Phase 02 来島家の一族?
事件現場は――やはり、密室だった。
先に来ていた浅井刑事曰く「功さんは自分の部屋で首吊り死体として見つかった」とのことである。こうも首吊り死体が連続して見つかると、事件性があるものとして疑うしかない。
そして、来島功だったモノの横に、ガーネットらしき宝石が置かれていた。これは――何かの見立てなのか?
善太郎が、宝石をまじまじと見つめる。
「――コレ、柘さんの自宅で見たモノと同じ宝石じゃねぇの?」
確かに、その可能性は考えられるが――偶然にしては出来すぎている。私はそう思った。
「宝石は加工する過程でバラつきが生じるけど、ここまで同じとなると――色々考えてしまう」
私がそう言うと、善太郎は――腕を組みつつ納得した表情を見せた。
「そうだな。オレも、彩香と同じ考えだ。しかし、これは本物のガーネットなのだろうか? 残念ながら、オレはそういうモノに疎い」
そうは言うが、凡人には宝石の真贋を見抜けないと思う。
私はその旨を善太郎に話した。
「私だって宝石鑑定士じゃないから分からないよ。真贋を見抜くには、ちゃんとしたプロの鑑定士を連れてこないと」
当たり前の話ではあるが、私はそういう宝石鑑定士とのコネクションを持っていない。だから、今目の前にあるガーネットが本物かどうかは全くもって分からない。
仮に、このガーネットが本物だとしたら――大きさ的に時価100万円は下らなないだろうか。下手すれば250万円ぐらいの価値はあるかもしれない。私が見る限り、ガーネットの大きさは卵Mサイズ1個分ぐらいだった。――結構大きいな。
件のガーネットは、刑事さんの手元に回収された。
「一応、これは物的証拠として兵庫県警で押収させてもらう。もちろん、柘さんの自宅にあった宝石もこちらで押収した」
浅井刑事が、私と善太郎にそうやって報告した。
宝石が押収されたところで、善太郎は私に話した。
「まあ、後は3人目の遺体が見つからないことを祈るだけだが――一体、誰の仕業なんだ?」
――それ、私に振る?
「そんなこと言われても……分からないに決まっているじゃないの」
「そうだな。――容疑者のお出ましだぜ?」
善太郎の言う容疑者――それは、来島家の面々だった。
来島家を順々に見ていくと、来島功の妻である来島明子(53)、先程会話した来島花音(27)、来島花音の兄である来島克彦(33)、そして来島功の弟である来島隆史(45)――容疑者は4人か。
ちなみに、浅井刑事の話によると、来島功は56歳とのことらしい。
真っ先に話を始めたのは、来島隆史だった。
「まさか、兄貴が殺されるなんて……ショックです。兄貴はとても面倒見が良く、会社でもその人望の良さから部下たちに慕われていました。――ああ、僕も一応来島海運で働いているんですよ。役職は『運送責任者』ですね」
運送責任者ということは――かなりの役職なのか。私と善太郎が想像したのは、「港でコンテナを運搬していくアレ」だった。
次に証言を話したのは、来島克彦だった。
「花音が話している通り、父は厳格な人でしたが、なんというか――『飴と鞭』という言葉がよく似合う人物だと思っていました。その証拠に、僕が甲北大学に合格したときは台湾旅行というプレゼントをもらいましたからね」
飴と鞭か。――確かに、花音は功のことを「厳格な人」と言っていたが、克彦の話を聞く限り、見返りに対する報酬は豪華なモノである。
となると、やはり――疑うべきは来島花音か。
しかし、真っ先に功の遺体を見つけたのは彼女だったな。この時点で、花音が父を殺害したという可能性は――消える。
私はそんなことを考えていたが、来島明子の話で――私の考えに少し「揺らぎ」が生じた。
「確かに、夫――功さんは厳しい人でした。でも、私を妻として選んでくれたことには感謝しています。私の旧姓は『金崎明子』と言って、要するに――政略結婚で結ばれたようなモノです」
