腕時計を見た。
「そろそろ、良い時間ね。じゃあ最後にもう一つ、枢くんが私達に協力してくれた場合の報酬なんだけど――」
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「――失礼します」
フィーナが独り、ビスケットを咥えながら手元の資料に目を通していると、部屋に渋い男の声が響いた。すぐにそれが見知った人物のものであると分かると、扉の施錠を解除し招き入れる。
現れたのは白髪交じりの短髪と髭を携えた老翁だった。しかしその身体は老躯とはとても思えないほどに鍛え上げられていて、制服の下から押し上げる筋骨がそれを物語っていた。
「只今戻りました、艦長」
「ご苦労様ー、カニス」
資料に視線を落としながらおざなりと言ったように労いの言葉をかけるフィーナ。こういったすげない態度を取ることはフィーナにとっては珍しく、それだけに今彼女が非常に不機嫌な状態であることを長年の経験からカニスは悟った。
何があったかを聞くか迷ったが、カニスは会話の中からある程度推測立てればいいと結論付けた。
「こちら、マリオンの装甲破片から得られたデータです。M.F.G.の物と、ワイズマンの物……あとでお目通しのほどを」
「ありがとー」
「……それで、ネフィルの件ですが、進捗のほどは?」
その言葉を聞いた途端、咥えていたクッキーが噛み砕かれる。資料にぽろぽろと粉が落ちるのがカニスは気になったが、敢えて何も言わずフィーナの言葉を待つことにした。
「それはどっちの? ネフィルの調査? それともパイロットの件?」
「どちらもです」
そうして現状を話すフィーナの口調はやはり不機嫌さその物で、押している時間に焦りを感じているようだった。
まず、ネフィルの調査において、恐らく現状より詳しいデータを取ろうとするならば枢の協力が必要であろうというのがメカニックの相違であった。とにかくこちらの干渉を受け付けず、外部から情報を抽出するのが非常に困難なのだ。例えるならばパスワードの分からない金庫をひたすら弄り倒しているようなもので、遅々として調査は進まない。
だが、枢の勧誘も良い傾向にあるなどとはお世辞にも言えない状況だ。今は優紀が説得に向かっているものの、どうなるかは分からない。
「そうなると、カナメ・クオンの勧誘は必須なのでは? もし断るようなら、実力行使に及ぶべきです」
「…………ま、それは出来るなら避けたいところだよね」
1人の犠牲により10万人の命が救われる……このような状況に立たされてしまったらどう選択すればいいか。彼女たちは考えるまでもなく、その問いに対する答えは持っていた。
命は決して平等ではない。もし失うことで100万の命が潰えてしまう命があるのなら、10万の命を犠牲にしてでも救わなければならない。犠牲を払わねばならないものの、そうすることで結果的には正解の行動であると言える。
今回の件はまさにそれである。枢という一人の少年の人生を犠牲にすることでこの戦争を終わらせることが出来るのであれば、それは正しい選択であるのだ。
「でも、多分大丈夫だよ」
「何故そう言い切れるのです?」
「簡単なことだよ。彼は戦争を憎んでいる、恨んでいる。怯えているのではなく、攻撃的な感情を抱いているんだよ。それは殆ど、私達と同じ。ただ彼には理由がない。アウラに乗って、アウラを殺し尽くしたいと思っているにも関わらず、その行動に結びつける“良い言い訳”がないだけ。落としどころさえ着けてしまえば、時間は多少かかるかもしれないけど、きっと彼はアウラへ乗ることになる」
「……というと?」
「彼には由衣っていう妹がいてね。ちょっと、彼女に彼が動く理由になってもらえれば、それで良いんだよ」