コスモス(3)
「ああ、もう……ビートはホントに馬鹿だねえ……」
格納庫を後にイリウムと別れてから優紀が艦長室へと入った時、フィーナは三白眼でビートに問責をしていた。事態を把握できず、入り口で立ち止まり目をぱちくりする優紀。
「うるせぇな……いっ、優紀」
「……何ですか、その顔は」
「聞いてよ優紀~!」
大机を飛び出し優紀の豊満な胸へと飛び込むようにフィーナは抱きつくと、つい今しがたこの部屋であったことを話し出す。
他でもない、枢との問答である。ビートのお蔭であれ以上話を続行することが困難となってしまい、結局事情の説明は不十分なまま終わってしまった。加えて彼を仲間に引き込むという目的がある上では、彼の中の心象としては間違いなく芳しくないのが現状だろう。
フィーナは優紀へと捲し立てるように話す。身振り手振りを交え時には笑い、時には怒りと感情がころころ変わるその様子は本当に年相応にしか見えなかった。
初めはただ相槌を打ちながら聞いていただけの優紀だったが、フィーナの話が進むにつれて表情は硬くなり、やがて優紀までが非難するように目を細めビートを睨みつけていく。ビートはそれを視界に入れまいと首を横に回していた。
「さぁて、仕事に戻ろうか。先方へ送る試作機の実戦データに視察結果の報告と……おぉそうだ今回の件もあったなぁ! いやいや忙しいわ!」
やがて部屋を包む空気に耐え切れなくなったビートは、優紀が咳払いをしたのを切っ掛けに声を上げた。やけに上ずったその声音には不自然を感じるのを禁じ得ない。
彼にまだ責務が多く残っているのは事実だが、あまりにも白々しい、逃げに等しい退室に二人のなじる視線は強くなっていた。そんな二人の視線を受けながら身嗜みを整え足元の鞄を手に取り、二人へ敬礼のように右手を上げるとそそくさと部屋を出て行った。
そして二人は顔を見合わせ、同時に溜息を吐く。
「まあ、大体事情は分かりました……。幸い私は次の出撃まで暇がありますし、彼のところへは私が行くとしましょう。艦長はこれから格納庫へ行くのでしょう?」
「うん。ネフィルのこと殆ど分かってないからねぇ。メカニック達と協力して少しでも調査を進めなくちゃ……とは言っても全然進む気しないんだけどねー! なんか枢くん曰くAIが搭載されてたらしいんだよねー。そんなものどこにも見つからなかったっての!」
「AI……人工知能ですか?」
「恐らく。でも私達の知ってるそれとは全然違う代物なんだろうね。枢くんはAIって言ってたけど、というか思っていたけど、実は全く別の物だって可能性もあるくらい。基層概念を取り払ってあれは扱わないと……」
沈んだ溜息を吐く。なんだか今日は溜息が多い日だ、なんてフィーナは感じた。だがそれも仕方のないことだった。
「ま、そういうことだから枢くんのこと頼むわ!」
「了解です。そちらも頑張ってください」
優紀は敬礼をして退室しようとフィーナに背を向ける。しかし背後から呼び止められる言葉に首だけで優紀は振り返った。
「あと私の勘だけどね、彼は年上好きだよ。だから優紀がその胸で迫ればきっとイチコロ!」
「セクハラで訴えますよ!」
胸を隠しながら叫ぶ優紀を見てけらけらと笑うフィーナ。憎たらしげに無言の圧力を掛けてから、今度こそ優紀は艦長室を後にした。
優紀の背中を見送ったフィーナは、懸念に独りもう何度目かの溜息を吐いた。朱い翼を持ったネフィル……自分にその力を御し得るのだろうか、と。
/
枢は部屋に戻り、一人ベッドに沈み横になっていた。艦長室でのフィーナ、ビートらとの問答から一時間近くは経っているが、眠りに落ちている訳ではなかった。むしろ眠れてしまえばどんなに楽だっただろうと思う。
頭を支配するのは、解答を見つけることのできない錯綜した思考。EE社に迷い込んでからのこと、今になって分からなくなった自分という存在、ビートから糾弾された言葉の意味……そして、これからの自分のこと。