金崎――政略結婚――ああ、金崎重工か。
私が常日頃から乗り回しているバイクはまさに金崎重工製である。車種は「ジライヤ」という名前であり、由来は言うまでもなく蝦蟇で有名な忍者の「自来也」である。
そもそも、金崎重工を知らない兵庫県民はほぼゼロ人と言っても良い。現在ではバイクメーカーとして有名だが、その歴史は――神戸港が開港した頃まで遡る。
神戸と横浜を繋ぐ蒸気船の製造から始まった金崎重工の歴史は、文明開化と共に発展していった。
神戸の街の発展に貢献しつつ、蒸気船や蒸気機関車の製造を行い、戦時中は軍需で潤い、そして戦後は電車やバイクの製造を行うようになった。最近だと、水素発電機や宇宙開発事業にも積極的であり、日本や世界における総合重工会社としてその名を轟かせている。
そんな金崎重工の関係者が、来島海運の社長と政略結婚か。――これは、事情が複雑そうだな。そして、柘医院も何らかのカタチで絡んでいるとなると、この事件は厄介なモノでしかない。
そんな事を考えていると、善太郎が私に話しかけてきた。
「金崎重工のお嬢さんが、来島海運の御曹司と結婚か……。なんだか、夢みてぇな話だ」
夢みたいな話か。――善太郎の目には、そうやって見えるんだな。
でも、私が考える政略結婚は――幸せなんかじゃないと思う。
「そうは言うけど、政略結婚って――望んだ結婚じゃないかもしれない。だって、あらかじめ相手が決まっている結婚って、つまらないじゃないの」
そうやって言うと、善太郎は――少しだけ納得してくれた。
「――確かに、彩香の言う通りだな。あらかじめ決められた相手と結婚せざるを得ないとなると、色々と不都合が生じる。互いに好意を寄せていたら良いけど、どちらかが好意を寄せていなかったら――その時点で詰んでいる」
「そうね。恋愛結婚と政略結婚なら――前者を選ぶと思う」
私は善太郎に対してそうやって話したけど、実際は――どちらの方が幸せなんだろうか。あまりそういうことは考えたくないけど、そろそろ考えざるを得ない年齢になっていることは確かだった。
いずれにせよ、4人の容疑者は――あまりにも怪しすぎる。全員クロという可能性もあるし、全員シロという可能性もある。最終的な犯人は1人まで絞られることになるのだけれど。
4人に対する取り調べが続く中、私と善太郎はなんとなく来島功が殺害された現場へと向かった。客間で兵庫県警が取り調べを行っている関係なのか、現場には私と善太郎しかいない状態だった。当然、来島功だったモノは既に司法解剖に回されている。
そんな中で、善太郎が私に話しかけてきた。
「なあ、彩香」
「明智くん、急にどうしたの?」
「来島家の話を聞いている中で色々と考えていたんだけど、この事件――どうも、臭うぜ」
事件は臭って当然だろう。私はそう思ったが――ここは、善太郎の真意を聞くべきか。
「臭わない事件なんてないと思うけど、どういうこと?」
善太郎は、その真意を説明してくれた。
「オレは来島明子が怪しいと思っていたが、どうも違う。じゃあ、来島花音が怪しいかと思えば、それだとありきたりすぎてオレの出番はない。そうなると、やっぱり来島克彦と来島隆史も怪しく見える。最悪の場合、家族ぐるみの犯行という可能性も考えざるを得ない」
――それは、考えすぎだろう。私はそう思った。
「いくらなんでも、それは考えすぎだと思う。家族ぐるみで功さんを殺害するなんて、あり得ない」
しかし、善太郎は――私のことを見透かしていたらしい。
「まあ、彩香ならそう言うと思っていたけどな。逆に質問するけど、お前はどういう考えを持っているんだ?」
「うーん、やっぱり怪しいのは来島明子かな。彼女、政略結婚で来島家に嫁いだって言っていたけど、それなら来島家に対して恨みを持つ理由も分かる。もっとも、どうして柘光雄さんを殺害したのかは分からないけど」
