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19.幻夜


 真都揶には幻夜と呼ばれる夜が存在する。

 幻夜は夏になる前の、新月の夜に起こりやすい。

 そんな夜は生ぬるい風が吹き、わけもなく侘しい気持ちになる。


 こうした夜は、子供は絶対に外に出てはいけない。

 なぜなら、さらわれてしまうからだ。


 幻夜には妖魔や、精霊や、神霊の力が強くなると言われている。

 七光宗が武僧は、こうした夜には必ず麓の村々へと派遣されるのだ。


 とはいえ、これは真都揶の、真実かも迷信かもわからない風習であり、浪西涯ロシャーガには存在しないのだけれど。



***


 

 夜。

 今日も今日とてリクウは飲んでいた。

 昼間はリィスの依頼の手伝いをし、日が落ちてからは宿で飲んでいた。


 いい具合に酔いがまわっており、リクウのつるつるな頭が薄っすらと赤く染まり、その姿はどこかタコのようにも見える。

 気持ちの良い夜、とは言い難い。

 月が見えていないし、風は生暖かくて気持ち悪い。


 夜が更ける前に上がろう、リクウはそう決めて立ち上がった。

 ルリが着いてくるのを横目で見て、二階の自室へと戻る。


 リクウは草履を雑に脱いで寝台に身を投げる。

 ルリが来るだろうと布団をかけないでいたのだが、ルリはいつまでも布団の中には入ってこない。


「のう」


 さては一階に置いてきてしまったかと思ったが、ルリは寝台の手前に立っていた。


「どうした? 寝ないのか?」


 暗闇でルリの表情は窺えない。

 

「妾はちょっと出かけてくる故、リクウは大人しく寝ておれ」

「そうか」


 よくわからないがルリは出かけるらしい。

 酔いと眠気に冒されたリクウの頭は、それ以上は考えなかった。


 ルリが踵を返して去っていく。

 相変わらず足音がしない。

 扉が開いて廊下の明かりが入り込み、リクウは目を細める。

 扉が閉まり、部屋に残ったのはリクウと静寂だけであった。


 寝るか、とリクウは思うのだが、どういうわけか落ち着かなかった。

 布団の中にルリがいないからか、それとも気持ちの悪い暑さのせいか、なかなか寝付けなかった。


 そうしているうちに、リクウの酔いもだんだんと覚めてくる。


――――出かけてくる、だと?


 ルリはリクウからあまり離れられないと言っていた。

 それなのに出かけてくるとはどういうことか。


 いや、考え過ぎかもしれない。

 階下で何かをやっているのかもしれない。

 例えば宿泊客とチェスだとか。

 リクウが飲んでいる最中に、ルリがそういうことをしていたことはままあった。


 リクウは寝台の上で何度も寝返りをうつ。


――――悪霊退散!! 悪霊退散!!


 どうしてか湖の時にふざけて言った言葉が思い出された。

 

 まさか自分から離れるつもりじゃなかろうか。

 そう考えていやいやいや、と考え直す。

 ルリの方から自分に憑いてきたのではないか。

 そんなはずはあるまい。

 

 それに、仮にそうだとしてもそれはそれで良いではないか。

 一人になったところでそれほど変わりはしない。

 ルリの存在を気にして出来なかった悪い遊びも仕放題ではないか。

 いいことだらけだ。


 リクウは寝台でごろごろとし続ける。

 まだ眠れない。


 かなりの時間そうしたあと、ついにリクウは立ち上がった。

 草履を履き、部屋の扉を開ける。

 