枢は艦長室で行った言葉に非があるとは思えなかった。不幸自慢と言われようが、自分の人生において幸せだと感じられた時はなかった。勿論楽しい一時もある。こんな時間がずっと続けば……そう思った時は幾度となくあった。
しかしそれは現実逃避といった幻想で、結局は孤独な自分というのが波に乗って押し寄せてくる。どう足掻いても、家族独り残された悲しみというのを拭えはしなかった。
目を瞑れば蘇る地獄のような光景も、いつまでも枢を苦しめる元凶だった。
確かに、ビートが言ったような子供達に比べれば遥かに幸せなのだろう。少なくとも枢は生きていて、自分の人生というものを歩めているのだから。物心つく前に、自分というものを実感する前にこの世を去ってしまったものも多くいるだろう。
いや、死だけとは限らない。業火に焼かれるような思いをしながら、死ぬこともできず生きている人もいるのかもしれない。
しかし、だからと言って何なのだ。それは結局相対的なものでしかない。他人同士の人生を比べ、どちらが幸せだ不幸せだなどと、そんなの馬鹿げている。
自分は幸せだ、なんて思って生きなくてはならないのか? あんな戦争に巻き込まれたばかりに、心を引き裂かれるような思いをしたというのに。
自分は生きているから幸せだ。こうして日常に過ごしているから幸せだ。そんな戯言を、妹の目の前で思えというのか?
そんなことは許されない。そんなものは、決して許されてはいけない。こんな現実を、幸せだなんて思ってはいけないのだ。
気がつけば、ベッドのシーツごと爪が食い込むほど握っていた。負の感情を吐き出し自分の心を一度掃除するかのように、枢は軽く溜息を吐いた。
今更だ、こんなこと。あの事件を生き残った時点で枢には責任と負目がある。それらを背負いながら、自分は生きなくてはならない。
戦争を憎み、人殺しを憎み、不幸でなくてはならない。幸せであってはならない。幸せだなんて、認めてはならないのだ。どれだけ日常を楽しんでも、決して馴染むことは出来ず、結局はピエロのようなものだ。日常を過ごすふりをするだけ。
馬鹿馬鹿しい。
だけどそれが枢の人生なのだ。誰に何と言われようと、自分を幸せだとは言わせない。例え歪んでいる感情だとしても、それは枢にとって確かな想いだった。
不意に枢の部屋にノックの音が響いた。慌てて起き上がり、扉へ向かおうとすると先に声が掛けられた。
「あーもしもし。俺だ。えーと、ビートだ。……居るか? 久遠」
その声はくぐもっていてやや分かり辛いが、先ほど艦長室で話した男――ビートだった。掴み掛かられた不愉快な感覚を胸元に思い出し、不愉快を露わにする。
「……居ますよ、ビートさん」
だから少し、反抗的に返事をしてしまう。そのまま返答を待つ枢だが、一向に声が聞こえることはない。
怪訝に目を細め、こちらから話を進めようかと考えていると、ようやく、ビートは話し始めた。
「その、なんだ……さっきは、悪かった」
「へ?」
思わずキョトンとしてしまう枢。
「だから、悪かったって言ってるんだよ。あれは、その、言い過ぎた。別に撤回をする気はねえが、お前に押し付けていいことでもなかった。あれじゃ俺の方が八つ当たりだ。お前は別に、悪くない。コスモスへの入隊も、ああは言ったが、無理強いをする気もない。お前の気持ちに対して正直になれ。それだけ、言いたかった。……じゃあな」
「ちょ、ちょっと!」
足がもつれそうになりながらベッドから転げ落ち、矢継ぎ早に話し切ったビートを捕まえる為、枢はドアへと駆け寄った。
しかし部屋から出、周囲を見渡しても既にビートの姿はなく、代わりに廊下の先から一人の女性が歩いてくるだけだった。