私の考えに対して、善太郎は――納得していた。
「なるほど。――彩香らしいな」
それから、私と善太郎は部屋の中を見渡した。
特に怪しいモノは見当たらなかったが、やはり――気になるのは本棚である。
本棚にあったのは、釣り関連の本と魚に関する辞典がほとんどだった。特に、これと言って気になるモノはない。
善太郎が、本棚を見渡して言う。
「つまんねぇなぁ」
「つまらないって、どういうこと?」
「彩香、柘光雄の本棚を思い出してみろ」
そう言われたら、思い出すしかない。私は――件の3冊を善太郎に伝えた。
「浅井刑事の話によると、確か『和漢三才図会』と『ソロモンの大いなる鍵』、そして『金枝篇』の3冊が本棚から落ちていたって言っていたよね。それがどうしたの?」
「江戸時代の珍しいモノを蒐集した図鑑である『和漢三才図会』はともかく、『ソロモンの大いなる鍵』はカバラで使われる魔術書、『金枝篇』はイギリスの民俗学者が蒐集した呪術の本だ。『金枝篇』に関して言えば、オレは古書店でバイトしていた時にこっそり岩波書店版を読ませてもらったことがあるぜ?」
「――なるほど。『金枝篇』ねぇ……」
確かに、『金枝篇』は私も読んだことがある。何かのトリックに使えるんじゃないかと思ったからだ。でも、内容は難しすぎてあまり覚えていない。
一応『金枝篇』の由来は――イタリアのネミの森から奴隷が金の枝を盗んだとかそんな感じだったな。
――もしかして、柘医院は呪術で病気を治そうとしていたのか? 古くから、医術と呪術は強い結びつきがあって、ネイティブアメリカンにおける医術はほとんどが呪術のようなモノである。英語で薬のことを指す「medicine」の由来がネイティブアメリカン語で「まじない」というのはよく知られた話だ。
当然、日本でも医術と呪術は強い結びつきがある。
平安時代にいわゆる「陰陽師」が請け負っていた仕事は別に呪いを解く仕事だけじゃない。疫病が流行っていた時に祈祷をして、疫病を退散させようとしていたという資料が残っているぐらいだ。――もっとも、現代だとそんなモノ、プラシーボ効果でしかないのだけれど。
そういう「呪術と医術の結びつき」を考えつつ、私と善太郎は事件現場から踵を返した。
客間に戻ると、来島家に対する取り調べは依然続いていた。――余程、難航しているのか。
私が見る限り、取り調べを受けていたのは来島克彦だった。流石に取り調べの内容を盗み聞きする訳にはいかないので、私と善太郎はその場からサッと引き返した。そして、ボーッとしているのも良くないので、私は外に出た上で、柘瑠衣のスマホに電話をかけた。
電話にはすぐに出てくれた。
「広瀬さん、その様子だと――連続殺人事件に発展してしまったのですね」
どうやら、連続殺人事件に発展してしまったことを把握していたらしい。
「おっしゃる通りです。被害者は、来島功という来島海運の社長でした。死因は絞殺で、密室の状態で殺害されていました」
私がそう言うと、瑠衣は――あることを伝えてくれた。
「ああ、花音さんの父親だった功さんですか。彼、花音さんが診察に来た時に同行していましたね。――それにしても、普通こういうモノって母親が同行すると思うんですけど、どうして父親だったんでしょうか?」
言われてみれば――そうかもしれない。私は、なんとなく彼女にそのことを伝えた。
「確かに、普通ならこういう時って母親ですよね。――私、来島家のことが分からなくなりました」
私が悩んでいると、瑠衣はあることを思い出したのか、アドバイスをしてくれた。
「そういえば、来島明子さんって――なんというか、私たちのことを避けていたんですよね。何か理由があったんでしょうか?」
なるほど。来島明子という人物は、敢えて柘医院に近寄らないようにしていた。それはどういう理由があったのだろうか?
