18.飛び込み
湖面が太陽の眩い光で輝いて見えた。
水は透きとおり、湖底が見えるほど綺麗だった。
先客もいくらかいて、各々が湖を楽しんでいるようであった。
他に人がいない湖の北側に荷物を置き、リクウたちは準備を始めた。
準備といっても脱ぐだけである。
リクウはふんどし一丁になって腰に両手を当てている。
ルリとピピンとリックはスッポンポンだ。
ふんどし一丁のリクウがそれらに見下す視線を向けてから、湖へと走り出した。
足に冷たい水の感触と、水中の砂の感触。
冷たさに一瞬怯むがリクウはそのまま水の中に突っ込む。
全身が震えるような冷たさに包まれるが、少し我慢すると次第に心地よくなってくる。
陽光の暖かさと水の冷たさが実に気持ちいい。
ルリが浮いてリクウの側まで来て、わざわざそこから着水した。
水しぶきがリクウに襲いかかる。
「こりゃひゃっこいのう!!」
ルリが肩を抱いて寒そうにしているので、リクウは水をすくって思い切りかけてやる。
「こら! やめんかバカモノ!!」
「早く慣れるように手伝ってやってんだよ!!」
ルリが水に潜って逃げた。
ピピンとリックも遅れてやってくる。
「思ったより冷たいですねー」
「でも入れないってことはないな」
リクウが二人に視線を向けていると、足をいきなり引っ張られた。
水を飲んでむせていると、ルリのケラケラとした笑いが聞こえた。
「妾にイジワルした罰じゃ!」
ドヤ顔をしているルリにリクウは水をかける。
泥沼の争いが始まる。
ひとしきり遊んだあとは、のんびりとする時間が始まった。
リクウとルリは湖に浮かびながら陽光を浴びてだらだらとしている。
「気持ちいいのう」
「そうだなぁ」
口調までゆったりとした音になっていた。
「のうリクウよ」
「なんだ?」
「もし妾を祓えるとしたら、そうするか?」
「は?」
顔を横にしてルリを見ると、そこには思いの外真面目な顔をしたルリの姿があった。
「祓わねぇよ、バカ。別に大して悪いことしてないだろ」
「でもさっき悪霊と……」
「冗談だよ、冗談。俺は器の大きい男なんだ。お前くらい受け入れてやるよ。それに、いつだって話相手がいるのはいいもんだ」
「そうかの」
そう言ってルリは顔を逸した。
「のうリクウよ」
「なんだよ」
「あっちに行ってみんか?」
「あっち?」
見るとルリは浮くのをやめてとある場所を指さしていた。
湖の最北端の切り立った崖のようになっている場所であった。
リクウは泳いで、ルリは浮いてそこまで移動した。
どうやらルリの小さな体で泳ぐよりも浮いたほうが早いらしい。
思ったよりも高い、というのが第一印象だ。
湖の北側は丘になっていて、湖と面する場所は、ちょうど丘が切り取られたような構造になっている。
岩肌が露出していて、僅かに草が生えているばかりの断崖絶壁と言ってもいい。
「あそこから飛び降りてみるのはどうじゃ?」
リクウは崖の頂上と湖底を見比べる。
湖底は深く、飛び込んでも底にぶち当たるということはなさそうに見える。
高さはずいぶんと高い。落ちるまでに二秒ほどかかりそうな高さだ。
「いいだろう」
しかし臆するリクウではなかった。
リクウは湖の果ての崖に手を当て、そこから猿のようにひょいひょいと登り始めた。
ふんどし一丁の坊主頭が、絶壁に近い崖をものすごい速度で登る様は見ていてちょっと怖い。
頂上から見下ろす湖の光景は美しかった。
降り注ぐ陽光が湖面を照らし、新鮮なそよ風が体を優しく撫でていた。
遠くにはピピンとリックの姿も見え、リクウが手を振ると手を振り返してくれた。
「どうしたー! 臆したのかー!!」
ルリの煽りが聞こえる。
こんな程度の高さで臆するものか。
「見とけ」
リクウは飛んだ。
体が空気を切り裂く感覚。
すぐに着水。盛大な水柱。
体が沈み、全身が冷たい水に包まれる。
水面に上がると、ルリがすぐ側にいた。
「なんじゃ、芸のないやつじゃな」
「芸だぁ?」
「うむ、妾が見本を見せてくれよう」
ルリがふわふわと浮いて崖を登っていく。
すっぽんぽんの幼女がふわふわと浮き上がって行く様は、それはそれで不気味であった。
「見ておれーーー!!」
頂上に到達したルリがリクウに向かって叫ぶ。
ルリは頭から飛び込んだ。
空中で何回転もし、時には体を捻り、まるで時間の流れを遅くしたかのような動きを見せた。
ざぶん、という音とともに、リクウより控えめな水柱が上がった。
浮き上がってきたルリは得意顔でリクウに言う。
「どうじゃ、これが芸術じゃ」
リクウは言い返せない。
認めざるを得ない部分があるからだ。
確かにルリの動きは見るものをを楽しませる飛び込みであった。
それに比べればリクウのは落っこちただけである。ハナクソだ。
「さっきのは手加減したんだよ、もっかい見とけ」
リクウは再び崖を登り頂上に達した。
「見とけよーーーーーー!!」
ルリどころか、ピピンとリックにまで聞こえるような大絶叫をした。
リクウは深呼吸を一つ。
湖面が遥か遠くに見えるほど高い崖から、リクウは迷わず頭から飛び降りた。
飛び降りた力を利用して回転を始める。
リクウの武僧として鍛えられた平衡感覚が活きた。
一、二、三と回転を入れて、後半に差し掛かり体に捻りを加えて、
そこで、リクウは気付いた。
止まった時間の中で、リクウの洞察が進む。
ルリはまるで、時間の流れを遅くしたような動きをしていた。
それもそのはず。よくよく考えれば、あいつは飛べるのだ。
飛ぶ力を利用して落ちる速度を遅くし、体を自由に動かすことなど造作もないのだろう。
リクウの中での時間が動き出す。
どう考えても横回転は間に合わない。
水面が近づく。
何もできない。
水に叩きつけられる衝撃は、速度が早ければ早いほど増す。
リクウの落下速度は、相当なものだった。
リクウは頭からでもなく、足からでもなく、身体の右側面をぶつけるように着水した。
ビターン!! という凄まじい音がした。
「アアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
平和な湖に、ふんどし坊主の絶叫が響く。