浅井猿夜叉丸誕生
これからも不定期に投稿していきます。
1545年 5月 観音寺城
南山城あたりで活動している細川氏綱に対処している細川晴元への援軍として、宇治に出兵したが大きな戦とはならなかったと三雲定持から聞いた。他に大きな動きが無いかを定持に問うと、六角氏当主である祖父定頼が病に臥せっているのもあり、六角氏としては大きな動きはないとのことだった。
最近、暇を見つけては石鹸作りをやっている。内政チートの定番である。そして、現状の石鹸作りにおけるボトルネックなのが油の確保である。今は明かり用の油をこっそり拝借しているが、将来の大量生産時の油の確保に頭を悩ませている。さらに、石鹸を贈答品、一般品などのグレードに分けて複数の油を使いたい。候補としては、高級品用の米油、椿油と一般品用の獣脂というようにだ。そして、この獣脂が一番頭を悩ませる問題である。戦国時代の日本で畜産をやってるわけがないので、大量の獣脂を入手することが困難なのである。この問題は、俺が当主になるか、領地を得てから考えることにした。
こうして、俺が石鹸づくりや油の確保に頭を悩ませていたころ、史実において六角氏に大きな打撃を与えた人物が、観音寺城城下町の屋敷で誕生していた。
何時ものように定持から色々な事を学んでいると、浅井氏当主浅井久政から人質として送られてきた久政の正室が男子を産んだことを聞いた。どうやら幼名は猿夜叉丸というらしい。
猿夜叉丸、後の浅井賢政。長政といった方が有名であろうか。元服後、六角氏に反旗を翻し六角家没落の一因となった男である。俺からすると中々憎い相手である。しかし、中々彼は優秀な人物である。できれば、織田信長などのこれから台頭してくる勢力への六角氏の武として活躍して欲しいものだ。敵に回れば恐ろしいが、味方になってくれればとても心強い。できればこの世界では六角氏の元で浅井氏に活躍して欲しいものだ。
6月 観音寺城
遂に石鹸づくりにおいてある程度の成果を上げることが出来た。固形石鹸を安定して作りだせるようになったのだ。香りづけはクロモジを使用することにした。クロモジは養命酒に使え、他にも枝葉をお茶にしたり、生薬にすれば脱毛予防、フケ防止、インフルエンザ感染予防等の効果があるとされている。史実では化粧品や石鹸などに使用され、日本特有の香料として1970年代まで欧州に輸出されていたのだ。
まず、人に勧める前に作成された石鹸を自ら使用して実験を行っていた。具体的には、体や衣類を石鹸で洗うようにして不具合が起きないかを調べていた。約2週間使用していたが特に不具合が起きることはなかった。しかし、石鹸で体を清潔に保てるのはとても嬉しい。
遂に完成した石鹸を目の前にして俺は考え込んでいた。どうやって販売するかだ。隣にあるクロモジの生薬の方が現状売りやすいのではあるが、そもそも商人とのコネクションがない。困った時の定持である。早速彼を呼び出し、何とかできないか相談を始めた。
「なるほど、若様が仄かに良い香りを漂わせていた理由がわかり申した。石鹸とやらを使っておられたと。某はてっきり香を焚いているのかと思っておりました。」
「石鹸をつくってみたのは良いが果たして、売れるだろうか。」
そう質問すると、定持は腕を組んで考え込む。いきなり売り込むのはやはり、難しいのかもしれない。これから色々やりたい事があるのに、その第一歩で大きく躓くとは思わなかった。
「身体を清潔に保つ以外にも、洗濯等にも使えるのだが。これは売り込む要因にはならんだろうか。」
「若様、某も石鹸とやらを今し方知ったばかりにございます。若様を疑う訳ではございませんが、使って見なければなんとも言えませぬ。」
そう言われて、自分の思い至らなさがわかった。何も知らない未知の品をいきなり売れないか、は確かに無理難題である。まずは、効果を知ってもらうことから、始めなければならない。
「定持、すまなかった。つい、石鹸を作れた喜びで其方が何も知らないことを失念しておった。石鹸を渡す故、使用してみてくれないか。」
「若様が身を粉にし作られた一品、是非とも使わせていただきます。」
この後、好奇心旺盛なのは良いが自分の身体を実験に使用した事を軽率であると怒られてしまった。しかし、一人に石鹸を渡すことができた。洗濯板もつけて渡しておいたのでどんな感じなのか感想を聞くのが楽しみである。
1545年7月 観音寺城
三雲定持に、石鹸とついでの洗濯板を渡して少しの時が経った。
定持から石鹸の感想を聞くために部屋に呼び出すと、定持の後を呼んでないはずの父義賢を筆頭として家臣達がぞろぞろと部屋に入ってきた。
何がどうなったか分からずに定持を見ると申し訳なさそうな顔をしながら口を開いた。
「若様から送られた洗濯板が思いのほか下人達に評判でありまして、それが一気に他の家の下人に伝わりました。そこでここにいる皆様の奥方が、若様より洗濯板と石鹸を売って貰ってないかと言われてここに参ったのです。」
まずは三雲定持からの意見・感想を聞いて改良しようと思っていたのだが、ここまで一気に広まるとは思ってもいなかった。
呆気にとられていると父義賢が口を開いた。
「亀寿丸、我が正室も含め皆の奥方も鬼気迫る様子で洗濯板を手に入れて来いとの事だ。もし手に入れれなければ皆屋敷には帰ることが難しい状況なのだ。どうにかしてくれんか。」
戦国時代は正室の力が強いと聞いていたがここまでだとは思わなかった。石鹸なら、ともかく洗濯板は俺が使っているのも含めて、5,6枚しかない。何とか石鹸を父、家臣達に渡し、洗濯板は自分用の1枚を残し定持と父に渡すことにした。貰えなかった他の家臣には早急に制作、渡すことになった。
自信作の石鹸よりも、片手間に作った洗濯板の方が人気なのは釈然としないが、両方とも大いに売れたので結果をみると良かったのかもしれない。
三雲家のコネを活かして商人にも少しづつ買って貰うことが出来た。また、父義賢を経由して祖父定頼から、何とか将軍足利義晴に献上できないか、試行錯誤している。
かなり儲ける事が出来たので、これを原資にどんどんやりたい事をやっていきたい。何とか六角氏を国持ち大名として、江戸時代までは存続させるのが最終目標である。
洗濯板はやる夫のスレからインスピレーションを得ました。やる夫はいいぞ。
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