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Case.16 門の鍵3


 夢を見た。繰り返し見た黒い世界の夢だ。

 呑み込まれてしまいそうなほどの黒と、土色の石畳の道が広がる世界。辺りを見渡してもその二色しか色彩の無い世界は一目で異界であることが伺える。

 曰く、門とはこの世界と異界を繋ぐ世界の綻びの様なものである。曰く、門の奥には道があり誰が作ったかもわからないそれは今も増え続けている。曰く、あそこは生きている者の行くべき所ではない。ここはそういう場所だ。

 なんの因果か迷い込んでしまっているが、本来ここは俺が来る場所ではないし、これからも当分は来る予定もなかったはずなんだがなぁ。


 そしてそんな世界で遭遇する人物と言えば、心当たりは二つしかない。

 一つはもう二度と会うことはないだろうあの黒い靄の男。あの男が本当に俺が思っている人物かは、あえて答え合わせするのも無粋な気がして口を噤んでいる間にその機会は永遠に失われてしまった。

 そしてもう一人はその靄の男を今尚探し続けている我らが級友、カザミ・ユウコだ。


「よう」

「いい夜ね」


 黒の世界からぬるりと現れた女はいつもの様にこちらをからかうような笑みを浮かべている。

 相変わらず、こちらの世界に入り浸って色々と見て回っているようだ。ここに繋がる門が開かれたのが三年前だとしたら、カザミはずっと会えないまま探し続けたんだろうか。


「わかっているんだろう? ここがどういう所か」


 傷付けるとわかってはいる。それは酷いことだとわかっている。

 ここはもう自分の形も保てないような連中が来るところで、例え夢であったとしても本来俺たちが来ることがないはずのところで。死者が長い時間をかけてヒノクニに向かうための道なのだ。

 どんな理由であっても、これ以上この道を辿り続けるのはいいことではないと思った。


「どうしても会いたい人がいたのよ」


 当たりは静寂に包まれておりカザミの呟きが妙に耳に残る。

 石畳から外れた先に何かが微かに動く気配がするもののこちらを伺うでもなく。漆黒の中に佇む街灯の光を反射して石畳が黄土色に浮き上がるばかりだ。


「どうしても会って、謝りたかった。あの時私がこの世界を否定しなければあの人はここで迷う事もなかったの」


 思い出すのはいつか、もういない誰かのことを語った時のカザミの少し寂しそうに笑った顔。こんな顔も出来るのかと思った反面、未だ諦めていないカザミの頑固さを感じていた。

 いつも曖昧な言葉で誤魔化して答えを避けていた女がやっと吐いた言葉が懺悔とは。その言葉の向けられた先にはもう誰もいないことが酷くやるせない。

 あっさりとした、悪く言えば何に対しても淡白な態度をとるカザミが唯一見せた執着が報われることはもうないのだ。


 それでも俺は靄の男に宣言したから。

 それがカザミを酷く傷つけることであったとしても、きっとあの靄の男と同じようになってしまうよりはいいはずだから。勝手な想像でしかないが、きっとあの男だってそれを望んでいるはずだから。

 何度も何度も自分に言い訳して言い聞かせてを繰り返す。でも、だって、だが、と浮かんでくるやるせなさとこれから傷つけることへの罪悪感を抑え込んで慎重に、出来る限り丁寧に息を吸った。

 夜の世界は静かに広がる。全てを呑み込んでしまいそうな黒にじんわりと浮かぶ黄土色が目を引いた。


「ねぇ、もう少しだけここにいさせて?もう二度とここには来ないから」

「いいのか?」

「ええ、あの人にはもう会えない。ここにあの人がいても、きっと私には会ってくれない。嫌われてしまっているだろうから」


 カザミが笑う。いつかと同じ顔で。

 もう誰もあの靄の男と会うことは出来ない。言うべき、なのだろうか。言えばカザミは完全にあの男のことを諦めるだろう。ここへ足を踏み入れることも、奇々怪々な出来事に自ら関わっていくこともなくなる。けどそれは彼女の心の傷と引き換えに与えられるものだ。

 あの男はもういないのだと伝えなければ、淡い希望だけは持っていけるのかもしれない。いつかまたカザミがこの世界に踏み込むことになってしまっても、心だけは、守れるかもしれない。


 浅く息を吐く。肺の中に溜まった濁った空気を押し出したにも関わらず体はまだ重いままだ。

 胃の中にずっしりと溜まるもやもやも、ぐるぐると巡り続けるだけのわだかまりも、全部息とともに吐き出してしまえればいいのに。


「違うな。あの男はずっとお前のことを心配してる。でなきゃ何度も……」


 俺はカザミとあの男の間に何があったのかは知らない。コイツがあの男にどんな感情を抱いているのかも、あの男がカザミに何をさせたいのかも。

 崩れた靄。形も保てなくなってしまった者たち。彼らにも寿命の様なものがあって、ボロボロと崩れ落ちては跡形もなく霧散していく。消えていってしまう。

 それでもカザミとあの靄の男の間には確かに何かがあったのだ。俺の知らない、知る必要のない二人だけの大切な何かが。その思い出だけは、そこにあった感情だけは消してはいけないものだと思った。


「会ったの?彼方さんに」

「ああ」

「そう」


 驚いた様子で初めて聞く名前を唱えるカザミに頷く。いつもの訳知り顔の崩れた姿に、やっと年相応の表情になったなと感じた。

 抱えている物があるならもっと深刻そうな顔をしろ。何でもないような顔をして笑うな。言うつもりがないのならもっとうまく隠してくれ。

 そんなことを言ったってカザミはきっとうまくはぐらかすだろうけど。今回はまぁ、少し取り乱した姿に免じて深追いしないでおいてやる。だからこちらのことも突っ込んでこないでくれ。


「……元気そうだった?」

「それなりに元気なんじゃねぇの?」


 探り合うようなやり取りは、本当は得意ではない。でも、傷つけたいわけじゃないのだから曖昧に返すしかない。

 あの男が完全に消えるところを見たわけではないし、もしかしたら俺の前から姿を消しただけでどこかにはいるかもしれない。はっきりとは言えない曖昧さを交換条件として許してほしい。


「そっか」

「おう」

「……そっか」


 何度も繰り返すように頷いたカザミが笑う。

 いつかの様な寂し気な表情でも、いつものこちらをからかうような表情でもなく晴れやかで安心したような顔で。思うところはあるが、一つの区切りとしてカザミの中で落とし処を見つけたのだろう。

 口を開きかけて、何も言葉に出来ず結局閉口する。彼女が自分で折り合いを付けたなら、俺の言葉は自己満足にしかならない。

 俺に出来るのは今まで通り研究室を溜まり場にして、テストがどうとかこの前できた店がどうとか取り留めのない話をして。いつも通りの毎日の中にカザミを引き戻してやることくらいなのだ。


 何度目かの深呼吸をする。多分もう、俺も、カザミも。この黒と黄土色に分けられた異界に来ることはないだろう。彼女がここに大切にして来たものを置いていくならそれでもいい。けれど確かに、あの二人の間に大切な物があったことだけはずっと覚えていたいと思う。

 カザミがゆっくりと瞬きをした。ああ、朝が来る。


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