7.宿屋
午前は、ピピンとリックに街の案内や、この国の主たる法律などを教えてもらい過ごした。
どうも飲みながらリクウがそういった約束を取り付けていたらしいが、朝になってルリに教えてもらうまで知りもしない話であった。
ヴェローズの街は大陸の南側に位置する比較的大きな街であり、交易の中継地としてほどほどに栄えているらしい。
もっと南に行けば港街があるらしく、そこから運ばれる交易品が多く取引されているのだそうだ。
ヴェローズの何よりも良いところは、治安がいいことらしい。
浪西涯では妖魔の王が打倒され、統率を失った妖魔が熾烈な権力争いを繰り広げているとの噂であったが、そういった争いが行われているのは大陸の北半分が中心であるらしかった。
南も南であるヴェローズにはそういった妖魔――ピピンたちは魔族と言っていた――の争いは皆無と言っていいらしい。
妖魔調伏が最たる仕事である武僧としてはなんとも言えない情報ではあったが、平和なのは喜ばしいことだ。
他にリクウが得たものといえば金だ。
ジュテン僧正から餞別として受けた金子だが、当たり前ながら真都揶の貨幣はそのままでは使えないものだった。
ピピンにそれを見てもらったところ「これ、換金できますよ!」と言われて換金をしてもらうことになった。
貴金属、というのはどの国でも価値があるらしく、リクウの持っていた金はそれなりの額の金になった。
これで当面の生活は保証されたことになる。
昼もまた肉を食べた。肉料理は最高である。
ピピンたちと昼食を共にし、その後別れた。
リクウは目的もなく大通りを歩き、ルリもそのあとをトコトコと着いてきている。
どうやら人通りが多い場所で宙に浮かないくらいの分別はあるらしい。
昼間ということで人はそう多くなかった。
照りつける太陽は暖かく、風はない。雲はまばらで青い空がよく見える。
大通り沿いには多くの店があったが、リクウたちに声をかけてくる者は稀だった。
やはり真都揶の服装というのは、この国では相当に珍しいのだろう。
日が暮れるまではまだしばらく時間はありそうだった。
日は傾き始めているとはいえ、まだ一刻は明るい時間が続くであろう。
路銀が確保されたからには浪西涯の商売を見物するのもいいだろうし、早めに宿を確定させるのも悪くはなさそうである。
そんなことを考えながら大通りを歩いていると、リクウの目に気になる人物が映った。
女性である。
年齢はおばさんとおばあさんの中間くらいに見える。
気になったところは、その荷物だった。
間違いなく重量があると思われる袋を右脇にかかえながら歩き、しばらく歩いては降ろして左脇に持ち替え、またしばらく運んでは右脇に持ち替えと繰り返しながら亀のような歩みで進んでいるのだ。
リクウは見兼ねて近づき声をかけた。
「もし、そこの御婦人、よろしければそちらの荷物をお持ちしましょうか?」
リクウの声に女性は一瞬だけ救われたような目をしたが、リクウを見てその目は曇った。
「い、いやいいよ。そんなに大した荷物じゃない」
「いえ、ですがどう見ても無理をされている様子。拙僧がお運びしましょう」
女性は困ったような顔をしていた。
文化の違いで困惑させてしまったか、とリクウは思ったのだが、すぐにそうではないことに気付いた。
その視線が、リクウの全身を睨めるように見ていたからだ。
リクウの格好に警戒しているのだろう。
リクウとて奇天烈な格好をした相手から手伝いを申し出られたら警戒もしよう。
「のう、お困りのようじゃし、この坊主の申し出を受けてはどうか。なに、悪いやつではない。それは妾が保証しよう」
見兼ねたのか、ルリが助け舟を出してくれた。
女性はルリとリクウを交互に見ては難しい顔をしていた。
「そ、それじゃあお願いしようかしら」
「任せてください!」
リクウは女性の置いていた袋をひょいと担いだ。
なるほど、たしかに女性には厳しい重量かもしれない。
触り心地から麻袋だろうか。中には穀物類が入っているのではないかと思われた。
女性が感嘆の声を漏らしていた。
「あら、力持ちだね。それじゃあ着いてきてくれる?」
女性が先立って歩いた。
リクウはその後へと続く。
「どうじゃ? 妾のかわいさもなかなか役に立つじゃろう」
とルリが見た目に似つかわしくない陰気な笑みを浮かべる。
決定打がルリなのは間違いない。強盗か、悪さを企む者であれば子連れという可能性はかなり低いだろう。
そういったところから、女性の天秤は手伝ってもらう方に傾いたとは思うのだが、それを素直に認めるのはなんだか面白くなかった。
だからリクウはこう言った。
「違うね。俺の滲み出る人徳が伝わったに決まっているだろうが」
***
「なんだい! じゃあアンタはマトーニャから来たっていうのかい!?」
「ええ、はるばるやって参りました」
「ダリーシャ港では東への船も出てるってのは聞くけど、どのくらいかかったんだい?」
「一日で、ビュン! って感じじゃ」
ルリが口を挟んだ。
「いいや違うね、あれはビュンじゃあないだろう。あれはなんというかすーっという感じだろ」
「それはそうじゃが、速度的にはビュンじゃろう、妾の凄さ的にもビュンじゃ」
おばさんは途端に不審そうな顔をする。
