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悲劇

これから、ぼちぼち投稿を進めていきます。

1540年12月18日 観音寺城

 六角義賢の嫡男が誕生してから早くも7日が経った。城内に住む家臣たちは、各々祝いの品を携えて本丸に向かう。多くの者は馬、鎧や刀を祝いの品としている。ある家臣は自分の息子に白の水干を着せ、馬に乗せて、それぞれ、嫡男への贈り物である兜、甲冑、弓、槍、刀などを持たせて、本人は駿馬を曳いてきた。そして、本丸前の広場で披露した。


 家臣達は祝宴の為に本丸の一部屋に集められた。家臣たちは衣服を正し、定頼達の到着を待つ。七日夜の宴は義賢の嫡男の幼名が発表されるのである。生まれた赤子が遂に六角氏の一族として認められるのである。


 定頼、義賢が部屋に入り、上座に座る。そして、定頼がゆっくりと家臣たちを見渡し、口を開く。


 「諸君、我が孫は無事に七日夜を迎えることが出来た。また、多くの祝いもの、とてもありがたく思う。幼名は義賢から発表がある。」


 そう家臣たちの苦労を労うと、義賢に会話のバトンを渡す。義賢は少し前に出ると紙を広げ、幼名を読み上げた。


 「幼名を亀寿丸とする。」


 亀寿丸。六角定頼の父である六角高頼の幼名である。家臣たちは皆頭を下げ、正式に一族に加わった事を祝った。そして、宴会は先例に習い粛々と進んでいった。


 宴会も終わり家臣達が皆、自らの屋敷へ帰った。定頼、義賢も別の部屋に移動して話し込んでいた。


 「妻は産屋から出ることはできましたが産後の疲れが大きいのか体調がすぐれません。医者にも掛からせましたが本人の気力次第だと。」


 「うむ。そなたの心配はよくわかる。だが、お前の母もお前を産んだ時も2週間ほど体調が優れなかったが今は元気である。お前は儂の後を継いで六角の棟梁となる身。どっしりと構えなくてはならん。」


 義賢に言い聞かせるように話す。研究者気質の息子のことだ思いもよらぬことで神経質になっているのだろう。もう少し、予想外の事にも動ぜずに対応出来たら言うことはないのだが。これは、経験を積ませるためにも領国内の政に今までよりも深く関わらせるべきなのだろう。


 「義賢。お前にも息子が出来た。そして、私はもう47歳。残された時間は多くない。これからは、領国内の政により深く関わってもらう。今や我らは大樹の後ろ盾となり、畿内の政治に大きく関わっておる。私の跡継ぎたるお前にもこの畿内の政治を仕切れるようになるためだ。」


 黙ってうなずく息子に下がるように伝える。部屋を出ていく息子の後を遅れて部屋を出て寝所へ向かう。


 12月19日

 いくら嫡男誕生で宴会が続いたとしても定頼の元には各方面からの書状が山のように届く。その中でも最も定頼の頭を悩ませているのが将軍足利義晴である。いくら後ろ盾に気を遣う必要があるからと言って重要な案件を悉くこちらへ投げ込んでくる。最近は少し京の状況が落ち着いているので書状は多くはない。だが、家中を纏め、領国の政をこなし、さらに遠国の事まで考えないといけないのは体に応える。


 四苦八苦しながら、捌いていると正室である慈寿院がお茶と茶菓子を持ってきた。


 「殿、もう若くはないのです。マメに休息を入れられては。」


 お盆から、湯飲み、急須、茶菓子を机に並べる。急須から湯飲みにお茶を注ぎ、定頼に進める。定頼は茶を一服して、愚痴をこぼす。


 「応仁の乱以降、天下の乱れは激しくなるばかり。他の国持大名は互いに争うばかりで誰も大樹を支えようとはしない。肝心の大樹は何かあればすぐに近江に逃げてこられる。」


 「殿の苦労はよくわかります。しかし、孫が生まれたのですからそのように辛気臭い顔ではなく、笑顔でいてくださいな。」


 そう、諭される。どうやら、思いが顔に出ていてしまっていたようだ。毎日の宴会や客人との立ち合いなどで疲れていたからだろう。顔の筋肉をほぐすためにゆっくりと顔を揉む。そして、慈寿院の方を向く。


 「良い顔になられました。」


 「そうか、良かった。祝い事がひと段落着いたら少し休もう。」


 少しの間、たわいのない話をしているとドンドンと大きな足音と共に、大原高保が部屋に飛び込んできた。定頼の代わりに陣代を勤めたり、使者として交渉を行う切れ者である。そのような彼が、慌てた様子で部屋に転がり込んできたのだ。


 「あ、兄者、大変だ。義賢の奥方が急に体調を崩され、そのまま亡くなられてしまった。」


 「なっ。どういうことだ。体調は快方に向かっているのではなかったのか。」


 高保からもたらされた報は定頼夫妻を大きく驚かせた。彼らは、ゆっくりとだが回復しているという報告を受けていたからである。しかし、高保が嘘を言うとは思われない。とはいえ、自らの目で見ないと信じることもできない。


 高保に案内を受け、義賢の奥方の遺体が安置されている部屋に入る。そこには義賢と彼に抱かれた亀寿丸が遺体を前にして泣いていた。側に控えている乳母と侍女は、どうすればよいのかが解らないのか、ただ部屋の隅で立っているままだった。


 慈寿院が動いた。彼女は義賢から、亀寿丸を抱き上げると乳母に彼を渡し部屋から下がらせた。そして、泣いている義賢の背中をなでながら慰め始めた。特にこの場で出来ることはない定頼と高保は、遺体に手を合わせ、部屋から出た。定頼は、高保に葬儀の準備をするために家臣を集めるように命じた。


 定頼は自らの部屋に帰ると、遺体が安置されている部屋の方角に向かいお経を唱え始めた。彼女が物心つくまでに母を失った亀寿丸を守ってくれることを祈って。

意見、感想、評価おまちしております。


これからは、余裕とネタがあれば少しでも佐々木六角氏について知っていただくために、六角定頼について解説したいと思います。


定頼の幕府に対する権力


 天文8年~天文10年頃の幕府の事案の処理の仕方を見てみると、「定頼から・・・と将軍から命じた方がよかろう、と言ってきたので将軍にその旨を伝えたら、そのようにしろ、とのことだった」というパターンである。これは幕府内の政務の事実上の決定権者が定頼であったことをしめすものです。これが、天文8年~天文10年頃の幕府の意思決定の基本構図のほぼ全てこの形であります。


 大きな政治判断を必要とする案件は、軒並み定頼任せでありました。将軍の返答も「とにかく定頼に言ってくれ」で、これは、定頼が天下を宰領していた、事実上の天下人と言えるでしょう。


参考文献 六角定頼 村井祐樹著

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがとうございます。 当時の将軍や管領(細川)のグダグダっぷりを見れば、周囲が「もう管領代殿に全部まかせちゃおうよ」って思われても仕方ない情勢だったからなぁ。 母を亡くした我等が主…
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