Phase 05 悲しき真相
空はこの時期にしては鉛色の重い雲を浮かべていた。
柘医院の禍々しい雰囲気も相まって、景色はラスボスの居城にも見えた。
駐車場にはパトカーすら停まっておらず、私のバイクだけが停まっていた。
そして、柘家の診療室だった場所には――どういう訳か、来島花音がいた。
私は、彼女に話しかける。
「今回の事件、もしかして――あなたの自作自演だったの?」
彼女の答えは、当然のモノだった。
「――そうです。どうして分かったのでしょうか?」
私は、彼女の質問に答えていく。
「来島――というより、あなたと肉体関係を結んでいた柘隆史さんから全て聞きました。花音さんは元々両性具有の子として生まれて、隆史さんと肉体関係を結ぶにあたって男性の生殖器を除去した。その結果、体内から精子が消えてしまいました。更に言えば、本来女性の体内にあるべきモノ――卵子がありませんでした。つまり、無卵子症だったんです」
すべてを説明したところで、彼女は――拍手をしながら話をした。
「よく分かりましたね。確かに、私は両性具有の子として生まれて、女性的な見た目になるために男性の生殖器を除去しました。それは、もちろん隆史さんと肉体関係を結ぶためです。しかし、毎晩行為を続けているうちに――あることに気付きました。いくら行為をしても、胎内に新たな命が宿らない。人工授精という手段も選びましたが、どうしても私自身の体で赤ちゃんを産みたかったんです。それで、思い切って産婦人科で検査してもらいました。そうしたら――本来あるべきモノ、つまり卵子を作ることができない体質だったと分かったんです」
そして、私は――彼女に対して少し恥ずかしいことを聞いた。
「ところで、花音さんは――月経というモノを経験したことがあるのでしょうか? 卵子が作れないということは、もしかしたら――」
私の質問は、彼女に遮られた。
「そこから先は、言わなくても分かります。私は言うまでもなく、月経を経験したことがありません。本来、女性というものは10歳から12歳の間にかけて子宮が発達して、月に一度子宮壁の老廃物を血とともに子宮口から排出させますよね。それが『月経』だと母親から聞きました。でも、私は――いつまで経っても初潮が来なかった。もちろん、27歳になった今でも初潮は経験していません」
それはそうだろう。――私はそう思った。
そのことを踏まえて、私は彼女に対して残酷な事実を述べた。
「それは、『来島花音』という個体が本来男性として生きるべきだったからだと思います。普通に考えたら、生殖器を除去した上で無理やり女性という性別を選んだとすれば――そうなります」
「やっぱり、そうですよね。――そういう事情もあって、私は柘家と来島家に対して恨みを持っていた。そして、『いつかこの2つの家を根絶やしにしてやる』と誓ったんです」
「だから、あなたの主治医だった柘光雄の首を絞めて、殺害したと。これは私の考えでしかないんですけど、どうしてこのタイミングで殺害に踏み切ったかと言えば、やはり――そこのガーネットにヒントが隠されています」
私はそう言って、机の上に置いてあったガーネットを指さした。
その上で、話を続けた。
「ガーネットは、本来――『原石がザクロの果実に似ている』という理由で和名が『柘榴石』といいます。伝説においては旧約聖書のノアの方舟で方舟の光を照らすのに使われたり、十字軍のお守りとして使われていたりしていました。宝石言葉は『真実』や『情熱』、『実り』なんかが知られているけど――もう一つ、不吉な宝石言葉を持っています」
不吉というワードに反応したのか、花音は――反論した。
「ガーネットが不吉? いったい、どういうことなんでしょうか?」
私は一呼吸置いて――話した。
「それは、『束縛』です。まあ、『愛した相手を離さない』という意味として受け取ることが普通でしょうけど、なぜ柘家や来島家がガーネットを守っていたか。それは――『この家族を永遠のモノとして縛り付ける』という意味合いだと思っています」
そう話したところで、花音は話す。
「なるほど。――『この家族を永遠のモノとして縛り付ける』ことについて、確かに思い当たる節はあります。私が病弱だったということもあるんですけど、確かに学校以外は自分の家と柘医院の間しか行き来をさせてもらえませんでした。私はそれが普通だと思っていましたが、小学生から中学生、そして高校生へとなるにつれて『おかしい』と思うようになりました。――間違っているのは、来島家であると」