 なに、探しにいくわけではない。

 ちょっと下の様子を見に行くだけだ。


 ルリがいればそれでよし。

 いなかったらまあ、その時はその時でまた考える。


 リクウは部屋から出る。

 廊下には魔導ランプの頼りない光。

 窓からは月明かりも星明かりもなく、宿の周囲が個体の闇で包まれているような気がした。


 階下に降りて、酒場の方へ移動する。

 深夜になっているせいか、客はほとんどいなかった。


 そこに、一際目を引く客がいた。

 その客は隅の目立たないテーブルで、一人飲んでいた。

 目を疑うような美女であった。

 リクウは幻ではないかと目を擦って見るが、その女性は確かに実在した。

 墨を流したような美しい黒髪に、見るものを虜にする翡翠色の目、ほっそりとした体つきで、真都揶のものと思しき着物を来ていた。


 リクウは、その姿に魅了された。

 何かがおかしいはずなのに、それについて考える気になれない。

 考えなければいけないことが色々とあるはずなのに、リクウは何も考えられずに女性の元へと足を進めた。

 

 リクウは女性の元まで行き、精一杯のキメ顔でいった。


「お嬢さん、僕と一緒に飲みませんか?」


 女性はキョトンとした顔のあと、子供のように笑った。

 リクウをみて「あはははは!」と口を開けて笑っている。

 リクウとしては何がおかしいのかよくわからない。


「面白い、いいわよ、一緒に飲みましょう」

「まじスか!?」

「あなたが一緒に飲みたいと言ったんでしょう」

「そうですけど」


 手を上げて給仕を呼んで酒を注文した。


「こんな遅くに一人でどうしたの?」


 と美女。


 それにしても美しい女性だとリクウは思う。

 見ているだけで頭がぼんやりとする。


「ああ、いえ、ちょっと人探しに降りてきたんです」

「人探し?」

「そうだ、見てませんか? ちんちくりんの女の子で、俺みたいな変わった服を来てる子なんですけど」


 美女の視線がリクウを撫でる。

 その視線はどこか面白がっているようにも見えた。


「見てないわね。こんな遅くに小さな子は外に出ないんじゃないの?」

「いえ、それがあいつはちょっと特別で」


 酒と杯が運ばれてくる。

 リクウが受け取ろうとすると、美女が給仕から先んじて受け、わざわざ酒を注いでくれた。


「ありがとうございます」

「いいえ、それじゃあ飲みましょうか」


 杯と杯がぶつかる音が、人の少ない深夜の酒場に響く。

 口の中を満たす酒の味に、目の前の美女。

 あるいはここが楽土かと思えるような状況であるのに、リクウはどこか思考に霧がかかったような状態でいた。


「そのルリって子はどういう子なの?」


 美女が尋ねる。


「あれ、俺名前言いましたっけ?」

「言ったわよさっき」

「そうでしたっけ。まあいっか。あいつは何ていうか――――なんだろう?」

「なんだろうって、どういうことなの?」

「いや、わかんないです。なんかいつの間にかいるのが自然になってたんで」


 リクウは靄のかかった頭で懸命に考える。


「あいつはたぶん、相棒とか、家族とか、そんな感じです。わかんないですけど」


 美女が微笑んでいた。

 その笑みをみて、リクウは心臓を鷲掴みにされたような気がした。


「どうしてわからないの?」

「いえ、俺は家族っていたことないんで。ここしばらく一緒にいて、家族ってこういうもんなのかなって思い始めてたところで」

「その子がいなくなっちゃったんだ?」

「ええ、ちょっと出かけてくるって」


 翡翠の眼差しがリクウを見つめていた。


「ちょっとっていうんならすぐに帰ってくるんじゃない?」

「そうですかね?」

「そうよ」


 再び杯に酒が注がれた。

 リクウはそれを一気に飲み干す。


「そのルリちゃんって子のこと、もっと聞かせてくれる?」


 リクウは飲みながら話した。

 出会った時のこと。どうでもいい日常のこと。普段のバカなやり取りのこと。


 飲んでは話し、飲んでは話しを繰り返し、かなりの時間が経ってから、リクウはどうしてこんな美女を前にしてルリの話ばかりをしているのだと正気に戻った。

