クルーズ(1)
枢はまた建物全体が揺れた事を感じながら、薄暗いコクピットの中へと脚を踏み入れた。
構造は大まかに、球状の空間に椅子が一つ置かれているといったものだった。その椅子にはフットペダルや二つのトリガー、背後に折りたたまれた半透明のモニターなどが収容されている。そしてそれを囲むのは、無数のスイッチパネルや小さなランプ、幾つかの色彩様々なコードだった。そしてひと際目立つ、前方に供えつけられたメインモニター。
フットペダルへと両脚を乗せて、深く座りこむ。
『首筋を強く後ろへと押し当てて下さい』
強引に抑え込まれ、加工された抑揚の薄い、流暢とも拙いとも取れる独特の声波。その突然聞こえた機械的な声に僅か面食らうも、この声は疾うに“既知のもの”――唾を飲み込むだけに留まり、枢は言う通りに身体を動かした。
途端に、全身に痺れが走る。
「なんだ、これ……っ!?」
それは膝の痛みに酷似していた。一瞬鋭く痛みは駆けた、かと思うと直ぐに鈍い沈んだ痛みへと切り替わる。しかしそれは波が落ち着いているだけで、決してなくなった訳ではない。いつまでも体躯全体に憑き纏う。
「くそ、なんだよ! 気持ち悪いっ……!」
『落ち着いて下さい。身体を動かさずに、そのままで』
既に枢の耳に届く声は少なくなっていた。まるで鉛を溶かした水に浸されているよう。響く様で重い、圧迫された奇妙な感覚。
歯を食い縛り呻く枢の全身には、薄い水色の文様が浮かび上がっては消えていた。それは太い血管のように全身を駆け廻り、枢の身体を侵していく。締め付けられ、引き戻される不快な感覚。何かに、呼ばれる感覚。
紋様には、枢自身は下ろされた瞼により気づかない。
モニターには幾つかの情報が提示されていた。網膜、血種、静脈、指紋、遺伝子情報――。挙げれば切りがない。それらは全て、枢が枢足るに必要な情報の全てだった。
やがてモニターはウィンドウで埋め尽くされる。
『情報探査の完了』
そして不意に、それら全てが消滅すると、黒い画面に一つ“certified(認証完了)”の文字。
『搭乗者【久遠 枢】――【フェイクス】として認証されました』
「な――!? どうして僕がフェイクスなんだ!?」
その告げられた言葉に枢は叫ぶ。有り得ない事だ、と。
【フェイクス】とは即ち、現在のアウラが業であるに於ける重要な最後のピース――パイロット本体が“アウラに付属する電子機器”に成るということに他ならなかった。
全身に施された術式。皮膚と取って代わるマシンスキン、神経と取って代わるマシンファイバー、血液に混ざり込むナノマシン――。それら全ては電子の信号疎通を円滑にするもの。ヒトとアウラが一つの意志とし繋がる事。ヒトとして生を受けた体を“弄り”、機械との中間に想定する。
暗にそれは、ヒトであるのを止めることに過ぎない。
「答えろよっ!」
だが、枢の叫びに返るのは沈黙のみだった。答えず、ただモニターには無数の数値が現れては消えるだけ。
『当機体は【type:fa01 ネフィル】です。以後、貴方は当機体のマスターと登録されました』
言葉を受け、枢がもう一度口を開きかけたが、
『熱源接近。所属不明機に因るものです。戦闘行動に移行します、マスター』
その言葉によって呑みこまざるを得なくなった。
いつの間にか映し出されていたモニターを覗けば、先ほど枢が入った扉は既に破壊され、幾つかのドッグスが入り込んできていた。赤い瞳は、ぎらぎらとこちらを睨みつけている。そして一度、その首は上へと上げられた。まるで獲物を前に、吠える様に。
その姿を、枢は震える瞳で見つめる。喉が鳴り唾が呑み込まれる。枢にとっての最大のトラウマが目の前でまたも牙を向いていた。
『腹を据えて下さい。マスター』
「くそっ……!」
最後に、切り替える為の毒を吐いた。一瞬、枢の身体が蒼く光る。