「その結果、大学受験にも反対されて――漫画家という道を選ぶことになったんですね」
花音は、そっと頷いていた。
「その通りです。――当然、父親には反対されましたが」
私は、「父親」というワードを受けて――花音にある話をした。
「それはそうと、あなたの父親――来島功さんって、来島海運という海運会社を営む傍らで、ある研究をしていたそうじゃないですか。――何か、心当たりはありませんでしょうか?」
花音は、やはり心当たりがあったらしい。
「そういえば、書斎は海にまつわる本ばかりだと思っていましたが――奇妙な本が1冊本棚にしまってありました。その本は表紙に変な模様が描かれていて、文章は日本語じゃない文字で書かれていました。でも、付箋に――『不老不死』とか『賢者の石』とか、そういうワードが書かれていました。一体、どういうことなんでしょうか?」
「――来島家は、日本における錬金術師の家系で間違いないと思います」
「錬金術? あの――卑金属から金を精製する?」
「その通りです。錬金術師は中世における化学の祖であり――その秘法はオカルトとも深く結びついていると言われています。伝説では『賢者の石』という鉱物や『ホムンクルス』と呼ばれる人造人間を創り出したと言われていて、特に『賢者の石』は錬金術師たちの最終目標であり、その材料は――硫黄と水銀、そして塩の3つから成り立っています。手順は省略しますが、この3つの材料をフラスコの中でかけ合わせることによって、初めて賢者の石が完成すると言われています。――もっとも、そんな代物が簡単に作れるとは限らないのですが」
「そうですよね。私、子供の頃にハリウッド映画になった児童文学で『賢者の石』というモノを初めて知りましたが、確か劇中では『敵の攻撃で死にかけた主人公がポケットから現れた賢者の石で一命を取り留めて、石は即座に粉々になった』という感じだったような気がします。――もっとも、子供がそんな代物を持っていたら危ないと思っていましたが」
「それで、『賢者の石』の色は――諸説あるにせよ、基本的には『血のように赤い』と言われています。それは、『不老不死の力を持つ』から血のように赤いのではないかと言われています。――そこの、赤い石のように」
私が指さした赤い石。それは、ガーネットなんかじゃなくて――まさしく「賢者の石」そのものだった。私は話す。
「どうやら、来島家は研究の過程で本当に『賢者の石』を完成させて、それを柘医院に託したのでしょう。そして、『賢者の石』から抽出した成分を、花音さんの薬として処方した。――それで間違いないですね?」
私がそのことを指摘すると、花音は――首を横に振りながら答えた。
「そんなこと、あり得ません。ましてや、私が飲んでいた薬にそんなモノが混ざっていたら――私の病気はとっくの昔に治っているはずです」
「まあ、そういう答えになると思います。――そもそも、花音さんは本当に病弱だったのでしょうか?」
「そういえば、私、『本当に自分は病弱なんだろうか?』と考えたことがあります。もしかしたら、何らかの理由があって『病弱のふりをせざるを得ない』とか……」
花音は、俯きながらそう話した。
その様子を見た私は――彼女に対して、事実を述べた。
「――病弱だったら、光雄さんの首を絞めることはできないのでは?」
その時点で、彼女は――魂が抜けたように脱力した。そして、握っていたロープ――恐らく、私の首を絞めようとしていたモノ――を地面に落とした。
ロープを見つめながら、私は――話す。
「恐らく、このロープが――『来島花音』という存在を縛っていたのでしょう。そのことに気付いたあなたは、自分の誕生日に柘医院があった場所へと向かい、そして――柘光雄の首を絞めて殺害した」
「そうよ。私の誕生日は1997年9月30日。柘医院の閉院日は2006年9月30日だから、柘医院の最後の患者は私だったの。光雄さんから聞いた閉院の理由は『来患者の減少』だったけど、私はそれが不思議だった。だから、隆史さんが私の夫になった時点で自分の診察カルテを遡っていて調べていた。そうしたら――ある事に気付いた。薬の名前までは難しくて分からなかったけど、私は風邪薬と称して『大麻成分が含まれたモノ』を処方されていた。つまり、私は――知らず知らずのうちに大麻を服用してしまった」
花音は漸くそのことに気付いたのか。――ああ、言うしかないな。
