クルーズ(6)
『どうした、疾うに予定の時刻は過ぎているぞ。今どこにいる?』
光も失せた暗闇で、静かに、沈んだ男の声が反響する。元来映し出していた数値の殆どはエラーを吐き、まともな情報を提示していない。強大な力にはそれに見合うだけの代償が払われるということで、それはどんな場合においても例外ではなく、これはオーバースペックともいえる武装を後先考えずに垂れ流した結果だった。要因としてそれは一重に力の奮い手が焦燥の感情を持っていたからで、冷静を欠いていたと言わざるを得ない状況。それは完全に失態であり、それ故に男の声に何も返せずにいた。
『目標は確保できたのか? ……おい、応答しろ。聞こえないのか?』
一瞬の間を置いて、
「――――“アイラ”!!』
「――ッ!」
自分を呼ぶ声に、天使の駆り手は肩を震わせた。黒くカラーリングされたヘルメットを被っているため、表情は分からない。ただそのトリガーを握る指――いや、コックピットに乗り込んでいる身体全体が酷く華奢で、少なくとも屈強な男ではないことが窺える。
怒号のような叫びに、パイロットは躊躇いがちに口を開いた。ジェノスには堪えなかったが、この乗り手には静かな殺気の籠る声は恐怖を植え付けているようだった。
少女の声は風に吹かれる鈴の音のようで、静かで、儚げな声。
「目標の確保は完了しました。しかし地下五階のポイントB-31にて“コスモス”所属のアウラと思しき敵機と接触、際に“もう一機のネフィル”出現により取り逃がしてしまいました。現在オーバーヒート処理の為、機体を動かすことが出来ません」
『もう一機……? それはつまり、既に一機は奴らの手に渡っていたということか?』
「……いえ。敵機を庇うかのような出現でしたが、少なくとも、ネフィルの乗り手は素人であると考えられます」
少女はつい先ほどの戦闘を思い起こす。ただ機体の能力を爆発させたかのような無茶な加速、加えて思慮の欠片もないような被弾への援護……とてもに訓練を受けたパイロットであるとは思えない。
ただ、だからこそ、恐れなければならないのかも知れない。二つの異常さに。
「おそらくは――」
『二機ともここに置かれていた。そして何らかの偶然で素人が乗り込んでいた……と?』
そして少女の肯定を聞くと、喉を鳴らして笑い始めた。堪えきれないとでもいうように、漏れ出したような笑い。
『分かった。修復まではどのくらい掛かる?』
『およそ120秒です』
耐えるように強く指に力を入れながら、少女は声を絞る。それに通信からは深い溜息として返答が搭乗者の耳に届いていた。それを聞き、意味を理解し、堪えきれなくなったかのように、トリガー握る拳は震えだした。
『――面白い。あの時投じた石ころは、無事大きな波紋を作っていたわけだ』
男はそう誰ともなく呟くと、
『お前は標的の捕獲からは外れ、このまま帰投しろ。待機させていた【マリオン】を三機、迎えとして出す。必ずその機体は運んで来い。お前の命に代えてもだ。――そのネフィル、私が直々に貰い受けに出向かおう』
そんな恍惚とも取れる歓喜を孕んだ物言いに少女は背筋に悪寒が駆ける。この男の人間としての異常、欠陥、そういったものが否応にも感じてしまう。
「……わかりました。必ずこの“ネフィル”を以て帰投します」
モニターから通信が切れたことを確認すると、途端に震えが肩まで伝播し、それを抑えるように少女は自らを抱いた。声はまだ年端も行かぬ少女のもので、華奢な身体もそれに見合ったものだった。彼女にとって彼の男の声はまるで条件反射のように恐怖が蘇り、何も考えず蟻のように従順となってしまう呪いにも似た音であった。
少女にとってあの巨躯の天使は明らかに不釣り合いで、そのバランスの崩壊は何かの崩壊を暗示しているかのようだった。
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「……ブースターの調子は、どう?」