だがこれで良かったのかとも感じた。思わず急いでドアを開けてしまったが、実際ビートと何を話せばいいのか分からない。向こうは単に謝罪しに来たようだが、枢はまだビートに頭を下げる気などなかった。
それでも少なからずビートと顔を突き合わせて話をしたいと思ったということは、どこか自分でも思うところがあったのかも知れない。自分の知り得ぬ現実を見たビートに、それを教えて欲しかったのだろうか。
「えっと、枢君? どうしたの?」
枢は掛けられた声へと振り向く。軍服のようなものを着込んだ女性……どこかこの声に、枢は聞き覚えがあった気がした。
「あ、いや……」
「それとさっきのは……ビート? 一体何を話していたの?」
「えーと、謝りに来てくれたみたいで」
「あー。成程。いやいや、珍しいわね。あの男が頭を下げるなんて……」
口元に手を当て上品に笑うその仕草に、心臓が波打ってしまう枢。
東洋人なのだろうか、日本にいても違和感のない顔つきだ。だがその容姿はずば抜けてよく、少し垂れ目の大きな瞳とすっと伸びる鼻筋……。加えてモデルと引けを取らない贅沢な体つきはまるで女優のように整っている。
髪は艶のある黒髪で、廊下の照明を美しく反射していた。手入れが行き届いているのだろう、腰の近くまで伸びているというのにキューティクルは失われておらず、枝毛の一本も見つからない。
「あなたは……」
「ああ、ごめんなさい。私は優紀。折瓦夜優紀。貴方と同じに日本人よ、よろしくね」
すっと差し出された右手を、一瞬だけ躊躇って枢は握手する。
「良かったら、ちょっと付き合ってくれないかしら? 少し話したいことがあるの。何か食べたいものでもある? 艦内カフェで幾らでも御馳走するわよ」
/
そう言って連れ出されたのは、枢のイメージとはやや違った食堂だった。
軍隊の利用する食堂といえば、無機質なデザインの空間に無機質な机と椅子が機能性重視で余裕なく並べられていて、配られる食器は全て灰色のアルミやスチールのトレイと器が合わせられた味気ないものを使っている印象だった。
だがここはまるで普通の……いやむしろ洒落たカフェテリアのように雰囲気が作り出されており、茶色を基調とした落ち着いたデザインに淡い光で照らされていた。
昼間――つまりは今だが――は若い男女に好まれるような雑貨が転がるカフェを思わせている。しかしこれが夜になり、照明の種類を変えれば大人が静かに呑むバーのようにも空気が変わるのだという。
感心するように辺りに目をやっていた枢だが、遠くで席を決めた優紀に呼ばれると慌ててついていく。
「まあ、ここはユスティティアにあるリラクゼーションスペースの中でも結構特殊な方なんだけどね。うちは若いクルーが多いから。何週間も何か月も暮らしてると、気分変えてこういう場所に来たくなるのよ。あまり広くはないけど、結構なものでしょ? 他にも飲食スペースがあるんだけど、多分そっちに枢君が想像してるような軍隊らしい食堂があるわ」
そっちは専ら男性が好んで利用してるわね。なんて言いながら、脇に立っていたメニューを広げて枢に見せる優紀。何となく戸惑いながらも、枢はカフェラテとフレンチトーストを頼んだ。
「値段書いてないんですけど、無料なんですか?」
「そうよ。どうせコスモスのメンバーしか利用しないんだし、値段なんて設けてもね」
「……僕はコスモスじゃないですけど」
「勿論分かってるわ。でもそんなの関係ない、枢君は私達の大事なお客さんだもの。御馳走するって言ったでしょ?」
そう言ってメニューを閉じると優紀は席を立ち、カウンターの方へと歩いていった。厨房は見えないが、恐らくはそこへ、口頭で何かを言うと、再び戻ってきた。
どういうことだろうと首を傾げていると、その表情に気付いたようで優紀は口を開いた。
