76話.市民の願い
私の名前は浜辺奈美。
夫は市長をしています。
私もその市役所で働いております。
私の職場は楽園です。
きゅんきゅんと鳴くわんちゃんがたくさん育てられていて、家族に迎えられるのを待っています。
仕事内容はたくさんのわんちゃんの世話をしておトイレの掃除や、ご飯の準備まではそこまで大変ではありません。
まだ小さい子ばかりなので散歩も行ってません。
これでも随分少なくなったんですよ。
色んな家族が迎えに来て嬉しそうに帰っていきました。
わんちゃんたちが可愛いだけでなく、子供がいる家族の場合、子供が嬉しさで泣き出すこともあってここは可愛さで溢れています。
そんな家族の一幕を見て、嬉しさが溢れていて、まさに楽園の仕事です。
そんなこの場所に新しく猫ちゃんが追加されました。
一言で言うならとってもかわいいのに、性格が暴君なんです。
高いところに登ったり、飛び降りても平気な顔をしていたり、撫でているとなぜか爪を立てて引っ掻いたりとちょっと大変です。
ザラザラの舌でなめられると、引っかき傷を広げられるような感じがして痛かったり、仲良くなれているとは思うのに、痛くて、飼うのが難しそうな印象です。
嬉しそうに引き取っていく家族が多い猫ちゃんですが、嫌になって捨てたりしないか心配です。
ちょっと大変になりましたけど、同僚と一緒に頑張っています。
同僚は3人でみんなスタイルのいい美人なお姉さんです。
よほどペットが好きなのか、休みの日でも会いに来ます。
私も来ますけどね。
可愛いので。
そんな日常を過ごしています。
本来、私の仕事は市長補佐なんですが、いつの間にかここに入り浸り、特に仕事がない市長補佐よりも、こちらの専属になってしまいました。
それでも、本職は市長補佐のような扱いなので、たまに困ったことがあると呼び出されます。
今回もそんな一日でした。
始まりは市民の一人が陳情に来た事でした。
「市長、頼むよ。中島さんに恩返しできる何かを考えてくれないか?」
暮らしが良くなり、魔法も自宅で使う水をタンクに入れるくらいしか使わない。
水を生成するのも魔力があまり過ぎている住人にとってはすぐ終わり、家族全員でお風呂を使っても大した量にはならない。
その上、夜は暗いという常識を覆して街頭が明るく照らしてくれる今の街は夜でも安全に散歩に行ける。
夜の散歩は家々から光が漏れて少し幻想的なイメージに変わる。
そんな暮らしを提供してくれた中島さんに皆で恩返しできないかという、要望でした。
この要望に困ったうちの夫は、それぞれの部署の責任者を集めました。
するとそれは更に熱を帯びてしまいます。
「私も何か出来ないかと思ってました。」
そんな声がいろんな部署から聞こえてきてるそうです。
「いや、気持ちはわかるよ? 僕もさ、何かお返ししようと思ってるけど、考えてみてよ。
中島くんに必要なものなんてあると思う?」
その言葉に沈黙する場。
「それにさ~。僕らが中島くんに何かしたら、お礼にって倍返しされそうな気がしない?」
夫の言葉はその通りで、中島さんという人は人の為に頑張るけど、中島さんのために何かするとそれ以上のお返しをするような人というのは夫から幾度となく聞いていて、私も夫が家で何度も困ったように笑うのを見ている。
「それじゃあ、俺らの気が収まらないんだよ」
戸籍管理課の課長さんが発言した。
彼も日頃から中島さんに感謝している人なのだろう。
実はこの会議室にはアドバイザーとして多々山課長が参加している。
多々山課長が中島さんを叱って中島さんが街を離れたことは有名な話なので皆さんの視線は冷たいけど、夫はなぜ呼んだのだろう。
こうしようああしようと言い合ってる中でその多々山課長がふいに口を開いた。
「あんた達は小僧のことをわかっちゃいないね」
その呟いたような言葉に目が釣り上がる参加者達。
