クルーズ(7)
「どういうこと……?」
枢は少女の予想外の行動に戸惑いを隠せずにいた。頭がうまく回らず、ただ問いかけることしかできない。
「どういうことも何も……その機体の入手が俺たちの任務だからな、仕方がないんだよ。抵抗するなら、お前を殺してでもその機体を奪還するまでだ」
奪還――まるで恰もこれが自分の物であったかのような物言いを、この男みたいな口調でハスキーな声で女性は言う。声がコックピットに響き渡る。枢は知らない声だ。女性がどんな人物なのかは知らないが、この声の主が冗談で言っている訳ではないということは本能的に悟った。つまりは、この向けられた紅く光る剣も本気ということだ。
「“君”も……そうなのか? 君も、彼女と同じで、僕を殺してでもこの機体を手に入れるっていうのか……?」
「…………」
少女は何も答えない。
自分でも、何故こんな言葉を口にしたのか聊か不思議ではあった。彼女は巨大な兵器に乗って戦う“人殺し”には変わりないはずなのに、なぜか、枢は裏切られたような気持ちを抱いていた。
彼女があの時掛けてくれた声――それは枢が“アウラとは人を殺すだけの存在ではない”と少しでも思えたほどに、温かい言葉だったからだ。そんな言葉を掛けてくれる彼女が、自分を助けてくれた彼女が自分に敵意を向けるなど、ましては銃口を向けて危害を加えようとするなんて思っていなかったのだ。
「任務に失敗は許されない。その機体は何としても手に入れる必要がある。その為には……クオン・カナメ、貴方を――」
だから、
「――殺してでも手に入れる必要がある」
そんな暴力的な言葉を投げつけてくるなんて、思ってもいなかったのだ。
「そんな……」
そうして枢のトリガー握る手から力が抜け、ネフィルの抵抗が消えた。枢からはもうこの状況に抗おうなどという意思はなくなっていた。脱出すれば全てが終わると思っていたし、何よりこの状況を打開する腕も考えも当然ながら存在しない。
この機体が彼らは目的だという。ならばそんなものに偶然とはいえ乗り込み、挙句操舵してしまった自分がすんなりと解放されるとは思えない。拘束され自由を奪われるのか、その期間も分からない。仮にすぐ解放されたとしても、軍の監視下での生活などということになってしまうかも知れない。街中でアウラを視界の端に収めることすら忌避する枢にとってそんな状況は苦痛でしかない。
「悪いな、無駄話は出来ない。先程ラインズイール軍から通信があった。もしかしたら、最悪の事態に成り得るかもしれない」
「最悪の事態、ということは……」
「……死神との遭遇だ」
その単語を耳にした少女は何も言わなかった。ただそれでも、彼女らを包む空気が鉛のように重みを増したことが肌に伝わる。
それは優紀とて同じだった。対象から抵抗の意思がなくなったことを確認し、優紀は母艦へと連絡を取る為、モニター上に指を這わせていた。任務は終了した。あとは到着を待つだけ。そう告げたが、母艦から帰ってきた指示は待機であった。その返答内容を優紀の口から聞いたイリウムの苛立ちはそのまま拳をモニターに叩きつけることで現れる。
「あの達磨野郎手こずりやがって! これだからクリフの馬鹿野郎は!」
「そうは言っても、彼は一人で良くやっていると思うわ。およそ3時間前に戦闘終了、現在こちらへと進行中。あと600秒の待機だそうよ」
「あと10分か……それなら死神も……」
そう楽観した言葉を吐いた途端、優紀のコックピットに耳を劈くようなアラームが響き渡る。モニターを見る。表示された文字コードは――『敵機接近』。
「敵影よ、二人とも」
優紀の一言に場の空気は一転する。緩んだ空気は緊縛し、微温湯のようだった感触は極寒のような差す痛みを伴う。イリウムは剣をネフィルに向けたまま、優紀の声に耳を傾けた。
「数は?」
「数は――1」
敵側もこの戦場が如何な状況になっているかは把握できている筈である。マリオンなどの量産機を幾ら放り込んだところで無駄であることは既に周囲に転がる鉄塊が証明している。この状況を向こう側が分かっていない筈がない。
予測不可能な驚異的な動きをするアルメニア・アルスは、例え複数対一でも一発の被弾ですら負わせるのは困難だ。加えて手に持つ熱至性単分子ブレードは並の装甲であれば容易に切り裂くほどの威力を持つ。そのブレードを運用するのに必要なエネルギーはアウラ自体の動力炉から賄われ、これは実弾兵器が中心的だった従来とは多く変わっていた。