「生憎とウェイターなんて洒落たものはいなくてね、注文と配膳はセルフなのよね。たまーにコックが暇なのか出てきて直接聞いてくることもあるけど、基本的に来るか来ないか分からない利用者の為にホールスタッフなんてのは、まあ用意しないわよね。基本的に軍隊なんだし。こういう息抜きを目的としたものがあるだけで十分ね」
「じゃあ結構広いんですね? こういう……飲食スペースっていうのは。軍隊なのに」
「そうでもないわよ。なんていうか、中心に一つの大きな厨房スペースを置いて、その周りにここのカフェや他の食堂が隣あってる感じ? だからあそこの厨房で全部の料理を賄ってるの。あっ、ごめんなさいね。出来たみたいだから取ってくる」
厨房から名前で呼ばれた優紀は再び厨房へと席を立った。礼を言ってトレイを受け取る。ウェイターがいないという話だが、トレイを持って優雅に歩く優紀の姿は、身を包む制服のせいで彼女がウェイトレスと見えなくなかった。
「どうぞ、お客様。当店自慢のカフェラテとフレンチトーストで御座います。……なんてね」
「……ありがとうございます」
いつまでも不機嫌な顔をしている枢を気遣ってだろう。優紀はおどけて雰囲気を柔らかくしようとしていた。それでも、枢はそれに笑顔を向ける気などならなかった。
ここへ来たのも飽くまで気晴らしになればいいという思惑であり、あと一週間もの間あの部屋に籠りっきりでは間違いなく気が狂う。だから枢は優紀の誘いを承諾した。
食器もそうだが、盛り付けも本当に軍隊とは思えない代物だった。普通のカフェと比べても引けを取らないどころか、都心で店を構えれば流行って雑誌に載っていそうなくらいだ。ちなみに、優紀が頼んだのはココアとチョコタルトだった。
ここに来てからずっとそうだが、なんだか思っていた軍隊のイメージとは違い、枢は肩透かしを食らっているような気分になっていた。
しばらく他愛もない話――優紀が一方的に喋っていたり、された質問に枢が答える程度だが――をしながら目の前のメニューを食べる二人。
フレンチトーストを食べ終わってしまった枢は、優紀がチョコタルトを丁寧に食べていくのを見ながらカフェラテを啜る。
何かが崩れる音が、枢の中で聞こえている気がした。
「……で、話って一体なんですか?」
優紀がチョコタルトを食べ終わる頃合いを見計らって、敢えて自分から切り込んだ。声には意図せず不機嫌さが混じっていて、まるで、駄々をこねる餓鬼のようであった。
その言葉に苦笑しながらココアを一口飲むと、優紀はトースターにコップを静かに置いた。
「艦長と……えーと、フィーナと話をしたでしょう?」
「はい」
「あれ、結局途中で終わっちゃったからさ。私が補足をしておこうと思ってね。まだ、説明し切れてないところがあるからさ」
「そんなの必要ありませんよ」
優紀から目を逸らし、カフェラテを見ながらぶっきらぼうに答える枢。コーヒーとミルクは既に混ざりきっており、キャラメルのような色をしていた。
「……どうして?」
「貴方の仲間になるつもりなんてないからです」
「それは戦争が嫌いだから?」
「そうです」
「戦争が嫌いだから、関わるのも嫌、と」
「そうです」
「……その嫌いな戦争を、なくそうとは思わないの?」
「そんなの!」
殴るような大声がカフェに響き渡った。ぶり返したように来る静寂に冷静を取り戻すと、枢はトーンを落として次の言葉を続ける。
「そんなの、僕じゃなくても良いじゃないですか。僕はもう、嫌なんですよ……」
「……ごめんなさい。彼みたいに問い詰めるつもりはなかったの。私達も、枢君の気持ちは理解してるつもり。そりゃあ、快く承諾するなんて思ってないわ。ただそれでも、こちらの素性と目的は明かしておくことがせめてもの礼儀だと思ってるの。だから少しだけで良いから、話を聞いてくれないかしら?」
躊躇った枢だが、渋々といったように頷く。それを見て優紀は微笑した。ありがとうと前置きし、優紀は話を続けた。