夫は多々山さんに続きを促した。
「小僧はあんた達が思ってるほど人を信頼してないのさ。
心配されても煩わしく感じるような男が誰かに何かしてもらったら借りを作りたくないと倍返しするだろうさ。
つまり、小僧にわからないように恩返しするなら止めはしないさ。」
その言葉に場はまた静まった。
「そうなんだよね~。中島くんはそういうところがあるよ。
何ていうか、怒られないように立ち回るから皆のためになることを率先してするみたいな」
「みっちゃんもまなちゃんも不甲斐ないね~。
ついていったんだから、もう少し小僧の心をほぐせるかと思ったのに。
あんた達がここに来る前の話だから知らないだろうけどね。
ここは一度馬鹿に襲われてるんだよ。
小僧は何もしてないこっちが襲われたことにひどく怒ったさ。
襲撃者達を殺そうとしていたんだからね。
あの時にあたしゃ思ったね。
小僧は人を怖がってる。
だから、その恐怖を与える原因を排除しようとするんだ。
小僧は襲撃者達を行きて帰すつもりはなかったようだしね」
「そうだったね~。殺そうとするなら殺されても文句はないよなって凄んでたっけ。
僕らが中島くんを傷つける意志がないから、そこまで拒絶感はないかもしれないけど、どこか周りに怯えて、だけど寂しいからみんなに良くする印象だったね」
その話を聞いて空気が重くなった。
お母さんを病気でなくした子供が大人になってもそういう感じになると効いたことがあった。
私はその重い空気の中で勇気を出して発言した。
「中島さんに家族や両親は?」
そういう話は家でも夫から聞いたことはない。
「健在らしいよ。今も中島くんがいた世界で生きてるんじゃないかな?」
「小僧にとっては自分を傷つける敵だったそうさね」
そうだった。中島さんはこの世界で生を受けた人ではない。
勝手に呼ばれて異世界から渡ってきた異世界の人だったね。
でも、敵って何?
「敵? 両親が?」
誰かがそう言った。
親を敵だと思うような人はここでは聞いたことがないから。
「中島くんの父親はね。仕事でストレスが貯まると幼い子供の中島くんに理由をつけては暴力を振るう人だそうだよ。
体格も力も大人と子供で大きく差があるのに、泣くとうるさいと恫喝して黙らせようとさらに暴力をって」
「そんな・・・。」
「僕も中島くんの気持ちはわかるんだよ。うちの親もそんな感じだからね。
まぁ、うちの親の暴力なんてあんな体型だから痛くないかもしれないし、魔法で攻撃されても子供の力でも抵抗はできるからね。
でも、中島くんの世界では、そこまで太った人がいないってことだからわかるでしょ?」
それは中島さんの心の闇。
あまり人前で嬉しそうに笑う人ではない気がしてたけど、身近な親でさえそうなら、周りは皆自分を傷つける人間だと思うのかもしれない。
そんなのは悲しすぎるよ。
「小僧は傷つける前段階から警戒してるさね。
責めたり咎めたりされるだけで、エスカレートして行くんじゃないかってな具合でね。
小僧を心配しても咎めてはいけない。あたしゃどうしてもそうなっちまうから近づかない」
「市民の要望としてそういう話があった。その理由もわかるしみんなが感謝してるのはわかるよ。
だけど、中島くんの心の問題が少しでも改善されない限り逆効果になりかねない」
悔しそうに吐き出す夫の顔は一緒に暮らす私でさえ見たことがないもので、私も夫と同じように苦しくなった。
うちに帰ったらワンコたちと一緒に夫が苦しみから少しでも開放されるように甘やかそう。
私は中島さんより夫が大事だから。
重苦しい空気が漂う中に少しばかりの静寂が支配して後、市長が口を開いた。
「とにかくさ~、みんな中島くんに感謝してるのはわかったからさ~
その気持は大事だけど、今の中島くんには不要かもしれないじゃない?
もし、何かで中島くんが困ってたら、皆で手伝ったり助けたりでいいんじゃない?
