2.憑かれた者
「というわけです」
「なにがというわけですじゃ!! このアホタレが!!」
ジュテン僧正は御年八十二歳、最近は経の声も出なくなってきたなどとうそぶきながらも、リクウではとても出せないような大喝をした。
蔵で酒を飲んだ夜の翌日の真っ昼間、他の僧侶が修練の間で修行中の時に呼び出しがあったのだ。
昨日の出来事を隠すためか、リクウは東塔の茶室に閉じこもっているように言われていた。
もちろんあの幼女も一緒に。
「如尊に供えられた酒を飲むなどなんたること! なぜそんなことをした」
旨いから、とは無論言えない。
「私が修行不足だからでございます。いつまでも煩悩を払えぬこの身を酒にて清めようとしたのでございます」
「それこそが煩悩じゃろうが!」
「いえ、酒そのものは清きものであると考えます。なにせ如尊に捧げられるのですから。それに当宗は飲酒を禁じてはおりません。飲むことそれ自体は悪いことではないと考えております」
「だが光岳寺では禁じておる」
「その点に関しては私の至らぬところ。清き水にてこの身を清めれば煩悩もたちまち退散すると思ったのですが、そう簡単には行かぬようで」
ははは、とリクウは如才ない笑みを浮かべる。
「まあそれはよいじゃろう。いやよくないが。それよりも、だ」
とジュテンはリクウの隣に目を移す。
「なんじゃ、そやつは……」
ジュテンの視線の先には、幼女がいる。
もう裸ではない。ぶかぶかではあるが小坊主向けの修行着を着ている。
自分に視線が集まっているのが嬉しいのか、幼女は機嫌良さそうにしている。
「妾のことはルリと呼ぶが良い。その呼び名が気に入っておる」
とルリは尊大な態度で言い放った。
「リクウよ、お主はそこな童女が蔵の地下室に封印されとったと言うんじゃな?」
「はい、誓って」
ジュテンはリクウの瞳をじっと覗き込んだ。
「まあ、嘘ではないんじゃろうな。しかしのう、あの蔵には地下室なぞないんじゃよ」
「しかし!」
「わかっておる、そこな童女の仕業じゃろうて」
リクウはルリを見やるが、ルリはわざとらしい口笛を吹いているだけであった。
「お山にははるか昔に何者かが封じられているという話はあったが、うーむ……」
とジュテンはルリを見て考え込んでいる。
「貴方様は何者か? と聞けば教えてくれますかな?」
「ひみーつじゃ!」
とルリは子供らしい口調で言ってケタケタと笑う。
「だめですよ、私が聞いた限りでも答えようとはしませんでした」
「主はしわくちゃの前だと堅苦しい喋り方をするのだな? 妾には乱暴な口をきくのに。妾をこそ敬うべきではないか?」
「何者か教えたら敬ってやるかを決めてやるよ」
「それはひみーつじゃ!」
この野郎。
ルリはケタケタ笑い、ジュテンは頭を抱えている。
「ここにいられる以上は不浄なものではないのだろう。妖魔の類にも見えん。まこと困ったことになった」
「追い出せば済むのではないのですか?」
「リクウよ、お主気付いておらぬのか?」
「なにがですか?」
「取り憑かれているぞ、その童女に」
は?
リクウはルリを驚愕の眼で見つめるが、見られている方のルリはといえば、リクウの顔を面白そうに見返しているだけだ。
「それは、マジ……ほんとですか?」
「ああ、払えそうもないというのもひと目でわかる」
「では私はどうすれば?」
ふう、とジュテンはひとつ大きなため息をついた。
「リクウ、そなたは今日限りで寺を出ろ」
「そ、それは破門ということですか!?」
「いや、破門ではない。しかしなぁ……」
とジュテンは再びルリを見る。
「八昇山は女人禁制。お主、まさかその童女につきまとわれたまま修行を続ける気か?」
「それは……」
リクウはこのルリと名乗る幼女が修行中つきまとう様子を想像する。
リクウ自体はなんでもないが、周りの弟子たちの目はどうしようもなさそうだった。
リクウは意を決して、ルリと名乗った何者かに直接言った。
「なあ、お前、俺から離れてくれんか?」
「いやーじゃ!」
と言ってルリはケタケタと笑う。
畜生。
「それにいい機会じゃろう」
何を、とジュテンを見ると、ジュテンはどこか寂しげな顔をしていた。
「いい機会、とは?」
「そなた、退屈しておったんじゃろう」
「いえ、私は……」
「よいよい、ここまで来て隠さんでも。責めたりはせんよ。退屈じゃから、時々めちゃくちゃなことをしておったんじゃろう?」
「それは……」
ジュテンの瞳は、リクウのすべてを見透かすようであった。
「それにここで学ぶことももう少なかろう。お主ほどの才に恵まれればそうもなる。外に出たい気持ちがないとは言わせんぞ」
たしかに、リクウの中にそういった気持があったのは間違っていなかった。
「その童女を払う方法を探すも良い」
「こら! しわくちゃ! 何を言いおるか! 良いはずなかろう!」
ジュテンはルリを完璧に無視した。
「その力で何かを成すのも良い、ただ世界を見て回るのも良い、どうじゃ?」
心の中に、寂しい風が吹いているような感覚があった。
実際のところ、それはリクウの望んでいるものではあった。
これだけ広い世界で、狭い世界に閉じこもって妖魔退治を繰り返す日々はどこか違う気がしていた。
それでもいざそう提示されると、日々を一緒に過ごしてきた弟子たちの顔が思い浮かんだ。
「わかりました」
リクウはそう言って、頭を下げた。
畳につくまで頭を下げ、いつまで経っても上げなかった。
「今まで、大変お世話になりました」
「ワシも寂しくなる、達者でな」
頭を上げると、ルリがリクウの顔を覗き込んでいた。
「なんだ、泣いとらんじゃないか、つまらん」
「このクソガキが」
リクウは凄んで見せたが、ルリは意に介さずに立ち上がって言った。
「話は終わったんじゃろう? 行くぞリクウとやら」