少女の手を引きながら、ネフィルはEE社の駄々広い通路を駆けていく。あれほど爆発などに包まれていた建物内は静かなもので、ネフィルとプロセルピナが地を擦る音が響き渡るだけだった。
既に先の戦闘から3分以上経過しているが状況は変わっていない。ただひたすらに少女の提示した脱出経路を辿っているだけ。既に先ほどの場所からはかなり離れている。何にせよブースターの停止しているアウラと共に逃げなければならない枢達にとってはまさに不幸中の幸いというものだった。
少女は、自らの情報を何ら口にしなかった。枢はまず自分の名前を少女に告げたが、それすらも返答を得ることは出来なかった。彼女が普通ではないこと、そんなことは分かりきっていることだ。
おそらくは軍人なのだろう。日本語が話せるところから日本軍か、或いは駐在のラインズイール軍か……。そんな疑問を解消すべく取ったコミュニケーションだったがそれは無駄になった。
だが軍人だとしても、やはり疑問が残る。声には酷く幼さが残っているのだ。アウラというものに初めて抱かされた感覚もあり、だからこそ余計に少女のことが気にかかっていたのだが、生憎終始無言であった。
そんな中、枢が一言漏らした言葉。幾ら今が周りに機影もなく安全な状況だとはいえ、このままプロセルピナのブースターが回復しなければもし追手が来た場合振り切るのは至難の技だろう。少女を放り枢が迎撃へと向かえば既に満身創痍であるプロセルピナは敵の銃弾の雨に晒されてしまうし、かと言ってプロセルピナの手を引きながらでは機動力も攻性力も半減以下になってしまう。無人機であるドッグス程度であれば迎撃は可能だろうが、有人機ではそうもいかない。
現状必要な情報であるし、これならば少女も答えてくれるかもしれない。そう思っての言葉でもあった。
「……原因の究明は出来た。しかしまだ、回復の目途は立たない」
曰く、ブースターの異常は損傷からのものではないらしい。それはそれで、満身創痍といった今のプロセルピナからは驚きではあるが。あの巨人のアウラが放つミサイルには何か特殊な作用が施されており、爆風をまともに浴びれば推力が著しく低下してしまうらしい。
恐らく、破片などの構成物質が磁場乱流を引き起こす放射性のもので出来ている――そう平坦に少女は言っていた。勿論そんなことを言われても枢にはとっては何を言っているのか分からなかった訳だが。一般人として生活を送り、尚且つ忌避していたこともあり、枢はアウラに対してあまり詳しいことは知らなかった。
「磁石で動くってことは……アウラのエンジンはモーターみたいなものってこと?」
「違う」
だからそれは何も知らない枢がなんとなしに漏らした一言であったのだが、即座に少女によって両断されてしまった。
「擬似磁気単極子力機関」
「……え?」
「現在の第三世代アウラの動力炉には擬似磁気単極子力機関が起用されている」
その聞き慣れない言葉に枢は思わず疑問の声を漏らす。
「擬似磁気単極子力機関は磁気双極子から擬似的な磁気単極子を用いた原子力推進機関で、鉱素を金属分子の陽子崩壊触媒として利用している。磁気単極子は崩壊後、自身をエネルギーとして消費し、減衰した形で元の磁気双極子として再生成される。その際刹那的に磁場変動が発生し――」
「ちょ、ちょっと! ちょっとストップ!」
まるで教科書から飛び出てきたかのような専門用語の羅列と凝り固まった内容に耐え切れず、枢は悲鳴のように静止の声をあげる。モニター越しには怪訝そうな瞳を向けながら、ほんの少し首を傾げた少女の顔が窺えた。
どうしたの? と言ってきそうな顔を見ながら、
「ごめん、全く意味が分からない」
「つまり、従来の原子力推進機関は単にウランやプラトニウムに挙げられる――」
「ストップ! わ、分かった! いや分からないけど分かった! もう勘弁してください!」
「……了解」
平坦な声色の為よくは分からないが、何となく、腑に落ちないといった具合に少女は首肯したような気がした。
引いてくれたことに枢が安堵し溜息を吐くと、
『簡潔に表しますと』