今更何を言っているのか。目の前にアウラがいる。ならば問い掛けろ。今自らが乗っているものは何なんだと。枢は独り、口の端を僅かに上げた。
『では、行きましょう。マスター、戦闘経験はありますか?』
「ない」
『それではこちらで随時指示していきます。留意して下さい』
「分かった。……で、君はなんて呼んだら良い?」
『……』
僅かに、ノイズだけが返ってくる。
モニターではドッグスのガトリングが展開され始めていた。ゆっくりと四つの銃口がこちらを向く。
『わた、し……?』
「そうだよ、他にいないって」
またも返るのはノイズだけ。戸惑うように、それは流れる。
ガトリングが熱を持ち始めた。回転することで弾を吐きだすそれは、徐々に推力を持っていく。
『……【セラフィ】。セラフィとお呼び下さい』
「分かった。僕は何も分からない。頼む、セラフィ」
一度深く深呼吸する。脳に酸素が行き渡り、視界は、思考はクリアになる。
もう一度、枢はトラウマを視界の中心に押さえつけた。そして射抜くように、眼を細めた。
「死ぬ訳にはいかない。やってやるさ。必ず生き延びてみせる。例え――どんな手を使ってもだ!」
枢は強く、両のトリガーを握り締めた。
瞬間に、ネフィルの両目は蒼く煌めいた。
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空が橙に染まり始めてきた頃、それを黒く穿つ点が三つ。その一つ一つは互いに距離を均等になるよう取り、編隊を伴って飛行していた。
その穿つ黒い点たるものは背後からバーニアを噴出させる戦闘機――試作呼称【ヴィレイグ】。その装甲は闇の様に深く黒く、燃える橙に浮かぶ“黒点”のようだった。
『今回の作戦は試験的な意味も含まれている。そこのところ、しっかり弁えておけよ?』
その三つの内先頭を突っ切るコックピットの中、ノイズが混じった男の声が響いた。
そしてその声を聞く男は、パイロットチェアーに腰かけ項垂れていた。既に自動操縦に切り替えられている今、彼にとってこのコックピットに座している事は暇の一言に尽きていた。
時折、暇つぶしのように男の声が響いているだけ。
「……分かっている。だからあんな玩具を持たせたのだろう」
男の声にまず溜息で応えた彼はその後に言葉を続けた。
黒色のヘッドギアをつけ項垂れたまま、僅かはみ出す黒い前髪を少し指で弄る。そしてそのまま、彼を囲む上空を映し出したモニターを睨みつけた。
そこには後続で続くヴィレイグの姿があった。保つ距離は“機械的”に正確だった。
『理解力のある優秀な部下は良いね。全員お前みたいだったらどれほど楽か』
そう言い、男は喉でくつくつと笑っている。その言葉はこの上ない皮肉である事を自覚しながら、男は使い笑っているのだ。彼にとって、それは酷く不愉快だった。
わざと聞こえる様に大きく舌打つ。
『そしてもう一つ、最も重要な事だが――』
「――そろそろ探査圏内に入る」
倦怠に俯いたまま、そう遮る。当てつけの様ではあるが、現に経済水域に到達するのだから事実である。勿論当てつけでもあるのだが。
男は呆れたように息を漏らすと、まあいいかと終わらせる。
その他には何も掛けられる言葉は無く、通信はそれで終了した。他に掛ける言葉は何もなかった。
「…………」
彼は独り、目の前に広がる海原を睨みつけていた。
彼はまだ若い、二十歳にも満たない少年だった。
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「撃って来た……っ!」
体中に刺さるコードを力技でネフィルは引き抜く。たたらを踏むように右前へと脚を踏み出し、弾丸を避ける。しかし初動が遅いせいでかわし切れず、右肩に数発被弾した。
当然、それだけで終わる筈がない。後を追うように銃口は動き、それにつれて背後の壁には無数の弾痕が開いていく。
