14.喜び組
魔王がいなくなれば平和になる、なんていうことはなかった。
魔王がいなくなり、当然のように次の魔王の座を巡って争いが起こった。
魔族同士での戦いが増えた分だけ、矛先が人間に向くことが減ったと言えなくもないが、それでもロシャーガで魔族は人間にとって最も危険な種族だと言っていい。
そんな中、ヴェローズからそう遠くない森の深くにある洞窟が存在する。
死霊王であり、高位の魔族である千軍のハリエルはそんな洞窟に潜んでいた。
そこでは、邪悪な企みの準備が淡々と行われていた。
アンデットの軍団を量産しているのだ。
ヴェローズを滅ぼすために。
理由は面白そうだから。
魔族は人間に敵対するが、その理由にはふたつのタイプが存在する。
ひとつは、人間を大陸最大の種族として敵対視している者。
こういった者が衝動的な殺戮に及ぶ危険はほぼない。いざ動く時は相応の勢力として動いてくる分、厄介ではあるが動いてくる可能性はそう大きくない。
損得を計算して動く分、明確な利益と勝算がなければ動きはしないからだ。
もうひとつのタイプは、人間で言えば狂人とも言うべき感情で動くタイプ。
この手の魔族はヤバい。
危険を顧みないし、動きを予測するのは難しい。
さらに面倒なのは、この手の衝動に従って行動する魔族は、決まって強力だということだ。
魔族は狂気の濃さに比例して強い、というわけでは無論ない。
こういった性質を持って実力が伴っていないと、簡単に淘汰されてしまうからだ。
つまり、生き残ってしかも名前が通っているともなると、極めて危険な高位魔族だと言って間違いない。
ハリエルは、まさにその後者であった。
ハリエルはひとりほくそ笑む。
ヴェローズにほど近い真っ黒な胎内で、闇の軍勢を蠢かせて。
本当の破滅はある日突然、しかも理不尽にやってくるものだ。
***
しとしととした春の雨が降っていた。
そんな日には宿に籠もる者も多い。
おばさんの宿―猫の尻尾亭―のラウンジには、様々な種族の宿泊客が暇そうにしていた。
「なあ、おばちゃんの好物って誰か知ってるか?」
リクウの声が、ラウンジに響いた。
「坊主の兄ちゃんはなんでそんなことが知りたいんだい?」
答えたのはドワーフであった。
顔中が髭だらけで、身長はリクウの胸ほどまでしかない。ずんぐりとしているが、全身から伺える筋量の多さは人間よりも遥かに頑健そうだ。
このドワーフは三人組のリーダー格で、名をガイラと言った。
リクウの飲み友達である。ドワーフが酒好き、というのは噂通りで、同じ宿に身を置く者としてすぐに打ち解けた。
「いやさ、おばちゃんの誕生日らしいんだよね。三日後が。だからなんかしてやりたいなって。ちょっと一杯俺もいいかい?」
テーブルには三人のドワーフがいた。
外の雨から今日の予定はないのか、昼間だというのに酒をやっている。
ドワーフの一人がリクウに酒を注いでやる。
リクウはそれを一気に半分ほど飲みほし、「カァーーーー!!」という実に親父くさい声を上げる。
「ワシらは知らんが、この中には知っているやつくらいいるんじゃないか?」
ドワーフが周囲を見回し、なんだなんだ、という声があがり、テーブルに人が群がってきた。
「おばちゃんの好物? 知らんな、俺も一杯いいか?」
「おばちゃんは装飾品の類は好きじゃなさそうだし食べ物で探すのがいいんじゃない? 私にも一杯いい?」
「魚料理が苦手って言ってたのは覚えてるなぁ。なんでも昔あたってひどい目にあったんだとか。リダーシャが近いってのにもったいないよな。俺にももらえるかい?」
テーブルは、いつの間にやら宴会の様相を呈してきた。
最初こそあーでもない、こーでもないと相談をしていたが、そのうちそんな相談も真面目さは消え去り、適当なことを言ってはケラケラと笑う酔っ払い集団が出来つつあった。
そこに獣人が現れた。