私は、そのことを頭の片隅に置いておくことにした。
その後も瑠衣との電話は続いたが、現時点で手がかりになるようなモノは得られなかった。
終話ボタンをタップした時点で、スマホの時計を見ると――午後9時を過ぎようとしていた。なんとなく、今夜は長丁場になりそうな気がした。
リビングに向かうと、善太郎がいびきをかいて寝ていた。というか、この状況下でよく眠れるな。鬱病から来る不眠症を持っている私からしてみれば、この状況下で眠れる善太郎が羨ましいと思う。
私は、善太郎に対して毛布をかけてあげた。彼がどんな夢を見ているかは知らないが、寝言でずっと「彩香」と言っていたので――私の夢を見ているのか。全く、幸せなヤツだ。
眠る善太郎を横目にしつつ、私はこれまでのことを持ってきたダイナブックで整理した。
前提として――柘光雄は密室状態で首吊り死体として見つかり、本棚からは3冊の怪しげな本が崩れ落ちていた。来島功も密室状態で首吊り死体として見つかったが、こちらは本棚が荒らされた形跡が見当たらなかった。
いずれにせよ、2つの事件に共通して言えることは――事件現場に赤いガーネットが置いてあったことである。何かの見立てだとしても、なぜ赤いガーネットなのかは――正直、分からない。
そもそも、本当にあの赤い宝石はガーネットなのか? ガーネットに見せかけた別のモノという可能性も考えられるが、どうしたものか。
その後も、事件についてまとめていたら――テキストエディタの文字数がとんでもないことになっていた。それだけ、自分の頭の中でこの事件に関する記憶が溜まっていたのだろう。
一応、カタチになるように整理はしたが――やはり、この事件は謎が多い。
特に着目したのは来島家と柘家、そして金崎家の関係性である。
金崎家は言うまでもなく金崎重工の直系なので今更説明はいらないが、柘家と来島家については分からないことの方が多い。
現時点で私が柘家について知っていることは――元々岡本で「柘医院」という病院を営んでいたが、18年前に何らかの理由で閉院したことである。
そして、来島家について知っていることは――戦後、来島財閥が解体された時に海運事業だけが残って、「来島海運」という海運会社を営んでいることか。いずれにせよ、どちらも名家であることは確かだ。
――これは、直接聞いてみた方がいいか。
そう思った私は、ダイナブックの電源をスリープ状態にして、来島明子から詳しい話を聞くことにした。
来島明子は既に取り調べを終えていたのか、1階にある書斎で調べ物をしていた。何か、事件に対して思うことでもあるのか。
「――来島明子さんで間違いないでしょうか?」
彼女は、幸薄そうな声で話す。
「ああ、あなたは――探偵の助手? 名前を教えてちょうだい」
「私は、広瀬彩香という者です。本業は小説家ですが、それだけでは食べていけないのでこうして探偵の助手を務めています」
「なるほどねぇ。――探偵さんはどちらに?」
「それが……リビングでいびきをかいて寝ているんです。仕方がないので、私が代わりに明子さんから情報を聞き出そうと思ったんです」
「お疲れ様。――とりあえず、話なら聞くわ」
そう言われた以上、まずは何から聞こうか。そう思った私は――とりあえず、来島功との結婚の経緯を聞くことにした。
「早速ですが、功さんとの結婚の経緯はどんな感じですか?」
その答えは、私が想像していたよりも――意外なモノだった。
「先程も話した通り、政略結婚ですが――ほとんど恋愛結婚に近いような感じでした」
「恋愛結婚? というと?」
「お察しの通り、金崎重工は来島海運の一番の取引先だったんです。ほら、金崎重工は汽船事業も手掛けているので、来島海運で使用する汽船も金崎重工製なんですよ。それで、取引を続けているうちに、私は功さんが気になるようになったんです」
私は、なんとなく――納得した。
「そうだったんですね。――まあ、金崎重工にとって来島海運は大口顧客ですから、何らかの過程で恋愛感情を抱くのは分かります」
