Case.07 足音
今年もじめじめとした季節がやって来た。
雨こそ降っていないが鬱陶しいくらい厚い雲が窓の外に広がりどんよりとした様子で見降ろしている。そんな六月の上旬のことだ。
これと言って学内行事もなくなんとなくだるい感じの放課後、いつもの溜まり場とされている自習室に来客があった。と言っても、別に知らない顔というわけではなく、よく見知った先輩なのだが。
「少し相談に乗ってもらえないかしら?」
ふわふわした長い髪を揺らして敬愛する商魂たくましい先輩は笑った。
ロゼッタ・ホプキンス。商家の生まれで本人もすでに家業の手伝いを始めており、その界隈ではそれなりに有名だという。ヒルダ先輩の友人で時々世話になっているが、この人もこの人で割とアレなところのあるお姉さんだ。
損得の計算が悪いというわけではないが顧客になるか否か、あるいは顧客に出来るか否かで人を見るのはもはや職業病だと思う。
まぁお世話にはなっているのでとりあえず自習室にいくつかある内のそれなりに綺麗な椅子をすすめておく。
「それで、どうしたんです?」
「ええ、ちょっと」
生憎自習室に屯している内の真面目な方二人は出払っているが大丈夫だろうか。取り敢えず本を読んでいたカザミを呼んで巻き込むことにする。コイツはコイツでアレだがいないよりはずっといい。
こうして始まった即席相談室だが、ベクトルの違う振り切った人種に囲まれると自分はまともだと声を大にして言いたくなるな。出来れば同じ括りにしないでほしいが、他所から見たらお前も大概だと言われてしまうんだろうか。解せぬ。
「なんだか最近、足音がするのよ」
「足音、ですか?」
「ええ」
にこにこと笑顔を崩さずに仰ってますがそれは一体どういうことだろう。
ただの付きまといであるなら俺たちよりもよく一緒にいるヒルダ先輩の方が腕っぷしは強いし、わざわざ俺たちに話に来たということは気付きたくはないがそういう系の話なんだろうか。
別にそういうモノ専門の相談室とかやってないんだが、どうして皆業者みたいにちょっと調べてこいとか言うんだよ。こっちはやりたくてやってるわけじゃないんだが。
「誰もいないのにひとつ分多い気がして」
笑いごとじゃないです先輩。普通もっとビビるだろ。せめて気味悪がってくれよ。
どうして俺の周りの女性陣は胆力が強いんだ。アンリエットですら一瞬ビビりはするけど終わったらケロっとしてるのなんなんだよ。
未知のものや本来あり得ないものに遭遇すると普通はビビるんだって教えてやりたいね。人類の最も古いの感情は恐怖だってどこかの偉い人も言ってたんだぞ。
「貴方たちそういうのに詳しいでしょう?」
少なくとも俺はなりたくて詳しくなったわけじゃないですね。
とにかくだ。明らかに人ではものではないらしいロゼッタ先輩の追っかけもどきに付いてが今回の相談内容である、と。
「ああ、別に無理にどうにかしてほしいってわけではないのよ? どんなものかさえ分かればそういう物として受け入れられるから」
「はぁ」
ふとした拍子に一歩分だけ自分の後に続く誰かの足音を前にしてどうして平然としてられるんだろう。
いやまぁ確かに俺もるるーのことをなんかそういう犬みたいな何かとして受け入れてはいるが、あれはずっと付きまとわれた上での諦めの産物であってだな。
後資格情報って大事だと思う。存在が目に見えるならまだしも、見えない何かと言うのはこう、構えてしまうものじゃないんだろうか。少なくとも俺は見えないものは信じたくないし、見えてしまっているから諦めてそこにいることを認めているだけで。
可能なら今からでも見えなくなりたいくらいだ。
「ねぇユウコ。貴女は何か知らない?」
話を振られたカザミが何かを思い出すように物思いに耽る。
この手の話はコイツの方が詳しい。悲しいかな、俺は追いかけてくる系専門だったから。いや、なんでアイツら追いかけてくるんだよ。
「故郷の山に、似たような話がありますね」
そう前置きしてカザミが話したのは先輩から聞いた足音の話と本当によく似ていた。
背後からが聞こえてくる足音に振り向くが近くに人の姿はない。どういうことかと立ち止まっていると、その横を足音だけが通り過ぎていった。その時微かにお香を炊いた匂いがするのだ、と。
そういった事象なのか存在なのかよくわからないものの話を終えカザミは心当たりを問うように先輩の方を見やる。
匂い、香水の話しについては聞いていなかったがどうやらあるらしい。あら、やっぱり。とでもいうように商家の跡取り娘の先輩は笑った。お、心臓に毛が生えてるのかな?
「少し前にね、東の国の香を取引したのよ。きっとその時ね」
なんでもないようにクスクス笑いながら返す先輩に呆れを通り越して尊敬の念すら覚える。
そういうモノがいるとだけ伝えられており、足音の主が何なのかはカザミにも分からないが先輩的にも問題ないらしい。
聞けばオカルト染みたものに興味があるお得意様への土産話になるならそれでいいのだとか。世の中には俺の理解が及ばない趣味の人もいるもんだ。
「おい。一応聞いて置くが」
「害はないよ」
ならいいのかと勘違いしそうになるが何も解決してないし、なんなら何もわかってない。ただ付いて来るだけだとしてもそれでいいのかと言いたくなる。
どうにかしてくれと言われても解決策が思い浮かばないのでどうにもできないんだが。
相変わらずどんよりとした雲が窓の外でいつもより早足に流れていくが、それとは対照的ロゼッタ先輩は知りたいことが知れたからかすっきりとした晴れやかな顔になっている。
「話を聞かせてくれてありがとう。今度またお礼をするわね」
今一納得しきれない俺を他所に満足気な先輩は上機嫌で礼を言い席を立つ。この人本当に話のネタを探しに来ただけかよ。
鼻歌でも歌い出しそうなほどご機嫌になってくださったのはいいことかもしれないが、これ以上俺の周りで変なモノに喜ぶ人種が増えないことを願うばかりだ。いや、割とマジで切に。
先輩を見送りちらりと盗み見た隣には、澄ました顔のカザミが一息ついて立ち上がるところだった。ため息をつきたいのはこちらの方だ。
外は朝から陰鬱な天気のままだし、なんとも微妙に解決しない話を聞かされるし。定位置に戻りよくわからん魔術書を読み始めるカザミに倣い自分もいつもの席で机の上に上半身を投げ出す。こうなったら昼寝でもして気分転換してしまおう。
しかし残念なことに、先輩によって分け与えられた解決しないもやもや感は席を外していた真面目な方二人が自習室に帰ってくるまで俺の中に居座っていた。