「ああ、いやまあ、気分的には一瞬だったって話ですよ」
「マトーニャの人間はみんなそんな感じなのかい?」
「いやまあそういうわけでもないですが」
リクウは麻袋の重さを感じながらおばさんに着いていく。
その後ろにはルリが気楽な調子で、ぴょんぴょんと跳ねながら着いてくる。
どうもおばさんのゆっくりな歩調はルリには退屈らしい。
気がつけば影は長くなり、道行く人も帰りと思われる人が増えていた。
「てことはアンタは強いのかい?」
「なぜそんなことを?」
「マトーニャの人間はとんでもないって話がこっちじゃあるんだよ。ピーレ提督が侵略は絶対に考えないようにって泣きながら王に提言したって笑い話もあるくらいさ」
「まだまだ修行中の身ですよ」
「ふーん? ところで、泊まる場所ってのは決まってるのかい?」
「いえ、これから決めようというところで」
「じゃあ、ウチにくるかい?」
「それはご迷惑では?」
「迷惑じゃあないよ。ウチはちょっとした宿屋もやっててね。なに、タダでってわけでもない。アンタはどうもそこそこ腕が立ちそうだ。泊まるついでに用心棒でもしてくれりゃあこっちとしても割に合うのさ」
振り返ったおばさんは抜け目のない商人のようにも見えた。
リクウの勘だが、おばさんはたぶん嘘をついている。
実力もわからない相手にそれだけの価値を見いだせるはずはない。たぶん、リクウとルリを心配しての申し出だろう。
それならそれで甘えてしまうのもいい気がした。これも縁だ。如尊の導きに違いない。
「では、お言葉に甘えさせていただいてよろしいでしょうか?」
「こっちこそ助かるよ。ルリちゃんだっけ? そのめんこい子もウチなら安心だからさ」
「くるしゅうないぞ」
と上から目線な言葉をおばさんに投げてからルリはリクウを見ていた。
「のうリクウよ」
「なんだよ?」
「しわくちゃと話している時にも思ったんじゃが、主の丁寧な口調は気持ち悪い」
ゲンコツをお見舞いしてやろうと思ったのだが、ルリはそれを素早く察知しておばさんの影に隠れた。
リクウは憤怒の瞳でルリを見ながらも、それ以上は何もできなかった。
「覚えてろよてめぇ」
リクウの怒りなど意に介さず、ルリはおばさんの影でケタケタと笑っていた。
***
おばさんの宿は、ちょっとしてはいなかった。
大通りに面した大きな宿で、昨日リクウが泊まった宿よりも二周りは格が上といった佇まいをしていた。
夕食はおばさんに誘われ一緒に、ということになった。
リクウは酒を携え夕食に向かった。
宿泊者用の食事処ではなく、おばさんが使っている住居区画の個人的な食卓であった。
道中で見つけた果実酒、というやつを買ってみたのだ。
手土産といえばもちろん酒だ。
如尊にも供えるくらいなのだから、これ以上の贈り物があろうはずもない。
でん、とリクウは食卓に酒瓶を置いた。
「アンタ、それは酒じゃあないのかい?」
「買ってまいりました」
「いや、わかるよそりゃ。アンタが作ったとは思わんもの。そうじゃなくてアタシが言いたいのは、アンタはマトーニャの僧侶なんだろう?」
「八昇山が光岳寺の武僧でございます」
「飲んでいいのかい? 僧侶が、酒を」
「飲んでいいんです、僧侶は、酒を、七光宗では」
「このアホは出てくる時も酒を飲んでどやされてたがのう」
とルリが口を挟む。
「もう! どっちなんだい!?」
「いいんです、酒が悪いはずもございません。ささっ杯を」
促され、おばさんが杯を持ってきてくれた。
「のう、妾にも飲ませろ」
「あん?」
「主らだけずるいじゃろうが」
「いやお前は――」
子供、と言おうとしたが、子供ではないのかもしれないのだった。
普段のルリを見ていると生意気なクソガキとしか思わずついつい忘れてしまう。
「ルリちゃん、子供だろ!?」
「ああいえ、子供じゃないんです、なんというか、その、そういうアレです」
ルリは堂々とした態度で、さあ注げとばかりに杯を出していた。
おばさんは困ったようにルリとリクウを交互に見ているが、最終的には異国の文化に口出ししないと決めたのか、もうどうにでもなれといった風に酒を注ぎ始めた。
杯からは、酒の匂いの他に、微かな甘い匂いが漂っていた。これはこれでうまそうである。
「では」
酒が注がれ、リクウは杯を掲げた。
きのうピピンたちから教えてもらった乾杯、というやつだ。
リクウはこれがえらく気に入っていた。真都揶にはない文化である。
酒という素晴らしいものを皆で飲む前に、こうして祝いの儀式をするのはなんて素晴らしい文化なのだろうと関心していた。
おばさんとルリも杯を掲げた。
「乾杯!!!!」
杯の音が響く。杯を口へと運ぶ。
果実、というからにはもっと甘いものを想像していたのだが、甘みは微かに感じられる程度だった。
酒である、完全に。ほのかに甘い酒、そんな感じだ。
これはこれで旨い。口に広がる酒の味をリクウは存分に楽しむ。
おばさんの用意してくれた食事も申し分なかった。
肉こそなかったが、チーズなるものは最高だった。これほど酒に合う食い物はそうはない。
下宿先を確保できたのといい、これほど旨い酒や食い物に出会えたのといい、七光如尊の導きに違いない。
リクウは自身の信仰する如尊に感謝しつつ、食い物に酒にを存分に貪るのであった。