獣人は人間に比べて耳がいい。うるささに見兼ねて部屋から降りてきたのであろう。
二階から降りてきた人狼は、不快そうな視線を酔っ払いたちに向けていた。
「昼間っからいい身分だなぁ。なんだこの騒ぎは」
「お、バステルおはよう、なあ、おばちゃんの好物ってなんだか知らないか?」
リクウは酔っ払い特有の陽気な声で話しかける。
バステルは見た目が凶悪でぶっきらぼうだが、よくルリに菓子をやっている隠れいいヤツとして認識していた。
「おばちゃんの好物ぅ?」
「そうそう、三日後が誕生日らしいんだよ。だからなんかしてやりてぇなって」
「じゃあナンデ昼間っから宴会なんだよ」
「そりゃあノリよ」
バステルはため息をついてから席に近づき、
「知ってるぞオレは」
「なにをだ?」
「おばちゃんの好物だよ。お前が言ってたんだろうが」
「そうだったそうだった。じゃあ教えてくれよ」
ちょっといいかい、とリクウの隣に座っていた男にどいてもらい、バンテスが席についた。
「タダじゃあ教えられないな」
「何をすりゃいい?」
バステルは牙を向いて笑った。
「俺にも飲ませろ」
バステルの前にやりすぎなくらいにコップが置かれた。
瞬く間にバステルも酔っ払いの仲間入りをする。
「レッドパイソンだ」
「あん?」
「好物だよ、おばちゃんの。昔に一度食ってえらく美味かったって話を聞いたことがある」
「じゃあそれにするか。高いか?」
「高いぞ、超高級食材だ」
超高級、と言われてリクウは酔っ払いの頭でも怯む。
持ち合わせはあまりない。
「どこにいるんだい? そのぱいそんってのは」
「西の森にもいなくはないだろうが、遭遇できるかは知らんし、そもそもお前みたいな銅級が手を出せるような相手じゃないぞ」
「そりゃあわからんだろ。俺の銅級は特別な銅級かもしれん」
「言ってろ」
とバステルは愉快そうに笑って酒を飲む。
気がつけば、外の雨が上がっていた。
窓から青空が見え、日の光が差し込んでいた。
「ワシらが手伝うか」
そう発言したのはドワーフのガイラであった。
「いいのか!?」
「ワシらもおばちゃんには世話になっとるしな。予定も特にない。オルティガとナッシュもそれでいいか?」
二人のドワーフが厳かに頷いた。
ガイラは周囲を見回し、
「ワシら以外にも手伝ってくれるやつはおらんか?」
すると、ローブをまとった老紳士風の男が手を上げた。
もちろん、飲んだくれて顔は真っ赤に染まっているが。
「儂らも手伝おうか。どうせここ数日は暇だしな」
「また貴方は……」
と隣にいるエルフが呆れ顔だが、その顔も赤く染まっている。
「おお、そりゃありがたい」
人狼のバステルも立ち上がり、
「じゃあオレも行こうか。たまたま暇だしな」
リクウが立ち上がる。
「しゃあ!! じゃあ行くか! 今から!」
何の準備もせずにレッドパイソンの狩猟を目指すなど、真っ当な冒険者からすれば正気の沙汰ではないが、この時正気であるものなど誰もいなかった。
反論はなかった。
こうして突貫パーティ、おばちゃんを喜び悶えさせる組、略して喜び組が結成された。
誰もそんなことは考えもしなかったが、面子はヴェローズに滞在する最高峰の面々が揃っていた。
それもそのはずで、レッドパイソンの討伐を問題なしと考え、猫の尻尾亭に滞在するだけの財力があり、さらにそういった余暇にかまけるだけの余裕があるという条件を満たすのは、一流の冒険者しかいないからだ。
バステルも、茶色い三連星―ドワーフの三人組―もエルフのカミーラも、皆金級の冒険者であったし、魔術師のバルテに至っては精霊銀級の冒険者であった。
「ルリーーーーーーーーーーーー!! でかけるぞおおおおおおお!!!!」
ちょっとの間を置いて、ルリが二階の部屋から降りてきた。
ルリは開口一番、ぐてんぐてんに酔っ払った喜び組の面々を目にして、辛辣な一言を放った。
「なんじゃこのバカ共は」