22.間違い続けた結果
どこで間違ったのだろうと、リィスは寝る前にいつも考える。
最初の間違いは、アルテシオン魔導学院の二年目に、進む科を決定した時だろう。
リィスには、癒術が使えた。
稀有な才能、というわけではなく比較的ありふれたものではあるが、癒術が使えれば一生食いっぱぐれないと言われる術ではある。
リィスは迷わず癒術科に進んだ。
しかし、その成績は終始最底辺。
使えこそするが、素質はなかったのだ。
簡単な怪我や軽い体調不良が癒せる程度で、本格的な傷には手も足も出ない。
それが二年間癒術を学んだ成果であった。
本当ならば、リィスは特殊科に進むべきだったのだ。
リィスには、感応術の才能があった。
これは周囲の気配を探ったり、念話を行う術である。
リィスはろくな勉強をしていないにも関わらず、癒術よりも遥かに高い水準の感応術が扱えた。
それに気付いたのは、アルテシオン魔導学院の卒業間近になってからだったのだけれど。
次の間違いは、卒業後の進路選択であった。
まともな水準の癒術が使えれば食いっぱぐれないというのは本当だ。
癒術士はどこの病院でも引っ張りだこで、後方で安全に、しかも高給で働ける。
が、それは求められる水準の癒術が使える場合に限る。
癒術科の最底辺で、一応癒術が使える程度のリィスは、お呼びではなかった。
選択肢は場末の病院か危険な前線。
そこでリィスは賭けに出た。
冒険者を目指したのだ。
冒険者間での癒術士の需要は極めて高い。
安全な街で怪我人病人を待っていればなんの危険もなしに不自由のない暮らしができるのに、わざわざ危険を冒して怪物とドンパチしようとするやつなどそうはいない。
だからこそ、需要があるのだ。
リィス程度の実力であろうと。
それに加えて、リィスには感応術の才能があった。
周囲の危険を素早く察知できる、というのは生き死にに直結する要素だ。
感応術に癒術、このふたつを最大限に活かせば、冒険者としての大成も夢ではないと考えたのだ。
これがきっと、ふたつめの間違いだった。
そうして最後の間違えが、今まさにリィスを苦しめていた。
リィスが冒険者となった初日。
当たり前すぎるほど当たり前な問題が発生した。
リィスに戦闘能力はほとんどない。
リィスは後衛として能力を発揮してパーティを助けるタイプである。
まず、仲間を探さなければならないのだ。
リィスはギルドで途方に暮れていた。
仲間作りなんてどうすればいいのかわからない。
自分から声をかけなければとは思うのだが、冒険者はみな強面に見えて話しかけづらい。
そんな時だった。
「どうしたの? 新人かな?」
左目の下に涙ぼくろがある、優しそうな男だった。
「はい、あの、どうすればいいのかわからなくなっちゃってて」
「どうすればって?」
「その、私は癒術と感応術が使えるのですが、直接戦うのは苦手で。だから誰かと組みたいのですけど、どうすればいいのか……」
この時、男の目の色が変わっていたのをリィスは見逃していた。
「それなら、仮に僕らと組まないかい?」
「え」
「僕はモラン。これでも金級の冒険者さ。ちょうど受けている依頼があるんだ。それに同行してみるのはどうだろう。冒険者として経験になるだろうし、僕らが守るから危険はないと思うよ」
リィスはこの時、自分はなんて幸運なんだろうと思った記憶がある。
モランと組んでいる二人はガラの悪い大男だった。
紅一点になるというのは恐ろしい気もしたが、冒険者の男女比を考えると、これから冒険者をやっていく上でこれが当たり前になるのだと思った。
リィスは動向させてもらうことにした。
結果は文句なかった。
「ありがとう! リィスちゃんのおかげで助かったよ! よかったら次もお願いできるかな?」
「はい、ぜひお願いします!」
報酬など期待していなかったが、モランはリィスにも報酬を分配してくれた。
そう多くはなかったが、リィスの始めての報酬であった。
自分の冒険者としての道は、ここから始まるのだと思った。
それから、リィスは何度も何度も誘われた。
感応術はこれ以上ないほど役に立っていると思われたし、治癒術すら役に立った。
パーティでの役割はしっかりとこなせている自身があった。
しばらくして、リィスは気付いたことがあった。
リィスの取り分が少ないのだ。
全体報酬の僅か五%程度でこれではその日暮らしをするので精一杯だ。
初めこそ見習いであるから仕方がないと思っていたが、その割合はいつまで経っても変わらなかった。
そこで勇気を出して言ってみることにした。
ギルドを出て、報酬を分配して解散する時を狙った。
「あの……」
「ん? どうしたんだい?」
「報酬ですが、もう少しいただけないでしょうか?」
リィスのその言葉で、空気が変わったのがはっきりとわかった。
大男の片割れ、ゴオルが口を開いた。
「おい、お前……」
モランが、いきなりゴオルを殴り飛ばしたのだ。
ゴオルの巨体が倒れる。
冒険者ギルドの前で、道行く人の視線が何事かと集中した。
