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影の人

作者: 文代 呉波

 名前も知らない人を捜す夢から覚めた。六限の終わりを知らせるチャイムが鳴り、わたしはテキストを鞄に詰める。今日も平等に放課後はやってくる。気怠い授業は適当に聞き流しても案外どうにかなると学んだ。

「有希乃!」

 わたしを呼ぶ声が聞こえる。声のする方を向くと、案の定、春音だった。

「今日もすぐ帰っちゃうの?部室行こうよ」

「部室行っても勉強しかしないし」

 わたしと春音は一応オカルト研究部に所属している。というのも、帰宅部というものが認められていないので、しょうがなく春音と同じ部活に入ってみただけだ。

「今日はものすごいネタがあるからさ、ちょっと調査的なことがしたくて!」

 はあ、と気の抜けた返事をしてしまう。そして、そんなわたしを気にせず、春音はセミロングの茶髪を揺らしてわたしの手を強引に引いた。

「分かった分かった、行くから、行きますから」

「やったあ!行こ行こ」

 なかなか上機嫌だ。さぞ良い話なんだろう。

 六畳ほどの広さの部室はなかなか静かで、本棚のせいで少し狭く思えて、たまに来るくらいが丁度良い空間だ。そんな部屋に、今日は四人も部員がいる。部長はともかくとして、この男子は春音が呼んだんだろうか。

「やあ諸君、君たちのクラスでも話題に上がったと思うが、今日は影の人の話をしよう」

 春香がわざとらしく堅苦しいような口調で話し出すと、部長やほかの部員は軽くうなずいた。どうやらよく知らないのはわたしだけらしい。あまり会話をしない弊害がここに出ているのかもしれない。

「あの、恐らく皆さん何かしらの噂をお聞きしているかと思われますが、どういったものなのでしょうか」

「まあまあ、そう焦らずに。私が聞いた話を喋るから、それ以外に聞いた噂などあれば補足してね」

 焦ってはいないけど、面倒なので訂正はしないでおく。春音は少し周りを見てから、また話しはじめた。

「昨日の夜八時ごろ、木呂山駅周辺で真っ黒な人影の目撃情報があった。それも、全身が真っ黒で、肌の色も性別も分からなかったらしい。本当に人の形をした黒いもやもやみたいな感じだったみたいだね」

 木呂山駅は学校から十五分も歩けば着くところにあるから、結構身近に思える。

ほかに補足情報ある人、と春音が聞くと、部長が軽く手を挙げた。

「三年二組の足立さんが目撃したという話は聞いた。駅に向かう途中、線路脇の細道で見たらしいね。その時周りには他にも人がいたみたいだけど、他の目撃者情報はまだない」

 うーん、そうすると、見間違いの可能性もあるってことか。まあ、ここの人たちはそういうことは考えていなさそうだけど。

「なるほど、ありがとうございます。影の人はどこかに去っていったとか、ほかに聞いていますか」

「木呂山の方に向かっていったとは聞いているが、どの道を通ってかは分からない。木呂山駅の周りを見てみるか、あるいはもう山の怪しそうなところを調べに行っても良いかもね」

「そうですね。そしたら、山登りする人と学校や駅周辺で聞き込みをする人に分かれましょうか」

 調査することはもう決まっているのか。面倒事に巻き込まれた気がする。

「あ、俺、聞き込みが良いっす。体力ないんで」

 男子が一人、口を挟む。名前は覚えていない。なんなら今日初めて見た気がする。

「そっか、じゃあ真木くんは聞き込みで良いかな。部長も聞き込みで良いですか?」

「いいよ」

「よし、じゃあ私と有希乃は山登りしようか」

「え」

 いや、まあそうなるだろうけど。一呼吸おいてから、行きますと言うと、春音は笑顔になった。

「そうと決まれば早速調査に移りましょう。分かったことがあれば適宜教えてください。それでは、解散!」

 春音はそう言ってから、両手を外側に広げた。それに次いで、真木くんが気の抜けた声でおー、と応える。部長は、いってきますと一言だけ口にして足早に出ていく。

「私たちもそろそろ行こうか。駅を通るルートで」

「春音は道分かるの?いつも逆方向じゃん」

「もちろん分からないよ。だから案内は有希乃に頼みます」

「はいはいそうですか。迷子になるより良いからね」

「迷子にならないかもしれないじゃん!」


 駅周辺の聞き込みも部長組がしてくれるらしいので、不審な影がいないか探しつつ駅の方へ歩いていく。平日の夕方というのもあって、少ないながらもちらほらと人がいる。寄り道している小学生だとか、外で作業している花屋のお姉さんとか、鉄板の前に立っているたこ焼き屋のおじさんとか。だめだ、たこ焼きが食べたくなってきた。邪念を払ってずんずん駅へ向かう。春音はそんなわたしを見て不思議そうにしながらも足は止めない。

