Post Credit 聖夜の奇蹟
数日後。カレンダーは11月から12月に変わり――令和6年という年も終わりを告げようとしていた。
芦屋川沿いでは一般住宅によるイルミネーション合戦が繰り広げられていて、神戸のルミナリエよりも賑やかになっている。――まあ、私はそういうモノに興味がないのだけれど。
そんな中、JR芦屋駅に飾ってあるクリスマスツリーを見上げつつ、私はある人物を待っていた。
待ち人は、芦屋駅の改札口を抜けて――こちらへとやってきた。
「――来てやったぜ?」
私の待ち人。それは言うまでもなく明智善太郎という人物だった。
善太郎は話す。
「あれから――新しいGTRを買ったんだけどな、どうしても新快速で芦屋まで出たかった。理由はわかんねぇけど」
「まあ、そういう日もあると思うよ? 私だって基本的にはバイクで走り回ってるけど、『電車に乗りたいな』って思う時もあるし」
「そうだな。――とりあえず、お前の家へと行くぜ?」
「分かったわよ」
そう言って、私と善太郎はアパートのある方へと歩き始めた。
歩きつつ、私は善太郎と話をする。
「――それで、黒江弥沙と長森知子は結局どうなったの?」
「ああ、それに関してだが――宿南刑事の話によると、2人共吐いたらしいぜ?」
「やっぱり。まあ、罪を認めたことは――語弊があると思うけど『良いこと』だと思う。なんていうか、自分の過ちを素直に認めることって大事だし」
「オウ、そうだな。やってしまったことは正直に言えば良いんだし、隠し通すからややこしいことになる。だから、オレは長森知子も黒江弥沙も『素直な人』で助かったと思うぜ?」
「そうね。――アパート、着いたけど」
そう言って、私はアパートの2階へと上がり、部屋の中へと入った。
善太郎は、立ち上げっぱなしだったダイナブックの画面を見ている。
画面を見つつ、善太郎は話す。
「――これ、新作小説か?」
やっぱり、彼の目にはそう見えるのか。私はやんわりと否定した。
「いや、小説なのは小説なんだけど――一連の事件を小説としてまとめておこうかなって思って書いていただけ。当然だけど、溝淡社に送るつもりはないし、商業で出すつもりもないわよ?」
「そうか。――それにしても、厭な事件だったな」
ああ、厭な事件だった。あの事件で、私は黒江弥沙という黒幕に犯され、心に傷が付いた。心に傷が付いた挙げ句、私は――心の痛みを躰の痛みとして転嫁していた。
それでも、「自分が生きている意味」を見出したからこそ――私はこうして善太郎と会うことにした。多分、どんな精神安定剤よりも、善太郎のそばにいることが一番の精神安定剤だと思っていたからだ。
こたつに入りながら、私は善太郎と話をする。
「今回の事件で思ったけど、私の心は壊れてるのかな。自傷行為を繰り返して、向精神薬の過剰摂取を繰り替えして、その上――犯人から犯された。男性に犯されるならまだしも、女性に犯されるなんて屈辱的だった」
「そうだな。――彩香、ちょっといいか?」
「どうしたの?」
善太郎は、私の前に来て――話した。
「――オレの胸に顔を埋めろ」
そう言われたからには、私は善太郎の胸に顔を埋めた。――優しい音がする。
「オレ、こうやって『誰かに何かを委ねる』ということが苦手なんだ。でも、お前の前なら――なんだって委ねられるような気がする」
肌のぬくもり。心臓の鼓動。呼吸の音。――他人に触れるということは、こういうことなんだろうか。
私は、善太郎の胸に顔を埋めながら――眠ってしまった。
***
見慣れた光景がそこにある。
私の前にいる「私」。それは紛れもなく私の「人格」である。
「人格」は、私に向かって話しかけてきた。
「――結局、死ななかったのね」
私という「肉体」は話す。
「当然よ。私はまだ――死ぬわけにはいかない。皮肉にも、一連の事件で思ったわ」
「なるほど。――まあ、あなたがどう思うかは私の勝手よ?」
