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ホラー

きっと私は疲れていただけ

作者: 鞠目

 長男が、先週四歳になった。

 ということは、あの日から三年以上時間が流れたことになる。時効って訳じゃないけど、もう話してもいいかな……いや、そろそろ誰かに話したい、聞いてもらって楽になりたい、そんな話があって、ちょっと聞いて欲しい。

 今からするのはうちの長男が生後六ヶ月の頃の話。


 自分が子どもの頃と違って、今は子育てに便利なものが増えたなって思う。その一つがベビーモニター。子どもを寝かしつけた後にカメラをセットすることで、うつ伏せになり息苦しくなってないか、ふとんをちゃんと着ているか、泣き出して起きていないか、子どもの様子をリアルタイムで別の部屋でも見ることができる優れもの。

 最初は高いし買うことに抵抗感があったけど、周りのママ友がみんな便利だって言うから、旦那に相談して買ってみた。そしたらこれがすごく便利だった。

 リビングが一階で寝室が二階の我が家。これがあれば、寝室で寝かしつけた後もちゃんと子どもの様子が見られるから、寝室にわざわざ様子を見に行かなくていいし、安心して家事ができる。言ってしまえば至極当然のことなんだけど、これがすごくありがたい。ベビーモニターが我が家の生活に欠かせないアイテムになるのに、時間はほとんどかからなかった。

 前置きが長くなったけど、今日聞いてほしいのはそんなベビーモニターにまつわる話。


 最初違和感を覚えたのはベビーモニターを使い始めて一、二週間が経った頃だったと思う。

 モニターに映し出された景色を見て、何か変な感じがした。最初は自分が何に引っ掛かっているのか分からなくてもやもやしたけど、すぐに原因がわかった。ベビーモニターのカメラの向きがずれていて、映し出されている部屋の景色が変わっていたんだ。

 ベビーモニターのカメラはテニスボールほどの大きさだった。このカメラの向きが触っていないはずなのにずれていた。

 最初は「なんだ、そんなことか」と思ってカメラの向きを直した。でも、そんなことが一カ月に数回起こると、話が違ってくる。

 80センチほどの高さの、小さなキャビネットの上に置いていたカメラを、まだつかまり立ちもできない子どもが触れたということは考えられない。何かをぶつけた記憶はなく、私も旦那も動かした覚えもない。

 JRの線路沿いに住んでいることもあり、家の中にいると電車が通る時に振動を感じることがある。その振動で少しずつ動いたのかなとも考えたけれど、他のものは動いてないので振動も関係なさそうだった。

 あと、カメラのずれも気になったけど、もう一つ気になることがあった。それは子どもの視線だ。


 子どもを寝室に連れて行きベビーモニターを起動しようとすると、必ず子どもがすごく不思議そうな目で私を見た。

 最初はカメラが気になるのかなと思っていた。でも、どうやらそうではないらしい。カメラを置いているキャビネットの下あたりをただただ不思議そうに眺めていた。他の部屋や、寝室でもカメラをつける時以外はそんな行動をしないので、なんだか妙に胸に引っ掛かった。

 子どもの視線について、一度旦那に話したことがある。すると「それ、おれも思ってた」と言い、旦那も首を傾げながら、なんだか気になるよな、と言った。


 些細なことながらも、二つの気になることが続いたある日、私はそれを見た。


 旦那が休日出勤をした土曜日。十一時に離乳食を終え、その後二時間ほど昼寝をした子どもが起きるのを、台所でモニター越しに見た私は、食器を洗う手を止めて二階へ向かった。

 寝室に入ると子どもがお座りをしてしっかりと目覚めていたので、私は子どもの頭を一度撫でてから抱っこをして一階に向かった。リビングでオムツを替え、再び抱っこをしながらソファーに座ると、光るモニターが目に入った。いつもなら子どもが起きて一階に降りる時はベビーモニターのカメラの電源を切るのに、その日は切り忘れていた。

 後で電源を切ればいい、そう思ってモニターの電源を切るため手を伸ばそうとしたが、私はすぐに手を止めた。

 私は驚いてモニターを凝視した。だってモニターに変なものが映っていたから。


 紫だった。人間の赤ちゃんのような形をした、くすんだ赤紫の粘土の塊のような何か。それがお座りをしてこっちを見ている。

 顔はない。乱雑に丸めたような歪な顔には目も鼻も口もない。しかし、画面の向こうから薄い紙なら穴が開きそうなぐらいまっすぐな視線を感じる。

 怖いのにモニターから目が離せず、私は動けなかった。声を出すこともできず、息苦しさを感じる。一体私はどうしたらいいんだろう、そんなことを考えていると、紫の何かはゆっくりと動き出した。