 しかし特に不審な影も見ることなく木呂山駅に着いた。小さな有人駅は賑わっているわけではないが、人の流れを感じる。駅を越えてそのまま道なりにまっすぐ行くと木呂山に着く。

「何もいなかったね。このまま山に行こうか」

「そうだね、一応部長に異常なしの連絡だけしておくね」

「ありがとう」

 春音はすっすっとスマホを操作して、すぐに鞄の中にしまった。

 線路に沿って少し広い道を歩くと、踏切があった。その向こうは細い道になっている。足立さんはこの道のあたりで人影を見たんだろうか。ここらへんは帰りにでも見てみて良いかもしれない。

 木呂山はそこまで大きくはないが、それでも傾斜のせいでかなり疲れる。人通りもどんどん少なくなっていく。それにつれて車を比較的多く見るようになった気がする。そして当然のように不審な人影はない。緑はどんどん深くなっていく。二人の息はどんどん上がっていく。錦秋の候、特段暑いわけではなかったのに汗が滝のように流れていくのを感じる。わたしは普段外に出ないのもあって、先に音を上げた。

「あのさ、ちょっとどこかで休憩しない?疲れちゃった」

「そうね、私もそろそろギブだわ。道沿いになんかあれば良いけど」

 地図アプリを見ると、少し登った先に茶屋がある。今どき茶屋というものがどんなものか想像できないが、昔ながらの抹茶と団子で一息つけるようなお店だろうか。

「木呂山みね茶屋っていうのがあるよ。そこまで行ってみよう」

「何分ぐらいで着きそう?」

「五分くらいかな、わりと近いよ」

「わあい、あとちょっと頑張ろう」

 春音は嬉しそうに言った。

 少しして、茶屋に着いた。写真で見た通りの木造の瓦屋根がぽつんと建っていて、一昔前の地に降り立ったような心持ちがある。営業中だとは書いてあったが、少し不安になりながらも店の近くに行くと、店員らしき女性が一人見えた。

「こんにちは~」

「あら、いらっしゃい」

 引き戸を開けてわたしたちが中に入ると、さっきの若い店員が丁寧な口ぶりで出迎えてくれた。

「お好きな席にどうぞ」

 入口近くのテーブル席に座る。内装はかなり綺麗で、外装の古めかしさとは打って変わって、整然さを感じさせられた。ここまで印象よい内装を保つには相当な努力が必要だろう。ラミネートされたメニューを見ると、抹茶とあんみつがおすすめだと書いてあった。他にも、おはぎや団子があるらしい。わたしは抹茶ときな粉のおはぎを、春音は抹茶と小豆あんみつをそれぞれ注文した。思えば、前に春音と寄り道して何かを食べたのは久しぶりじゃないか?一年は経ってないはずだけど、どうにも記憶が曖昧だ。

「お待たせしました」

 テーブルに置かれたお茶とスイーツは、疲労も相まってとてもおいしそうに見えた。きめ細かく泡立てられた抹茶は黒塗りの椀に鎮座している。一口飲めば、その爽やかな香りと深いコクを感じることができる。といっても、本格的な抹茶など人生で二、三回飲んだ程度であるからよく分かっていないが、とにかくおいしい。

 おはぎも全面にきな粉がつけられており、白いところが見えないが、一口かじるともちもちした食感のお米が露わになる。半殺しになっているお米が時折粒のままになっているのを楽しみながら咀嚼していたら、すぐにおなかの中に収まってしまった。それは春音も同じようで、おいしいおいしいと言いながらいつの間にか空の茶碗とデザートカップだけが残っていた。

