30.ご機嫌な朝食
目を覚まして、リクウは思う。
ここはどこだ。
窓から力強い日差しが差し込んでいた。
寝台に寝ているところから浪西涯なのは間違いない。
十畳ほどの広い部屋で、趣味のいい木製の家具が揃えられている。
一緒に寝ていたルリを揺すって起こす。
ルリが眠そうに目をこすりながら起き上がる。
「ルリ! ルリ! どこだここ! 知らん場所にいる!」
「なにを寝ぼけとるんじゃ、ルナリアの家じゃろうが。馬鹿か主は」
ルリはふにゃふにゃとした口調でそう言ってから、眠たそうに大きなあくびをひとつした。
「ルナリア?」
記憶が蘇ってくる。
そうであった。泊めてもらう事になったのだった。
おばさんのところに続き、こうも簡単に宿代わりの申し出をしてくれる人が見つかるとは、これも如尊の導きに違いない。
あるいはこちらの文化で人を泊めるのが真都揶よりも一般的なのかもしれないが、それはそれで感謝しないわけにはいかない。
朝と言えば稽古である。
「ルリ、行くぞ」
「むにゃ」
と言いながらもルリはふよふよとついてくる。
腰から引っ張られて持ち上げられているような妙な飛び方、ルリはやる気がないとこういう飛び方をする。
部屋を出て、廊下を歩いて一階へと降りていく。
日の光の元で見ると、ルナリアの家は昨日とは印象が違った。
ちょっとした富豪の家といった様子がそこかしこから感じられる。
これで店の維持が怪しいとはどういうことなのだろう。
階下に降りると、
「おはようございます」
という声に迎えられた。
ルナリアではなくスフェーンだった。
見た目は少年に見える。驚くほど白い肌をしていて、瞳は薄い黄色。
なんでもルナリアの母親が創り出したほむんくるすという生き物らしい。
リクウから見たら人間にしか見えない。霊気の波長から特徴的な気配が感じられなくもないが、それも意識してようやくわかる程度だ。
ルナリアの家でスフェーンは召使いのような仕事をしているらしい。
「ああ、おはよう。あのさ、ちょっと体を動かしたいんだけど、庭使っていいかな?」
「どうぞ、ご自由にお使いください」
スフェーンは平坦な声でそう答えた。
昨晩ルナリアの家に来た時、リクウが同居人がいるのに勝手に泊めることにしていいのかと聞いたが、ルナリアはスーくんにはそういう感情はないの、と言っていた。
感情がない、とは本当だろうか。見る限り完全な人間であり、意思疎通ができる以上魂もあると思うのだが。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない。ありがとう」
リクウは礼を言って庭に出た。
リクウは庭での稽古を終えて家の中に戻ると、その時にはルナリアも起きていた。
「おはようございます!」
気持ちのいい元気な声。
「おう、おはよう」
「おはようなのじゃ!」
「朝ごはん、食べに行きましょうか」
「家で食うんじゃないのか?」
「向かいの家がお料理屋さんで、朝はいつもそこで済ませてるんです。美味しいですよ」
ルナリアに連れられて家を出た。
「なあ、スフェーンは行かないのか?」
「え? ああ、スーくんはご飯、食べませんから」
「食べない?」
「スーくんは大気中の魔力で動いてるんです。だからご飯は食べません」
「そういうもんなのか」
「はい、そういうものです」
向かいの店は低い塀に囲まれており、店自体は少し奥まったところにある。
塀の中の庭にあたるスペースにはテーブルと椅子がいくつも配置してあった。
天気の良い日は外で食べられるようになっているらしい。
「せっかくだから外で食べますか?」
「ルリ、どうする?」
「うーむ、妾はどちらかというと中派じゃな」
「じゃあ外で食うか」
「おい待て! 貴様! なぜ聞いた!」
ルリの蹴りをふくらはぎに食らいつつもリクウは席についた。
三人が席に着くと、少年がやってきた。
「姉ちゃんおはよう! この人たち、誰?」
「リクウさんとルリちゃん。お姉ちゃんの仕事を手伝ってくれることになったの」
「ふーん」
と少年はリクウとルリに見定めるような視線を送る。
「じゃあメニュー必要だね、ちょっと待ってて」
少年は店の中に戻り、メニューを持って帰ってきた。
「注文が決まったら呼んでね、じゃ」
少年はすぐに店の中に戻っていった。
「あれはスタンくん。このお店の息子さんなの」
「ご近所さんってわけか」
リクウはスタンが持ってきた冊子を見るが、中にはびっしりと浪西涯の文字が書いてあった。
リクウはひとつ頷いて冊子を閉じる。
「どうしたんですか?」
「ルナリアと同じので」
「妾も!」
「いいんですか?」
「俺はこの国の文字が読めん」
「妾も」
「あっ、そういうことですか。わかりました」
ルナリアが少年を呼んで注文を伝えた。
ややあって運ばれてきたのは、野菜の盛り合わせにパン、スープにウィンナー、それとリクウがまだ食べたことのなに何かがあった。
真ん中に橙色の半球型の塊があって、周囲は薄っすらとして光沢がある白いものに囲まれている。
リクウがフォークで橙色の塊をつついてみると柔らかな感触があった。
「なにしてるんですか?」
「いや、食べたことない食いもんだ」
「目玉焼きですよ? ああそっか、リクウさんはマトーニャ人だから食べたことないんですか。それは目玉焼きって言って、卵を焼いて作ったものです。美味しいですよ」
なるほど、卵。
ということは中央にあるのは黄身で、周囲にあるのは白身か。
「どうやって食べるんだ? これは」
「え? 決まった食べ方はないと思いますけど」
リクウは少々考えたあと、周囲の白身を切り取りはじめた。
そうして黄身だけになった部分を口に入れた。
噛むと、口の中にとろりとした感触が広がった。
薄い塩味に卵の豊潤な味が舌を喜ばせる。
もぐもぐ、ごっくん。
「うまいな!」
リクウは残った白身部分も食べる。
こちらはちょっと味気ない。
ルリを見ると、ルリは黄身の部分に切れ目を入れ、そこに切り取った白身をつけて食べていた。
「なんだ、そのみみっちい食べ方は」
「上品じゃろうが、妾は主みたいに丸呑みなどせん」
ところが、ルナリアも同じ食べ方をしていた。
ルリがそれを見て得意げな顔をする。
「ほれみろ。品性があれば自然正しい作用に至るんじゃ!」
いつも通りのぎゃーぎゃーとした言い合いが始まる。
道行く人が塀の中の言い合いを覗き込んでいる。
夏とはいえ、朝の日差しはまだ暖かく心地がいい。
とにかく、こうしてリクウのアルテシアの生活は幕を開けた。