「それで、私は思い切って功さんにプロポーズしたんです」
「プロポーズの末に結婚して――現在に至るんですね」
「そうです。その間に克彦と花音という子宝にも恵まれています。克彦は甲北大学を首席で卒業して、来島海運の未来のCEOとして仕事に励んでいますし、花音の方は病弱ながら『漫画家になる』という夢を持っていますからね。もっとも、功さんは花音が漫画家になることに対して反対していましたが……」
「――花音さんって、漫画家だったんですね」
「一応同人レベルですが、本もいくつか出版していますよ」
縁故就職で来島海運に入社した来島克彦はともかく、妹の花音は――やはり、病弱であるが故にまともな仕事に就けなかったのか。その結果、漫画家として働くことになった。私としては、なんとか彼女の無実を証明したいが――どうしたものか。
そもそも、花音も容疑者の1人なので、殺人を犯していないとは限らない。――最悪の結末も覚悟しておかなければならないのだ。
ふと、書斎にある本を見渡す。――やはり、海に関する本が多いな。仕事柄というのもあるけど、海で働くということは、リスクが伴う。昔、石油タンク船が港に激突して大爆発を起こすという事故をニュースで見たことがあるが、その原因は船の操舵ミスだった。――それだけ、海で働くということは命取りなのだ。
そんな中、私は――ある本が目に入った。
その本は、明らかに日本の文字で書かれたモノではなかった。
表紙の文字は読めないが――これは、ペルシア文字だろうか?
いや、ペルシア文字にしては――やけに太い。ペルシア文字は、もう少し細く書いてあるはずだ。
そして、この紋様――どこかで見たことがあるな。紋様は、10個の丸に無数の線がつながっている。そして、件の文字で「何か」が書かれている。流石にこの状況下で内容まで読むわけにはいかなかったので、私はその本を本棚に戻した。
でも、この紋様が事実だとすれば――来島家は、そういう家系なのか。そもそも、日本においてそういう家系の人間はいないはずだ。どうしてこんなモノが本棚にあるんだ?
そんなことを考えながらリビングに戻ると、善太郎が起きてコーヒーを飲んでいた。――気楽なヤツだ。
「明智くん、起きたのね。――一応、明子さんに話を聞いてみたけど、特にこれといった手がかりは得られなかった」
白い歯をチラつかせながら、善太郎は話す。――正直、ムカつく。
「そうか。ご苦労だった。オレが寝ていたから、代わりに聞いてくれたんだな。――お前、意外と『デキる』んじゃねぇの?」
「いや、そんなつもりはないんだけど……まあ、明智くんがそうやって言うのなら、私は『デキる』女なんでしょうね」
善太郎の手には、クッキーが握られている。どこから拝借したかは知らないが、私も頂くことにした。
当たり前の話だけど、寝起きの善太郎はサングラスを外していた。――日本人とは思えない碧眼の瞳が、私を見つめている。
あまりにも見つめられているので、私は思い切って善太郎に質問をしてみた。
「ところで、明智くんって――どうして碧い眼をしているの?」
しかし、その答えは――望むモノではなかった。
「――分かんねぇ。オレに答えられる質問じゃねぇな」
これは、善太郎の気分を損ねてしまっただろうか。私は、申し訳無さそうに言った。
「そうなのね。――何か、気を悪くしてしまったかな」
それでも、善太郎は――にこやかに話す。気分は悪くしていなかったらしい。
「そんなことはないぜ? オレを知る人からは自分の眼の色についてよく質問されるし。ただ、分からないから『分かんねぇ』と返すしかないけどな」
やはり、本人にもよく分かっていないのか。それなら、仕方がないな。この話を蒸し返すのは、やめておこう。彼の碧眼の理由は、そのうち分かるはずだろう。
善太郎から受け取ったチョコチップクッキーを食べつつ、私は件の本の紋様について考えていた。確か、昔のロボットアニメのオープニングで見たことがあったような……。
