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Case.05 ヒトナシ坂


 学園都市と呼ばれる街にやってきて早五年。

 もうずっとこの街に住んでいる気がするが意外と知らないこともあるものだ。寮と学園を繋ぐ抜け道とか街にある美味い飯屋とか。

 それまで興味がなかったとか、興味はあっても知識がなくてとか。そんな理由でずっと身近にあったのに気付いていなかった物というのは意外と多く存在する。


 俺にとってるるーがそれだ。

 もうずっと長い事一緒にいるのに結局こいつが何なのか全くわからないままである。精霊、のようでそうじゃない。じゃあ何なのかと聞かれるとちょっとよくわからないが。

 ある日突然俺の前に現れていつの間にか傍に居座るようになったこのわんこは明らかにまともな見た目をしていないのにも関わらず、他の可笑しな奴らからの盾となってくれた。

 ……あいつは俺のことを餌場かなんかと思ってる節があるけど。


 なんで俺がこんな話を話しているかというと、今まであるとは知っていたはずの道に全く知らない存在が居座っていることを知ってしまったからだ。

 いや、多分これに関しては俺が意識的に聞かないようにしていたところもあるかもしれない。るるーがいてくれるとはいえ、危ない事や怖いものには出来るだけ近付きたくないと思うのは普通のことだろう。

 一見して何でもない落ちつきはらった裏通りにそんなものがいるとか思いたくもないが、そういうものがふとした拍子に顔を覗かせるのが一番危険だったりする。だからるるーにはもっと前もって注意を促してもらえると嬉しいのだが、無理だよなぁ。


 そんな希望というか諦観は置いておいて。

 本当ならいつも通りジルコフ教授の研究室で管を巻くつもりでいたのだが、以前気紛れに行ったスクエアという降霊術を再検証しようと教授が提案してきたので慌てて飛び出してきたのだ。

 咄嗟にアンリエットがたまにはテラスではなく街にあるカフェでも行かないかと提案してくれたのでそれに乗っかかる形でアンリエットとヒューバートの腕を引き学園を出る。


 正直今日カザミに用事があってよかった。アイツがいたら確実に実行する羽目になっていただろうからな。

 スクエアについては……いや、やめておこう。あれはあれで薄ら寒いものを感じたので今は思い出したくない。


 まぁそういうのっぴきならない事情があってその日はあまり通らない道を使ったんだ。

 アンリエットが御友人に教えてもらったというカフェで優雅なひとときを過ごす。カフェなどはあまり興味がなかったので知らない店だったが、流石はフォード家の令嬢ということか、薦められた果実のタルトはとても美味かった。

 やはり一概に旬の果実といってもその年の降水量や日照りの影響で味に変化があるらしい。であれば学生の身分では飲めないが、卒業の時にでもフォード領産の果実酒も彼女に見繕ってもらいたいものだ。


「美味しかったねー」

「ああ、今度リズに会う時の手見上げにするよ」

「きっと喜んでくれるよ」


 楽しそうに笑うアンリエットを眺めながらたまにはこういうのもいいかもしれないと考える。

 今年は高等部の最終学年だ。卒業したらもう会えない、ということはないがどうしても今みたいに毎日集まって何気ない話をする機会もなくなってしまう。


 ヒューは彼の家族が代々そうしてきたように騎士団の門を叩き王室に仕えることになるだろうし、カザミは彼女の故郷である遠い島国に帰るのかもしれない。アンリエットだって、きっと生家に戻りどこかの誰かと見合いをし、そうして嫁いでいくんだろう……。