 何か話題を変えなければとは思うのだが、酔いが回ったリクウの頭はなかなか気の利いた話題を思いつけなかった。


「ねえ」


 美女には、妖艶ながらどこか子供っぽい表情が浮かんでいた。


「もし私かそのルリって子、どっちかを取らなきゃいけないとしたらどっちを選ぶ?」


 霞がかった頭でも、何を言っているのだこの御仁は、とリクウは思っている。

 あんなちんちくりんと絶世の美女では比べるべくもない。

 そんなのはもちろん――――

 ルリの「にゃはははは」と豪快に笑う顔が脳裏をよぎった。


「迷うってことは、私に都合の悪い答えなんだ?」

「いや、そんな……」

「いいのよ、別に」


 言いながらも、美女の顔はどうしてか、心底嬉しそうにしているように見えた。


「さあさあ飲んで」


 美女はゴキゲンに酒を注ぐ。

 リクウはグビリと飲み干す。


「ほらほら」

「もっともっと」

「まだいけるわよね?」

「まだ残ってるわよ、さあ」


 いくらなんでも飲みすぎた。

 最後の方は酒の味もわからなかった。


「あら、もう朝」


 美女の視線を追うと、窓から日の光が差していた。


「じゃあ私は行くわね。ルリちゃんって子にはちゃんと優しくしてあげるのよ。毎日三回はお菓子をあげて、お小遣いもあげること。それからチェスの勝負からは逃げないようにね」


 リクウの頭は、美女が去っていく、ということだけを認識した。

 口説こうと思って近づいたのに、朝まで何もできなかったことを、リクウは今になって気付いたのだ。

 リクウは怪しげな千鳥足で、テーブルにぶつかりながら美女を追う。

 

 美女は宿の外に出て、リクウもそれを追った。


 眩しい朝の陽光に、リクウは目を細める。

 昨晩の生暖かい風は去って、朝の気持ちのいい空気が外にはあった。


 さて美女はどこに行ったか、と左右を見ると、


 ルリがいた。


「なんじゃ、その顔は」

「え、いや、別になんでもないが」


 あまりにも普通に戻ってくるので、虚をつかれてどう反応すればいいのかわからなかった。


「ちょっと出ると言ったろう」


 ルリの存在ですっかり忘れていたが、リクウが宿を出たのはルリを見つけるためではなかったのだ。


「そうだ、ルリ。今宿からとんでもない美女が出て来なかったか?」


 ルリはなぜか顔をそらした。


「おい、見たのか? 俺の運命の人をよ! あんな美人は見たことなかった! これを逃したら二度と会えやしないぞ!!」


 ルリはとことことリクウの元まで歩いて来てから、リクウの尻をバンバン叩いた。


「なにすんだこのちんちくりんが。見たのか見てないのかどっちなんだよ!」


 リクウが尻を守るとようやくルリは叩くのをやめた。


「見とらんの、そんなのは。酔って幻覚でも見たのではないか?」

「そんなことは――――」


 ないとは言い切れない気がした。

 昨晩はどうもおかしな様子だった。

 酔いで考えがまとまらず、頭を振ると鈍痛が響いた。


「まあ妾がいれば十分じゃろう。こんなぜっせーのびじょは他におらんぞ?」


 とルリは胸を張る。

 悲しいくらいぺったんこなそれを見て、リクウはため息をつく。


「妾は眠い。寝直すぞ」


 そう言ってルリはずんずんと進む。

 リクウも安定しない足取りでルリを追う。


 部屋に戻り、陽の光が入ってこぬように窓を閉じてから寝台に入った。

 ルリがいつものように布団の中に入ってくる。


 眠い。

 昨晩とは違って、三秒あれば寝てしまえそうであった。

 

 眠りに落ちる寸前に、ルリが口を開いた。


「のう、リクウよ、昨日は良い夜であったか?」


 声を出すのがどうしようもなく億劫で、リクウは答えられずにいた。


「妾はの、とても良い夜だったぞ」


 ルリがにひひひひ、と笑っている。


 その頃にはもう、リクウは眠りに落ちていた。

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