Post Credit 陰キャと陽キャ
あの忌々しい事件から1週間が経った。
結論だけ先に述べておくと、例の赤い石はガーネットでなければ賢者の石でもなく、ただのガラス細工だった。
目利きの宝石鑑定士曰く「ガーネットに見せかけたよく出来た贋作」とのことであり、その価値は1個につきたった5000円程度らしい。
そして、その日の私は、仕事部屋で――溝淡社文芸第三出版事業部の担当者とビデオチャットで打ち合わせをしていた。ちなみに、担当者の名前は「蓮田大介」という。割とありきたりな名前だ。
「卯月先生、あれから新作小説の進捗はどうでしょうか?」
「とりあえず――カタチにはなっています。ノベルスで換算して280ページぐらいでしょうか? まあ、溝淡社ライト文庫での出版になると思いますが……」
「それなりの枚数ですね。今、メールで送られてきたゲラというか、生原稿を読ませてもらっていますが――良いと思いますよ? 少なくとも、僕は気に入りました」
「多少の好き嫌いはあるにせよ、蓮田さんが気に入ってくれるんだったら――私は構わないと思っています。後は校正を完了して、プルーフの作成に取り掛かるだけですね」
「そうですね。至急、校正とプルーフの作成をお願いしたいと思います」
そして、蓮田大介は――私に対して例の事件に関する話を振ってきた。
「そういえば、神戸で発生した連続殺人事件の解決に卯月先生がかかわっていたって、本当でしょうか?」
「本当です。――色々と大変でしたけど。とはいえ、私は『探偵の付添人』として事件の解決に関わっただけで、特にこれと言って土産話がある訳じゃないのですが……」
私はそうやって謙遜したが、彼は――血の匂いを嗅いだホオジロザメのように食いつく。
「そうは言いますけど、小説家が実際の事件現場に立ち会うことって中々ないじゃないですか? もうちょっと詳しく話を聞かせて下さいよ!」
仕方がないので、私は事件の詳細を彼に伝えた。
「まず、前提として――来島花音は、2人を絞殺して、残る2人をそれぞれ刺殺しました。絞殺されたのは柘光雄さんと来島功さん、刺殺されたのは来島克彦さんと柘瑠衣さんでした。いずれも見かけは『密室殺人』でしたが、光雄さんに関しては絞殺した上で遺体にロープを括り付けて密室殺人に見せかけて、功さんと克彦さんは風呂場で溺死させた上で、自殺に見せかけてカモフラージュした――という感じです。ちなみに、瑠衣さんが死亡した時の状況は――花音さんが瑠衣さんの下腹部を刺した上でピッキングツールを使って書斎に閉じ込めたということでした」
「なるほど。――中々、やり方が酷いですね……」
「まあ、彼女は4件とも『自分がやった』と認めていますからね。――もっとも、極刑は避けられないでしょうけど」
私にせよ善太郎にせよ、犯人を暴く権限はあっても――犯人の罪を裁く権限までは持っていない。罪を裁く権限を持っているのは、飽くまでも裁判官と国民から選ばれた裁判員である。
つまり、今の私にできることといえば、ただ――裁判の進展を見守ることだけなのだ。
蓮田大介は話す。
「――これ、小説にしてみたらどうでしょうか?」
そうは言うけど、実在の事件を小説にするなんて――もっての外だ。私は拒否した。
「お断りします。――どうせ、実在の事件をモチーフにしたところで、クレーマーから『不謹慎だ』というお叱りを受けるのがオチですし、昨今のコンプライアンス的にも不適切だと思います……」
とはいえ、横溝正史が世に放った『八つ墓村』は岡山県で発生した実在の事件――津山三十人殺し事件をモチーフに執筆されたのはよく知られた話である。もっとも、『八つ墓村』が執筆された時代は「そういうモノ」が許されていた時代であり、今のコンプライアンスに当てはめると――色々と問題がある。発禁処分を喰らっていないだけマシかもしれない。
そんなことを考えつつも、私は――ちゃっかりダイナブックのテキストエディタで事件のあらましを小説としてまとめていた。それは、善太郎からの依頼である。
***
蓮田大介とビデオチャットをする数時間前。私はスマホで善太郎と会話をしていた。
「――彩香、あれからどうなんだ?」
「うーん、全体的にまとまりがないというか、自分の中で『何かが足りていない』という感じかな。今回の事件が関係している訳ではないのだけど」
私が不満げに話すと、善太郎は――私に対して、ある提案をしてきた。
「オウ、そうか。お前――今回の事件を小説としてまとめてみたらどうだ?」
唐突すぎる。――私は、困惑した。
「そんな事急に言われても、書けないけど……」
困惑する私をよそに、善太郎の提案は続く。
「まあ、そう言わずに――『オレの手柄』として書けば、意外と小説として上手くまとまるような気がするけどな」
なるほど、それなら――書けるかもしれない。
というか、善太郎は私の駄作を読んでくれるのだろうか? とりあえず聞いてみた。
「――それで、明智くんは私の小説を読むの?」
善太郎は、私の質問に対して――キラキラした声で答えた。
「そうだな。――出来上がったら喜んで読んでやるぜ?」
「そっか、分かった。――じゃあ、ボチボチ書いていこうかな」
「オウ! ――頼むぜ!」
そういう訳で、私はダイナブックのテキストエディタを起動して――小説を書き始めた。
どうせ身内で読むモノだし、文章量はそんなに多くなくてもいいだろう。――ノベルス換算で100ページぐらいあればいいか。
