1.酒飲み坊主と謎の幼女と
言っちゃあなんだが生臭坊主である。
埃っぽい蔵の中、窓から差し込む月光を頼りに、リクウはお供え物の酒で一杯やっていた。
まだ春先の夜は肌寒いが、酒のおかげで体は温まり、少々の寒さは逆に心地よく感じられた。
杯を傾け、グビリと一口やっては「かぁ~!」と歳に似つかわしくない、実にオヤジ臭い息を吐く。
無論やってはいけないことである。
皆が眠ってから宿舎を抜け出し、蔵に忍び込んで勝手に供物をいただいている。
ところは八昇山が光岳寺、荒くれ者の武僧揃いといっても、ここまでやらかすヤツはそうはいない。
それほどの事をしでかしても、リクウはゴキゲンに酒をやっている。
高い窓から見える三日月を眺めながら、機嫌良く鼻歌まで歌っている。
リクウは再びグビリとやっては満足気な吐息を漏らす。
高台祭が終わって一段落、これくらいの暴挙は許されるだろうとリクウはやっちまってるのであった。
別に戒律で禁止されていることはしていない。
そもそも七光宗に戒律はない。酒も女も肉食も許されている珍しい宗派である。
光岳寺が武僧においては酒も女も禁じられているが、それはそれとリクウは開き直っている。
特別な夜にちょっとした刺激くらいは許されるだろう。
――――おい、そこな坊主よ。
何日か後に空の酒瓶が見つかって騒ぎになるだろうが、その時は素直に名乗り出ようとリクウは考えている。
なに、ごめんで済むだろう。
いくらか罰を押し付けられるだろうが、この旨さと引き換えになら十分割に合う。
――――おい、そちじゃ! 無視するでない!
また一口。
もう一升瓶を空けてしまいそうな勢いである。
だいぶ酔いも回ってきて、リクウはぼんやりとした頭で次の一杯を注いでいる。
――――なあ、おい。もしかして聞こえてないのか? 妾の声がわからんか?
なにやら女人の声が聞こえた。しかも、かなり幼い子供のような声であった。
これくらい酔うとなかなか愉快だとリクウは笑う。
八昇山はお山自体が女人禁制である。女などいようはずがない。
――――なあ? だめか? 聞こえてないか? 聞こえてないなら聞こえてないと教えてほしいのじゃが……
「聞こえてるよ」
なんの気なしに幻聴に応えてみた。
すると、幻聴は劇的な反応を見せた。
――――やっぱり聞こえておったのか!! なんでそんなイジワルするんじゃ!!
よくわからんが、面白いとリクウは杯を傾けた。
「そりゃあ酒を飲みながら女人の声が聞こえたら無視するだろうよ。八昇山だぞここは」
ケケケ、とリクウは酔っ払い特有のだらしない笑みを浮かべる。
――――そこな坊主、ちょっと妾を助けてくれんかの?
「あん?」
――――ほら、そこの瓶をちょっとどけてみぃ。
蔵の中を見渡すと、たしかに壁際には大きな水瓶が置かれている。
「やなこった」
とリクウはもう一杯。
――――うううう、後生じゃから……
と謎の声は子供が泣くように訴えてくる。
「しゃあねぇなあ……」
リクウは立ち上がり、ふらつきながら瓶の前に立った。
動くとホコリが舞うのか、リクウの鼻を時間の匂いがくすぐった。
思ったよりも酔いが回っている。はて、自分はなにをするのだったか。
――――そうじゃ、その瓶をどけておくれ。
声に従い、両手で抱え込むように瓶を持ち上げてずらした。
中身の入っていない瓶は思いの外軽い。
瓶の下には地下への扉らしきものがあった。
取っ手を引いて開けてみると、中は不思議な光があり、地下へと続く階段があった。
はて、蔵に地下などあったものかとリクウは訝しみ、もしや夢ではあるまいかとほっぺたをつねってみる。
痛くない。
さては夢か、と杯に酒を注いでグビリと一口。夢にしては旨すぎる。
夢の中でこれだけ旨い酒をやれるのはたいそう得だと感じ、リクウは開きっぱなしの地下への扉の前であぐらをかいて、再度ひとりぼっちの酒宴を再会しようとする。
――――こら! 飲みなおすでない!! それでも坊主か貴様は!! そんな階段見たら降りるじゃろうが普通!
仕方ねぇなあとリクウは立ち上がり、酒瓶を持ったまま地下への階段を降りてみる。
妙に明るい空間だった。
真っ黒な壁一面に不可思議な紋様が描かれていて、その紋様が薄緑の明かりを放っているようであった。
広く見積もっても十畳程度の空間で、その中央にある台座に水晶らしきものが置いてある。
――――その水晶に触るんじゃ! さあはようはよう!
邪気は、感じられない。
リクウの勘も悪いものではないと告げていた。
しかしなにやら奇妙なことが起きているのは間違いなく、このまま声の言う通りにして良いのかという意識もないではなかった。
リクウは、酔っ払っていた。
どうしようか迷った挙げ句、結局は面白そうだから、という実に身も蓋もない理由で水晶を触った。
途端、部屋中が緑の閃光に包まれた。
リクウは眩い閃光に目をつぶった。
瞼から伝わる光の感覚が収まってから、リクウはようやく目を開く。
幼女がいた。
一糸まとわぬ姿で、腰に手を当て、胸を張って立っていた。
「大義であった!! 褒めてつかわそう!!」
はーはっは、と幼女が見た目に似つかわしくない大声で叫んでいた。
リクウは目を擦ってみる。
再び見ると、そこにはやはり幼女がいた。
背丈はリクウの腰ほどしかなく、肩までの長さの美しい黒髪を携え、宝石のような翡翠色の瞳をしていた。
顔立ちは誰もが愛らしいと思わざるを得ないほどであったが、そこには全く子供らしくない笑みを湛えていた。
リクウはもう一度目を瞑って、開いた。
やはり幼女がいる。
すっぽんぽんの幼女が胸を張って、高圧的な目でリクウを見ている。
リクウはうん、とひとつ頷いて、片手に持っていた酒瓶をそのまま口へと運んで傾けた。