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次男誕生

帰省してたのでさぼってました。

1544年2月6日 観音寺城

 この体に転生して早くも4年が経った。最初に自らの名前が亀寿丸だと知った時は、絶望した。六角高頼に転生してしまったのかと。しかし、勘違いであることがすぐに判明した。父が六角義賢、祖父が六角定頼だったからだ。しかし、1540年には六角義賢には子供がいなかったはずなのだが。どうやら、この世界では父義賢に1539年6月8日に能登畠山氏から嫁いできた女性から俺は生まれたらしい。しかし、俺を産んで数日の内に亡くなってしまった。そこで祖父定頼は再び、能登畠山氏から父の嫁をむかえたらしい


 今日、俺からみたら継母に当たる人物が産気づいている。男子で幼少の俺に出来ることもなく祖母の慈寿院と祖父と一緒の部屋で過ごしている。今、祖父の膝の上に乗って祖父が書いたお経を見ている。元々僧侶であった祖父にとって、お経など暗記して当然なのであろう。お経を貸してほしいと強請ると快く貸してくれた。中々の美文で書かれている。美文家であったのは、本当だったようだ。


 とうとう、子供が生まれそうと言う事であちらこちらから聞こえるお経が大きくなる。祖父も俺を膝に乗せたままお経を唱える。1,2時間ほど経ったとき、部屋に後藤賢豊が部屋に入ってきた。


 「御屋形さま、義賢さまに男児がお産まれになりました。」


 「分かった。奥方の体調を気遣うように。」


 「はっ。」


 祖父が後藤賢豊と短い会話を交わすと部屋から下がらせる。祖父の顔は少し笑顔になっていた。そのまま、膝に乗っている俺に話しかけてきた。


 「亀寿丸、そなたの弟が産まれたぞ。そなたは、これから兄となるのだこれからより一層、事に励むのだぞ。」


 「はい、おじい様。」


 「良い返事じゃ。素直なことは良いことじゃ。」


 俺の答えで気分が良くなったのか、笑顔を浮かべ、大きな手で俺の頭をなでる。この好々爺をみると、天下を宰領している六角定頼と言われても誰も信じないだろう。


 生まれた年代を考えると、今日産まれた赤ちゃんが将来の六角義治だろう。よって、俺が史実では存在していない人物である事が確定となった。産まれるならせめて、弟として生まれたかった。このまま、成長し当主となるとあの織田信長と付き合わないといけなくなる。しかも、六角氏の家系は曾祖父六角高頼をはじめとして、長生きの家系なのだ。何とかして、大名のまま戦国後期を生き抜きたい。


 このような事を考えていると段々眠たくなってきた。いくら意識が青年とはいえ、体はまだまだ幼いのだ。睡魔に抗うことなく目を閉じて眠りに入った。


 「どうやら亀寿丸は眠ってしまったようだな。」


 定頼は自らの膝で眠り始めた孫の頭をなでながら慈寿院に話しかける。その顔は、亀寿丸が起きていた時のような好々爺とした雰囲気は一切なく六角氏当主としての雰囲気を纏っていた。


 「義賢にはどちらを跡継ぎにするかはともかく、絶対に跡継ぎ問題で家中を割るようなことがないように言い聞かせなければならん。お前の方からも言っておいてほしい。」


 「分かりました。」


 「それと、亀寿丸の事だが、もし儂がこの子が分別つくまでに死んでしまったら、お前が後見してやって欲しい。」


 「言われずとも分かっておりますとも。」


 定頼が危惧しているのは、今日産まれた赤子が六角氏の跡継ぎ問題の火種となってしまうことである。義賢の正室が、前妻との子供である亀寿丸を差し置いて当主にさせようと活動しないかを危惧している。自分の目が黒い内は、そのような事をやらせないつもりであるが、自らの死後も安泰にするために息子と弟達にきつく言っておくつもりである。


1544年2月16日

 あれから10日が経った。母子ともに健康であるらしい。父義賢は、この報告をうけ安堵していた。やはり、俺の母が体調の急変で亡くなったことがトラウマになっているのだろう。他人から見てもわかるほどにほっとしていた。


 そして、俺の弟正確には異母弟だが、初名が承亀丸となった。どうやら、この世界は俺が生まれたこと以外は極力、史実と同じ道を歩もうとしているのだろう。この事実はとてもありがたい。これからのでき事を知っていることがこの世界を生き抜くためにちゃんと有利に働いてくれるだろう。

 

六角義賢について

 六角義賢はよく創作物に出てくるときの扱いがあまり良くありません。私が知る小説は主人公の踏み台やかませ犬のような描かれ方がされているものがあるます。しかし、このような義賢像は必ずしも正しいとは言えません。六角氏研究者の村井祐樹先生曰く、義賢は研究者気質の人物であったことが推測されるそうです。また、1545年に公家の山科言継が寺院と知行地に関する裁判に負けてしまったのでもう一度やり直してもらうべく、義賢に賄賂として三条西実隆直筆の源氏色葉抄を送った事例があります。この事例は義賢が古典文学に興味をもち関連書籍を収集していた事がわかります。つまり、文化にも精通しているということです。武芸でも天下無双の名人吉田一鴎が、ただ一人日置弾正の的伝の弓法をつたえた弓の名人なのです。


政治の分野のおいても幕府のみならず朝廷からも頼りにされており、確固たる地位をきいずいています。


長くなったので政治の分野は次の話のあとがきにかきます。


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