***
ビデオチャット中にうっかりダイナブックの画面を共有してしまったことにより――善太郎用に書いていた小説の原稿が丸見えになってしまった。
当然だけど、蓮田大介はその原稿を見てテンションが上がっている。
「――卯月先生、やっぱり今回の事件を題材にした小説を書いているじゃないですか! 出しましょうよ、それ!」
私は――とりあえず、言い逃れをした。
「あの、これは――身内用であって、同人や商業で出すつもりは全くないのですが……」
私がそうやって言い逃れをしたところで、蓮田大介はダイナブックの画面越しに納得していた。
「ああ、なるほど。――もしかして、例の『探偵さん』に読ませるために書いているんですか?」
「その通りです。――ところで、『探偵さん』について詳しく話していませんでしたね。――名前を聞いても笑わないでくださいよ?」
「――?」
私の一言で、蓮田大介は――思考が停止した。
そんな事はお構いなく、私は探偵の名前を彼に告げた。
「探偵の名前――『明智善太郎』って言うんです」
私がその名前を言うと、蓮田大介は――ギャグ漫画で言うところの「目が点」になった。
「あ、明智……善太郎……? ――別に、両親はあの名探偵を意識して名付けた訳じゃないですよね?」
「当然です。――そもそも、『明智』という名前は割とありふれていますし、『善太郎』という名前も、それなりにありふれていると思いますけど……」
「確かに。――明智さんと友人になった経緯、詳しく教えてもらえないでしょうか?」
***
その頃の私は――どちらかと言えば「立志館大学に入学したこと」に対して後悔していて、何なら退学も辞さない構えだった。
だから、せめてミステリ研究会の中だけでもそういうオーラを見せないようにしていた。
その日はミステリ研究会が主催する歓迎会――要するに、飲み会だった。
隣の席に座っていたサングラスをかけた赤髪の陽キャな先輩が、私に話しかけてくる。
「――オウ、新入り。名前は何ていうんだ?」
私は、恐る恐るその陽キャな先輩に名前を告げた。
「わ、私は――広瀬彩香って言います」
名前を告げたところで、陽キャな先輩は――どうやら、私の名前を気に入ったらしい。
「広瀬彩香か。――良い名前じゃねぇか。オレは気に入ったぜ?」
そこまで言われたなら、陽キャな先輩の名前も聞かなければ。
「そうですか。――あなたも、名前を教えてもらえないでしょうか?」
陽キャな先輩は、私の質問に――白い歯をチラつかせながら答えた。
「オレ? オレは――『明智善太郎』っていうぜ? まあ、こういう名字だからよくイジられるけどな」
そもそもの話、ミステリ小説において「明智」という名字は、言うまでもなく日本の推理小説における創造神の1人である江戸川乱歩が生み出した名探偵「明智小五郎」を思い浮かべる人間が大多数である。
しかし、私が気になったのはそっちではなく――下の名前である「善太郎」の方だった。
私が好きなアーティスト、hitomiの全盛期のプロデューサーの名前が「渡辺善太郎」であり、私は「明智善太郎」という名前を聞いた時点で――なんとなく彼のことが好きになった。当然ながら、私と同じタイミングで立志舘大学のミステリ研究会に入会した菱田沙織も、「明智善太郎」という名前を聞いて――少し笑っていた。
「明智善太郎かぁ……。明智小五郎と渡辺善太郎のいいとこ取りで笑っちゃうな」
「やっぱり、沙織ちゃんも――そう思うよね」
「当然よ。hitomiガチ勢をナメないでくれる?」
それから、私は善太郎の手助けもあって――ミステリ研究会では孤立せずに済んだ。
多分、大学で講義を受けているときよりも、ミステリ研究会の中で行動している方が楽しかったかもしれない。
***
一通り善太郎との馴れ初めというか、友人になった経緯を説明したところで、蓮田大介は納得していた。
「――なるほど。大学時代の話、もう少し詳しく聞かせてもらえないでしょうか?」
でも、私は蓮田大介の要求を――やんわりと否定した。
「そうは言いますけど、やっぱり――私の大学時代は『良い記憶』よりも『悪い記憶』の方が焼き付いていますし、その件に関しましては『良い記憶』を思い出せたときにでも」
「そうですか。――僕、これから別の作家さんとの打ち合わせがありますので、これで失礼します。それでは、また」
蓮田大介がそう言ったところで、ビデオチャットによる打ち合わせは――終わった。
そして、ダイナブックの画面には「ビデオチャットのご利用ありがとうございました」という「虚無」だけが残った。
ボーッとしていても仕方がないので、私は例の小説の続きを書くことにした。
小説としてまとめていると、やはり「来島花音」という人物がよく分からない。
私はなんとしても彼女の無実を証明したかったのに、結局、すべての元凶は彼女だった。だからこそ、私は――この小説を「善太郎にしか読ませるべきではない」と判断した。私がそうやって判断したところで、誰かが損をする訳じゃないし。
スマホのサブスクアプリからは、自動で作成されたアーティストプレイリストを経由してhitomiの曲がランダムで流れている。――結局、サブスクに加入したところで、私は懐メロしか聴かない古いタイプの人間なのだ。
そして、渡辺善太郎が作曲した名曲『体温』が流れだしたタイミングで、私は――明智善太郎のスマホに「小説が完成した」とメッセージを送信した。
K談社さん、ホントにごめんなさい……。