コスモス(2)
「そちらはアイラ・イテューナ、みんなは愛称でアイリって呼んでる。確かもう面識はあるんだよね」
銀髪の少女――フィーナの紹介を受けて、アイリは静かに首肯した。
「こっちの無愛想な男はビート・ヴァイラル。副艦長みたいなものかな。こんな顔してるけど、まあ、マフィアとかそういうのじゃないし、とりあえず取って食ったりしないから安心して」
「うるせぇ! 誰のせいでこんな顔してると思ってんだこの野郎! ……あーいや、すまん。その、なんだ。よろしくな」
照れているのか、不器用な笑顔でビートは枢に軽く頭を下げる。
「まあ、私達個人の自己紹介もほどほどに。枢くんも戸惑ってるだろうからね。多分知りたいのはもっと大きなこと……ここはどこなのか、私達はなんなのか、“あの後”一体どうなったのか、君はこれから一体どうなるのか……まあこんなところかな?」
「……いや、それもすごく重要なんだけど。えーと、その……冗談じゃ、ないんですよね?」
枢は助けを求めるようにビートを見た。その視線に気づき、肩を竦めるビート。
「生憎、冗談でも、ふざけている訳でもない。このガキが俺達コスモスのトップなのは紛れもない事実だし、母艦の艦長をやってるのも本当だ。気持ちは分かる。だが受け入れてくれ。俺も日々努力している」
そんな軽口を叩くビートにフィーナは肘で脇腹を殴ってから、再び枢に向き直った。
「見た目はこんなだけど、一応50年……いや40年くらいか……は生きてるんだからね!」
「40年!?」
どう見ても10歳超えてないその見た目に、枢は怪訝な目を向けざるを得なかった。
「ぐふっ……そ、そこは受け入れてもらうしかない。それも事実なんだ……うぇおっぷ!」
壁に寄りかかりながら息も絶え絶えにビートは言う。その様子は嘘を言っているようには見えないし、何よりこの場で唯一の“大人”が発言する言葉には妙な説得力があった。
このままフィーナの外見についていつまでも問答していては話は先に進みそうにないし、とりあえずは呑み込むことにした。
「……分かりました。それで、ここは一体どこなんですか?」
「うん。さっきもちらっと言ったけど、ここは母艦【ユスティティア】の中。地理的には……イルミナ海近くかな?」
「イルミナ海!?」
イルミナ海といえばラインズイールのある、地球上でもっとも大きな大陸である【カーディナル大陸】の北部に広がる海域だ。つまりは日本などとは程遠い海外であり、もっと言えばアジアにも留まっていないほど遠くである。
「ごめんねぇ。どうしても遂行しなきゃいけない作戦があってさー。君は目を覚まさないし、かと言ってどっかに置いてく訳にもいかないしさー」
舌をちろっと出して謝るフィーナ。おどけたその表情は幼い容姿にあった無邪気なものだが、言ってる内容はとんでもないものだ。
この尋常ではない状況に、枢は眩暈がしてふらついてしまう。
「で、私達は【コスモス】という組織に所属してるの。まあ、端的に言えば傭兵なのかな? 国連から色々な特権をもらっていて、指示系統から外れ独自に動ける軍隊……そういう意味では無所属の軍隊って表現が一番あってるのかもね」
「……それで、そんな軍隊に捕まってる僕は一体これからどうなるんです?」
「おや。なんか反抗的な感じだね」
「そりゃそうですよ。もう頭が混乱してどうにかなりそうです。いきなりアウラとの戦闘に巻き込まれて、目が覚めたと思ったら軍隊に捕まってて、それも今は母艦の中で、しかもイルミナ海だなんて……ただでさえ、記憶がごちゃごちゃで落ち着かないってのに」
こうして平静を保っているが、それは飽くまで“ふり”であり、内心では枢の気は動転していた。目まぐるしい展開と信じ難い現実の連続で、夢だと言われた方が納得がいくほどだ。しかし悲しいかな、全ての感覚が現実味を帯びていて、これが決して夢などではないことを実感させる。
「私達は君をどうこうしようとは思ってないよ。少なくとも、命を奪おうなんて考えてはいない。私達はね……君にコスモスへ入って欲しいと思ってるだけ」