そのアニメに出てくるロボットは、それぞれ紫色と黄色と赤色で、宇宙から飛来する怪獣のようなモノを倒すといった話だったと思う。もっとも、ロボットというよりは――「汎用人型決戦兵器」とかそういう仰々しい名前だった気がするけど。
そんなことはともかく、アニメのオープニングに出てきた紋様は、やはり――件の本と同じような紋様だった。
ダイナブックでその紋様について検索していると、善太郎が覗き込んできた。
「彩香、『生命の樹』がどうしたんだ?」
「アレって、そういう名前なの?」
そして、善太郎が「生命の樹」について詳しく語り始めた。ダイナブックの画面には件の文様が映し出されている。
「生命の樹というのは、カバラの基本とされる秘術だ。10個の『セフィラ』という丸と、それに対応する線からなっていて、丸は上から『ケテル(王冠)』、『コクマ(知恵)』、『ビナー(理解)』、『ケセド(慈悲)』、『ゲブラー(峻厳)』、『ティファレト(美)』、『ネツァク(勝利)』、『ホド(栄光)』、『イェソド(基礎)』、そして『マルクト(王国)』の10個で構成されているが――隠れた丸が存在する。ソレこそが11個目の丸である『ダアト(知恵)』だ。もっとも『ダアト』は隠されるモノなので、生命の樹には描かれていないのだが。そして、セフィラに対応する線が『パス』だ。合計22本のパスはタロットとも密接につながっているとされている。ほら、タロットって、22個の大アルカナから構成されているだろ?」
何となく、善太郎が私に対して言いたいことは分かったかもしれない。
でも、分からないこともあるので――私は質問をぶつけてみた。
「言われてみれば、そうだよね。タロットと生命の樹って、どういう関係があるの?」
私の質問に、善太郎は意外なモノを持ち出して答えてきた。
「これは『黄金の夜明け団』というイギリスの秘密結社が定義したモノらしいけど、彼らは22個のパスに対してタロットの大アルカナを結びつけた。ちょうどパスの数が22個だったからな。大アルカナに関しては詳細を割愛するけど、黄金の夜明け団では3つの階位に分かれていた。それぞれ『黄金の夜明け』、『紅薔薇黄金十字』、そして『秘密の首領』の3つだ。マルクトより下の存在を『新参者』として、『ケテル』が最上位――イプシマスとなっている。もっとも、黄金の夜明け団についてはよく分かっていないことが多いのが実情なのだけれど」
「それでも、よく分かった。――要するに、彼らは魔術を本気で信じていて、実現しようと思ったのね」
「その通りだ。――まあ、インチキでしかないんだけど」
善太郎が小難しい話をするうちに、私の方が眠くなってきた。ここは、仮眠を取るべきか。スマホの時計を見ると、時刻は午後11時を指していた。
「明智くん、少し寝させてもらえないかな?」
「いいぜ? 今度はオレが情報を聞き出すからよ」
「本当に?」
「本当だ。オレは探偵だから、嘘は吐かないぜ?」
「じゃあ、寝させてもらおう。――おやすみ」
私は、ソファーの上で毛布をかけて、そのまま眠りについた。その間に善太郎が情報を聞き出してくれるのなら、別に――いいか。
***
夢を見た。――着ている制服から考えて、18年前の夢だろうか。
教室の授業中に、菱田沙織と思しき人物が話しかけてきた。
「ヒロロン、金曜日のテレビ――見た?」
「金曜日のテレビ? 一体何のこと?」
「ミュージックステーション。ほら、hitomiちゃんの新曲」
「ゴメン、その時間は習い事だった」
「ああ、そうだった。ゴメンゴメン。――録画したDVDなら、貸してあげるけど?」
「ホントに? 嬉しいな」
「――コラッ、そこ、授業を真面目に聞きなさいッ!」
先生がそう言うと、チョークが私の方を目掛けて飛んできた。当然、クリティカルヒットである。
「イテテ……」
額を押さえつつ、菱田沙織は小声で話す。
「まあ、この話は給食のときにでも……」