そう言って、私という「人格」は私という「肉体」を後ろから抱きしめる。そして、顔と躰をまさぐり始めた。
私の肌をまさぐりながら、「人格」は話す。
「――これが、『生きている』ということなのかしら? 胸から鼓動を感じるわ」
「そうよ。心臓が脈を打つことは――生きていることなの。当然、心臓の脈が止まってしまえば、広瀬彩香という『私』は死ぬ。ただ、それだけの話よ」
背中から、私の「人格」を感じる。肌のぬくもりを感じて、鼓動を感じて、息遣いも感じる。――生きているのか。
私は、その感触を覚えながら――「人格」に質問をした。
「ねえ、私の心は――どうなっているの?」
その質問に、「人格」は答えていく。
「多分、生きているんでしょうね。どういう契機があったのかは知らないけど、私の中で何かが変わろうとしているのは事実よ」
「そうなのね。――分かったわ」
どうやら、死んでいた私の心は生き返ったようだ。
生き返った理由はよく分からないけど、多分――明智善太郎という人間から感じる鼓動やぬくもりが、私という「モノ」を癒やしているのだろう。
***
「――くすぐったいな」
善太郎は、そう言った。――いつの間にか寝ていたようだ。
意識を覚醒させた上で、私は話した。
「眠る前に『私の心は壊れてる』なんて言ってたけど、多分――まだ壊れてないんだと思う」
「そうか。そのことに気づけただけでも良いと思うぜ? 最近、お前――元気がなかったしな」
善太郎の目には、そうやって映っているのか。
そして、善太郎は――私に「あるモノ」を手渡してきた。
「――オウ、クリスマスプレゼントだぜ?」
「クリスマスプレゼント? 一体何よ?」
「お前、こういうのが好きだろ?」
箱を開けると、そこには十字架のネックレスが入っていた。
十字架の真ん中には、ダイヤモンドが埋め込まれている。
「これ、私にくれるの? ――ありがたく頂くわよ?」
「頂いてくれ。オレはそのために買ったんだ」
私は、十字架のネックレスを――身につけた。なんか、シックリ来る。
「――お前、似合うな」
「当たり前でしょ? 私を何だと思ってんのよ?」
鏡を見ると、黒い服の上に銀色の十字架が浮かび上がっていた。――善太郎は、そこまで見据えた上でネックレスを選んだのだろうか。
「それじゃあ、オレは帰るぜ? また何かあったら、いつでも連絡してくれ」
そう言って、善太郎は帰っていった。
善太郎が帰ったところで、私は小説の原稿の続きを書いていく。
それにしても、今回の事件も胸糞が悪いモノだったな。というか、事件というモノは胸糞悪いモノである。胸糞が悪くない事件なんてない。私はこの事件を『紫水晶の殺人』なんて名付けてみたけど、どう考えても『柘榴石の殺人』の二番煎じでしかない。
これから、私という存在はどうなってしまうのだろうか? 今はそんなことを考えている余裕なんてないのだけれど、やはり考えざるを得ない。
とはいえ、これからのことについて悩んでいる間にも、私の指は文字を紡ぎ出していく。余程今回の事件で色々と思うことがあったのだろう。あっという間に原稿の文字数は3万文字を超えていた。
窓の外を見ると、日が沈みかけている。
そして、真っ白いモノが空から降っている。――雪か。多分、今年の初雪なんだろうな。
やがて、六甲山系は白く染まり、芦屋の街にも雪が降り積もっていく。
その景色は、夜空も相まってなんだか幻想的に見えた。――スマホが鳴っている。
メッセージの主は、菱田沙織だった。
――ヒロロン、雪見た? 吹田も真っ白よ?
――そういえば、今日ってクリスマスイブだっけ?
――アタシもヒロロンももう大人だから、そういうモノに対して縁がないと思ってるかもしれないけど、やっぱりこの時期はワクワクするんだよね。
――ちなみに、今日のアタシは独りで寂しくクリスマスパーティーよ?
――メリークリスマス!
