クルーズ(2)
優紀は山の中駆けていた。そして、右腕を左手で抱いていた。その抱く指の間からは僅かに、彼女の赤い血が滲んでいた。
それは彼女が射殺仕損じた敵から、逃走の途中で受けたものだった。――いや、正確には“損じた”という表現は間違えているが、事実彼女は自身が殺し損ねた敵からその傷を受けていた。
その阻んだ敵全てが手負いとはいえ、二桁近いほどの人間が剥き出しの殺気をそのまま行動に移せば、幾ら熟練の者であっても手負うのは不自然なことではない。
優紀はハンカチを口で破り、片手と口を使い器用に傷口へと捲いていく。致命傷ではないが、腕からこのまま垂れ続けるというのは頂けない。そうして優紀は応急の止血を走りながら済ませる。
やがて優紀は立ち止まった。
目の前には何もない、ただ草の山があるだけだった――と、傍から見れば思うだろう。
優紀はその草を握り、思い切り後ろへと引く。すると、その草は一斉に動き、やがて一つのものを露見させた。
――アウラ。草は迷彩服、それに隠れていたのは鋼鉄の巨人。凡そ六メートル“ばかり”の兵器を隠すにはそれで十分だった。その嘆くべき事実に優紀は嘆息しながらも、自らの機体――【ミネルア】へと乗り込んでいく。
アウラとは、戦争によって使われる兵器である。だが、それ一機を造るのには従来の兵器とは比べ物にならないほど膨大な資金が掛かっていた。悪魔を造るにはそれなりの代償がいるということ。
とはいえ、それは“イモータルアウラ”のみである。
イモータルアウラ――通称IMは、アウラを総括した中でも群を抜いて危険な存在だった。
端的に言ってしまえば、基本性能が違いすぎるということ。そしてそれを引き出せるのは現行アウラに軒並み適用されている汎用性オペレーションシステム【スレイブシステム】に頼っていないからだった。
オペレーションシステムとは、即ち平均適用化という目的を持ったソフトに過ぎない。万人が扱えるようになる、だがそれは万人が扱えるようなものにしか所詮はならないという事だ。
それは個々に適応したものではない。パイロットにしろ、アウラその物にしろ。
しかしIMは各々独自の機構で持って動作していた。精々燃料と言う物こそ同じなだけで、他のアウラに流れるシナプス流動システムから既に一般のものとはかけ離れている。
そしてIMは、各“部品”に駆動から全てのシステムを洗練された“専用機”だ。
故にIMは特定の人間にしか扱えない、言わばワンオフ機体である。生産が安価になるようルートを造られた量産型のアウラとは、あらゆる面で異なっていた。
そして彼女、優紀が乗り込んだミネルアも、正真正銘のIMであった。細身で見た目こそ華奢であろうとも、その武力はどの物差しで測れば良いのか惑う程。
「――それじゃ、行きましょうか」
深く座りこんだ優紀はそう静かに言った。
優紀の呼び掛けに答えるように、メインモニターに明かりがついた。
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巨躯の天使は既に動き出していた。またも開くミサイルの口。濁流の根元。絶望を流し込むそれは、“底”というものを感じさせない。
警報と共に現れた巨躯の天使は、ミサイルを翼にして降り立った。橙を身に纏い蒼の目を灯らせる彼の巨人の姿は、最早壮観ですらあった。
だが少女には命を奪う悪魔でしかない。
ミサイルの口からオレンジライトが漏れだすのを見ながら、少女は巨人の目を通して視界を巡らす。移るのは壁と破片、そして散らばる狼の死骸だけだった。少年はいない。
濁流が溢れ出す。耐えかねたように、氾濫した川の様に空間を掻き乱していく。五月蠅いその轟音は、大気を斬り裂いて。
プロセルピナはミサイル目掛けて、右手に持つマシンガンを撃ち放った。だが射出された弾丸が撃ち貫いたのは――自身が放ったグレネード。
当たり前の事だが、グレネードの破壊力とは爆風と、其れに伴う破片に因る。ならばグレネード自体が着弾することに意味はない。彼女はミサイルの面と着弾する前に、否、まだ窄む前のミサイルの間を縫って、自ら損壊させた。
敵のミサイルは未知数である。だがミサイルである以上、その異質な効力を成すのは必ず爆発に伴う風である。ならばと、彼女は自身のグレネードに掃除をさせたということだった。邪魔だった――“彼女があのミサイルの雨の中を突き進むには”。
広がりを持ったままのミサイルは、突然起きた爆発により空洞が出来た。其処へ、プロセルピナは駆けていった。
天使はまだミサイル発射の処理を終えていなかった。少女の予想通りだった。何も好き好んで鈍重な動きをする訳がない。あれだけの量のミサイルを使用するには機体の――或いは“操者”の頭脳に相当な負荷が掛かる筈。
「このまま……っ!」
プロセルピナは幾度も背後の出力を爆ぜさせる。数度に渡る瞬間移動は瞬時に彼我の距離を縮めさせた。
少女の脳裏に熱量限界の警報が響き渡る。だが、それは無理矢理思考の外に追いやり、前を見据えた。
プロセルピナは、天使へと猪突した。それは何の小細工のない、力押しの真正面からのものだった。金属同士の破裂音が響く。
少女の叫びと共に、巨人の身体は後方へと押されていく。その叫びを掻き消す様に、二機の脚部が鳴らすけたたましい悲鳴が上がり続ける。
天使は睨むように再度眼に蒼を灯らせた。ミサイルの口が開く。
だが、プロセルピナのグレネードは装填を完了していた。そして、既に天使の背後は壁へと衝突しかけていた。
二機の姿は爆風に包まれる。
少女はただ少しでも――“少年から危険が離れる”という事だけを考えていた。
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「あっはっは! 幾らこいつらでも雑兵は所詮雑兵……ってね」
アルメニア・アルスはその鉄の脚で、つい今しがた斬った“雑魚”を踏みつける。そして四肢を奪い取った深紅の剣を首元に突き立て、遂には五体全てを失わせた。
彼女――イリウム・クリスタルはコクピットの中、大きく伸びをして、加えて欠伸すらした。更には首をだらしなく鳴らす始末。それだけ彼女は余裕の戦闘を繰り広げたということ――彼女が駆るアルメニア・アルスの背後には、実に五機もの鉄の死骸が転がっているというのに。更に言えば地面は愚か、周りに聳える山の肌でさえも無残に削られている。銃の爪痕だろう。それでも彼女にとっては“その手に持つ剣のみ”で闘うというのに、欠伸の出るものだったのだろう。
アルメニア・アルスは、薄い鉛色をした灰の騎士だった。異質な点は多々ある。細身であること、地面に着く程の長い燃える様に赤く細い髪が結えられているという事。だが何より異質は、彼ら地に伏した死骸が見たアルメニア・アルス独自の駆動機構。
「敵さんもこれだけ手薄ってことは、やはりこっちと同じ状況だったという事か……いやはや、ある意味運が良かったというか――残念と言うか」
そう言い、溜息を吐いた彼女の視界の端の空、陽が沈み始め橙色に染まっていた。其処へ現れた、三つの黒点。
機械的に編隊を保ちつつ、確実にこちらへと近づいてくる不穏な影――イリウムの口の端は、隠そうともせず、上がっていた。
満足に相手出来るのは周囲の防衛が固められるまでの僅かな時間。それでも、例えそれだけでも、彼女イリウムは刺激というものを求めていた。