アウラと動力源を共有するということはすなわちアウラ駆動に回すエネルギーが減少してしまうということであるが、アルメニア・アルスは慣性を利用した機動を中心にすることでエネルギー消費を抑えている。その為、この熱至性単分子ブレードはアルメニア・アルスが唯一持つ武装とも言える代物となっていた。
単体で圧倒的な脅威を成すアルメニア・アルスに加え、今は優紀がミネルアにて後方に待機している。ミネルアは完全に後方支援に適した軽量型の高機動アウラであり、支援機ながらも単独での任務遂行が可能な機体である。その所以は自身の機動力を生かし狙撃ポイントを一つ絞らせず、加え他機に搭載されているレーダージャマー技術を流用することで驚異的な戦場支配力を発揮していることからだ。能動的な狙撃により狙撃方向を悟らせないだけでなく、ジャマーと合わせることによりミネルア自身の生存能力も圧倒的に高まっている。
「敵機は……」
この二機は非常に相性がよく、幾度となくチームを組んで任務を遂行している。それ故のこの状況である。それを承知で戦場に単身乗り込むということはその敵影の正体も予想が付かざるを得ない。
「――“死神”か!」
イリウムの駆るミネルアには非常に広範囲をカバー出来る高性能レーダーが搭載されており、さすがに母艦に搭載されているそれと比べると劣るが、通常の索敵武装と比べれば二倍ほどの距離を探れるもの。起動するには一角状のアンテナを二本背肩部から展開しなければならなく、展開中は機動力低下やその装着箇所から武装が制限されるのが欠点だが、使いどころさえ間違えなければミネルアのような後方支援機には非常に心強い武装となる。
特異的な索敵武装、驚異的な狙撃技術――これらを駆使した遠距離間での戦場を把握および掌握から“鷹の眼”と呼ばれるミネルアがようやく感知出来るほどの距離に敵影はあるのだが、それでも“死神”と呼ばれるアウラに対しては存在の認識が遅かったと言える程であった。死神相手には“出現が予測出来て”初めて十分な認識の速さであると言える。つまりは予め対策を講じて置く必要があるということだ。
距離があるため荒れたコンピューター・グラフィックスだが、ミネルアは確かに敵影を捉えていた。影はまるで空に穴が穿たれてるのかと錯覚するほど深く、深く闇に縁取られたアウラ。瞳すら黒く塗られた漆黒の姿を、一度戦場で見た者は決して忘れることはできない。それはこの場にいる彼女ら3人においても例外ではなかった。
「くそっ! おい少年! お前は今すぐここから逃げろ! あいつらの手に渡るよりは遥かにましだ!」
「そんな……一体何がどうなって……」
「良いから言うとおりにしろ! お前を庇いながら戦える程甘い敵じゃないんだ。アイリ、その機体はどうだ?」
「依然回復の目途は立たない。駆動自体には問題はないが、出力が極端に不安定」
プロセルピナを駆る、アイリと呼ばれた少女はあの巨人から受けたダメージを抑揚なく語る。その内容は逃亡している最中と何も変わってはいなかった。
「分かった。なら、お前はその機体はもう棄てろ」
「イリウム、それは――」
「黙れ優紀! ……アイリ、お前はその機体を放棄し、ネフィルに乗り込め。そして少年と一緒にラインズイール軍駐在基地に向かえ。ここからならそう遠くない筈だ。兵士達は俺達の指示で待機している。対応は早いだろう。――良いな?」
枢には二人の会話に含まれた意味はよく理解できない。ただそれでも、無線から聞こえる少女が了承する声にはほんの僅かだが悄然とした色が含まれた重い返事であったような気がした。
/
「なぁなぁおっさん、私はタクシーじゃないんだけどー。なんでこんな行ったり来たりしなきゃいけないわけ? これ動かすのも楽じゃないんだけど? もう動かす度に内臓がぐちゃぐちゃになりそうなんだけど?」
怪鳥の姿をしたアウラを駆る女は隠そうともせず不満な声をあげていた。既に怪鳥のアウラ――【ケツァール】はこの十数分の間に音速に近い速度で航行をし続けていた。