「ごちそうさまでした。おいしかったです」

「それは良かったです。ありがとうございます」

「そうだ、店員さん、ここら辺で黒い人影って見かけませんでしたか?」

 春音がそう聞くと、店員は困惑したような顔で、

「うーん、見てませんね」

と、微笑んだ。

「そうですよね。すみません、変なこと聞いて。駅の近くで怪しい人がいたみたいな話を聞いたので気になっちゃって」

「怪しい人……。お客さん、探偵クラブの人なんですか?」

「いいえ、オカルト研究部です」

 店員は、なるほど、と困ったように笑った。なんだか申し訳なくなった。

「木呂山でそういった話は聞いたことがないですね。すみません、お役に立てず」

「いえいえ、話してくださってありがとうございます。それでは」

 わたしたちは店を後にした。なんだか満足してしまった。今日の調査は終わりで良いか?

「この後どうする?正直店員さんの話だとこれ以上収穫がないような気がするんだけど」

「うーん、そうかもだけど、一応他の人にも聞いた方が良いんじゃないかな」

 それはそう。

「そっか。もうちょっと登って聞き込みしてみようか」

 それでも予想通りというか、近くにいた数人に聞いてみても、これといった情報は出なかった。それどころか、影の人らしきものを知っている人がいなかった。目撃情報が昨日の一件だけだから、ごく最近発生したか、やっぱり見間違いかだろう。

 そうこうしているうちに、日が沈もうとする時間になった。

「収穫なかったね」

「そうだね。今日はこの辺にして帰ろうか。あ、そうだ。部長から連絡来てたりする?」

「あ、そうだそうだ。どれどれ」

 春音はそう言ってスマホを開くと、慣れた手つきで操作しはじめた。

「なんか来てる。えっと、『人気のない茶屋の近くでガラスを割るような変な音がずっとしていたと聞いた』って。え、これさっきのお茶屋さんだよね」

「多分、そうだね……。でもそんな音しなかったよね?」

「しなかったね。何にしろ、こっちで体験したお茶屋さんのことを伝えておこうか」

「お願いします」

 そう言って、わたしたちは山を下りはじめた。

「部長組からは他に何かあった?」

「えっと、良い情報はあんまりなかったって。目撃情報はなし」

「うへえ、見間違いじゃないと良いけど」

 わたしが露骨に嫌な顔をすると、春音は少し怒ったような口調になって、「絶対いるよ!私のオカルトセンサーがそう言ってる」

と言った。オカルトセンサーなるものがそんなに信憑性があるとは思えないが、夢のないことをつい口にしてしまったことは申し訳ない。

 もと来た道を引き返しているだけだが、行きとは景色が違うせいで迷ってしまいそうになる。心なしか速くなっている足で坂道を下っていく。

「あ、あと、山頂のお寺が怪しいかも~みたいな話があったけど、根拠みたいな噂は何もないらしい」

「それは言いがかりってやつでは?」

「まあまあ。明日はそこに行っても良いかもね」

 春音が微笑む。夕日に照らされて、周りはぽっと橙色に染まり、緑は和らぎ、道路を挟んだ向こうにある春音の背後の影はいっそう際立って――

「え?」

 思わず体を少し右側に倒して見ようとする。

「どうしたの?」

 春音はそんなわたしを見て逆方向に動いてくれる。

「ほら、あれ」

 あれは、人のような、影。全身を黒い服でまとめたようで、しかし肌色は一切見えず。人だとはっきりわかるが、その人と背景との境界線は普通の人間より曖昧だ。まさに、地面に落ちる影が実体を持って活動しているような。