多々山課長もいつまでも後悔してても、人のトラウマなんて見えないしどれだけ根深いかなんてわからないんだからさ~
今は、良き隣人であり続けて、中島くんが困ったら全員で全力で力になろうよ。
その辺りを市民には周知していくようにしてさ。必要以上に敬って中島くんが居心地悪くなったりしないようにしていこう。
僕はそれでいいと思うな~」
夫の言葉に不満げながらも一先ず納得する各部署の責任者達。
中島さんは本当に凄いね。
こんなに慕われるんだから。
残念なのはそんな恩返しが中島さんの負担になってしまうってことだよね。
中島さんはのんびりするために街を作ったそうだけど、のんびりするといいつつ思い立ったらセカセカと誰かの世話を焼いたりテレビを設置したりしてくれる。
悲しい人だね。
ふとそんな風に思えた。
家に帰ると夫のために食事を準備する。
最近では魔法では味気ないとか、少しの味の変化も発生しづらいから天然物がうちに分配されるとそれを優先的に調理することにしている。
最近の流行りになっていた。
「ただいま~」
夫が疲れた表情で帰ってきた。
洗面所で手洗いうがいを済ませると、リビングでテレビを付けた。
それは夫のお気に入りのバスケの試合。
勝敗がブザービーターで決まったと興奮気味に話していた。
シーソーゲームでどちらが勝ってもおかしくなかったそうだ。
相手はあの橋田さんのチームで夫は選手兼監督で参加していた。
試合終了時のシューターは夫で何度見てもかっこいい。
でも、夫は考え事をする時によくこの映像を見ていた。
考え事は中島さんのことだとすぐに分かる。
後は煮込むだけという状況になると、少しリビングに自分のお茶を入れて食卓につく。
夫は食卓ではなくソファにうちのわんこ二匹を膝に乗せて、テレビを見ながら撫でていた。
テーブルには魔法で生成されたであろうビールがグラスに残っている。
帰ってそれほど経ってないのに、もうお酒に口をつけていることを不満に思うも夫の気持ちもわかるから今日は仕方ないかな?
市民から言われずとも夫は日頃から中島さんのことで苦悩していた。
何とか恩返しをしたいって気持ちについては市内の誰よりも夫が思っていることだろうからね。
普段はひょうひょうとした態度を崩さないけど、家に帰ると情緒不安定な感じで突然弱気になって私に甘えてくることもある。
優しい人だけど、不器用で、守ってあげたい人。
特に話はしないで近くにいる。
今はそれが大事だと思ったから。
気になって仕方ないけど、話したい時に話してくれたらいいよ。
私はいつでも、ここにいるから。
そんな事を考えていると弱火にかけたままだった鍋を思い出した。
「なぁ」
夫が話し始めようとしたのが私が腰を上げたタイミングで
苦笑しながらちょっとまってねと鍋を火から下ろして盛り付けてから食卓にトレーに乗せて持っていく。
少し焦げ臭い匂いがしたから、火にかけすぎたかもしれない。
「で、何?」
晩御飯の準備を終えると振り返ろうとすると、夫はすぐ後ろにいて抱きしめられた。
「僕には君がいた。彼にはいない。
心を預けられる人がいる事で救われることって多いと思うんだ。
彼にもそうなれる女性が現れるかな?」
「もう現れてるんじゃないかしら?
壁が厚いだけで、何人も居るから誰かが崩せると思うよ」
「うん、そうだね。もう少し待ってみようか。
頑張ってくれると良いね。彼女たち」
「ええ」
夫の言いたいことはそれで終わった。
うちは食事の後で散歩に行く。
散歩から戻ったらお風呂に入る。
ここから先は、私の出番だから。
夫と一緒にベッドに入り、夫を飽きるほど撫で続けた。
明日に暗い気持ちを持ち越さないで、二人で健康に、楽しく、働けるように。
いつしか夫の寝息が聞こえてきてそれにひどく安心して私も目を瞑る。
明日も頑張ろう。