「コスモスに、入る……? それはつまりあれですか。僕に戦争しろっていうんですか?」
「そうだよ。あのネフィル――君がEE社で乗っていたアウラはね、私達の悲願なんだ。あれの為にコスモスという組織は作られたと言っても、過言じゃないほどに」
「だったら、アレを好きにすればいいじゃないですか。乗ってたのは、別に僕が乗りたいからってわけじゃないですよ。ただ死にたくないから、アウラに殺されたくないから、あれに乗っただけです。あんな殺戮兵器に執着なんて微塵もありません。僕は要りませんから、あげますよ。それで僕には、コスモスに入る理由なんてないですよね」
「あげます、ね。……それがそうもいかないんだよねぇ」
矢継ぎ早に言い切った枢だが、フィーナの言いように今度は言葉を詰まらせてしまう。
「どういう、ことですか……」
「うん。君はさ、自分がフェイクスだってこと、知ってた?」
「……乗り込んだ時、セラフィ――いや、AIがそう言ってました」
「あれにAIなんてあったんだ……検査では発見できなかったんだよね?」
始めより更に不機嫌顔になっていたビートはフィーナの問いかけにはっと気づくと、頷きで返した。
「やっぱあれは謎が多すぎるなあ……。“ユミの遺志”か……強ち絵空事って訳じゃないのかもね……」
フィーナの呟きはとても小さく、隣にいるビートにしかそれは聞こえなかった。だから枢にとってはただの沈黙になってしまい、苛立たしげに話を先へ進めようとする。
「フェイクスだったら、なんだって言うんですか?」
「ああ、ごめん。そうだね……枢くんは軍人でもないしアウラのことに詳しくないから知らなくても仕方ないんだけど、基本的にフェイクスとしてアウラに乗り込んでパイロット登録された場合、その本人以外では操縦できなくなるんだよね」
「そんな……」
「勿論、正規の手段を取って作られたアウラならそれの解除方法が何かしら存在してるんだけどね。特殊なパスワードを入れるだとか、専用のプログラムを立ち上げるとか……まあ、他に色々。でもあのネフィルっていうアウラは本当に特殊なアウラでね、私達も存在は知っていたけどろくな情報は持ってないんだ。だから解除方法なんてのは分からない。お蔭で今、ネフィルは飼い主のいない迷子のアウラで、動かす手段すらなくて大きなインテリアみたいになってしまってるわけ」
「だからって、僕は……」
「聞けば君はもう既に何機か撃墜してるそうじゃない。まさに天才だよ。幾らフェイクスとはいえ、訓練もなしでいきなり実戦で撃墜するなんて。正規の過程を……いや、基礎の基礎だけでも受ければもう一パイロットとして……」
「――だからって!」
フィーナの言葉を遮る叫び声が、四人しかいない部屋に響き渡った。それは他でもない枢のもので、感情が抑えきれないと言わんばかりに両手の拳は握られていた。
「僕に戦えっていうんですか!? 嫌ですよ! 戦争なんて! ……知ってますよね? ヘルズタワー事件って」
「……知ってる。七年前日本であった、大規模テロだよね」
「そうです。僕は、あそこにいたんですよ。あそこで僕は父親を喪いました。母親も亡くしました。妹も、あの事件以来目を覚ましていません。もう七年になります。七年って、どれだけ長い時間か分かりますか? あの事件の時、妹は七歳でした。ちょうど小学一年生でね。毎日学校へ楽しそうに通ってました。でももう、彼女は卒業してしまっているんです。それどころか、もう中学二年にあがります。ずっとただ眠っているだけなのに。そんな貴重な時間を、ただ病室で独り眠っているだけで終わらせてしまっているんです。もう戻らないんですよ、由衣の時間は。それがどれだけ、悲しくて辛いことか……」
泣きそうになるのを堪えながら、枢は言う。
閉じた瞼に浮かぶのは、白い肌をして眠っている妹の寝顔。七年間日の光も浴びていない肌は雪のように青白くなってしまい、七年間動くことのなかった身体からは筋肉が衰えまるで枯れ木のように細くなってしまっていた。その姿を見る度、枢は視界が涙で歪んでしまっていた。