「確かに、風邪薬の中には麻黄という漢方を処方されることがあります。適量を飲めば風邪に効きますが、飲みすぎると――当然、身体に重い障害が残る場合があります。具体的な症状は、幻覚や排尿障害、高血圧という症状で知られていますね」
私がそう言うと、彼女は――過呼吸とも受け取れる焦燥した表情を見せていた。
そんな中でも、私は話を続ける。
「それで、あなたの体内に蓄積した麻黄が脳に影響を及ぼして、気付いた時には柘光雄を殺害していた。――それで、間違いないですね?」
荒い息遣いで、彼女は話す。
「はぁ……はぁ……。確かに……私は……衝動的に光雄さんの首を絞めて……殺害しました……。そのまま光雄さんだったモノを……部屋に放置する訳にはいかなかったので……私は……光雄さんを……書斎の鴨居に吊るして……自殺に見せかけました。今だって……あなたを殺したくて……殺したくて……仕方がないのです……」
彼女がそう言うと、私の頸動脈に力が入っていく感覚を覚えた。――ああ、絞められているのか。
「ロープで絞めて殺害するよりも、こうして頸動脈を絞めたほうが――人間って、確実に死ぬんです」
このまま――私は死ぬのか。そう考えているうちにも、花音の指は私の頸動脈を絞めていく。
私の頸動脈を押さえながら、彼女は話を続ける。
「あなたを殺す上で、これだけは伝えておきたいんです。――あなたの友人である明智善太郎さんは、来島海運の不正を暴こうとしていたんですね。そして、不正を暴いた結果、来島海運の裏金が――柘家の方へと回っていた。善太郎さんは『会社の資金を私の病気の治療費として賄っていた』と推理したけど、実際は違う。来島海運の裏金を柘家に渡していた本当の理由は、『戦時中に開発していた兵器の報酬金』よ。――どうせ、私が首を絞めている以上、聞いていないでしょうけど」
「――いや、お前の話はずっと聞いていたぜ?」
遠のきかけていた私の意識は――そこにいるはずのない善太郎の言葉で覚醒した。彼は、書斎へと向かう廊下の壁に凭れかかっていた。
「あ、明智くん? ――手に持っているのは、何なの?」
善太郎は、私の質問に対して――ドヤ顔で答えた。
「ああ、コレか? 早い話が『殺戮兵器』だ。それも、全く役に立たない殺戮兵器だけどな。――どうやら、来島家は錬金術師の家系として『賢者の石』と『毒』を創り上げていたらしいな。そこにある賢者の石はフェイク――贋作だろうけど、毒の方は本物だぜ?」
「毒? それって一体……」
私の質問に、善太郎は答えていく。
「――サリンだ」
「サリン? あの、新興宗教団体がテロ行為に使用したサリン? どうして、そんな代物が来島家にある訳なの?」
私の質問に、善太郎は意外な事実を述べた。
「来島家って、調べれば調べるほどキナ臭い話が出てきてな。それで、色々と遡ったら――戦前までたどり着いた。ドイツがサリンの化学式を見つけたのが1902年。そして、ナチスが殺戮兵器として開発に着手したのが1938年。――ちょうど、『日独伊三国同盟』が結ばれた頃だな」
「でも、私が聞いた話だと――ナチスの指導者であるアドルフ・ヒトラーはサリンの使用に消極的で、終戦直後に没収されたってことになっている。しかも、同盟を結んでいた日本にも製造技術は提供されなかったらしい。――どういうことなの?」
「どうやら、広島と長崎に原爆が落とされる少し前に――ナチスの軍部が、とある日本人科学者に製造技術を託していたらしいぜ?」
「日本人科学者? 一体、誰なの?」
善太郎は、ある人物の名前を告げた。
「――来島伴蔵だ」
「もしかして、それって……」
「ああ、言うまでもなく――来島家のかつての当主だ。来島家は錬金術師の家系ということで、科学の発展とともに、当然ながら化学にも精通していた。だから、ナチスは信頼できる科学者に対してサリンの製造技術を託した。ソレこそが来島伴蔵だったんだ。ちなみに、オレの手にある透明なアンプルが――サリンだぜ?」
確かに、サリンは無色透明の液体であり、臭いもしない。――だからこそ、とある新興宗教団体は殺戮兵器として利用したのだろうけど。
それはともかく、善太郎は話を続けた。