戦闘機と違いアウラの様な高速度航行のみに特化した形状ではない為、パイロットへの負担軽減はそれと比べると劣っていると言わざるを得ない。その為、女の言っていることは事実であり、内臓に相当な負荷を掛けている。女にとってみれば、本来作戦にはないはずだった追加航行要請のお蔭で後治療にかかる時間が倍にも増えることを考えると不満を漏らしたくなるものであった。
「まぁそう言うな。こんなことを頼めるのはケツァールしかいない。そしてその機体を乗りこなせるお前だけだろ? 分かってくれ」
褒美をやる。そしてそう最後に死神を駆る男が告げると、女は無邪気に喜んだ。
「そろそろ“鷹の眼”の縄張りに入るよ。もうこの辺で良いよね?」
男の了解を得ると、
「アハハハ、まあせいぜい死なないようにね!」
その掴んだ死神を戦場へと投下し、悪魔は空の彼方へと再び飛び去って行った。
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「何? 地震……?」
弟に近況を話し続けていた茜は突如起こった揺れに立ち上がった。だが普段起こる地震のような継続的な揺れではなく、途切れ途切れの非常に短い振動であった。イメージとしては何度も巨人が何度も地面を踏み鳴らしているような、そんなあまり体験したことのない揺れである。
何となしに周りを見渡すが、生憎とここは墓場であり、お盆の時期でもない今は人影を見つけることは出来なかった。
そうしている間に、再び振動。普段の地震であれば気にも留めないほどに弱い揺れであるが、地鳴りのように響くこれは茜の背中に怖気を駆り立てた。
「あれって……アウ、ラ?」
ここから僅かに離れたラインズイール駐在基地、そこには数機にも渡るアウラが表にその威風を現し待機していた。普段は格納庫にでも収納されているのであろう、あまり数を見ることはないというのに、今日に限ってそれは7機にも渡る数だった。
ラインズイール軍の主力機である量産型アウラ【ペイディアス】、同じく日本軍が所有する主力量産機【嗷弌騎】と【嗷參騎】。まだ多くは保持していない筈の日本製のアウラがここに4機集まっていた。その見慣れぬくすんだ鋼のような色をした黒い4機から只ならぬ空気を感じ取る。
「嫌な感じ……早くここから……」
離れよう。そう思って地面に落ちたハンドバッグを肩に掛けた瞬間、駐在基地に待機していたアウラが突如こちらに眼を向けた。
モノアイが射抜く視線に一瞬目を瞑り肩を強張らせたが、恐る恐る前を見ればどうやら見ている先は自分ではないらしい。その先を見るように後ろを見ると、
「ひっ!」
国道の遥か遠く、新たなアウラが3機、地を駆けていた。駐停止している車両、空を縫う電線、ありとあらゆるものをなぎ倒しながら強引に突き進む様をみて常軌を逸脱していることは明白だった。再び駐在基地の方を見れば、7機のアウラは機体全体をこちらへと向け、今にも推力を上げようとしていた。
茜が知るところではないが、猛進を続ける3機のアウラの名称は【マリオン】と名付けられたものだった。灰色を基調とし、墨入れのように赤く縁取られたその禍々しい風体は世間の見分は広くない代物だった。肩部に備え付けられたガトリングガンと腰に二つぶら下がるレールガンを思わせる筒状の銃器を持つ、射撃戦を想定した量産機である。マリオンも機影を確認したのだろう。内一体はそのガトリングガンが展開し銃口は前を向き、内二体は腰に装備されたレールガンの銃口を駐在基地へと向けていく。
「もしかして、こんなところで戦うの……?」
有り得ないと思いつつも、現状は否定出来る要素が一切ない。兎にも角にも早く逃げよう――そう思いヒールを鳴らし始めた途端、墓場の奥から鳴き声が聞こえ始めた。
子供の声である。見れば、まだ年端も行かぬ幼い子供が2人泣きじゃくっていた。姉弟なのだろうか、女の子の方が少しだけ男の子よりも背が高い。しかし二人とも声をあげて泣くだけで、その場から動こうとしない。
どうしてこんなところに――。
もしかしたらここで遊んでいたのかもしれない。近くには山もあるし、墓場は小さな子供にとってかくれんぼに良く使われる場所だったりする。茜にも昔弟と二人で遊んだ記憶がある。
だがそれにしても間が悪い。今日に限ってどうして――。そう思うも、それは自分にも当てはまることであった。
「君たち何してるの!? 早く逃げなきゃ!」
考えるまでもないことだった。茜は出口へ向かう足を子供たちの方へ向け駆け出して行った。