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Case.10 研究室の人形


 柔らかな日差しが窓から降り注ぐ。

 高等部校舎の別館の端の端に位置する教授の研究室は他所から入ってくる音も少なく、部屋の奥は採光用に大きく窓が作られているので正直天気のいい日は昼寝にもってこいの立地である。

 おまけに今日はヒューバートは帰宅済みなので二つある応接用のソファーの片方を占領しても許されるというオプション付きだ。


 来て早々授業があるからと出ていったミハイル教授を見送り、荷物を足元に投げ出してソファーに転がる。確かアンリエットとカザミは今日は後一コマ授業があったんだったか。

 先月総出で掃除したというのに、骨董が多いからかすぐ埃っぽくなるのがこの研究室の欠点かもしれない。

 取り敢えず帰ってきたら教授には応接用の机に乱雑に積んである大量の参考文献やレポート類、後中に何が入っているかもわからない箱は片付けた方がいいと進言しよう。


 そんなことを考えながら心地よい日差しに微睡む。重たくなってくる瞼にわざわざ逆らってやるほど俺は殊勝な性格をしていないのだ。

 まだ授業を受ける学生がいる中での昼寝というのは中々に贅沢な時間の使い方だと思う。別館の端の端ということもあり本当にこの研究室に用事がある人しか訪れないし、最低一時間はのんびりと過ごせるだろう。


 特に柔らかくもないソファーが身じろぎの度にぎしりと鳴る。けして寝心地がいいというわけではないが学内で手足を伸ばして休める貴重なスポットなので特に不満はない。

 目を閉じていても晴れやかな空を雲が少し駆け足で流れていく様子が思い浮かぶ。雲が早いということは風があるのだろうか。時折顔に影がゆらゆらとかかる気配がする。

 窓の向こうで鳥の鳴く声が聞こえる。目御閉じているからか、それとも半分夢の中にいるからか、いつもよりも音が遠い気がした。ああ、いい本当に天気だ。暖かく、時間がゆっくり流れているような。

 太陽はまだ高い位置にいて、小鳥が遊びに誘うように歌う。そんな何でもない平和な午後の一幕。瞼の裏に移った情景に少しだけ口角が上がる。


 気持ちよく微睡んでいると、小さな音がした気がした。意識は覚醒したがどうにも目を開けるのが億劫でじっと耳をそばだてる。特に気になる音はない。体感一時間くらいは眠ってしていただろうか、もしかしたらアンリエットたちが来ているのかもしれない。

 相変わらずゆらゆらと影がかかったり離れたりする気配がする。そうしてはたと、妙なことに気が付く。さて。窓から応接用のソファーまでは少し離れているが、俺の顔にまでかかるようなゆらめく影を出すものなんて置いてあっただろうか?

 教授は窓際、というより直射日光の当たるところに蒐集した骨董品を置かない。日に焼けてしまうからというのももちろんだが、そもそも揺れ動くものなんてこの研究室に置いていなかったはずだ。では、あの影の正体は。


 何か薄ら寒いものがソファーに押し付けているはずの背中を撫でる。

 どうする。起き抜けの頭をフルに使って如何に状況を打破するかを考える。と言っても俺に取れる対策など結局るるーを呼びだすことぐらいなんだが。そんなうまく回らない思考を逡巡させていると不意に腹部を軽く叩かれるような衝撃に襲われた。


「うぐっ……う?」

「あ、起きた」


 反射的に目を開けるとそこにいたのは見慣れた同級生で。中等部一年の時より実に四年ぶりに選択科目で一緒になったアンリエットが肩に下げていた荷物を下ろそうとしているところだった。

 尚、同じ科目を取ったのは一枠だけでその他の交流はすべてこの放課後の謎の集まりのみとなっている。

 まぁそんなことは今はどうだっていいんだよ。問題はさっきの夢とも現実ともいえない影だ。当たりを見渡しても特に影になるようなものもなく、もちろん揺れ動くような物もない。


「おはよ」

「あ、ああ。おはよ」


 体を起こしてため息を吐く。いつもの研究室の荒れ放題の応接用のローテーブル。乱雑に積んである大量の参考文献やレポート類と中に何が入っているかもわからない箱が目の前に広がっている。

 嫌な夢を見たのだと片付けてしまいたいが、どうにも呑み込み切れない。俺がオカルトに慣れ切ってしまったのが原因か、それとも細かな変化にも気が付く気配りの出来る男になったと自分を褒めたたえるべきか。

 とにかく。昼寝前にはきっちりと閉じられていたはずの机の上の箱の蓋が僅かに開いているのが目に入った。


「これ、何が入ってるか聞いてるか?」

「うん? ああ、人形って教授が言ってたよ」


 向かいで荷物を下ろして文庫サイズの本を取りだしたアンリエットに声を掛ける。人形ねぇ。

 いつだったか、カザミをガン見する人形には会ったことがあるが、そういえばひとりでに動くとかいうある意味スタンダードなオカルト属性な人形に会うのは初めてだ。いや、普通の人形は勝手に何かすることはないんだが。


「気に入った物があると直ぐ持って行っちゃおうとするんだって」

体を起こすと紙が落ちる


 なんてもん持ってんだあの人は。いや、入手ルートは間違いなくロゼッタ何だろうが。

 呆れながら後頭部を掻きむしれば、足元に何か紙切れが落ちているのに気が付いた。明らかにこれもお休み前にはなかったものだ。


「人の物には手を出さないみたいだから、多分大丈夫」


 小さなメモ用紙だろうか、手に取って裏返せば何かが書いてある。


「……『売約済み』って、どういう意味だよ」

「知らない」


 すっかり見慣れた筆跡で書かれた文字を読み上げた。

 女子らしいどことなく丸みを帯びた字で書かれたそれをアンリエットは「知らない」らしい。顔を隠すように持ち上げられた本は、最近流行っているという小説のようだ。主人公の少年が不思議な少女に出会って始まるよくある冒険活劇だったと記憶している。

 事実は小説より奇なりとは言うが、お話の中の主人公も突然売約済みと書かれた紙を押し付けられるなどは体験したことないだろう。


「まぁ。預かっとく」

「好きにして」


 それっきりアンリエットは本に集中して相手をしてくれなくなったので、手にしていた紙をポケットにしまって、もう一度ソファーの上に転がる。

 相変わらず天気がいい。窓から降り注ぐ柔らかな日差しに照らされて室内に漂う小さな埃がきらきらと輝いている。また近いうちに掃除しようと教授に言わないと。

 そんなことを考えながら暖かな日差しにかまけて目を閉じる。きっと最終下校のチャイムが鳴る頃にはアンリエットが起こしてくれるだろう。

 ゆっくりと意識を手放す時、自重か何かで机の上に乱暴に置かれていた箱の蓋がカタンっと閉まる音がした。


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