間髪を入れずセラフィが発言を挟んできた。
『アウラは原子力を応用した疑似的な電磁誘導によって、推力を得ているということです。そして彼のアウラが放つミサイルにはその磁場を作為的に乱す要素があり、それによってアウラの推力が安定せずブースターを航行するに至らない状態となってしまっている……そういうことです』
短くまとめられたその言葉に、少女も静かに頷いた。つまりはそういうことらしい。枢はそれでもいまいち理解は出来なかったが、つまりはそういうことらしい。そういうことらしいと納得しないと先に進みそうにないので、枢は無理やりそういうことらしいと納得することにした。
「だからその磁場を安定させないことにはブースターは回復しないと……」
『その通りです、マスター』
「しかしその乱流原因が掴めない。もし破片にそういった放射作用を持つ物質が含まれているのだとしたら、この機体には大量に付着してしまっている。恐らく、メンテナンスをしない限りは修復できない」
「えーと……とりあえずやばいってことは分かりました」
何を言ってるのか半分も分からない枢はそういうしかなかった。
『とはいえ、追手の心配はする必要はないでしょう。――出口は既に目の前です』
そう言ったセラフィの声と同時に、モニターには拡大された扉が映り込んでいた。幾ら地下5階からとはいえ、10メートル弱の巨体を数分動かしてようやく辿り着くなんて一体どれほどの大きさなんだろうと思う。地面から表に出ているのは3階ほどしかないオフィスだというのに、地下ではこれほど広大なものが広がっていたとは、毎日この近くを通っていただけに枢は驚きを隠せずにいた。
そして思う。父は一体、この建物で何をしていたのだろうと。
被りを振り、今は余計なことだと枢は思考を止める。
「……扉閉まってるみたいだけど、どうするの?」
目の前にあるのは出口とは言え、閉鎖された扉だ。もしかしたら既に根回し済み――ハッキングやら何やらによって――で、閉鎖されてはおらず開くようになってるのだろうか、なんて思った枢の予想外な返答を少女は口にした。
「破壊する」
ネフィルの手を解くと、頭と片腕のないプロセルピナは残った腕でマシンガンを構える。それと共に肩部のグレネードランチャーを発射。連続した爆発に耐えられず、扉はまるで破れた紙のように丸く穴を開けていた。そこからは陽光が差し込んでいる。
若干気圧されつつも、再び枢はプロセルピナの手を取り、外へと進んだ。
これでようやくこんな危険なところから脱出できた。これで命は助かった。少女も守ることが出来た。もうアウラと戦う必要なんてない。もう戦争なんてする必要もない。
そう息を吐く枢の心境を打ち砕くような――
「――よう、待ってたぜ」
「な……」
光景がそこには広がっていた。
「参ったぜー。もう連中にこっちの行動バレバレ。まあそれでもやらなきゃなんねえし、優紀がいりゃあマリオン如き幾ら束ねた所で遅れなんて取らねぇが」
やれやれと言わんばかりに、仁王立つ灰を被ったアウラは血濡れたように赤い剣を肩に構える。
まさに地獄絵図。十数機にも渡るアウラが鉄塊となってそこら中に転がっており、それらは小さく炎を生やしていた。煤で空気は薄黒く、それを纏って立つアウラの姿は枢にとってまるで死の象徴だ。
「で? そいつがネフィルか」
「そう」
「――がッ!?」
突然後ろから衝撃を受け、目の前に地面が広がる。衝撃と視界、その二つで自分が転倒したと気づく。次いで背部に衝撃。何が起こったか分からず、ネフィルは身を捩るように眼を後ろへと向けるとそこには、ネフィルを踏みつけ、こちらに銃口を向けるプロセルピナの姿があった。
「どういう、こと……?」
「悪いな、少年。アイリから話を聞いてるんだけど、こればっかりはな」
続くように灰のアウラも紅い血に濡れたような剣を胸部へと突き立てた。少しでも動けば命を絶つ――全てがそう言い放っていた。
「……貴方を拘束する、カナメ・クオン」
静かに、しかし迷いなく少女は枢に告げた。