そもそも、私と菱田沙織の付き合いは――「音楽の授業で好きなアーティストの話になって『hitomi』と即答したら彼女も同じ答えになった」というしょうもない理由がきっかけである。
私をスクールカーストの底辺だとすると、菱田沙織という人物はスクールカーストの最上位と言っても過言ではなかった。でも、どういう訳か私のことを気にかけていた。
そのことを気に入らない同級生は私のことを虐めていたが、彼女は私を庇っていた。どういう理由があって私を庇っていたかはよく分からないが、彼女には彼女なりの理由があったのだろう。
そして、何より――私と菱田沙織の共通の趣味はhitomiだけではなかった。互いにミステリ小説が好きだったのだ。
私が島田荘司の『占星術殺人事件』を読めば、菱田沙織は京極夏彦の『魍魎の匣』を読んでいた。私が舞城王太郎の『煙か土か食い物』を持ってきた日には、菱田沙織は辻村深月の『凍りのくじら』を持ってきた。
当然、トレード(という名の読み合い)もしている。
そういう訳で、2年生まではクラスが同じだったので、常に彼女とは話し相手になっていたのだが、彼女は3年生の時に特進クラスへ進学。私は普通クラスだったので――少々屈辱的だった。そして、孤独になった。
菱田沙織という話し相手を失った結果、私はクラスでも孤立してしまい、高校受験も危うく失敗するところだった。
結果として、私は「バカ高」という蔑称を持っていた小山商科学園へ進学することになり、そこの勉強だけじゃ足りないので予備校にも通った。その結果、学園初となる立志舘大学進学者となった。
夢の内容は、そんなことを知る由もない2006年の5月ぐらいだっただろうか。なんとなく懐かしいと思いつつ、私は給食の時間を待ちわびていた。
やがて、正午のチャイムが鳴ったところで――給食の準備が始まった。
私も給食の準備をしようと思ったが、何か様子がおかしい。――鳴るはずのないモノが、頭の中で鳴り響いている。一体、何なんだ?
***
夢はそこで終わった。――どうやら、スマホのアラームが鳴っていたらしい。
スマホの時計を見ると、午前6時30分を指そうとしていた。――相当寝ていたのか。
善太郎も、いびきをかいて寝ている。
善太郎が寝ている以上仕方がないので、私は浅井刑事の元へと向かった。どうせ、刑事は寝る間を惜しんで捜査をしているだろうし。
案の定、客間では浅井刑事が捜査資料をまとめていた。
「あっ、広瀬さん。起きていたんですね」
「さっき起きたばかりです。――それで、容疑者に対する事情聴取は終わったのでしょうか?」
「ああ、その件に関してだが、先程まで続いていたよ。お陰でこっちが眠りたいぐらいです。でも、刑事が寝ていたら意味がないじゃないですか。だから、こうして栄養ドリンクで誤魔化すしかないんですよ」
確かに、浅井刑事の手元には――飲みかけのレッドブルが置いてあった。相当疲れが溜まっているのか。
私は、そんな浅井刑事を何らかのカタチで労いたかったが――そんなことをしている場合ではない。来島功を殺害した4人の容疑者についての証言を聞かなければならない。
「浅井刑事、容疑者の証言について何か覚えていることがあれば教えて下さい」
「分かりました。まず、事件発生時刻が昨日の午後7時頃だとして――花音さんには不在証明がありました。あの時間、彼女は浴室にいたそうです」
「なるほど。裸の状態で犯行に及ぶならまだしも、普通に考えたら――花音さんは入浴中ですよね」
「そうなりますね。その時点で花音さんは容疑者から外れることになりますが、少し不審な点もあるんですよ」
「不審な点? 一体何でしょうか?」
「実は、現場にこんなモノが……」
そう言って、浅井刑事は私にあるモノを見せてきた。
私は、ソレに関して――見覚えがあった。
「――これは、花音さんが付けていたブローチ?」
確かに、来島花音は頭に花を模したブローチを付けていた。デザインはいわゆる300円ショップで売ってそうなモノであり、高価な代物ではないと思いたいが――なぜ、事件現場に?
