Case.17 坑道閉鎖
「あの坑道、閉鎖されたらしいよ」
アンリエットから懐かしい場所の話が出たのは学園を卒業するまで後一か月を切った頃のことだった。
俺たちの間で坑道と言うと、やはりあれだろう。思い出すのは中等部の二年に進学してすぐのあの一件。特に実害もなく、けれどなんとも言い難い気持ち悪さだけを残して迷宮入りとなった。
懐かしいと思う反面今そんなことになっているのかという感じである。だから、これはちょっとした好奇心の様なもの。それ以外に特に理由なんてない。
この三年間で見慣れた景色からほんの少し足を延ばす。たった数年離れただけなのに懐かしく感じる中等部側の街並みはそういえばこんな風だったかという懐かしい発見に満ちていた。
あの頃も時折こうして四人で放課後の街へと繰り出したものだ。まさか学園生活での六年間を丸々こいつらと連れだって過ごすことになるとは思いもしなかったが。
最も、卒業してしまえば皆それぞれ違う道を辿るから、多分これがこの四人で体験する最後の非日常になるだろう。
ヒューは彼の家族が代々そうしてきたように騎士団の門を叩き王室に仕えることになるだろうし、カザミは彼女の故郷である遠い島国に帰るのかもしれない。
アンリエットだって、きっと生家に戻りどこかの誰かと見合いをし、そうして嫁いでいくんだろう……。
俺だってそうだ。問題のない程度に領地を経営して、それなりにかわいらしいお嬢さんを娶って、なんとなく生きていく。身の危険を感じず慎ましく生きたいだけ、なんて言いながら今更四人で過ごす非日常を惜しく感じるとは我ながらどうかしている。
かつて通っていた道のりをあれやこれやとだらだらと話しながら歩いていたらあっという間に件の坑道に着いてしまった。
元は何の変哲もない女子寮の裏口から市街地へ向かうための使用人の抜け道であったはずなのに、女のうめき声を聞いただとか、坑道の中腹で恨めしそうにこちらを睨む女を見た、などという噂がいつの間にか生まれていた。
実際には噂の元となるような事件も事故も起こっていないというのに、皆よくそんな噂を思いつくものだと当時も関心した覚えがある。
「おぉ、本当に閉鎖してあるんだな」
久しぶりに来た坑道はかつては通り抜けができた入り口には鉄製の扉が取り付けられていて覗き込むことも出来ないように閉鎖されている。多分反対側も同じように蓋がされているんだろう。
特にこの坑道に思い入れもないのだが、自分が知っていたはずのものの変化というのは、時の流れというモノを感じられて感慨深い。
「前はカザミは一緒に来れなかったんだったな」
「ええ、確かそうね」
ああそうだ、あの時は何だったかでカザミはいなかったんだ。それで後から映像を見せたら可笑しなことが起こっていると言い始めたんだったか。
改めて思い出したらもやもやの原因カザミじゃねぇか。俺たちは最初何も気づいてなかったってのに、アイツが指摘したから後に引くタイプのもやもやが残ったんだろ。
なんてことしてくれたんだとため息と肩を落とす。余計なことを思い出して急に気分が多くなった。ああ、ダメだダメだ。思考を振り払うように顔を上げると丁度アンリエットがふらふらと坑道の扉に近付いているところだった。
「開かないのかな?」
「触んない方がいいぞ」
「何?」と知人。私は鉄板を差し
手を伸ばしかけているアンリエットを止めておく。俺は賢いから知ってるんだ。お決まりというか、流石にわかって来たというか。
前に坑道の一件もそうだったじゃないか。可笑しなことというのは皆大体律儀な性格をしていて、前兆というべきものがちゃんとあるんだ。
不思議そうな顔をして振り返る友人にわかるようにあえて鉄製の扉を指差す。
「鉄板が濡れてる」
結露だろうか。坑道の中と外を分け隔てる扉はびっしりと汗をかいている。
この地域は一年を通して温暖な気候だからあまり結露というものに馴染みはないが、その原理は割と単純だ。要は中と外の温度差、それから湿度なんかの影響で生まれる自然現象だ。
坑道の内部が外よりも気温が下がっているというのはわかる。だが、今日も穏やかな空模様で暑くもなく寒くもない。今は雨季でもないから湿度だってそう高くはない。
要は結露が発生する条件は満たされてないはずなのだ。にもかかわらず鉄製の扉にはびっしりと水滴ができている。
「結露は内部より外が暑い時起きるんだ」
振り返れば納得したような顔のカザミがいた。理解が早いようで助かる。
まぁ。何を言いたいかと言うと、俺は絶対その扉を開けたいとは思わないし、可能なら今すぐにでも何も見なかったことにしてこの場を去りたいということだ。
「今、中の温度っていくつになってるんだろな」
自分で思っていたよりもずっと低い声が出た。別に脅すつもりはないが、これで可笑しなことが起こっていると理解してくれるならなんだっていいさ。
坑道を塞いでいる鉄板は一面に結露で汗をかいてる。
熱くも寒くもないはずなのに妙な汗と寒気に襲われた。相変わらずこの坑道は俺たちになんとも言えない気味悪さを与えてくれる。直接的にも関節的にも害はなから余計にたちが悪い。
「日が暮れる前に帰ろう」
誰ともなしにじっと見ていた鉄板から目を反らす。太陽は少しずつ傾き始めており、時期に街並みを赤く染めるだろう。
いつもよりも少し長い帰路は静かなまま始まった。
幸いにして、何もなかったさ。
ただ大通りを少しそれた先の人気の少ない一角で閉鎖された坑道の扉が結露に濡れている。それだけの光景だ。気持ち悪さは残るが害はない、扉や門は生きる者と死者の境界線だ。
例えどれほどその先に興味があろうと、その先にかけがえのない誰かがいようと、生きている内は、まだその向こうへと潜る必要はない。
少しだけ風が吹く。パチリと音を立てて街灯が一つずつ明かりを灯した。一瞬振り返ろうかと思ったがやめておいた。
どうやらこれが学園での最後の不可思議な体験だったらしい。思い返せば随分と色々あったものだ。多分、悲しいことにこれからも色々とあるのだろう。
だからこれは。俺にとって忘れたいような忘れたくないような、この学園で過ごした六年間の非日常な日常の備忘録だ。
願わくば、五年十年後に彼らと彼女らとこんなこともあったと笑い合いたいものである。