 わたしの言葉を聞いて、春音もそちらを向き、左足を半歩後ろへずらした。

「え、あ、あれ、影の人、」

「そうだね。いたんだ」

「いたね」

 春音は小刻みに震えながら、スマホを取り出してシャッターを切った。

 カシャッ、という気味の良い音でこちらに気付いたのか、影の人は足早に山を下っていく。

「あ、待って!」

 春音は道路に駆け出そうとする。

「危ない!」

 咄嗟に制服の袖を掴んで止める。春音も我に返って止まる。そうしているうちに、影の人は、カーブの影に溶けて消えてしまった。

「あ、見えなくなっちゃった」

 春音が悲しげに言葉を漏らす。

「死ぬよりましでしょ。ほら、帰るよ」

「うう~……」

 気持ち早足で帰路に就いた。


「それで、見たんだ?」

 翌日の放課後、半ば尋問のように部長に聞かれる。

「はい」

 わたしと春音はばつが悪い顔で部長に向き合う。真木くんは今日は来ていないようだ。

「もう、すぐ連絡してくれたら僕も見られたかもしれないのに」

 部長は体を揺らした。それに合わせてスカートがゆらゆら揺れる。

「すいません、写真を撮ったら気付かれちゃって」

「追いかけようにも道路の反対側だったので難しくてですね」

 後輩二人の必死な弁明に、部長はクスッと笑って言った。

「いいよ、いいよ。そんなに怒ってないし。今日はみんなで登山しようか」

「そうですね。今日も会えるかもしれませんし」

「会えると良いね。じゃあ、昨日二人が通った道を通って山頂の転徳寺に行くので良いかな?」

「はい、大丈夫です」

 元気な返事だ。昨日より長い距離を歩くのだと思うと辟易するが、実物を見てしまった以上影の人が気になってしまったのだから仕方がない。ただ、癪なので興味が湧いてきたなんてことは春音には言わないでおく。

 出発進行の掛け声とともに三人で転徳寺に向かう。昨日も見た景色とはいえ、そこにいる人たちは昨日とは少し違うから新鮮味がある。当然のように影の人らしきものは見当たらない。あんなの普通見られるものではないと思う。

 そうこうしているうちに何事もなく木呂山駅に到着した。

「やっぱりいませんね」

 相変わらず人はちらほら見かける。しかし、不審な影はどこにもない。

「そうだね。でも山道に入ってからが本命だから今は気にしなくて良いんじゃないかな」

「よし、行くぞ~!」

 踏切を越えて、まずは昨日の茶屋を目指す。昨日より気温が高いのか、すでに汗が出ているのを感じる。木々は青々と生い茂っている。今日は思いの外、車通りが少ない。少しおかしいくらいに思えるのは考えすぎだろう。

「今日暑いですね」

「分かる。いやー、もう汗だらだらだわ。登山舐めてたけどこんなに辛いとはね」

「辛かったです。なんで二日連続で登ることになるのやらって感じです」

「あはは、たまには良いじゃん。運動しなきゃ、ね?」

「いきなり運動してもきついだけですって」

 事実、太ももの筋肉痛がひどい。一応歩けるくらいではあるけど、この調子だと明日は明日で悲惨なことになりそうだ。もう少し登れば昨日行った茶屋、さらに十分ほど先に転徳寺があるようだ。傾斜がきつくなってきて、山に入ってきたことを実感させられる。

 茶屋が見えてきた辺りで、部長が怪訝な顔をして息をひそめた。

「部長、」

「シー……」

 口元に人差し指を当てる。部長が茶屋の方をじっと見るので、わたしたちも一緒にそちらの方に目を凝らした。

 辺りは静かだ。風はほとんどない。木の葉が擦れる音に交じって、パリン、パリンと、何かが割れる音がする。音の主は見えない。これが、昨日言っていた音か。

 足音を殺すように、そっと茶屋に近づく。何かが割れる音が大きくなっていく。茶屋の中は暗くてよく見えない。外が明るいのか、はたまた電気が消えているのかは判別できない。

 静かに、耳を澄ます。どうやらその音は店内ではなく、裏手から聞こえてくるようだ。茶屋の入り口には臨時休業の張り紙があった。そっと店内を覗くと誰もいない。

 春音がそっとスマホを取り出した。写真でも撮るのだろうか。昨日はそれで影の人を驚かせたのに。しかし、もっとはっきりした写真が撮れれば良い証拠になる。新聞部か放送部かが目を輝かせて取材しに来るんだろうな。

 そっと裏手を見ると、そこにはあの店員がいた。しゃがんで何かしている。何かを割る音の主は店員のようだ。なんだか気が抜けた。すると、春音がいきなり、え、と声を漏らした。

 それが聞こえたのか店員はこっちを向いた。こちらを視認した後、目を見開いて後ずさった。手に持っていたガラス片を落としたのが見えた。さらによく見ると、口元が微かに光っている。