 それはゆっくりと、しかし、強い意志を持ってまっすぐにカメラに向かってはいはいをしてきた。そして、キャビネットにつかまり立ちをすると、カメラに向かって手を伸ばしてきた。

 少し距離があるのだろう。伸ばされた手はカメラにかするだけで掴めないようだった。指が触れる度に画面に映る部屋の景色が少しずつずれるのを感じるが、近すぎるせいでピントのぼけた紫の手が、何度も何度も画面の大半を埋めつくす。

 小さな指が擦れる音と共に動くカメラ。その様子を私は呆然と眺めていたが、腕の中でもぞもぞと子どもがぐずり我に返った。

 私はモニターに手を伸ばして画面を切ると、ソファーから立ち上がりぐずる子どもあやすことに専念することにした。


 私は疲れていた。

 毎日残業で帰宅が遅く、育児休暇を取れない旦那。休みの日も疲れたと言って週七ワンオペによる育児。どちらの実家も遠くて頼れない状況。連日の夜泣き。私は疲れていた。だから変なものが見えた。私はそう思うことにした。

 寝室に変なものなんていない。ただ、ちょっと私が疲れていただけ。そう、ちょっと居眠りをしてしまい、変な夢を見たのだろう。絶対にそうに違いない。そうじゃないと今後ベビーモニターが使いにくくなってしまう。ベビーモニターなしの生活なんて今の私には不可能だ。

「ねえ……ママは何も見てないよね?」

 私の腕の中からこちらを不思議そうに見上げる我が子に同意を求めた。私の声は震えていた。返事はなかったけど、笑いかけてくれたので私は良しとした。


 その日以来、私は寝室から出る時は絶対にカメラの電源を切るようにした。寝室に子どもがいる時はこれまで何も問題がなかったので、たぶん今後も大丈夫だと私は考えていた。

 根拠なんてなかったけど私の考えは正しかったようで、変なものが見えたのは一度きりだった。だから、旦那には理由を言わなかったけれど、カメラの電源を切り忘れないように口うるさく言い続けた。

 カメラの電源を確実に切るようにしてからも、カメラの向きは動いていた。けれど、私は無意識にぶつかって動かしてしまっていることにして気にしないようにした。見なければいないのと一緒。あの日私は夢を見ただけ。自分にそう言い聞かせながらベビーモニターを使い続けた。

 子どもが二歳になる頃には夜泣きをしなくなり、一人で寝かせていてもあまり心配しなくなっていた。そして、徐々に自然とベビーモニターがなくても困らなくなり、子どもが二歳八ヶ月になるとほとんど使わなくなった。

 ベビーモニターをクローゼットの奥に片付ける時、きっともう使うことはないだろうな、そんなことを思うとなんだか肩が軽くなった。ずっと我慢していたプレッシャーから解放されたような気がした。




 どうして今この話をしたくなったのか、それには理由がある。うちの次男がそろそろ生後六ヶ月になるので、ベビーモニターを使おうと思ったことがきっかけ。

 新しいのを買おうかとも考えたけど、前に使ってたのが使えるかもしれないと思い、一昨日旦那が子ども二人と旦那の実家に出掛けている時にクローゼットから引っ張り出してみた。それで寝室にカメラとモニターを持って行き、前と同じ所にカメラを置いて電源をつけてみた。

 カメラは問題なく起動した。まだ使えることがわかり、良かったと思いながらモニターの電源をつけようとした時だ。

 カメラが動いた。不規則に、少しずつ、まるでつかもうとした手の指先が何度もかすっているみたいに、ずりずり、ずりずりと……


 モニターが起動するかどうかは、まだ確認できてない。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  これは怖い。  リアル体験談ですか?と聞きたくなるくらい。  「アレ」が何なのか害があるのか無いのかわからないのがミソですかね。 [一言]  触らぬ神に祟りなし、なんですがそのためにまた…
[良い点] ひいい……やっぱり鞠目先生のホラーは恐いですねぇ。人が死ぬどころか誰ひとり傷をつけられていないのに、こんなにゾッとするなんて流石としか。
[良い点] じわ〜〜〜〜〜〜っと怖いですね。 [一言] 違和感を「なかったこと」にするのは良くないかもしれません。。|(°_°;)| Ajuも時々ありますねぇ。 触った記憶がないのにモノが動いていた…
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