「僕だって、両足を失いました。これは義足です。幸い膝から下だったので歩くことにそこまで不自由ではありませんが、運動は殆ど出来ません。調子の悪い時はそもそも痛みで歩くことすら苦痛ですし、調子のいい日でも少し走ればもう限界です。あんなことさえなければ、僕は……僕達は普通に……」
過ごせていたのに、と。
「……あんなことを起こしているのは、貴方達でしょう? それでも、僕にそんな貴方達の仲間になれっていうんですか?」
「そうだよ。君があの事件の被害者だってことも知ってる。それを承知の上で、私達に力を貸して欲しいんだ」
「ふざけないで下さいよ! 僕が一体どれだけ――」
「――おい」
枢の言葉を遮るビート。低く喉から絞り出されたような声には明らかな怒りが含まれており、それは殺意すら感じられるほど威圧的だった。
「なん、ですか……」
射殺すように見据えながら一歩前へ出るビートに、枢は思わず半歩下がってしまう。
「別に僕は間違ったことなんか言ってませんよ。僕は……何も悪くない」
「ああ、そうだな。悪かねえよ。だからどうした? 不幸自慢は終わりか?」
「不幸自慢……?」
「ああそうだよ、不幸自慢だよ。それ以外に何があるっていうんだ。ただ八つ当たりみたいに喚き散らしやがって……」
「八つ当たりなもんか! 事実だろう!?」
「事実だろうがなんだろうがな、お前くらいに不幸なやつなんか山ほどいるんだよ! 日本で暮らしてるからそんな甘っちょろいこと考えてるんだ……。今の話、中東の民族紛争地域のど真ん中で言えるか? 不発弾の地雷で四肢が使い物にならなくなった子供に言えるか?」
「それは……」
「お前の妹ぐらいの歳で前線に駆り出されてるやつだっているんだぞ? 一人で生きる力もないから、従うしかなく、ガリガリの細い体で、自分とどっちが重いかも分かんねえ銃背負って戦場駆け巡って、撃たれて、生きてればまた戦場に出て、死んだらそれで終わり。死ねばまだマシな方で、戦えなくなったらもう用無しだ。あとは放置されて疫病に侵されるか血が足りなくなるか壊死か餓死で死ぬ。だけどな、そいつらはその運命を甘んじて受け入れるしかねえ。甘んじて受け入れて、銃持って大人相手に鉛玉ぶっ放して生きていくしかねえんだよ。死にたくないからだ。少しでも生きたいからだ。何かにすがって生きるしかねえ。その何かが自分のことを人間として扱っていなくともな」
ビートの言葉に、枢は何も言えなかった。ただ黙って、床を見つめることしか出来ない。
「そいつらは力がねえからだ。だがな、お前には力があるんだよ。“俺達”が欲して止まなかった力がな! この戦争に抗う力……いや、あのアウラはそんなものじゃない。この“戦争を終わらす”ことだって出来るかも知れねえ力だ! その力はお前にしか扱えない。だったらどうする? どう使う? ただ投げ捨てるか? お前が体験したあの戦争を、お前はどうしたい? ただ背を向けて逃げるだけか? 被害者ぶって、当事者になるしかない被害者を見て見ぬふりをして、自分だけは平和な世界に戻り、悲劇の主人公を気取る訳だ」
「そんなんじゃ! そんなんじゃ……ないですよ……」
「変わんねえだろうがッ!」
熱の入ったビートは枢の襟首を掴んで引き上げた。それを見たフィーナは制止の声を掛ける。不機嫌さを隠そうともせず舌打ち、ビートは力を抜いた。降ろされた枢は首の締まった不快感に咳き込んだ。だがその滲む涙は、嗚咽感から来るものかは分からなかった。
「……ごめんね、手荒な真似をして。とにかく、私達は力を貸して欲しいんだってことだけは、分かって欲しい。あと一週間ほどで日本に着くから、それまでによく考えておいて欲しい。勿論断っても、君の命を奪うようなことはしない。ただしその後の生活はずっと監視をつけさせてもらうけどね。一応、今まで通りの生活を送れるはずだし、送れるよう私たちは尽力する。だから」
良かったら、前向きに考えて――。そう最後にフィーナは言った。そしてアイリに促されるまま、枢は部屋を後にした。