表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/73

献金、婚約 1

作者は伊予出身なので京都弁は分かりません。また、ほかの会話でも、共通語だと思って伊予弁で喋らせて言るかもしれないので、その場合は誤字報告をお願いします。

1545年7月 観音寺城

 石鹸、洗濯板に続きクロモジの生薬、樟脳の販売を販売し始めた。これがよく売れるのである。やはり頭髪、虫刺されの問題はいつの時代も人類共通の悩みなのである。


 「若様、こちらが今月の上がりにございます。」


 商品の販売を一任している三雲定持から、今月の売上の一部が収められる。売上の一部と言っても数千貫である。銭はたまってく一方であり、俺と定持は新しい蔵を立てなければならないほどだ。


 定持を部屋から下がらせた後、石鹸を作り始めたころに製作を依頼していたガラス細工が、ある程度形に成ったそうだ。そして今、数人の職人達が、試しに作らせていたガラス細工の試作品を持ってきた。今までの不格好なガラス製の器等とは違い、形が整い細工が施されたものが渡された。幾つかは、おそらくマンガンが混入したのからなのか薄い紫色をしていた。この紫色のガラス細工は朝廷への献上品として、取っておこう。


 遂に朝廷工作のために必要な物品かそろった。来月に後奈良天皇が、伊勢神宮に朝廷の困窮が原因で大嘗祭を催行できないことを謝罪する宣命をだす。ここへ大嘗祭を催行するための資金を、六角氏から幕府を通して提供する。対価としてはなにも要求しない。これは今上天皇が後奈良天皇であるからだ。


 後奈良天皇は慈悲深く、清廉な人柄である。そこへ、献金の代価に官位を求めてしまうと、献金を受け取ってもらえないだろう。それに、来年の12月17日に従四位下に祖父定頼が任官される。これを正四位に出来る可能性が出来るだろう。朝廷、幕府共に権威、権力は落ちてしまったがその力は、未だに侮れるものではない。両者とも仲良くしておかなければ畿内の乱世を良く伸びることは出来ない。


 ガラス細工を携え、父義賢の元を訪ねる。部屋に入ると、書状を書くのを止め、こちらを見ると顔を綻ばせて迎え入れてくれた。


 「亀寿丸、何か持ってきたようだがどうしたのかね。」


 「お父様、突然の訪問申し訳ありません。是非これを見ていただきたいのです。」


 そう言って部屋に入り、ガラス細工達を机の空いている場所に並べていく。父義賢がその内の一つを手に取り、興味深そうに眺める。


 父義賢にこの器は、正倉院に収められている瑠璃杯と同じ材料で作られていることを説明する。これを足利将軍家に献上したい事、さらに足利将軍家を通して朝廷に献金をしたい事を伝える。手土産として、そのうちの一つを父義賢に送った。


 父義賢は、ゆっくりと考え込んだ後俺の頭を撫でながら祖父定頼に話して見ると言った。そして、幾ら献金するのかと聞かれ、朝廷に5000貫、幕府に1000貫の計6000貫を献金したいと答えた。父は驚きながらも、了解したと言った。


 義賢は、亀寿丸が突然部屋にやって来て瑠璃杯を持ち込んだこと、献金をしたいと言ってきたこと、そしてその額金に驚きを隠せないでいた。しかし、定頼に話すと言ってしまったので、目の前の事に一区切りをつけると、病で寝込んでいる祖父定頼の部屋に向かう。部屋に入ると少し体調が良くなったのか、起き上がって書物を読んでいた。


 「父上、亀寿丸からのお願いがありまして。」


 「亀寿丸からか。どのような願いなのだ?」


 亀寿丸が幕府に1000貫、朝廷に5000貫とそれぞれに瑠璃杯を献上したいと言った事を伝えた。


 定頼はそれを聞くと笑い始めた。中々笑わない定頼が大笑いし始めたので、義賢は父が気が触れたのではないかと心配した。定頼はその心配を一笑に付すと、筆と紙を用意し一息に書状をしたため、永原重隆を呼び出し、書状を渡すと上洛するように命じた。続いて進藤貞治を呼び出すと、銅銭と瑠璃杯を受け取りそれを護衛しながら、進藤貞治に続けと命じた。


1546年6月 御所

 永原重隆、進藤貞治は、定頼の命を受けそれぞれの使命を果たすために上洛し、将軍との面会を取り付けた。将軍側も、自分達が頼りにしている大名の使者と言う事で、面会もすんなりと行われた。


 将軍足利義晴は、重隆から渡された六角定頼からの書状を読みながら自らに献上された銅銭、瑠璃杯を交互に見た後、瑠璃杯を興味深そうに眺めながら口を開く。


 「六角殿の幕府、朝廷への忠誠しかと受けとった。朝廷への献上の品々は幕府が責任をもって献上させよう。そして、六角殿には援助への感謝、これからも頼りにしている事を伝えてほしい。」


 そう言って、義晴は言葉にしたことを自ら文書に起こし、永原に手渡すと書状を受け取った永原は恭しく頭を下げて部屋から退出した。


 永原が下がった後、義晴は内談衆を集めた。義兄に当たる近衛稙家も参加した。議題は、六角氏の扱いについてだ。現在、義晴を支える大名は実質六角定頼だけである。管領の細川晴元は、同族の細川氏綱との争いに忙殺され幕政に関わる余裕はなかった。さらに、義晴と晴元は非常に仲が悪い。一例として、

1545年2月に義晴は御所での酒宴で臣下に酒を与えたが、晴元には「意趣」(怨み)ありとして酒を与えなかった事がある。対する晴元も、同年の暮れに臣下が歳末の賀辞を献じるために参上した際、晴元だけは参上しなかったことがある。


 義晴の心配の根幹は、仲の悪い細川晴元が六角定頼の娘婿であると言う事だ。もし、細川晴元と対立するようなことがあれば、六角定頼は細川晴元の肩を持ち義晴を支持しない可能性がある。それを防ぐ為に、近衛稙家の娘であるひ文字姫を義晴の養女として六角定頼の孫である亀寿丸に嫁がせたいと言う事である。


 「此度、六角殿が幕府、朝廷に献金してきたことからもわかるように、六角氏の勢いは大きくなりつつある。晴元の奴が頼りにならん以上、六角家、我が足利家と近衛家の中を深くしておくことは、幕府を維持することにおいて必要なことであろう。」


 「左様、左様。六角氏は宇多天皇を祖とする宇多源氏の近江佐々木氏、その嫡流であるゆえ血筋的にも不足はあらへんやろう。家格の方は今回朝廷への5000貫献金のおかげで新嘗祭が開ける。その褒美として官位を送ったら何とかなるやろ。」


 義晴が六角氏との仲を深めることの必要性を話し、稙家が婚姻の現実性を説明する。主君に此処まで熱弁されてしまっては内談衆としても、反対することは出来ない。ここに、六角定頼に亀寿丸とひ文字姫の婚約を提案することが決まった。


 

意見、感想お待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] おかしくは無いけど、「何とかなるやろ」って昔の人がいってんのおもろいな
[一言] 従四位下と正四位が漢数字じゃないのが少し気になりました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