 俺だってそうだ。両親は文官として王宮に務めて欲しかったようだが、問題のない程度に領地を経営して、それなりにかわいらしいお嬢さんを娶って、なんとなく生きていく。

 だからそのために、その先何十年と思い残しがないように。なんていうのは大げさだが、今年一年くらいは学園生活の思い出作りとやらに励んだって許されるだろう。

 傾き始めた太陽によって見慣れた街並みが赤く染められていく。いつのも帰宅路とは違うが、きっとこれも数年経てばいい思い出とやらになるだろう。


「そういえばこの道ってあんまり使わないよね」

「ああ、あんまこっち来る用事もなかったしな」


 この坂道を真っ直ぐ下った先にカザミがいる一般寮へ抜ける近道があるのは知っているが、高等部入学以降数えるほどしか使っていない。

 そちらに行くなら別の大通りもあるし、おそらく俺たちの中ではカザミが遅くなった時などにこの路地裏を通り近道をするらしいというくらいの認識でしかない。


 クラスメイトたちが話してた学内カフェの曜日限定メニューが美味しそうとか、来週提出のレポートの進捗状況がどうだとか。そんな事を話しながら足を進める。

 最近は気温も上がってきてじっとりと汗ばむことも出ててきた。少し大きく息を吐いて足元に視線を落とせば、自分の影が坂道を滑るように伸びている。


「この前カザミと話したんだけどさ」


 傾いた日差しに照らされながら三人で並んで歩く。

 暗くなる前に早く帰ろうなんて考えながら、見慣れない住宅街を眺める。もう少ししたらこの街灯にも明かりが灯り、夕日とはまた違う白熱灯の暖かな光が石畳を照らすんだろう。

 遠くの方からじわじわと赤く夕日に染まっていく世界は、まるで違う世界に迷い込んだみたいな、世界がすぐ自分の後ろから閉じていくような不思議な感覚になる。逢魔が時とはよく言った物だ。日が落ちる前の一瞬の時間。俺たち以外の、別の何かが一番元気になる時間。

 不意に、何の示しもなくヒューバート達と視線が合った。


「あー、リカルド。俺たちはいつまで気付いてないフリをすればいいんだ?」


 何の事、なんて無粋なことは言わない。出来れば気付きたくなかった。

 少しばかり青い顔で振り返ろうとするアンリエットの腕を引いて止めながら、後ろにいる「何か」にどうするかを考える。意識をそちらに向け始めたからか、心なし何かがズルズルと引きずるような音も聞こえ始めた。


 ヤバイ。

 音の感じからしてデカいのが一匹だと思う。ただ微かに聞こえる呻き声が複数なことから色々混じってるんじゃないかとか、嫌な想像をしてしまった。

 俺の得意な魔術障壁を出して逃げようにも杖は鞄の中だし、杖を取り出す手間を考えたら俺のへっぽこ魔術よりるるーを呼んだ方が確実だと思う。

 問題は結構デカそうだからるるーが食いきれるかだな。後は振り返った時に後ろにいる何かに俺が耐えられるか。


「あの角まで一気に下れるか?」


 出来るだけ声量を抑えてヒューが囁く。

 俺もアンリエットもそこまで魔術が得意ではないしヒューバートは魔術よりも剣の人間だ。おい、なんでこんな時にいねぇんだよカザミ。

 るるーがいれば大抵のことは何とかしてくれるが、こういった手合は相手の得意な状況から引きずり出さなくては始まらない。らしい。

 カザミと教授がそれぞれ同じようなことを言っていたが、あの二人がどこからそういった知識を回収してきているのか未だに謎だ。


 極端に口数の少なくなった俺たちに、後ろにいる「何か」も気付いている。本当にやめて欲しい。

 静かに合図を送って思いっきり地面を蹴る。幸い誰も体勢を崩す事もなかった。どういう訳か下り坂にさし当たった時より突き当りが遠退いている気もするが一先ず考えないようにした。


「腕見えた腕!」

「マジヤバイって!」

「いいから走れ!」


 騒ぐ俺たちの背中をヒューバートが押し下り坂を走る。すぐ傍まで来ている事はわかっていた。

 転びそうになるアンリの腕を無理やり掴み少しでも自分の前を走らせようと引っ張る。まずいまずいまずい、直ぐ真後ろにいる。

 るるーを呼ぶために少しでも後ろから意識を反らせ視界の端にとらえた腕につかまってしまいそうだ。

 あと少し、もう少しで坂道を抜ける。すぐ後ろでべちゃりと水気を帯びた何かが地面に落ちた。


「るるー!」


 声が響いた。

 俺がるるーを呼ぶ声とるるーのうなり声、それから何かの悲鳴。嫌な音だった。まるでつんざくような叫び声と鈍い繊維を引きちぎる音。音の発生源を確かめるような勇気はなかった。