ネフィルは一歩一歩、ドッグスとは垂直の方向へと歩いていく。それはまるで初めて歩き出した赤ん坊のようにもたもたとしたものだった。
「なんだ、どうすればいいんだ……!?」
『落ち着いて下さい。私を――いいえ、ネフィルのことを想って下さい。そうすれば貴方は自ずと理解できる筈です。現に説明もなしに脚を踏み出している。落ち着いて』
「想うって、そんな……!」
言う間にも、ドッグスのガトリングは捉え続けている。弾丸が飛び、それはネフィルの装甲に火花を生まれさせる。
『理解しようと気持ちを傾けて下さい。ヒトと接することと同じです。性質、傾向、挙動――それらに興味を持つように』
「理解、するように……興味を、持つように……」
よたよたとした歩きが次第に整っていく。腰は落ち着き、その一歩一歩のテンポも増していく。まるで、歩きに慣れていくように。
『そうです、そうやって心を通わして下さい。貴方が歩み寄れば必ず応えます。――それでは、背部にあるブースターを。ネフィル――アウラは基本的に脚部裏に球性ホイールが備わっています。故に、ブースターによるスライドは容易であり、効果的です』
一度、二度とブースターに点滅するように火が灯る。そして三度目、青い火が消えることなく、それは継続してネフィルに推力を持たせた。
移動するにつれずれる重心に合わせ、腰を落としていく。そのままネフィルはドッグスを見据え、ガトリングの動きを先回るようにスライドしていく。枢のいるコックピットまで、脚部の起こす火花の悲鳴は響いていた。
「ああ、なるほど……分かって来た」
『それは何よりです。では、武装の展開を。声に出さず復唱して下さい。――【CNK単分子ナイフ】』
言われた通り、ネフィルを地面の上で滑らせながら、頭の中だけで復唱する。
途端に、両腰に搭載されていたナイフが展開された――ことを感覚で理解出来た。自身でも奇妙だなとは思うが、枢にはまるで当たり前のことのように理解出来ていた。
だが噂通りではあった。フェイクスとは即ちそういうものなのだ。よく謳われる文句だ――“フェイクスはアウラを自らの手足のように扱う”と。ただこれは謳い文句などではなく、文字通りの事実。
生き物は自身の筋肉の動かし方を知っている。誰に言われずとも、脳から神経を通して末端筋肉までにシナプスを伝える術を熟知しているように。
それは遺伝子に情報が刻まれているからだ。彼らが受け持った肉体の説明書は読まずとも既に理解している。
だから言われるのだ。フェイクスであることはヒトであることを止めているに過ぎないと。彼らの起こす偉業は即ち、“フェイクスはアウラの遺伝子を受け入れた”ということに等しい。
ネフィルは腰のキャンパーから柄のみ射出されたナイフを取り出した。右は逆手、左は順手に。巨大なダガーナイフは、ネフィルの指にしっかりと握られた。
構え、ドッグスを見据える。途端に“ネフィルは瞬間移動した”。
「なるほど、さっきまでのあのアウラの動きはこれか――」
毅然たる騎士のアウラ。枢の身を守っていたあのアウラは、幾度もこうしたテレポートめいた動きをしていた。その動きを、枢は“既に再現していた”。
光が部屋を照らし上げた直後には、ネフィルはドッグスの真横へといた。
ネフィルは右の腕を振り被る。勢いよく振り下ろされたナイフはドッグスの首元に深々と突き刺さった。火花散りながらも、それは抵抗なく装甲を突き破っていく。
鍔の位置まで突き刺さったのを自覚すると、今度は左のナイフを横から突き刺す。同じく深々と突き刺すと、交差させ、まるで千切るように首をはねた。
オイルを零しながらドッグスの首は地面に落ちる。頭部は爆発、そして制御を喪ったドッグスの首から下はふらふらと彷徨い、やがて頭と同じ運命を辿った。
「残り、二機……」
ゆらりと、純白の天使は振り向いた。
蒼い目の先には、ぎりぎりとガトリングの銃口を修正している二機のドッグスがいた。