「新興宗教団体がテロに使ったサリンは不純物が混ざったモノであり、最近の研究結果だと後遺症は『サリンよりも不純物によるモノである』とされているが、来島伴蔵が開発していたサリンは――純度100パーセントのモノだ。だから、確実に殺戮に使える。最初のうちは呼吸困難に陥って、動悸や頭痛、目眩などの症状が出る。そして、高濃度のサリンを浴びると――意識混濁と痙攣を伴い、死に至る。これはオレの考えだが、来島伴蔵は――純度100パーセントのサリンを完成させた後、自らの肉体で人体実験を行い、そして――死んだと思っているぜ?」
ああ、だから――来島家には当主というモノが存在していなかったのか。そうやって考えると、あのいびつな家族構成にも合点がいく。
善太郎は――動揺する花音に対してトドメを刺した。
「来島花音、お前が来島功と来島明子の子ではなく来島功と功の妹である里美の間に生まれた子なのは今更言うまでもないな。そして、里美は花音を授かった直後に自ら首を括って死んだことになっているが――実際は、密室状態でサリンを浴びたことによる中毒死だ。来島家の関係者が『サリンで自殺した』となると不都合が生じるから、功の弟である隆史は、里美だったモノの首にロープを引っ掛けて、天井に吊るした。――これが、里美の死の真相だぜ?」
「そ、そんな……」
花音は、口を両手で覆って絶句している。――当然だろうか。
そして、善太郎は――かけていたサングラスを外した。
サングラスの下には、日本人離れした碧い眼がある。
碧い眼の探偵は、私に話しかける。
「――彩香、警察を呼んでくれ。できれば、浅井刑事を呼んでくれたらありがたい」
「分かっているわ。――明智くん、最初からそうすれば良かったのに」
「いや、真相を知ったのはオレの方が先だったんだけど――いかんせん、浅井刑事に合わせる顔がなかったんだ。分かってくれ」
「でも、浅井刑事は『明智くんが事件を解決してくれる』と願っていたと思うよ?」
「どうして、そうやって言い切れるんだ?」
「だって――もう、来ているじゃないの?」
そうやって言う端から、浅井刑事が――部屋へと入ってきた。そして、話を進めた。
「善太郎さん、広瀬さん、待っていました。ここから先は、我々兵庫県警に任せてください。それはそうと、来島花音さん――あなたを殺人の罪で逮捕します」
そう言って、浅井刑事は花音の腕に手錠をかけた。
「――刑事さん、ごめんなさい」
花音は、俯きながら浅井刑事にそのことを伝えた。そして、そのまま部屋から出ていった。
ふと、窓を見る。
――雲一つない空には、あの日を思い出すオレンジ色の夕日が浮かんでいた。
***
――その日は、部活がなかった。こういう時、さっさと帰宅すべきなんだろうけど、母親と喧嘩をした私はなんとなく帰宅するのを躊躇していた。
誰もいない教室で、京極夏彦の『邪魅の雫』(ノベルス版)を読む。白い紙がオレンジ色の夕日に染められていく様子は、なんとなく切なくなる。
ほとんど友達がいなかった私にとって、京極夏彦のノベルスは宝物であり、友達代わりでもあった。
ちょうどページが700ページに差し掛かったところで、教室の引き戸の音がした。――一体、誰だろうか?
「ヒロロン、こんなところで何してんの?」
私に声をかけてきた人物。それは――紛れもなく、菱田沙織だった。
彼女は話を続ける。
「あっ、それ――京極夏彦の新作よね? 確か『邪魅の雫』だったっけ?」
「そ、そうだけど……それがどうしたの?」
「お小遣いの大半がhitomiの新しいアルバムの初回盤で消えちゃってね。――もし、読み終わったら貸してほしいな」
「ああ、そう……。――じゃあ、hitomiのアルバムとトレードってカタチで」
私の提案に、彼女は――乗った。
「いいわね。――ヒロロンって、パソコンは持ってたっけ?」
「持っているけど……ああ、そういうことね」
私の中学校での部活は広報部だったので、パソコンは持っていて当然だった。
そのことに気付いた私は、話を続けた。
「つまり、私のパソコンにアルバムの楽曲データを転送して、そのまま返せばいいってことね」
「そうそう。話が早いと助かるわー」
「それはどうも。――じゃあ、土曜日に家の前で待っているから」
約束を取り付けた上で、彼女は、私に――ある質問を投げかけてきた。
「――ところで、ヒロロンが実際に小説のような殺人事件に巻き込まれたら、どうする?」
答えに悩むな。――ここは、適当にあしらっておくか。
私は、彼女の質問に答えた。
「やっぱり、そのときは――探偵になって事件を解決するかな?」
私がそう言うと、菱田沙織は――優しい顔でニコッと笑った。
――普段、滅多に笑顔を見せない私も、釣られて笑った。