56話.私達の帰る家
あれから、そう、中島さんが帰ってしまってから、先輩はずっと泣き続けてる。
先輩の気持ちはすごくわかります。
私も中島さんがもっと幸せになってもらいたいと思いますし、そのためにはもっと自分を好きになって欲しいと思ってました。
だけど、私はそれを口にすることができません。
嫌われそうだったから。
私は臆病だと思う。
逆に先輩は勇気があったと思う。
その結果、彼は帰ってしまって、中島さんを神様のように慕っている人達からは冷たい視線を感じてます。
言わなくてもいいのに、先輩は子ども食堂の相談から中島さんに説教をして嫌われたと泣きながら語り、相談相手の課長と周囲の人から伝わった為に、私達は結構硬みの狭い生活を強いられてます、
更には先輩のせいでという意識の人達が悪い噂を広めていて、なおさら私達は身動きが取れなかった。
先輩はただ、自分のせいで中島さんが帰ったから、自分が子ども食堂を何とかしないとって頑張っただけなのに、それが逆効果だった、
結局誹謗中傷を受けて先輩は自宅に引きこもってしまった。
櫛菜さんだけは好意的に受け入れられてるようだけど、免許取得まで残ると言ってから必死で運動をし始めた、
最初は学校の子供達と運動をしてたけど、徐々に大人の本気のスポーツに混ざり始めていた。
筋肉痛対策までしっかり聞きながら打ち込んでモモちゃんのためにを合言葉に本当に真剣に頑張っている。
少し浮かない表情なのは、中島さんが心配なのか、私達を心配してくれてるのかはわからない。
一応私達も車で来ているわけだから、先輩に先に帰ってもらっていいですよと伝えたけど、先輩は中島さんに合わせる顔がないと断った。
相手のことを想って言ったことがどうしてこうなるのかな。
それにしても、ちょっと中島さんは打たれ弱すぎるね。
幼い頃から暴力と怒鳴り声にさらされると、少しの注意でさえそこから殴られた記憶がフラッシュバックするのかな?
たぶん、自衛本能だと思うんだけど、ただ少し言われただけで逃げるのはどれだけの幼少期を過ごしてきたのかな。
中島さんのお母さんは優しくなかったのかな?
女性嫌いな感じもあるから、もしかしたら女性を信じられないのかもしれない。
お父さんから暴力、お母さんから嘘を続けられたから人を信じられなかったり人に怯えたりしてるんだね。
でも、それを隠して必死に人のために頑張ってる。
それはものすごくストレスが貯まることではないのかな。
よくよく考えてみると中島さんがやってきたことは自分を常に傷つけるのに他人のためにそれを隠して頑張っている様に思える。
課長と小垣さんは同じ失敗をしたのかもしれない。
中島さんを想えばこそだけど、それが中島さんに伝わらないなら、中島さんのストレスにしかならないのなら意味がない。
中島さんは相手を見て、相手に伝わるように言葉をかけていた。
どんな性格なのか、どのレベルの話なら通じるのか。
そういう事を常にしていたように思う。
中島さんの場合は本人が無理をしながら隠しているから気づきにくいけど、ちゃんとヒントはあったように思う。
こういう事になってなかったら私も考えなかっただろうことを、最初から分かれっていうほうが無理だと思う。
それから一つの季節が過ぎ去った。
小垣さんはまだ外に出てこない。
それでも、今日、遂に櫛菜さんが免許を取得した。
流石に3ヶ月ほど離れていてモモちゃんに会えない寂しさに廃人のようになりかけながら櫛菜さんは免許を取ったわけだ。
当初憧れていたウェディングドレスへの興味はモモちゃんへの想いからどうでも良くなっているようだった。
ウェディングドレスの要素を取り入れたフリルの服を考えだした。
教師見習いの勉強の時に資料にあったゴスロリというものに近い感じだけどとてもかわいい服で本人は満足したようだ。
結婚したいとは言い出さなくなった。
3ヶ月も経てばもちろん子犬もそれなりに成長しているでしょう。
私も早く裕太に会いたい。
新しい免許証を持って櫛菜さんはすごく楽しそうに車に乗り込んだ。
先輩は自分の車を出して話すこともなく走り出した。
隣の助手席に座った櫛菜さんはニコニコしながらスマホの画像からモモちゃんをずっと眺めていた。
ここからあの場所に戻るのはなかなか時間がかかります。
疲れるし、ご飯も食べるしお手洗いも。
SAに寄る度に先輩が想像より眠そうにしていた、
寝てないのかもしれない。
「先輩、お疲れですよね。
今日はここで休みましょう。」
「嫌よ。あたしは早くあの街から離れたい」
「ダメです。先輩、免許を取る時に注意を受けましたよね。
絶対に無理をしない、疲れたら休む。
それが免許証を持つものの義務ですよ。
こんな所に歩行者がいるとは想えませんが、少なくとも免許を持った人が運転する車はあるかもしれませんので、殺人犯になりたいわけではないでしょうから休みましょう。」
「わかったわ」
渋々従ってくれた先輩だったけど、ここにはもうひとりいるわけで。
「でしたらわたくしが美津様のお車を運転して差し上げますわ。
こういう時のために免許を取ったのですし、早くモモちゃんに会いたいですわ」
「いえ、あの、私も結構疲れてるので」
「そうですの?残念ですわ」
「家に戻ったら櫛菜さんの車もありますから、モモちゃんと一緒に遠出してはいかがですか」
「それはいいですわね」
わんちゃんたちが車酔いしなければいいけど、離してしまうとこのまま走ることになってしまいそうなので黙っておきます。
私達はしっかり休みを取りながら、焦る気持ちを抑えて車を走らせる。
心情を表すかのように、先輩の運転する車の速度は揺れていた。
アクセルの踏みしろが一定にならない感じ。
先輩の事が心配になって、私は休むことを何度も提案した。
まだ大丈夫と続ける先輩は途中から提案を受け入れだした。
街にもいたくないけど、中島さんとも顔を合わせづらいのだろう。
結城くんの世話よりもそっちの感情が勝つのは少し残念だけど、それほど好きな人に拒否される気分は最悪だったんだろうね。
程なくして私達は自宅へ戻った。
先輩は駐車場に車を戻すことなく、自宅前に雑に停車して自宅へこもってしまいました。
結城くんを連れて自宅に入ったので一緒に寝るのかもしれません。
暗い空気に厚い雲が遮る日差しが今の私達の気持ちを代弁しているようです。
私と櫛菜さんもそれぞれのわんこを連れて自宅に入りました。
多分、私達は愛情に飢えているのでしょう。
例えそれが、ペットが生きるために母親に抱く感情であったとしても。
私達はそれでも、そんな小さくて可愛い家族のいるここが帰るべき場所だと感じられた。