私は、なんとなく写真投稿サイト――ユースタグラムで「来島花音」を検索した。――当然の話なのか、検索画面の1番上に本人確認済みの公式アカウントが表示されていた。
アップロードされている写真の大半は、連載告知といった仕事にまつわる写真だったが、たまにプライベートな写真も上がっていた。映画を見に行ったり、スタバで期間限定のフラペチーノを飲んだり、西九条や枚方の遊園地に行ったり、たまに海外旅行に行ったり……プライベートの写真は、いわゆる「キラキラ女子」のソレだったので、私は眩しすぎて目眩がしそうだった。
そんなことはともかく、確かにどの自撮り写真にも件のブローチが頭に着いていた。――まさか、来島花音が犯人?
でも、彼女には「事件発生時刻に浴室にいた」という不在証明がある。普通に考えて、犯行に及ぶのは不可能だろう。
ならば、これは――誰かが来島花音に罪を着せるためにブローチを事件現場に持っていったのだろうか。今のところ、私に考えられるのはこれぐらいしかない。どうしても来島花音が犯人だと考えられなかったのだ。
そんなことを考えていると、若干寝ぼけた善太郎がやって来た。髪はボサボサである。
「彩香、起きていたのか」
「まあね。――浅井刑事と話をしていたんだけど、少し気になることがあって……。花音さんって、髪飾りを着けていなかった?」
私がそう言うと、善太郎は――そっと頷いて、答えた。
「オウ、着いていたぜ。花を模したブローチだろ? オレが見る限り、これは――300円ショップで普通に売っている代物だぜ?」
やはり、そうなのか。300円ショップで買えるのなら、いくらでも証拠を偽装することが可能だ。
――犯人は、どうしても来島花音を犯人にしたかったのか。しかし、なぜ犯人は来島花音に固執するんだ? 私にはそれが分からなかった。
これ以上の追及は無理だろうか? そう思っていた時だった。善太郎があることに気付いた。
「浅井刑事、少しいいか?」
「善太郎さん、どうしたんでしょうか?」
「――来島克彦を呼んでくれ」
「え、ええ……分かりました。少し待っていて下さい」
来島克彦が、何か関係あるのか? 私は善太郎に聞いた。
「どうして、来島克彦なの?」
「ああ、彼なら――花音に罪を着せることができる」
「そうなのね。――ここは、明智くんの言うことを信じてみようかな」
「オウ、オレの言うことは――90パーセントぐらい事実だ」
――90パーセントじゃ、事実とは言い切れないじゃないか。心の中でそう思いつつ、私と善太郎は来島克彦を待っていたが……遅いな。
「――う、うわああああああああっ!」
この声は、浅井刑事!? 彼の身に何があったんだ!?
私と善太郎は声がした方――浴室へと向かった。そこは来島功が殺害された時に来島花音がいた場所でもある。
浴室に向かうと、浅井刑事が腰を抜かしてフリーズしていた。刑事がそれでいいのか。
フリーズする浅井刑事に対して、善太郎が声をかける。
「浅井刑事、一体何があったんだ?」
浅井刑事は、バグったような声で答えた。
「よ、よ、よ、浴槽の中に――か、か、か、克彦さんの遺体が……ありました」
来島克彦が――殺された? どういうこと?
私は、恐る恐る浴槽の方へと向かう。
誰かがぐったりと倒れているな。――頸動脈に触れると、脈はない。
そして、何よりも――湯船が柘榴のように赤く染まっている。これは――来島克彦の血か!
私と善太郎は、来島克彦だったモノを引き上げる。彼の顔は強張っていて、必死で抵抗していた跡も見受けられた。――善太郎があることに気づいたのか、来島克彦だったモノの胸部をまじまじと見つめる。
「これ――心臓刺されてるぜ?」
尖ったモノで刺されているということは――死因は刺殺か。絞殺が2人続いた後に、急に刺殺体。――正直、訳が分からない。犯人の狙いは、一体――何なんだ?
「――はぁ……」
私は、頭を抱えながら――深く溜息を吐いた。