メッセージはそこで終わっていた。
他人がどう思うかは勝手だけど、私は――クリスマスというイベントに対して幻滅したことがある。
結局、サンタクロースは自分の親だし、財力に影響されるモノだと思ってしまったのだ。
私の両親は割とそういうモノに関して恵まれていたので、クリスマスプレゼントに対する不満はなかったのだけれど、他人のクリスマスプレゼントを聞くと――自分がどれだけ恵まれているかが分かってしまった。
だからこそ、私はクリスマスプレゼントを14歳の時に買ってもらったダイナブックで打ち切りにしてしまった。というか、自ら打ち切った。これ以上望むモノなんてないし、望んでも無駄だと思ったからだ。
――空に、何かが飛んでいる。
確か、サンタクロースは「トナカイを連れて空飛ぶソリでやって来る」なんて言っていたっけ。でも、普通に考えてそんなソリは――あり得ない。多分、ドローンだろう。
そうだ。クリスマスなら、何か食べなければ。えーっと、チキンとケーキだったっけ。――善太郎が来る前に買っていたな。
私は冷蔵庫からチキンを取り出し、レンジで温めた。タイマーが切れたタイミングでチキンを取り出して、食べることにした。そして、赤ワインをグラスに注いだ。――そういえば、一連の事件で使われたワインはボルドー産の良いワインだったっけ。
でも、私はそんな代物を買えないので――コンビニで買った安物のワインを飲むしかない。
グラスに注いだ赤ワインは、やっぱり血の色に見える。私はこの赤い液体を見る度に、キリストの奇蹟である「水を赤ワインに変える」という話を思い出す。
でも、実際に考えてみるとそんなモノはインチキでしかないと思う。その証拠に、酒税法云々以前に――科学的根拠がない。水はどう考えてもH2Oでしかないのだ。
だからこそ、私は聖書学を学ぶフェーズで――ある結論を見出した。それは「赤ワインは人の生き血である」という結論だった。
赤ワインはその色から「人の生き血」として見立てられるし、吸血鬼も血が飲めない時は赤ワインを飲むという描写がよくある。
当然、他の生徒は私の考えを馬鹿にしていたが、あながち間違いではないと思う。
ちなみに、聖書学の成績は割と悪くなかった。というか、聖書学で赤点を取ってしまったら他の教科にも影響が出るので必死だったのだ。
***
その日は聖書学の最終講習日だった。
教室では、私の他に菱田沙織や岡崎大喜もいた。そして、黒板の前には牧師がいる。
牧師は話す。
「皆さん、今までご苦労さまでした。聖書学は我が大学で勉強を学ぶ上でとても大切な教科です。それは立志館の精神にも繋がってきますからね」
長ったらしいなと思いつつも、私は牧師の話を聞いていた。
菱田沙織は講義中にもかかわらずスマホをいじっているし、岡崎大喜は寝ている。
そして、牧師が「最後に何か質問はないか」と聞いてきたので、私は質問した。
「――牧師さん、キリストの奇蹟の中で『水を赤ワインに、石をパンに変える』なんて言葉がありましたけど、これって科学的な根拠はあるんでしょうか? 私はないと思っています。だって、水はH2Oでしかないし、石はただの石でしかありません。ただ、赤ワインに関して言えばある持論を持っています」
「持論? 中々興味深いですね。――教えて下さい」
「はい。――あの、赤ワインって人間の血液だと思っているんですよ。色が似ていますからね。それで、昔の人間は赤ワインを『人の生き血』に見立てて飲んでいた。そこから転じて、『水を赤ワインに変えた』という伝説が生まれたと思っています」
「なるほど。――分かりました。広瀬さんの考えは面白いですね。確かに、『奇蹟』は科学的根拠が不明ですが、科学が発達した現代だと意外なモノで実現できる可能性があります。広瀬さんは理工学を専攻していると聞きましたが、いい科学者になれると思いますよ?」
「――ありがとうございます」
***
牧師はそうやって言ってくれたけど、結局科学者にはなれなかった。
その代わり、今では小説家という仕事に就いているから、人生まだ捨てたモノではない。
雪は、夜の芦屋を白く染めていく。阪神地区ということを考えると、雪は多い方なのか。
白い雪が降り積もるように、原稿の文章も増えていく。このままのペースだと、今日中には完成するだろう。
そして、明日には善太郎に見せられるかもしれない。
そんなことを考えながら、私は――赤ワインのグラスに口をつけた。
こうなることだろうと思ってクリスマスイブに予約投稿しました。
メリークリスマス!