「あ、あの、えっと……」

 店員の声が震えている。春音と部長は後ろから出てこない。これはわたしから何か聞いたほうが良いだろうか。

「あの、ここで何を」

「えっあっ、あっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「あの、落ち着いてください」

 駆け寄って両肩にそっと手を置く。店員の口元に細かいガラス片がついている。深呼吸を促すと、わたしの呼吸に合わせて胸が上下する。

「あの、わたしたち、昨日も言った通り黒い人影を探してて、それで、こっちの方で音がしたので、こっちに来たんですけど」

 ぎこちない説明をする。

「あ、あは、そう、そっか、そうなんですね」

「ええ。それでなんですけど、あの、もしかして、そのガラス」

 そう言うと、また店員の息が上がってくる。

「大丈夫です。誰にも言いませんから。えっと、落ち着いてください。大丈夫です」

「ほ、本当ですか。本当に、言いませんか。いえ、言わないでください、お願いします、お願いします」

「ですから、大丈夫です、本当に」

 そのうち春音と部長もこちらへ寄ってきて、一緒に店員を落ち着かせた。数分経って、店員はぽつりぽつりと語りはじめた。

「あの、先ほど見た通り、わたくしは主に人間生活で出たゴミを食べる妖です。普段は峰という名前で人間と同じように生活しております」

「ということは、さっきのガラスは割れてしまった食器かなにかですか?」

「そうです。午前中にうっかり落として割ってしまいましたので、処理も兼ねてこうして食事しています。もちろん、人に見つかると無事に生きていけるかも分かりませんので、人間に擬態するような形でひっそりと生活しているのです」

「確かに、研究対象になって今の生活ができなくなるかもしれませんね」

「ええ。ですので、どうかこのことはご内密に……」

「大丈夫ですって。わたしたちは黒い人影のことが分かればそれで良いので」

 わたしがそう言うと、店員はようやく安堵の表情を見せた。

「あの、その黒い人影なんですけど、もしかしたらわたくしが原因かもしれません」

「え!?」

 春音が驚いて声を出した。

「どういうことですか」

「はい。数日前、わたくしはうっかり生きている人間を食べてしまったのです。その日、山道から少し逸れたところの茂みに人間の体が落ちていましたので、死体だと思って食べました。しかし、どうにもまだ命があったようで、途中まで食べたところで魂がどこかへ行ってしまったのです。恐らく、皆様のおっしゃっている黒い人影というのは、その魂なのではないでしょうか」

 にわかには信じがたい話だ。

「その魂は、幽霊とは違うんですか?私は霊感がないと思っているんですけど、影の人は見えました」

 丁度聞きたかったことを春音が聞いてくれた。

「ええ。基本的には、幽霊というものは葬式によって肉体と魂が分離しているので、いわゆる霊感というものがないと接触することはできません。しかし、あの日は中途半端に食べてしまったせいもあって、それらが分離しきれず、かなり濃い影となって現れているのだと思います」

 店員はそう言うと、一拍置いてまた話しはじめた。

「あの、厚かましいお願いで非常に申し訳ありませんが、どうかあの人を成仏させてあげてくれませんでしょうか。このまま魂が彷徨いつづけるのは、あの人にとって良くないと思うのです」

「そうですね……」

 それもそうだと思う。生きていたのに食べられて死んでしまい、幽霊にもなりきれず、遺体も残っていないであろうことを考えると、この先ずっと現世を彷徨うことになる。わたしはできるのであれば成仏してほしいが、オカルト研究部としては果たして「解決した怪異」は必要なのか疑問を抱いてしまう。幽霊部員だけど。

 春音と部長は神妙な顔をして唸っている。二人も同じことを思っているのだろうか。

「葬式、しますか……。できるのかは分かりませんが手は尽くしましょう」

 最初に口を開いたのは部長だった。

「僕たちにできることはやってみようよ」

 それを聞いて、店員の表情が明るくなった。春音も観念したように続ける。

「影の人を見つけて、お寺に連れて行けばお坊さんになんとかしてもらえるかもですね」

「そうだね。とりあえずあの人を捜さないと」

「ありがとうございます、どうかよろしくお願いします」

 わたしたち三人は、店員と別れて影の人を捜しはじめた。いるとすれば木呂山駅から山に向かう道の辺りだろう。わたしは一足先に転徳寺へ行き、部長が茶屋周辺を、春音が木呂山駅周辺を捜索した。