「あのさぁ、ゴオルくん。リィスちゃんに何言おうとしてんの?」
「い、いや、その、すいません……」
リィスは目の前の事態に血の気が引いた。
今まで紳士的に振る舞っていたモランが、突如暴力を使ったのだ。
「リィスちゃん」
「は、はい」
「そうだよね、リィスちゃんも経験を積んだもんね。じゃあ一割ってことにしよう」
有無を言わせぬ口調であった。
この時、リィスは全てを理解した。
自分は利用されていたのだ、と。
親切を装って、希少な能力を持つリィスを安く使うための偽装だったのだと。
「じゃあリィスちゃん、早速ゴオルくんを治してくれるかな?」
「わ、わかりました」
声が震えていた。
この暴力にしたっておそらく意味がある。
目の前で暴力を見せつけ、一割の条件を飲ませるためだ。
理解していても怖いものは怖い。
リィスの戦闘能力はほぼないと言っていい。
もしこの暴力が自分に向いたら――――
そう考えると、逆らう気など微塵も起きなかった。
これが最後の間違えだ。
それからもモランは表向きは紳士的だったが、リィスを利用しようという態度は隠さなくなった。
どうしようもなかった。
平等ではない報酬で使われているだけとわかっても、それを避ける術はなかった。
モランのパーティから抜けたかったが、抜けると言い出せば何が起こるかわからなかった。
そうしてリィスは今も、安宿に泊まっている。
最近は、これでも少し事態が改善されたのだ。
根本的なところは変わっていないが、金銭的にいくらかマシになった。
それは、リクウという異人のおかげであった。
リィスが他の冒険者と組もうとすると、モランのパーティということでまず避けられる。
しかし、このリクウという男は、そんなことは知らないし、それにそこそこ腕が立つようであった。
リィスが腹痛から助けたのもあってか、パーティでの依頼がない日に何度か組んでもらい、リィス個人で依頼をこなすことができた。
臨時の収入があっても、厳しいものは厳しかった。
生活は苦しく、先行きは暗い。
寝る前に泣き出すことも多くなっていた。
自分が選択肢を間違え続けた結果、こうしているというのは理解している。
自業自得だ。
それでも、リィスはこの状況がなんとか変わらないかと祈りながら眠りに落ちる日々を送っていた。
***
冒険者ギルドは朝の時間帯が一番忙しい。
依頼の受領手続きをこなしてライネはほっと一息つく。
だいたいの冒険者が依頼に出たあと、一人の男と少女がやってきた。
ツルツルの頭に異国の服、持っている杖は歩行を補助するためのものだと思っていたが、武器であることを今のライネは知っている。
一緒に歩く少女はとても愛らしく、見ているだけで幸せな気分になってくる。
こんなに特徴的な人物はそうはいない。
リクウとルリだ。
今日も依頼を受けるつもりがないのか、新しい依頼があらかた受領されきったあとに二人は現れた。
ライネがリクウに手招きすると、リクウはめんどくさそうな足取りで受付へと来た。
ライネにはずっと気になっていることがあった。
それは、リィスという少女についてだ。
冒険者になってから一年にも満たない新人で、モランのパーティにいる人物だ。
どうもこれがきな臭い。
モランは金級の冒険者であるが、あまりいい噂を聞かない人物だ。
このリィスという少女は、まともな報酬を受け取っていないのではと目されていた。
パーティ内での報酬の配分はそれぞれの裁量に任されるが、それにしても理不尽な分配が行われている気配があった。
ギルド前で揉めているところが目撃されているし、リィスという少女はパーティ外でも依頼を受けているのをライネは知っている。
確証はないが、ライネはこの事態をどうにかしてやりたいと考えていた。
が、ギルドの職員としては確たる証拠もなしにモランに直接注意する権利などないし、ギルド側からリィスに聴取しても素直に答えてくれない可能性がある。
そこで突如現れ、いつの間にか我が物顔でこの街を闊歩する異人に相談してみようと決めたのだ。
この件をリクウに話すのはふたつの理由がある。
ひとつはリクウがリィスの知り合いであるということ。
ふたりが組んで依頼をしているのを、ライネは何度か確認していた。
それにもう一つはリクウの腕が、恐ろしく立つだろうと思われるところ。
ライネはそれを冒険者証の試験で知っている。
傍から見れば酒好きの気のいいお兄ちゃんといった感じだが、その中身は怪物なのかもしれない。
この男を見ていると、マトーニャが化け物の国だという噂が真実なのではと思えてくる。
モランは金級の冒険者である。
金級と言えば、中規模の街でもトップクラスの実力を持つ冒険者ということになる。
もしそんな冒険者と事を構えた場合はどうなるか。
万が一ではあるが、そういった事態がないとも言い切れない。
リクウには、それを跳ね除ける実力があるのではとライネは考えた。
「なんスか、ライネさん」
「あのねリクウさん、ちょっと頼みがあるんだけども――――」