 バタバタと転がるように坂道を抜ける。

 目の前に広がるのは夕日に染まった石畳だけだ。坂道に居たときとは打って代わって静寂が広がる。

 息を整える俺の横で、アンリエットとヒューバートが恐る恐る振り返るのが見えた。


「あれ……」

「いなくなった……?」


 二人の言葉を聞いて首を回す。一気に駆け抜けた下り坂には先程までいたはずの何かはおらず、るるーか尻尾を揺らしながら何かを咀嚼しているだけだ。

 どうやらやり過ごす事が出来たらしい。眼の前には何の変哲もない街並みが広がっている。本当に、あの二人が言っていた様なこの坂道限定の幽霊、ないし怪異だったんだろう。

 呆然とする俺たち三人を他所に、近くの街灯がジリジリと音を立ててから光を灯した。


「なんだったんだよ今の」


 呻くように絞り出した俺の言葉に答えられる奴はおらず、まるで夢でも見たんじゃないかと言いたくなる。でもそれは違うと、るるーが何かを咀嚼する音が夢じゃないと教えてくれる。

 ご機嫌な様子のわんこを覗きみれば食い終わったとばかりにゲップをされた。

 お前マジでなんでも食うな、ハラ壊したりしねぇの?


 追ってきたアレは何だったのか。そもそも追ってきたアレを食ったるるーは何なのか。

 精霊ではない、と思う。後あんまりカザミのことが好きではないみたいだ。これはまぁ俺がよくカザミに突っ掛かってるのもあるんだろうが、とにかくわかっているのはそれくらいだ。

 何なんだよ本当に。

 いつまでもそうしているわけにもいかず、何だったんだと零す二人と帰路へ付く。流石にもう、あれこれ話をする気力はなかった。





「ああ、結構有名だったのに知らなかった?」


 翌日、カザミにこの事を話すといつもどおりなんてことない声色が返ってきた。


「知ってたのかよ」

「噂だけはね」


 なんでもあそこは昔から人が持ち物だけ残し行方不明になる事が多い為、「ヒトナシ坂」と呼ばれているそうだ。

 ああ言うのにはルールがあるらしく対処の仕方としては昨日のあれで良かったらしい。振り返る事なく坂道を突っ切る。ただそれだけのことだが案外難しい。

 本当にどっからそういうの知識を得てくるんだよ。


 カザミの口振りからして行方不明者というのはあの坂で振り返ってしまった人たちのことなんだろう。視界の端で捉えた人の溶けたみたいな爛れた肌を振り返って見たいとは思わないが、声や腕を引かれて振り返った奴も確かにいたんだろう。

 正直昨日から若干グロッキーだ。るるーの体も普通の犬の比べたらグロい方だが、人間の腕だと認知してしまったのが余計に堪えた。


「皆、どこに行っちゃったんだろうね?」


 俺とは反対に可笑しそうに笑うカザミに呆れた視線を向ける。

 敢えて口にしようとは思わなかったが食べられたか、取り込まれたか。そんなところだろうと思う。

 もしあの時俺たちが振り返っていたら……考えたくもない。

 何が面白いのか機嫌の良いカザミにドッと疲れた気分になる。


 後にして思えばカザミはその時、違うことを考えていたんだろう。あの怪異に飲み込まれた先の、あちら側には何かがあるんだと。

 どうしてカザミが幽霊や怪異に詳しくなったのかは以前聞いた事がある。オカルト好きの知り合いの影響だとは行っていたけど、多分それだけじゃない。

 俺たちが本当の理由を聞くのは、その二ヶ月後のことだった。



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