 結論から先に言えば、部長が影の人を見つけた。これは推測だが、影の人が食べられた場所を中心にして彷徨っていたのだろう。わたしができる限り忍び足で周りを見回していたとき連絡が来た。

 それから十分ほどして、部長がやってきた。その横には、見覚えのある黒い人影があった。

「いや、この人の声は聞こえないんだけどね、僕たちの声はちゃんと聞こえるみたい。不思議だね」

 影の人が両腕で大きな丸を作ったように見えた。お茶目か。

「なんかすごい短期間で仲良くなってませんか?」

「なんかね、見つけたときに『成仏したいかーーー!』って叫んだらこっちの方に来てくれて、それからはボディランゲージだよね」

 部長からボディランゲージなんて単語が出てくるとは思わなかったが、結果として打ち解けているようだから凄いもんだ。

「たぶん住職さんが近くにいるので一緒に行きましょう。一回話を聞いてみたので実物を見たらお経ぐらいは上げてくれると思います」

 開いていたお堂の扉をくぐって住職のところに行くと、住職は影の人を見た途端、「ああ、これは確かに読経せんならんな」と言って、準備をしはじめた。

「あんたらもこっち来て座っとりなさい」

 言われるがまま、わたしと部長は本尊の前で正座をした。影の人も正座をしようとしたとき、住職に呼ばれて住職と向かい合うような形で正座をした。

「あっ、いた……!」

 丁度春音が息を切らして入ってきた。わたしは手招きをして、わたしの横に座らせた。

 読経が始まった。聞くたびに眠くなってしまうのをどうにかしたい。場は住職の声以外聞こえない。ある種静かとも言える空間が広がっている。時間がゆったりと過ぎていく。それにつれて、黒い人影は薄くなっていく。こんな簡単に消えてしまって良いものかと不安になるくらいには薄れていく。不可解な現象が目の前で起こっているにも拘らず、住職は淡々と文字を読み上げている。そうしてその声も聞こえなくなったときには、非日常な影も見えなくなっていた。

「お疲れさまでございました」

「ありがとうございました」

 わたしたちは深々と礼をした。

「いやあ、大変だったね。皆さんは麓の高校の生徒さんでしょう」

「はい。オカルト研究部です」

「はっはっは、オカルトか。そんな人たちが幽霊の供養を頼むとは。あんまりこういうことには首突っ込まんで、お寺や神社の人にすぐ頼りな」

「そうですね。実際に会ってみると心臓が持ちませんね。まだあっち側になるのは御免です」

 部長がそう言って笑った。


「え、じゃあ影の人はいなくなったんすか」

 次の日の放課後、真木くんが事の顛末を聞いてそんなことを言った。

「そうだよ。真木くんも来てたら良かったのに」

「いや、忙しかったんすよ」

「そっかあ」

 春音はちょっと悲しそうだ。

「でもあれっすね、一つのオカルト話がなくなっちゃったかと思うとちょっと寂しいっすね」

「それはね~私も思った。そうなんだけど、やっぱり人だからさ。ちゃんと送ってあげたほうがいいよねって思って」

「まあそうっすよね。俺でもそうしますもん」

 あれから、わたしたちはまた日常に戻った。退屈な授業を受けて、誰がリークしたのかは分からないが新聞部が取材に来たので適当なカバーストーリーを話して、部室には行かずそのまま帰ってマンガを読む。茶屋の噂を聞きつけて行ったが何もなかったと言えば、あの茶屋までは行くことはないだろう。至って平凡な毎日がわたしには合っているのだと思う。

季節はもうすぐ冬になる。空は灰色になり、空気が常に熱を奪ってこようとする。そんな空気からわたしを守るように、教室には暖房が稼働しはじめた。二酸化炭素に包まれて、ついつい居眠りをしてしまう。毒を盛られて死にかける夢を見た。

六限の終わりを知らせるチャイムが鳴り、わたしはテキストを鞄に詰める。今日も平等に放課後はやってくる。

「有希乃、今日は部室行こうよ!」

 わたしを呼ぶ声が聞こえる。適当な返事をしつつ、鞄を背負って教室を出た。


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